エロシーンはないです~。
かつてこの世界には紫翠と呼ばれる龍神がいた。他の龍神を圧倒する力を携え、龍神の長になってもおかしくないと言われていた。だが紫翠は誰に勧められても長にはならなかった。しかも紫翠は全ての龍神の頂点にいた主龍神の命令もあっさりと跳ね除けたという。それでも主龍神は紫翠を咎めることはなかった。その事実だけ見ても、紫翠が相当の実力の持ち主であったことは想像に難くない。
そしてある時、紫翠は禁忌を犯した。その罰として紫翠は青龍神水輝に殺害される。次に転生する時は、決して同じ過ちを繰り返さぬよう……その願いを水輝に託し、紫翠は長い眠りの時を迎えることになる。そして事実上、長としての役も別の者へと回された。紫翠の代理として長に任命されたのは火龍神火藍だった。火藍は主龍神の命に従い、長の任に就く。
やがて紫翠の魂は時を流れ、人の身に転生した。
「それがあなただと?」
都子は静かに立城に問い掛けた。立城は穏やかな笑みを浮かべている。
「不本意ですが、そのようです」
不満など欠片も感じさせない微笑みを浮かべ、立城は都子の言を肯定してみせた。都子はゆっくりと歩く立城に従って歩を進めつつ、ふうんと返した。
紫翠は長い時をただ眠って過ごしていた訳ではなかった。それを立城が知り得たのは転生して随分と経ってからだという。都子は不思議な気がして立城をちらりと見やった。隣を歩きつつ、立城が困ったように笑う。都子は肩を竦めて再び前を向いた。
「だって何だか不思議なんですもの。あなたは何でも知っているような気がするのに」
思ったままを口にする。すると立城がそんな都子を見下ろしながら苦笑した。
「そう思っている人は多いみたいですが、残念ながら僕にも知らないことはあるんです」
たとえ紫翠であった頃の記憶を辿っても、封じられている部分については見えないままだ。立城はあっさりとそう告げた。
紫翠は眠りながらその魂を幾つかに分けた。転生の折、決して魂が元の形に戻らないように。同じ悲しみを生まないように。誰にも判らないように魂を分けよう。
そして紫翠の願い通りに魂は分かたれた。一つは立城に。一つは立城の双子の弟に。そして。
「今思えば不可思議なことが多かったんですよ。紫翠の魂が眠っている間、翠と呼ばれる龍神の姿を見た者は一人として存在しない。奇妙に不安定な時空があちこちにあって、その綻びを縫い合わせるために龍神の誰かが現場に派遣されることも珍しくなかったんです」
都子は黙って足を止めた。翠。初めて聞く名前ではない。だがその名をどこで耳にしたのかを都子は思い出せなかった。もしかしたらこの夢の世界に入ってからかも知れない。都子は何気なく周囲を見回した。どこからともなく柔らかな風が吹いてくる。都子は揺れた長い髪を押さえ、空を仰いだ。
時を司る翠龍神。立城はそれから少しの間、翠の話をしてくれた。古の昔からその存在だけが噂されていた翠。けれど誰にもその姿は捉えられない。きっと姿を現さない龍神なのだと誰もが信じていた。不思議なことに誰一人、それを疑う者はなかった。そう。立城が現れるまでは。
「色んな方法で確かめようとしました。でも、どの方法も完璧とは言えなかった。どこかで必ずほころびが生じ、そして気付くと今の世界に帰らされてしまう。それこそ、僕は飽きることなく何度も繰り返してみました」
時を渡り、過去へ遡る。だがどんなに立城が苦心しても、最終的にはこの世界に似た世界……つまり、似てはいるけれど全く別の世界とすり替えられていた。要するに移動している間に、この世界の過去への道は歪められてしまうのだという。
似た世界の過去は幾つも見た。立城はそう告げて小さく笑った。
「相手は時空を司る者ですからね。そう簡単にはいかないと判っていたつもりだったんですが」
そんなことをしている間に無情に歳月だけが流れた。結局は今に至るまで立城は自分の説を確かめることが出来ずにいる。
「水輝の夢紡ぎの術を使い、夢を通じて移動するなんていうことも考えてはみましたし、試しもしました。ですが、やはり無理でしたね。お陰様でこうしてあなたを見つけたように、人の夢に潜ることはできるようになりましたが」
あらゆる方法を用い、立城は過去を自分の目で確かめようとした。ハンターと龍神たちの争いの中でも、そのことを忘れたことはない。そう言って立城は都子を振り返った。顔に浮かんでいた笑みはない。都子は黙ってそんな立城を見つめ返した。
「僕はあなた方を利用しました。戦いの最中に発生する巨大な力を用いて道を開こうとしたんです」
以前にも、一度は試した方法ですけれどね。そう付け足して立城は再び歩き出した。都子も成り行きで歩き出す。ほんの数歩だけ行ったところで立城はまた立ち止まった。揺れるばらの花を見つめたまま、静かな声で語る。
「戦いだけを生きがいにする人形化の術は、随分と昔に封印された禁忌の技です。技の存在そのものが悪とされ、長い間、龍神たちにも忘れ去られていたものなんですよ」
だが順はどういう訳かその術の使い方を知っていた。血の誓約と呼ばれる方法に関する情報を、どこかから手に入れてきたのだ。その時のことを思い出しながら都子は眉間に皺を寄せた。
「あなたがあなたの兄上に人形にされた時、僕は黙って見ていました」
「そう。確かにあなたは口を挟まなかった。いえ、挟めなかったのね」
禁忌の技の情報は、立城が順に届くように流したのだ。思い至ったことを都子は淡々と告げた。すると立城が軽く手を叩く。拍手のつもりらしい。都子はため息をついて立城の横に並んだ。淡い桃色のばらが美しく花開いている。濃い緑の中でその花の色は冴えて見える。
だが、残念なことに禁忌の術を使用する際に発生するエネルギーを用いても、過去への道は開けなかった。立城は小さな声でそう告げた。都子は微かな笑い声を漏らし、花に向かって軽く倒していた身体を戻した。頭をしっかりと上げて立城を見る。立城は黙って都子の視線を受け止めた。
「仮説でいいわ。あなたの話の続きを聞かせて」
「そうですね」
では、と告げて立城は庭の中心にあるベンチを指差した。頷いて歩き出す。立城はそんな都子の後ろをついてきた。
分かれた魂はそれぞれの人格を持って転生した。一人は立城に。もう一人は立城の弟である真也に。そして最後の一人は翠と呼ばれる龍神に。
ベンチに落ち着いてから立城は静かにそう語り始めた。都子は黙って頷き、話の先を促した。立城も頷く。
「翠は時を自在に渡ることが出来ます。それが性質とされているのですから当然かも知れません。が、だから翠にまつわる話の全てが本当なのかどうかは疑わしい。昔からいる、とみんなは口を揃えて言いますが、そのことすら本当なのか誰にも確かめられません。たとえば翠が今に近い時代に生まれたとしても、時を渡り過去へと遡れば、はるか昔から存在したことになる。みんなの記憶の中では、ですが」
翠は昔からいるのだと記憶に植え付けることは造作もないことだろう。立城はそうも言った。だが都子は首を傾げて軽く手を上げた。
この2人は薔薇園で何話してるんでしょうw