あ、でもここにはエロシーンはないです。
部員たちが家に帰った後も絵美佳は一人で研究室に残っていた。今日は珍しく巴の姿がない。絵美佳はそのことに気付いた時、巴のクラスを訪ねてみた。幸い、教室には数人の生徒が残っていたので、絵美佳は巴について訊ねた。
巴は午後の授業には出てこなかったという。絵美佳はそのことを思い出しながら何気なくパソコンの画面を見やった。スクリーンセイバーが動いている。今日のスクリーンセイバーは猫のイラストのものだ。絵美佳はしばらくぼんやりとその画面を眺めた。
すでに外は暗い。もしかしたら今日は巴は来ないのかも知れない。絵美佳が諦めかけた時、不意にチャイムが鳴った。部員たちが地下施設に入るには絵美佳に連絡しなければならない。白衣の中で鳴ったチャイムを取り出し、絵美佳は苦笑して立ち上がった。誰かが忘れ物でもしたのだろう。そんなことを考えながら足早に施設の入り口に向かう。
鍵を外す。扉を大きく開いた絵美佳はそこで凍りついた。扉の向こうに立っているのは巴だった。しかも巴はどういう訳かずぶ濡れになっているのだ。
「どーしたの? 何してるのよ!」
絵美佳は慌てて巴に声をかけた。だが巴は俯いたままじっとしている。絵美佳は迷うことなく巴の手を引いて施設の中に戻った。巴は小さな声で詫びている。絵美佳はだが、その声を聞いていなかった。問答無用で巴をシャワールームに叩き込む。
確かに巴は人とは言えない身体をしている。だがだからと言って、ずぶ濡れになるほど雨に打たれれば、何ともないとは思えない。きっと身体は芯から冷え切っているだろう。絵美佳は苛立ちながらシャワーから出てくる巴のために牛乳を温めた。小鍋の牛乳が温まる間にカップに熱湯を注ぐ。温かい飲み物を入れる時はカップも温めた方がいいのだと教えてくれたのは、他でもない巴だ。絵美佳は巴にいつか教わった通りにココアをカップに入れた。
そして巴が研究室に現れる。絵美佳は仏頂面をして入り口で佇んでいる巴にカップを突き出した。だが巴は顔を上げない。苛立ちに負け、絵美佳は声を荒らげた。
「いいかげん、こっち見たらどうなのよ」
「あ、ごめんなさい」
巴がのろのろと顔を上げる。次に巴は驚いたように絵美佳とその手に握られているカップとを見た。仏頂面のままで顎をしゃくる。だがそうする絵美佳の顔は少しだけ緩んでいた。
静かに巴が近づいてくる。ガウン一枚の姿なのは着替えを絵美佳が用意しなかったからだ。濡れた制服はきっと洗濯している最中なのだろう。傍に寄ってきた巴に絵美佳は無言でココア入りのカップを差し出した。巴が軽く会釈をして受け取る。
勧めた椅子に腰を下ろした巴は、しばらくカップの中をじっと見下ろしていた。そんな巴を腕組みをして見つめる。絵美佳は途中、何度か巴に声をかけようと口を開きかけた。だがその度に思い止まる。どうして巴はあんな雨の中にずっといたのだろう。制服から零れた雫が廊下をびしょ濡れにするほどに雨の中にいたのは何故だろう。絵美佳はそう何度か質問しようとした。けれど巴の意気消沈している顔を見ると訊けなくなる。
巴には何かあったのだろう。それだけは判る。訊けば巴は正直に応えるだろう。そのことも絵美佳は理解していた。巴は人ではない。機械だ。主人として正式に登録された絵美佳が命じれば、嘘は吐けないシステムになっている。だからはっきりと質問しさえすれば答えは簡単に手に入る。
だが絵美佳は無言を通していた。しばらくして巴が苦笑する。
「あったかいです」
カップを両手に包んで巴が顔を上げた。絵美佳は黙って小さく頷いた。巴は緊張の解けた面持ちをしている。絵美佳はそう思った。だから絵美佳も身体に不自然に入っていた力を抜いた。いつの間にか巴につられていたらしい。絵美佳は脱力して椅子に深々ともたれかかった。
絵美佳は巴と向き合う形で座っている。巴はカップを手に包み、中身を少しだけ啜る。その様子にほっとして絵美佳も自分のカップを取った。ぬるくなったココアを半分ほど飲む。
不意に巴が身を乗り出す。
「あの、部長のこと、下の名前で呼んでもいいですか?」
奇妙な質問だ。だが絵美佳は快くそれを承諾した。別に嫌がる理由もない。すると巴は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。ええと、絵美佳部長でいいですか?」
「いちいち役職名なんて付けなくていいわよ。どうせあんたはずっとあたしの助手を務めるんだし」
ここを卒業したら自分は部長でも何でもない。絵美佳はそう応えて笑った。他意などなかった。部長という呼び名が嫌いな訳ではないが、下の名にくっついていると何だか座りが悪い気がしただけだ。本当にそれだけのことだった。
だが巴には違っていたらしい。困ったように口の中で何かを呟いている。どうやら呼びかけを練習しているようだ。絵美佳はそれに気付いて思わず吹き出した。
絵美佳からすると巴がなに考えてるかまったく判らなくて当然なのですがw