ちなみにここにはエロシーンはありません。
右手を一閃する。水輝の刀が空を切る。水輝に襲い掛かろうとしていた誰かが衝撃に倒れる。だが水輝はそれを確認することもなく、ふわりと身を屈めて回し蹴りを放った。水輝に足を払われた黒い影が横転する。軽く踏み切って床から飛び上がり、水輝は倒れていた男に膝蹴りを叩き込んだ。膝の下で嫌な音がして男が悲鳴を上げる。
飛び込んだ部屋で待ち構えていたのは三人の男だった。二人は既に床に倒れている。最初の男は峰打ちで気絶、もう一人はあばらの数本を砕かれて悶絶中だ。水輝は刀を眼前に構え、深く息を吸い込んだ。最後の男は何をするでもなく部屋の奥に立っている。
本命はこの男たちではない。水輝は内心で呟いて部屋の奥にいる男を睨みつけた。二十代前半だろうか。男は注意深く水輝の様子を伺っている。動きやすそうな服に身を固めた男は、不意に床を蹴って奇声を上げながら水輝に突進した。
雑魚なんだよなあ。水輝は呟いて刀を握り締めていた右腕を無造作に振った。突っ込んできた男の蹴りを避け、横腹にこぶしを打ち込む。男は声もなく壁まで吹っ飛んだ。つかを握っていた水輝の手に激しく打たれた男は、壁に激突した後、動きを止めた。
小さな部屋だ。この屋敷の中にある部屋の中で一番、小さいかも知れない。水輝はぼんやりと部屋の中を見回した。大したものが置かれている訳ではない。壁に一枚の絵がかけられている以外は、ごく普通の部屋だろう。水輝は目を細めて壁にかかる大きな絵を見つめた。近づいて額縁に手をかけた。少しずらすと壁に何かが埋まっているのが見える。
絵の裏側に隠れていたのは小さなドアだった。腰を屈めなければ通れないほど、背の低いドアだ。水輝は金属製のそのドアを眺めて刀を握り直した。
「隠し通路か? ますますわざとらしいな」
そう言いながら水輝は肩に乗せていた刀を一気に振り下ろした。耳障りな音が響く。青い刀身は金属のドアを真ん中で断ち切っていた。水輝が軽く蹴ると、割れたドアが音を立てて崩れる。
ドアの向こうには狭い通路が伸びている。水輝は無言で通路に侵入した。ドアとは違い、通路そのものは普通に歩いていける高さだ。水輝は薄暗い通路を歩きながら息を殺した。何故かは判らないが胸騒ぎがする。右手を見下ろすと、刀身から発されていた光が強くなっていた。微かに震える刀身がつばを鳴らす。
「ごめんな。なに言ってるか、もうおれには判らないんだ」
水輝は苦い笑いを浮かべ、そう囁いた。きっと刀に姿を変えている彼女が何かを教えてくれようとしているのだろう。だが水輝には声は聞こえなかった。光っていることは判るが、それ以上のものも見えない。水輝はそっと息をついて再び前を向いた。刀はまだ震えている。
人として生きるなら十分だ。だが今の水輝は龍神としては不完全になっていた。龍神としての感覚の多くが閉ざされたままだからだ。目に見えない力を感じ取ることも、気配を聞くことも、その能力の多くは酷く鈍くなっている。水輝はため息をつきながらゆっくりと進んでいった。
通路は緩やかな下り坂になっている。水輝は途中で何度か来た道を振り返った。もう、通路の入り口にあった光は見えない。時折、生ぬるい風が前から吹いてくる。水輝はその度に目を細めて足を止めた。
やがて前方に仄かな明かりが見えてくる。水輝は無言で進み続けた。刀はまだ音を立てて震えている。だが警告しても無駄と諦めたのか、しばらくすると刀身はぴたりと動きを止めた。輝きだけが刀身に残る。水輝はそんな刀を肩に乗せ、ひたすらに明かりを目指した。
徐々に明かりが強く大きくなる。水輝の足は自然と速くなった。最後には駆け足になる。明かりに飛び込んだ水輝は襲い掛かってきた何かに向かい、力を込めて刀を振り回した。次々に覆面をした誰かが襲いかかってくる。水輝は舌打ちをして手の中に力を集めた。一気に爆発させる。衝撃に晒された襲撃者たちは声を上げながら床や壁に吹き飛ばされた。その間に水輝は床を蹴って高く飛び上がっていた。まだ動いている襲撃者に向かって落下しながら蹴りを放つ。
だがきりがない。水輝は苛立ちに任せて刀を大きく振った。何人かの襲撃者が刀に叩かれて床を転がる。だが、今度の襲撃者たちは水輝が思う以上にタフだった。床に倒れても再び起き上がってくる。ダメージなどないのか、それとも耐久力があるのか。水輝は次第に壁際に追い詰められた。明らかに攻撃力は上回っている筈だ。第一、自分はまだ一撃も食らってなどいない。だが水輝の心の中には焦りが生まれていた。
仕方ない。あれを使うか。水輝は手の中に一つの宝珠を表した。右手の刀で襲撃者たちを牽制しつつ、左の手に握り締めた翠宝珠に唇を寄せる。視界の隅に新たな影が現れたが、水輝は構わず術を放った。
一秒、二秒、三秒。心の中でカウントしながら水輝は一気に周囲に立っていた襲撃者たちを叩き伏せた。広間の時間が止まっているのだ。水輝は身体全体に圧し掛かる重みに耐えながら、必死で襲撃者たちを倒した。四秒、五秒。そうカウントした時には水輝を襲っていた者たちは全て、床に倒れた。だが水輝はそれで動きを止めなかった。強大な圧力が身体にかかる。精神にも圧倒的な衝撃が訪れる。最後に視界の隅に現れた男に向かい、水輝は声を上げて床を蹴った。一直線に男に迫る。
不意に止まっていた時間が動き出す。水輝は構わず男に刀を繰り出した。
「はい、時間切れ」
難なく水輝の刀を指で押さえた男が笑う。水輝は歯軋りして男から飛び離れた。術の反動で一気に身体の力が抜ける。床に膝をついた水輝を見下ろしながら男はくすくすと笑い始めた。
「久しぶりだねえ、水輝ちゃん。元気してた?」
「……てめえも相変わらずだな。順」
水輝は低い声でそう返した。すると順が笑い声を上げる。ひとしきり笑ってから順はおもむろに腕を伸ばした。
「変わってないのはオレだけだってば。水輝ちゃん、前とは違ってるじゃない」
そう言いながら順は指を鳴らした。すると床に倒れていた襲撃者たちの輪郭がぼやける。息を飲んだ水輝の目の前で、襲撃者たちはその姿を変えた。黒ずくめの襲撃者たちが溶けていく。床に残ったのは幾つもの黒宝珠だった。
「見分けもつかないなんてねえ。相当、目が悪くなってるんだねえ」
小さく笑いながら順が再び指を鳴らす。すると宝珠はゆらゆらと浮き上がって順の胸に吸い込まれていった。全部の宝珠を身体に取り込んだ順が、軽く息をつく。水輝は目を見開いてそれを見つめていた。
龍宝珠専門のハンター。木村の当主である順が笑いながら水輝に近づく。水輝は刀を支えにして何とかその場に立ち上がった。広間が一瞬でその様を変える。思わずよろけた水輝の足元が、音もなく溶けていく。だがすぐに床は再構成された。見回した水輝の目に映ったのは、一階で一度確かめた筈のリビングの様子だった。
「空間を繋いでみたんだけどさ。試しに。でもこうも簡単に引っかかるなんて、正直思ってなかったよ。オレが思ってた以上に、キミは腑抜けになってるんだね」
「うるさいな。お前に関係ないだろ」
順を睨みながら水輝は刀を構え直した。もう、あの術は使えない。負担が大きすぎる。水輝は短く息を吐いて強く床を蹴った。テーブルを乗り越えて順に刀を繰り出す。だが順は軽く右手を振って水輝の刀を凌いだ。いつの間にか順の手には深紅の刀身を持つ日本刀が握られている。
「あーあ。あんま、乱暴にしないでくれるかなあ。このコ、けっこうデリケートなんだからさ」
水輝の刀を払った順は、深紅の刀身を気遣うように見下ろした。その隙を狙って振り返りざまに肘を飛ばす。だが順はあっさりと水輝の肘を受け止めた。
「そんなにこのコを取り返したい? 残念ながら、このコはオレのものなんだよ、悪いけど」
「てめえ、それが何だか知ってて使ってやがるのか!」
見間違える筈がない。順の手にしている深紅の輝きは他とは決して比べようがないほど深いのだ。水輝は歯軋りして右手を一閃させた。だが、振り下ろした刀は深紅の刀身が受け止めてしまう。
「水輝ちゃんもアイツも、かーなーり痛手を食らったんだ? あ、でもアイツの方はけっこうケロッとしてんのかな。こないだも、ウチのデータバンクに侵入してきてたみたいだし」
軽く笑いながら順はあっさりと水輝の刀を返した。反動で床に膝をつく。水輝は順を睨みつけながら立ち上がった。刀に乗せた力を有無を言わせず吸い取られたために、身体に力が入らない。
「あ、でもなあ……。アイツがそんなヘマやるとは思えないしい」
気軽に喋りながら順は無造作に腕を伸ばした。その瞬間、水輝は見えない衝撃を真正面から食らった。声を上げる間もなく、壁に激突する。背中から壁に叩きつけられた水輝は、衝撃に激しく咳き込んだ。内臓のどこかが傷ついたらしい。咳と一緒に血が床に散る。
冥界への案内人という話の主人公が出てきましたw