業深迷宮、第一階層改め、第一『界層』。
もはや神殿という規模では収まらず、古代の宗教都市とでもいうべき荘厳かつ広大な威容を誇るその界層。
そこを守護する『
知能の低い雑魚がメインの第一界層では一番賢い、そしてバビロンの知り合い——バビロンに一番初めに挨拶した大蜃妓楼第JP1682HHT号がスズム——という若干消去法的な理由で任命された彼女。
だが、仮にもボスとなった効果は凄まじく、経験と瘴気の投与により、二段飛ばしで進化の階段を駆け上がった彼女の能力はなかなかに凄まじい。
大蜃妓楼から、
ただし、その白無垢は実際には純白の外套膜であり、綿帽子に見えるのは貝殻。そして体長5歩程の巨軀の中身はがっつり軟体生物だったりするのだが。
そして、そんな彼女の『水管』である筈の器官からは絶え間無く幻惑の媚毒を含んだ濃霧が噴き出している。
蜃妓楼の媚毒とは比べ物にならないほど強烈な幻覚効果を持つそれを僅かでも吸い込めば、まともな人間ならば一瞬で現実と幻覚の境目がわからなくなってしまうことだろう。
更にはこの霧、貝毒のテトラミンを含んでおり、吸い込めば酩酊や目眩、頭痛などの典型的な『酔い』をもたらす。
こちらは単に毒なので媚毒とは違って通常の解毒魔術で解除出来るが、媚毒だけと侮れば、通常の毒で中毒する二段構えというわけだ。
そんな彼女の産み出す濃霧に満たされた第一界層はまさに『迷宮』。一寸先は闇ならぬ、一寸先は霧。五里霧中のままに彷徨えば、そこに他の淫魔共が襲いかかる。
そしてアタッカーを務める他の淫系統魔物達もまた、王たるバビロンの進化に伴い、その身を進化させていた。
犇めく淫猥大蟲や幻燈海月、生い茂る淫精芙蓉樹。娼腐は軒並み
元より精気に貪欲な魔物達にとって霧は問題にならず、迷宮で迷うこともない。以前にも増して一方的な狩場と化したその空間に足を踏み入れれば忽ち魔物の餌食となることだろう。
だが、そう分かっていても、人類は迷宮の内情を探るべく斥候を送り込まざるを得ないのだ。
迷宮とはすなわち邪神配下の橋頭堡であり要塞都市。その発展を放置すれば、魔物の軍勢が溢れ出し、人類に襲いかかるのは必定なのだから。
* * * * * *
湿地帯近郊に文字通りの激震を齎した業深迷宮の進化から1週間。
勇者ファントムを筆頭とした迷宮攻略部隊は着々と街に集結し、湿地帯周辺の戦力の過半数が今、タビハの街に掻き集められていた。
もうまもなく戦いの火蓋が切られ、人と魔の戦いの幕が切って落とされる。
そんな緊張感が漂う状況の中で、業深迷宮を偵察するべく、先鋒を務める第一陣は早くも迷宮の入口へと到達していた。
総勢10名からなる1級冒険者達。段位にも手が届き得る逸材達は、入口の螺旋階段を慎重に降りていく。
そんな彼等の視界を阻む濃霧には濃度も威力も今までとは桁違いな媚毒が含まれ、防毒面や浄化の魔道具が無ければ一瞬で肺をクリトリス並みの性感帯に変えられて呼吸イキをキメてしまうだろう。
「霧が濃いな、今まで通り媚毒の雨も健在……どころじゃないな、この濃度、まともに浴びたら確実に頭が逝かれる」
「瘴気の量も尋常ではないですね。『其は遍く在りて揺蕩うもの、歌と雲と砂塵の運び手、見えざる悠久の放浪者。其は大気。其は風。渦巻け、逆巻け、集いて乱れよ』————旋風球壁! とりあえず、雨除けと霧払いをば」
「助かる! だが皆、過信はするなよ!」
「うむ。しかし、この霧をどうにかせんと話にならんな。視界が悪すぎる。『
「ならば手近な霧を払い、敵を迎え撃ちつつのマッピングになりそうですね。……地上との連絡は?」
「問題ない。我々が壊滅したとしても最後の瞬間まで記録は地上まで転送される。……組合がこの手の魔道具を用意しているという時点で、憂鬱になるがな」
到着してすぐの状況確認と打ち合わせ。その間にも入口付近にいる夢魔睡蓮や淫猥大蟲の攻撃が彼らを襲うが、そこは一級冒険者。危なげなく対処できている。
「しかし、つくづくこの迷宮は性格が腐ってやがる……! 足場は悪い、まともに息も出来ない、視界も最悪、蒸し暑い。半端じゃねぇ不快感だ……」
「ははは、今に始まった事じゃねえけどな。ここに潜る奴は水虫の薬がお守り代わりなんてのは常識だろ?」
軽口を交わしながら、ザブザブと半水没した迷宮の中を進む10人。彼らの足跡は聖神の加護を受けた指輪型の魔導具によって絶えず地上に伝えられ、専門の技師によって迷宮のマッピングが行われていく。
偵察隊の使命は、少しでも奥深くまで潜る事。生還と調査を天秤にかけながら、引き際を見つめる必要がある。
「気をつけろよ。この階層は不死者どもの巣窟でもあるんだからな」
「娼腐と性骸婦、あと憑依霊だったか。話には聞いているが屍人や骸骨兵とは違うのか?」
「あんたは今回が初めてだったか。……まぁ、似た様なもんだがズル賢い。娼腐は遠距離から媚毒のゲロや発酵した母乳を噴射して来やがるし、性骸婦は麻痺毒を塗った骨の針で狙撃してくる。憑依霊は魔術を使うし、魔力を帯びてねぇ武器じゃ傷つかねぇ」
「うげぇ。会いたくはねぇな」
「そうは言ってもな……シッ、早速お出ましだぞ」
先頭を歩く男の警告に、警戒を強める冒険者一行。そんな彼らの前に現れたのは、全裸の美しい女だった。肌の張りも、髪の艶も、そのどれもが扇情的で肉感的。豊かな乳房の先には、はっきりとした大きめの乳輪と主張の強い乳首が備わり、白い肢体とのコントラストが美しい。
……そう。白い肌だ。病的なまでに、熱の無い、死人の肌。
「こいつは娼腐じゃねぇ、進化してやがる……!」
「其は原初の光。原始の知恵。其は焔。熱よ、光よ、我が手に集いて燃え上がれ! ——
「其は力。世界を巡り満たすもの。其は魔力。我が手に集いて敵を穿て!
炸裂する魔術。だが其れが着弾するより僅かに早く、娼腐の進化系、腐乱花魁の身を守る様に防御魔術が展開した。
「ケケケケケケケケッ!」
甲高い笑いと共に現れたのは性奴霊。半透明の霊体として現れるのは憑依霊と同じだが、その容姿は年若い少女のもの。
死人の残滓にもかかわらず瑞々しい色香を纏い、瞳に悪戯な輝きを宿した彼女は進化前と同じく腐乱花魁とコンビを組んで居るらしい。
「クソが! おい神官!」
「はいな! 天に在します聖神よ、我が信仰に応え、その輝きを此処に!
その瞬間、神官の杖から放たれる光を浴びた腐乱花魁と性奴霊は酷く苦しみ、その身体からドス黒い煙を上げて焼け焦げる。聖気を帯びた光は、瘴気でその身を動かす魔物には効果覿面なのだ。
「ゔぉおぉぉ……!」
「効いたな! 今だ、畳み掛けろ! 『烈風脚』!」
「任せろ! 『斬撃波』!」
攻撃を受け、性奴霊は霧散し、腐乱花魁は胴を輪切りにされて崩れ落ちる。
綺麗に連携を決め、2体の淫系統魔物を屠った冒険者一行は、その死骸をそのままに、更に奥へと歩を進めた。
そんな彼らが曲がり角を曲がった頃に、黒焦げ輪切り死体と、霧散していた霊体が、ビクビクと蠢いて再生する。
無論、冒険者が手加減していたわけではない。ただ、淫系統と不死者というスタミナとタフネスの複合体である彼女たちのしぶとさを見誤っただけのこと。
ただその見落としには、彼女達が威力偵察役として死んだフリを敢行したことも影響している。
冒険者にすぐ倒されたのも、敵に情報を与えず、逆に敵から情報を奪うための戦術だったのだ。例えば、いかにも低知能そうな演技によって、彼女達が『賢い』という情報は、敵には渡っていない。
「戦力を把握。同胞に伝達。魔導師3、神官2、戦士職5。杖持ちのうち銀の装飾がある杖と瑪瑙の嵌った杖が神官。戦士職は拳法系、剣士系が前衛で中段を短槍使いが埋めている」
「戦法を理解。同胞に伝達。瘴気で急所を保護し、聖光をやり過ごせ。皮膚に泥を塗布し物理的に遮断するのも有効と予想。潜水も効果が期待できる」
邪神式魔術を用いた連絡により速やかに共有された情報。それによって生み出されるのは徹底したメタ張り戦法だ。
「クソが! こいつら泥を身体に塗り付けてやがる! 聖光に対策して来やがった!」
「挟撃だ! 畜生! 何処からだ、何処から撃って来てやがる!」
「こいつら徹底的に神官狙いだ! 顔が割れてやがる!」
「下だ! 泥の中に潜ってる!」
阿鼻叫喚。誘い込まれた先で圧倒的な戦力差で叩き潰される彼等は、生きて帰る事叶わず迷宮の中に飲まれていく。
だが、その身に着けた魔導具によって観測された迷宮の情報が地上に齎され、彼等の犠牲を無駄にせぬ様にと、攻略部隊は準備を進めて行く。
迷宮と人の化かし合いは、早くも始まっているのだ。