エロシーンはないです。
「こんばんは。姉さん」
もう一つの地下施設、科学部の部室から絵美佳が顔を覗かせる。絵美佳は驚いたように目を見張ったが、すぐに気を取り直した。不機嫌に鼻を鳴らして顎をしゃくる。
「何の用よ」
つっけんどんな物言いは昔からだが、今日のこれは更に酷い。相当に怒っているな、と察しながら優一郎は絵美佳の肩越しに地下施設の中を目で指した。
「入れてくれませんか?」
理由も言わず、優一郎はそう告げた。だが絵美佳に動揺した様子はない。ため息をついて扉を大きく開く。優一郎は礼を告げて地下施設に足を踏み入れた。
絵美佳は水輝を連れていることについて何も言わない。恐らくはメールが示していた通り、記憶が徐々に戻っているのだ。優一郎はメールのことを思い出しながらなるほど、と頷いた。途端に先を歩いていた絵美佳が振り返る。
「なに」
「同じ地下なのに随分と違うと思って」
東と西に分かれた校舎の地下にそれぞれの施設はある。敷地の広さはほぼ同じだ。だがこちらにはどことなく大人数で賑やかに過ごしている雰囲気がある。対して優一郎のいる施設は少人数が快適に暮らせるように作られているのだ。構造ももちろん全く違っている。
「ふん。当り前でしょ。あんたのとことは違って、ここはパパが作ったとこだもの」
絵美佳は胸を反らして応える。優一郎はいつもの絵美佳の様子にそうですか、と笑みを返した。
地下施設は静まり返っていた。科学部の部員は既に全員が帰宅しているのだ。そのことを優一郎が何気なく問うと、絵美佳はさらりと肯定した。どうやら迫っている一学期の期末考査に向け、勉強する部員が多いらしい。そのために早めの帰宅を許可したのだという。絵美佳の説明を聞いて優一郎はああ、と納得した。
「そういえばテストが近いんだね」
「あんたは特に勉強なんてしなくてもいいんでしょ」
いつの間にか優一郎はテストの度に優秀な成績を修めるようになった。それに対して絵美佳の成績は極端だ。素晴らしく出来のいい科目があれば、どうやったらそんな点になるのかという科目もある。特に絵美佳の場合、理数系は得意だがそれ以外は全く駄目ときているのだ。そのことを思い出して優一郎は苦笑いした。表向きだけでも取り繕うということを絵美佳は好まない。思ったままに生き、そして気の向くままに研究する。それは幼い頃から変わっていないのだ。
優一郎たちが案内されたのは客室だった。ソファセットや花瓶が設えてある。優一郎は絵美佳の勧めに従って腰を下ろした。その脇に水輝が佇む。
「座らないの?」
絵美佳は水輝に顎をしゃくった。だが水輝は絵美佳の言葉には反応しない。優一郎は首を横に振った。
「彼女はいいんです」
「あ、そう」
大して気にしなかったのだろう。絵美佳はそう言い残して客室を出て行った。しばらく待っていると絵美佳がティセットの乗ったトレイを抱えて戻ってくる。優一郎は差し出された紅茶をありがたく受け取った。だが水輝は自分の前に置かれたカップにも目を向けない。ぼんやりとどこかを見つめている。一応は視線が壁に向かっているようだが、実際に壁を見ているつもりもないのだろう。意志の感じられない目つきだ。そんな水輝を訝ったのか、絵美佳がカップと水輝を見比べる。優一郎はカップに唇をつけ、少しだけ笑った。
「彼女が心配ですか?」
「そりゃ、気持ち悪いもの」
なにが気持ち悪いのかを絵美佳ははっきり言わない。だがそのせりふの示す内容を優一郎は十分に理解していた。絵美佳は恐らく、記憶に残っている水輝と今の水輝を比べているのだ。もちろん、絵美佳自身の記憶ではない。別の誰かの思い出だ。優一郎は黙って水輝を見つめている絵美佳に軽く笑いかけた。
絵美佳が気持ち悪いと思うものの正体を言い当てようとし、ふと優一郎は口まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。水輝を見上げる絵美佳の目にどことなく悲しみが見て取れる。優一郎は不思議な気分でしばらく二人を眺めていた。
かつて水輝は木龍神である立城の片割れを殺した。実際に手を下した訳ではないにしろ、水輝が原因で立城の弟である真也はこの世から消えたのだ。……そう、少なくとも肉体は破滅した。元々、立城は木龍神としての力を十全に持っていた訳ではない。その不足した部分を補う形で真也は力を持っていた。
だが持っていた力を一気に爆発させたことにより、真也の器は崩壊した。そして真也の魂は時を流れ、絵美佳の肉体に宿ったのだ。これが優一郎が翠からのメールで知り得たことだ。
けれど優一郎はメールに書かれていたことの全てを信じる気はなかった。情報の一つとして頭に入れただけのことだ。そもそも翠という人物についても詳しいことは判らない。言われたことの全てを鵜呑みにするほど素直でないことは優一郎も自覚している。
それでも絵美佳のこんな反応を見ると、メールに書かれていたことの全てが本当なのではないかと信じたくなる。優一郎は苦笑して熱い紅茶に口をつけた。
「話があるんです」
そう切り出して優一郎はカップをそっと戻した。水輝を見つめていた絵美佳が目だけを優一郎に向ける。優一郎は平然と睨むような絵美佳の視線を受け止めた。
「姉さんのところにいる、木崎さんのボディは僕が用意しましょう。それと引き換えに頼みたいことがあるんだけど」
「ストレートにきたわね」
巴が絵美佳の手の中にあることを、優一郎はこの時点で知っていた。絵美佳も否定はしない。優一郎に向き直って真剣な顔をしている。なに、と問い返されて優一郎は静かに頷いた。
巴が助かる道が~。