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ここから八章です。
僕とディナーを 1
夕闇の中を絵美佳は一人で歩いていた。今日、姿を一度も見せなかった多輝のことを考えてみる。だが、考えれば考えるほど胸が痛い。別れ際に見せた多輝の寂しそうな顔が頭から離れないのだ。
いきなり女の身体になるということがどういうことかを考える。だが絵美佳は考えの途中でため息をついた。所詮、自分が何を考えても想像でしかない。当事者の多輝の気持ちは多輝自身でなければ判り得ないのだ。
住宅地にはまだ子供の声が残っている。どこかの家から流れてくる夕食の香りを嗅ぎ付け、絵美佳はふと足を止めた。シチューの香りがする。見上げると傍の家には暖かな明かりが灯っていた。子供の声も聞こえる。どうやら母子で料理中らしい。穏やかな家庭の様子を想像しつつ、絵美佳は再び歩き出した。
道には車はいない。両脇に並んでいるのは住宅だ。そして真っ直ぐに伸びた道のはるか向こうに街のビルの群れが見える。冴えた空気の中で人工の明かりはひっそりと闇に浮かんでいる。絵美佳はぼんやりとそれを眺めながらゆっくり歩いた。時折、静かな風が吹いてくる。暗い空にはそろそろ星が見え始めていた。
ママは嫌い。絵美佳はそっと呟いた。機械仕掛けの身体を持つ由梨佳のことを絵美佳は昔から嫌っていた。その分、父である総一郎には懐いていた。それは今でも変わりない。だから自分は機械が嫌いなのだと思ってきた。機械の人形である由梨佳も、そして大事な優一郎を奪った斎姫も、嫌い。そう思ってきたのだ。
だが最近、絵美佳は自分の気持ちの変化に気付いた。由梨佳は確かに嫌いだ。大好きな総一郎の傍にずっといる優秀な科学者。それが由梨佳だ。機械の身体を持ち、いつまでも若々しい姿で存在している。そして絵美佳はそんな由梨佳にかなわないと心のどこかで思っている。絵美佳は由梨佳と同様にそんな自分も好きではない。
けれど斎姫のことはさほど嫌っていない自分に気付いたのだ。確かに優一郎はとても好きだ。今でもその気持ちに変わりはない。だが前ほどには斎姫を許せないとも思えなくなっているのだ。斎姫が機械であることには変わりないのに。
絵美佳はため息をついた。ふと、目に留まった公園に入る。誰もいない小さな公園には錆びついたブランコがある。絵美佳はゆっくりとブランコに近づいた。昔、幼かった頃に優一郎とよく遊んだ懐かしい公園だ。あの頃は新品だった遊具も今は錆びついている。絵美佳が小さく漕ぐだけでブランコは哀しげに軋みを上げた。
もしかしたら自分は機械の身体を持つ人形が嫌いなのではないのかも知れない。絵美佳は考えながらブランコを軽く漕いだ。身体が前後に振れて視界が揺れる。鞄を膝に乗せた絵美佳は無表情にブランコを漕ぎ続けた。
機械。人形。人でないもの。絵美佳は自分がそれを嫌いなのだと思ってきた。だが斎姫を今では憎んでいない自分の気持ちは何だろう。そして今度は多輝が女性の機体を持って現れた。それを知った時、はっきりと判ったのだ。自分は機械が嫌いなのではない。機械である由梨佳が嫌いなのだ。今まで、自分は機械仕掛けの人形そのものが嫌いなのだと思ってきた。だがそれは違っていたのだ。
でももしかしたら多輝は絵美佳が機械人形を嫌いなのだと思っているのかも知れない。今までに何度となく機械人形は嫌いだと絵美佳自身が告げたからだ。多輝は恐らくそのことを覚えているだろう。だからあの時、多輝は寂しそうな顔をしていたのではないだろうか。嫌われている絵美佳と決別するために。
絵美佳は足を地面に下ろし、ブランコを止めた。足を引きずった分だけ地面に跡が残る。黒い靴の下で地面が引きずられている。薄暗い公園で絵美佳は目をこらしてそれを確かめた。
そんなことはないのだと、どうしてあの時に言わなかったのだろう。そうすればもしかしたら多輝は去らなかったかも知れない。もっと素直に気持ちを伝えていれば、多輝は留まってくれたのかも知れない。絵美佳はそこまで考えて目を閉じた。自然と目頭が熱くなってくる。こんなことにならなければ自分の気持ちに気付けなかったのが辛い。胸が痛くなる思いをして、初めて気付くなんて余りにも間が抜けている。絵美佳は震える喉からそっと息を吐き出した。
一人称で大体誰か判るようにはなっているのですが……。
そのために色々弊害もあったりなかったり。