「って、結局、何の用だったの? ほんとに、ただ誘っただけなの?」
思ったままを訊ねてみる。そんな絵美佳を青年はしばらく微笑みながら見つめていた。やがてその目がすうっと細くなる。絵美佳は瞬きをして青年を凝視していた。青年の顔から静かに笑みが消えていく。その様は見事なほどにゆったりしていた。
そして気付く。青年の動きはまるで空気を揺らしていないように見えるのだ。それこそ、青年の周囲の空気だけがまるで別物のような感じがする。絵美佳は自然とそんな青年から目が離せなくなった。
「僕はあなたに会いたかったんです、絵美佳さん。あなたは僕が思っていた以上に多輝を大切に想って下さっているようですね」
安心しました。青年はそう続けてコーヒーカップをテーブルに戻した。ほどなく微笑みが戻ってくる。絵美佳はそこでようやく我に返った。
「あなた、今、多輝がどうなってるか知ってるの!?」
テーブルを叩いて絵美佳は立ち上がった。だが店の誰も飛んでこない。どうやら騒いでも大丈夫なようだ。だが絵美佳はそんなことにすら気が回せなかった。多輝がどうなっているのか。とても気になっていたことだ。
青年は絵美佳を黙って見つめた。そしてふわりと微笑む。再びコーヒーを飲んでから顔を上げる。その挙動が今の絵美佳にはやけに遅く感じられた。苛々とテーブルを指で叩く。するとようやく青年が口を開いた。
「だとしたらどうしますか?」
「知ってるのね!?」
絵美佳は即座に切り返した。すると青年が苦笑する。
「知っているとは言ってないでしょう? 僕はそれならどうしますか、と問いかけただけです」
「語るに落ちるとはこのことね。もし知らなかったなら、今、あなたはあたしを問い詰めてたはずだわ」
絵美佳は鼻で笑ってふんぞり返った。だが青年は眉一つ動かさない。苦笑を浮かべたままでテーブルの上に手を乗せる。組み合わせた手の指は細くしなやかだ。絵美佳は自然と青年の手に目をやった。
「なるほど。それはそうかも知れません。参りました」
青年はにっこりと笑って片手を軽く上げてみせた。降参の印らしい。それを見た絵美佳は訝りに眉を寄せた。おかしい。何が、という訳ではないがどこかが変だ。原因は判らないが、絵美佳は妙な違和感を覚えていた。再び青年がテーブルの上で手を組み合わせる。別におかしいところは何もない筈だ。なのにどうしてそう感じてしまうのだろう。絵美佳は無意識に青年を眺め回した。
「では僕が今現在の多輝の状態を知っていたとしましょう。それで、あなたはどうなさるんですか?」
「多輝を、元に戻すことはできないの?」
絵美佳は力なく椅子に戻りながら問い掛けた。青年は微笑んでそうですねえ、と呟く。顎に指をあてた青年は俯き加減で目だけを絵美佳に向けた。
「それがあなたの問いたいことですね? 他ではありませんね?」
残っていたデザートに取り組み始めていた絵美佳はふと手を止めた。気にかかる言い方だ。
「他? 他に、何か聞くことってあるの?」
「なければないでしょう。あればあるのかも知れません」
全てあなた次第です。青年はそう言いながら真っ直ぐに絵美佳を見つめた。途端に絵美佳は何かに縛られたように動けなくなった。実際に縛り付けられている訳ではない。得体の知れない何かがまるで自分を包んでいるような感じがある。だがそれも錯覚だ。絵美佳は強く頭を振って自分の無意識が作り出した拘束を解いた。ばかばかしい。青年に気圧されてしまっただけだ。そう思ってから絵美佳は一つ、咳払いした。
「何聞いてもいいっていうのなら。あたしがなんで、ママを嫌いなのか? 教えてくれる?」
「その答えは単純でしょう? あなたが父親である彼を好きだからですよ。もちろん、これは表面的なものですが」
深層心理に至っては僕の専門外です。そう言って青年はにっこりと笑った。つまりはそのことに関しては教えてくれる気はないのだろう。青年はそれ以上、何も言わない。絵美佳は青年を鋭く睨みつけながらケチ、と呟いた。
「では、そろそろお送りしましょうか」
膝の上にあったナプキンをテーブルに乗せ、青年はおもむろに立ち上がった。
「多輝を戻せないのなら。あなた、多輝のかわりにあたしの研究手伝ってくれる?」
絵美佳は立ち上がった青年を見上げながら小さく告げた。青年が小さく笑いながら腰を屈める。絵美佳の傍に顔を寄せ、青年は片目を閉じた。
「駄目ですよ、絵美佳さん。どう答えてもそれはあなたの望みをある意味で叶えてしまうでしょう? 僕は一つきりの質問にしか答えません」
絵美佳の言う研究を知っている。それは少なくとも多輝と知り合いなだけでは駄目だ。ある程度の情報を握っていなければならない。研究内容を問い返さなければ、つまりは青年が絵美佳の研究についてもよく知っているということになるのだ。
そして多輝を元に戻す。戻さない。どちらにしろ、それは多輝の現在の状態を知る上で、さらに多輝がそうなった原因についても詳しく知っているということになる。どのみち、どう答えても青年は絵美佳の質問に答えてしまうことになるのだ。
絵美佳は唇を噛んで俯いた。
「あなたが多輝を大切に想って下さっているということに感謝して、一つだけヒントを差し上げます」
それを聞いて絵美佳は慌てて顔を上げた。青年は笑って人差し指を立てている。一つという意味だろう。
「何よ」
「あなたはあなたらしくいてくだされば大丈夫です。他のことに囚われず、いつもの通りのあなたでいれば、きっと多輝は戻ってきます」
さりげない動きで青年は絵美佳の手を取った。自然と立ち上がる。そんな絵美佳を促しながら青年は歩き出した。絵美佳もつられて歩き出す。皿に残ったケーキのことも、この時には気にならなかった。
ちらっと読んでぞわっとしました……。
設定とかプロットとか組まないのですが、勝手に出来てる……。
こわ!!(汗)