ここから九章です。
エロはありません。
起きたら何がどうなって 1
穏やかな音楽が聞こえる。懐かしいような気のする響きは、弦楽器の音だ。ぼんやりと薄目を開けて水輝は流れている音楽に耳を澄ませた。バイオリンやビオラの心地良いメロディが続いている。いつか耳にしたことのある、馴染みやすいクラシック音楽だ。
柔らかな布団の中で寝返りを打つ。水輝は再び目を閉じようとした。何故か身体が酷くだるい。それに何だか頭もぼんやりする。寝起きだからだろうと思いかけ、ふと水輝は片目だけをしっかりと開けた。
見知らぬ部屋の様子が目に映る。水輝はそれを見止めて慌てて両目を開いた。身体を勢いよく起こそうとする。だが意外にも力が殆ど入らない。水輝の腕からはあっという間に力が抜け、起こしかけていた身体はベッドの上に力なく落ちた。
「なにがどうなってるのかしら」
天井を見上げたまま、水輝は小さくそう呟いた。自分の声すら別の誰かのものに聞こえる。それくらい、声にも力がない。水輝は息をついて身体に不自然にこもっていた力を抜いた。どうやら極端に疲れているらしい。そのことは自分でも判った。
淡いライトが天井にある。どうやらこの部屋には明かりを入れる窓がないらしい。天井の明かりがなければ部屋の中は真夜中同然に暗いだろう。水輝はぼんやりと視線だけを動かした。天井に釣り下がっている銀色のいるかに目を留め、小さく笑う。愛らしいモビールの飾られたこの部屋は、水輝の目で見る限り女の子向けに見えた。なるほど、あたしってば知らない女の子に保護でもされたのかな。水輝は呑気にそんなことを考えながら視線だけを彷徨わせた。
ふと、脳裏に何かが蘇る。唐突に思い出したイメージに水輝は目を見開いた。そうだ。自分は何か怖い目にあった筈だ。必死で逃げたことを覚えている。嫌だったが水輝は我慢して記憶を辿った。
見知らぬ場所にいた。嫌がる水輝を無理やり抱いたのは翠だった。殆ど面識もなかったが、水輝にはその男が翠だとはっきり認識できた。泣き叫ぶ水輝を組み敷き、翠は薄笑いを浮かべていた。懸命に逃げようとした水輝を押さえつけ、翠は何度も水輝を犯したのだ。
水輝はいつの間かに真っ青になっていた。布団を頭から被って震える身体を自分の腕で抱きしめる。だがそうしていても震えは止まらない。目を閉じても息を潜めても嫌な記憶はどんどん蘇ってくるのだ。
『水輝さん、おはようございます』
唐突に知らない声が聞こえてくる。水輝は恐る恐る布団を引き下げて部屋を見回した。だが誰もいない。部屋にいるのは自分だけだ。怪訝に思いながら水輝は視線を忙しなく動かした。けれど誰の姿も見えない。
「……だれ」
水輝は掠れた声で見えない相手に問い掛けた。すると何処かから小さく笑う気配が伝わってくる。どうやら部屋のどこかにスピーカーが仕掛けてあるらしい。ということは声の主はどれだけ探してもこの部屋の中には見当たらないということだ。水輝はそっと息をついて目を閉じた。
『水輝さん、気分はどうですか? そちらにお伺いしてよろしいですか?』
翠とは全く違う声が聞こえてくる。そのことに水輝は心の底から安堵した。どうしてだかは判らないが、幸い最悪の状態は脱しているらしい。
「あ、うん。大丈夫だけど」
『それでは、今からそちらに向かいます』
そこで通信が途切れる。水輝は訝りながら目を開けた。自分はどうやってあの窮地を脱したのだろう。力を使えないようにされ、なす術もなかった筈だ。もし、力を使えたなら無茶をしてでも翠から逃れられたのに。今更ながらに悔しさがこみ上げてくる。水輝は唇をかんで布団を再び被ろうとした。だが思い直す。さっきの声の主が訪ねてくると言っていた。わざわざ顔を見せる前に断ってくるということは、よほど礼儀正しいのだろう。その相手に布団を被ったままでいるのは失礼かも知れない。水輝は何とか全身に力を入れて身体を動かした。よろけながら身体を起こす。水輝が苦心して身を起こしたところで部屋のドアが軽い音を立てて開いた。
「こんにちは、水輝さん」
穏やかな微笑みを浮かべ、一人の少年が部屋に入ってくる。水輝はその少年の顔を見て目を見張った。どこかで見た気がする。いや、少年が立城にとても似ているのだ。それに気付いた水輝は言葉を失ってしまった。どうしてこんなに似ているのだろう。そんな疑問が頭を巡る。水輝はとり憑かれたように少年に見入っていた。
少年は水輝に断ってから椅子をベッドの傍に寄せた。そして滑らかな挙動で椅子に腰を下ろす。呆然としている水輝に笑いかけながら、少年は自己紹介をしてみせた。名前は吉良優一郎。十六歳。高校生らしい。水輝はその自己紹介を聞いてからようやく我に返った。
「あの、ありがとう。あなたが助けてくれたんでしょ?」
どう考えても自分の力ではあの場を切り抜けられなかった。助けを求めても誰も水輝を助けてはくれなかった。だから全く別の誰かに助けられたと考えるのが自然だ。水輝は優一郎が自分を助けてくれたのだと信じて疑わなかった。記憶が混乱しているのだという自覚は全くない。水輝は感謝を込めて優一郎に頭を下げた。
そもそもコイツら、たびたびTSするので警報出しても……w