裸エプロンはあります。
「ありがとう。先輩」
首を軽く傾げてそう声をかける。途端に多輝は硬直した。じわじわと顔が赤くなってくる。そして多輝は今ごろ気付いたかのように慌てて優一郎の肩から手を離した。横を向いて何事かをぼやいている。優一郎はそんな多輝に微笑んでキッチンの端にある小さなカウンターについた。スツールに腰を下ろしてにっこりと笑う。
カウンターには小さな引出しがついている。優一郎はそれを開きながら多輝に手招きした。ひたすら照れていた多輝がふと我に返る。呼ばれるままに多輝は優一郎に近づいた。
引き出しの中には一枚のエプロンが収まっていた。まだ一度も使ったことのないものだ。優一郎はピンク色のエプロンを多輝に手渡した。料理するなら要るでしょう。そう告げると多輝が困惑した顔で手の中を見下ろす。どうやらメイド服のエプロンとは違うために戸惑っているらしい。
「こ、これをつけろってか?」
「ええ、できたら、服を着ないでそれだけを身に付けていただけると」
「えっ!?」
優一郎がさらっと説明すると多輝が奇声を上げて後ずさりする。だが優一郎は満面に笑みを浮かべたまま頷いた。だが多輝は狼狽しているだけだ。手にしたエプロンと優一郎を交互に見つめている。
「ぬ、脱げってことか? もしかして」
うろたえながら多輝が何とかそれだけを訊ねる。優一郎は静かにスツールから滑り降りた。多輝の手からエプロンを奪う。
「いえ、嫌ならかまいません」
残念だという響きを込めて優一郎は小さくそう告げた。すると焦ったように多輝がエプロンをかっさらう。しどろもどろになりつつ、多輝は優一郎から目を逸らしていた。しばらく待っていると、やがて多輝の目が優一郎に向いた。真っ赤になっている。
「ええと、要するに噂に聞く裸エプロンをやれと」
掠れた声で多輝がそう問い掛ける。優一郎は微笑を浮かべて首を傾けた。途端に多輝が目を逸らす。
ささやかなやり取りだけで簡単に多輝は欲情する。それを知っていながら優一郎はわざとそうなるように仕向けていた。この機体を得てからの多輝は、本人がそれと知らない内に女性に近づきつつある。いや、既に反応は女性そのものと言っていいだろう。
だが優一郎は他の人形のように多輝と性交したことはない。どれだけ欲情させても、多輝が望みを口にしない限りは最後の一線を越えるつもりはないのだ。そのことを多輝は知っているのかどうか判らない。多輝はどんなに欲情しても、結局は優一郎が欲しいとは言ったことがないのだ。
「……判った」
低い声でそう告げ、多輝はその場から唐突に姿を消した。律儀なのか、それとも恥ずかしいのか。優一郎はそう呟いて小さく笑った。恐らく自室で着替えてくるのだろう。優一郎はじっとその場で多輝を待った。ほどなく多輝が戻ってくる。優一郎の注文通りに裸の上に一枚だけエプロンをつけている。
「これで、どうだ!」
優一郎の真正面に立ちはだかり、多輝は腰に手を当ててふんぞり返った。シンプルな前当て部分からは豊かな胸の膨らみが零れて落ちそうに見える。軽く開いた足がエプロンからすらりと伸びている。そんな多輝を十分に観察してから優一郎はにっこりと笑った。
「似合ってますよ」
そう告げると多輝がまともに言葉に詰まる。多輝はしばらく視線をあらぬ方向へと彷徨わせ、やがて諦めたように息をついた。真っ赤になったままで優一郎に背を向ける。途端に多輝の形のいい尻が丸見えになる。優一郎は微笑んだままで多輝の後ろをついて歩いた。見えていること自体は既に諦めきっているらしい。多輝もそんな優一郎を止めなかった。
傷一つない滑らかな背中にエプロンのピンク色が映える。背中の中心で交差した細い布の帯が腰の部分で一度留まり、次いで腰の後ろでリボン結びにされている。優一郎は流しの前に立った多輝の後姿を間近でじっと見つめた。柔らかな髪が背中の途中まで伸びている。優一郎は何気なく多輝の後ろ髪を指でつまんだ。驚いて肩を震わせた多輝に構わず、髪を一まとめにして首筋まで持ち上げてみる。
「ちょ、危ねえだろっ。零れたらどうすんだよ」
どうやらインスタントの鍋の蓋を開いている最中だったようだ。多輝の肩越しに流し台の上を見やり、優一郎は苦笑して詫びた。髪を下ろすとほっとしたのだろう。多輝はぼやきながら再び鍋に向かった。
ふろふき大根の鍋は二層に分かれており、上部のビニールの層にスープと薬味が入っている。下層は大根だ。まずはスープを鍋にあけ、次いで規定量の水を足す。ビニールの上層はもちろん取り除いてからだ。そして沸騰するまでは中火で、それから数分ほど弱火で煮れば出来上がりらしい。手際よく鍋を火にかけた多輝を眺めた後、優一郎はカウンターに戻った。
鍋を煮ている間に多輝が何かを運んでくる。優一郎の前に置かれたのは小鉢と箸だった。隣の席の前にもう一組を置き、多輝は黙って流し台に戻ろうとした。身を翻す寸前に多輝の手首を捕まえてみる。優一郎は微笑みながら多輝の手首を握る手に少しだけ力を込めた。
「なっ、何だよ、さっきから!」
「結構慣れてるなあと思って」
優一郎自身も料理は出来なくはない。だがキッチンにあまり立つことがないために、手際はあまり良くないと自覚している。それと比べて多輝の動きは妙にスムーズだ。用意しているものが料理と呼べるものなのかどうかは判らない。けれど優一郎にとっては感心できることだった。
素直に感想を述べた優一郎を見下ろし、多輝は激しく狼狽した。慌てた素振りで優一郎の手を解く。
「変なこと言ってんじゃねえよっ。たかがインスタントだろうが」
勢いよくそう言ってから多輝は素早く流し台の前に戻った。優一郎は肘杖をついてそんな多輝の後姿を眺めた。後ろから見ているだけでも多輝が照れていることが判る。時折、肩越しに振り返る多輝の顔はそれからしばらく赤かった。
書いてた当時、多分、ふろふき大根が食べたかったんだと思います。自分が。