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「気にするなって言われたら気になるじゃない。見せてね」
「あっ!」
智美がむきになって腕で押さえていた紙を絵美佳はするりと抜き取った。慌てた智美が必死で手を伸ばす。だが絵美佳は智美の腕をかわしながら素早く紙面に目を落とした。
雨宮多輝について。タイトルはそうなっている。絵美佳はそれを見た瞬間、目を細めた。智美はもう諦めたのか、腕を下ろしてがっくりと肩を落としている。絵美佳は訝りながら書いてある文章を読んだ。学年とクラス、性別、そして誕生日。それらのことが連ねて書いてある。
「良く調べてあるわね……」
「あ、その、えっと、ご、ごめんなさあい! ほんの出来心なんですう!」
涙混じりに智美はそう訴えた。だが絵美佳は真剣に書かれていることを読んだ。多輝にどんな印象を持っているかのアンケート結果まで記されている。しかも教師の意見もそこには書き込まれていた。得意科目、苦手な教科、そして趣味などまで書かれている。だがその紙には空欄が目立っていた。住所や家族構成の欄が丸々抜けているのだ。
「何を焦ってるわけ?」
読みながら絵美佳は笑顔でそう訊ねた。智美はただうろたえている。絵美佳はしっかりと紙に書かれている内容を記憶してから目を上げた。智美は気の毒なくらいに怯えているように見える。
だがそれも仕方ないだろう。何しろ、絵美佳の目を盗んで多輝のデータを集めているのだ。好きな男が誰かと知られただけでも通常はうろたえる。その上に智美はその資料を他人である絵美佳に見られてしまったのだ。動揺するのが当り前というものだろう。そう、絵美佳は理解した。
「でもねー。あいつは止めたほうがいいわよ」
「え?」
智美が不思議そうな顔になったことにも気付かず、絵美佳はしみじみと続けた。
「んー。ま、いっか。言っても」
絵美佳は腕組みをして一人、頷きながら自分だけで納得した。智美は信用できる助手だ。特に研究を手伝ってもらうには絶好の人物だ。そんな智美に多くを隠していたら研究が滞るかも知れない。絵美佳は素早く心の中でそう判断を下していた。
対する智美は訝るように絵美佳を見つめていた。だがあらぬ方向を見つめて一人で気合を入れている絵美佳にはそれは判らなかった。智美は恐る恐る手を伸ばし、絵美佳が手にしていた紙をそっと抜き取った。だが絵美佳はそのことにすら気付かなかった。いかにしてこの純情そうな智美に多輝のことを諦めさせるか。それが一番大切だったからだ。
「えっとね、多輝の奴、実は女になっちゃったのよ」
「はあ、そうですか……って、ええええええ!?」
智美が奇声を上げる。絵美佳はうんうん、と頷いて智美の肩に手を置いた。気の毒にという思いを込めて首を横に振る。だが智美は口を開け放して茫然自失状態に陥っていた。
「ってまあ、普通は信じられないわよねえ」
あくまでもしみじみと絵美佳はそう付け足した。智美がはっと我に返る。
「もっ、もしかして雨宮先輩って、あの、おかまさんなんですか!?」
勢いよく智美が叫ぶ。絵美佳は一瞬、唖然としてから小さく笑った。智美の目は真剣そのものだ。とても茶化してしまえる雰囲気ではない。それに何より絵美佳も冗談を言っている訳ではないのだ。
「それはないとは思うけど。まあ、どう説明すればいいのかなあ」
絵美佳は椅子に戻って小さくそう呟いた。智美は立ったままでさきほどの紙を握り締めている。真面目に多輝が性転換したと思い込んでいるらしい。絵美佳はため息をついて自分と多輝との経緯を説明した。
次第に智美の顔が強張る。それは絵美佳にも判っていた。好きな男がいきなり人じゃないと言われれば、誰しも驚くだろう。しかも今の多輝は機械仕掛けの身体の中にいる。そんなことを聞けば、嘘だと疑うか、もしくは卒倒するか。それとも証拠を出せと喚くか。どのみち冷静な態度ではいられない。そう絵美佳も思っていた。
だが智美はそれらの反応を全く見せなかった。絵美佳の説明を聞いていくうちに、次第に智美から感情というものが消えていく。説明の最後のあたりになると、智美は完全な無表情になってしまっていた。
「そうですか。雨宮先輩が」
「どしたのよ。そんなにショックだった?」
いつの間にか静かな眼差しになってしまった智美を心配し、絵美佳はそう声をかけた。だが智美は黙って首を横に振るだけだ。絵美佳は訝りながらもそういうことだから、と智美に念を押した。智美が黙って頷く。
結局、それからの智美は殆ど喋らなかった。さすがにショックが大きかったようだ。絵美佳は智美を気遣い、先に帰っていいと何度も言った。だがその度に智美は律儀に絵美佳が帰るまでは残ると言い張った。
深夜、ようやくプランは出来上がった。絵美佳はその日、研究施設に泊まることにした。智美は意地でも付き合うという。そんな智美に絵美佳は苦笑して頷いた。どこまでも助手向きの性格だ。きっちりと風呂の準備と夜食の準備も整えてくれている。そして絵美佳はありがたく風呂を使うために研究室を出ようとした。
「あの、部長」
絵美佳が部屋を出る間際に智美が声をかける。絵美佳は振り返って首を傾げた。
「ファックス、借りてもいいですか?」
ふぁっくす……。
昔はちょっとしたやり取りには標準装備だったのです……。
スマホも当然ありませんでした……。
言い訳乙w