キノの旅 Girls' journey 作:わしはトマトが嫌いじゃ
翌日、二人がホテルのバイキングで朝食をとっていた時。
「ああ、昨日入国した旅人さんたちだね? おはようさん」
料理を取り分けたトレーを持った老人が、通り過ぎ際に二人に挨拶をしてきた。顔のしわは年齢を感じさせるほどに深く刻まれているが、反面体つきはがっしりしている。
「おはようございます」
「どうも初めまして」
「どうもー」
エルメスは文字通りたたき起こされたので少々不機嫌気味である。
「朝からそんなに食べられるなんて羨ましいねぇ。私ももっと若いころだったらそのぐらいいけたんだが……年を取るのはつらいものだ」
「そんな、まだまだお若いですよ」
「はっは、言うねえお嬢ちゃん」
笑いながら老人は隣の席に座る。
「私は下の層で牧場と農場を営んでいる者でね。うちで取れたミルクを店で出してもらえないかこの辺りで掛け合っているところだったんだ。今日帰るがね」
「へえ、おじいさんその年齢でまだ働いているんだ。本当に元気だねぇ」
「ボケようにもボケられんからね。この国には老後の保証金が出る制度はあるけど、やっぱり自分で稼いだ金で食う飯はうまい。老人の一つの楽しみというわけさ」
老人は先ほどの言葉とは裏腹に、キノ達ほどではないにせよ山ほどの朝食を食べる。
「まあ、いざ売れんとも、飢え死にしないのが農家の特権っていうやつさ。……そうだ、旅人さん、今日どこかに行かなければならない用事があったりするかな?」
「まあ……ボクたち、今日は旅に必要なものを買い足そうと思っていますが、そこまで量が多いわけではありません。ですので、午後には改めて国を回ってみようかと」
「なるほど、ならこうして出会えたのも縁だ。旅人さんたちさえよければ、うちの農場を見ていくかい? うちには数頭だが馬もいてね、乗馬もできるんだが、興味あるかい? もちろんお金は取らないから」
老人の提案にカエデは目を輝かせる。
「馬に!? 行きたい、行きたいです! ねえキノ、お邪魔しようよ!」
「落ち着いてカエデ。……それではお言葉に甘えて伺いたいと思います」
キノたちの返答に、老人は破顔する。
「よおし、地図は持っているね? 場所は――」
「カエデがあんなに馬に興味あるなんて思わなかったよ」
「まったく、モトラド乗りなのに移り気が過ぎるよ」
「あとでちゃんとエルメス君も洗車してあげるから」
「それごまかそうとしたってそうはいかないからね! やってもらうのはありがたいけど!」
朝食を終え、買い物も済ませた二人は、老人が印をつけた地図の場所までモトラドを走らせる。
「地下に草原があるなんて、なんか不思議」
「どこかに空気循環器でもあるのかな? わずかにだけど風も感じるよ」
広大な地下空間には天井、つまり上の層を支える支柱と、ところどころに他の国でもよく目にする牛舎や畑などが目につく。牧柵に囲まれた牧草地では茶色や黒と白のまだら模様の牛がのんびりと草を食んでいた。
「おじいさんの話だと、魚を養殖している施設もあるんだって。海で取れる魚まで食べられるらしいから、夕飯はそれにする?」
「うーん……それもいいけど、ボクはチーズフォンデュっていう鍋料理を試してみたい。大量のチーズにお酒を混ぜて加熱したソースに、串に刺した具材をつけて食べるらしい。この国の名物料理だそうだよ」
「折衷案で両方食べるっていうのはどう?」
「賛成」
「いやいや、それは折衷案とは言わないでしょ」
エルメスから冷静に突っ込みが入る。
「もしかしたら……もしかしたらだよエルメス」
「なあに?」
「この国ではチーズ鍋と魚を両方食べることが作法なのかもしれない」
「さいで」
面白くなさそうにエルメスは生返事をした。
「いらっしゃい旅人さんたち! 約束通り来てくれてうれしいよ」
指定された施設まで二人が行くと、そこには朝に出会った老人が待ち詫びていたが、二人には最初にあった時より十歳ほど若返っているように見えた。カウボーイハットに赤いチェック柄のシャツ。青いズボンをはいていた。
「お、お邪魔します。なんというか……ハキハキしていますね」
「そりゃまあ、私が大好きな家畜たちがいる牧場だからね。早速案内しよう!」
若干老人のテンションについていけてない二人と一台だったが、とりあえずその後をついていくことにした。
老人の経営する牧場の規模は国の中では中小規模であったが、国の牧草地そのものは余裕があるので所有している土地そのものはかなり広い。
「昼夜でついたり消えたりする天井のライトがあるだろう? あれには太陽の光と同じ種類の光が少し含まれていて、そのおかげでこうして地下でも植物が生えるというわけさ」
「わざわざ地下に地上の環境を再現してまで、地上には出たがらない……その理由というのが」
「いないフリをするため、っていうわけね」
「もう誰かから聞いたのかい? まあ一部では地上にも放牧地を作ったほうが良いという意見もあるが、それはただ単に苦労を増やすだけだと私は思っているよ」
「それはなぜ?」
「当時私は子供だったが……かつて滅亡した国家で暮らしていた時、あらゆる不便が解消されたような生活をしていた。でも、どうしても自由にならないものも存在した」
その自由にならないものが何なのか、二人が首をひねって考えようとしたときにエルメスが声を張り上げた。
「分かった! 天候だね! 確かに地下だと関係ないからね」
「その通り。家畜を育てるのも畑で作業するのも、常に空とにらめっこしなきゃならんかった。でも、こうして地下に移り住んでからというものその心配もなくなった。気温も調節されているから冷害を気にする必要もないし、水は地下水のおかげで豊富だから不足するという事もない。さっき言った通り上からは人工的な太陽の光のおかげで作物もよく育つ、人が生きていくうえでとても快適なんだ」
「なるほど、外に出る人がいないというのも納得です」
「まあ、その不便さが人間の成長には必要なんだと言い張る連中もいるが……それはきっと外での暮らしを経験したことがない、温室で育ったような人間だ。人間、楽できるところは楽をしないと」
そうして二人と一台が老人といろいろと話をしている間に、馬小屋である建物の前までやってきた。
「さあて、お嬢さんが待ち望んでいた乗馬の時間だ! 初めてならうちの従業員が付き添いでレクチャーさせるが、どうするかね?」
「はいよーっ! はっはっはー!」
馬の運動用に作られた茶色い地面がむき出しの運動場で、カエデが馬の上ではしゃぐ。それを牧柵の反対側からキノと老人は眺めている。
「……あのお嬢さん、初めて乗るって言っていたが、にしては乗りこなし過ぎじゃないかね?」
華麗にハードルを飛び越え、立てられたポールの間をすいすいと駆け抜ける。元々馬のレースに出ていたんじゃないかというほどの乗りこなしである。
「ああ見えてカエデは万能型なんです。モトラドもエルメスの指導もありましたけど、すぐに乗れるようになりました」
「こっちとしては、スタンドのたて忘れで立ちごけがなくてほっとしているけどね。最初にキノに教えた時なんかはしょっちゅう――」
その後もエルメスの愚痴が漏れ続けたため、キノは無視をしながら老人との会話を進める。
「旅人さんは良かったのかい? まだ馬ならいるんだが」
「あんまり二人で乗馬に熱中するとエルメスが嫉妬するので……というのは建前で、二人で乗るときっと勝負ごとに発展するので。借りた馬でそれはまずいでしょう」
「うちの馬、この国の賭け事レースにも参加したことがある名馬もいる。むしろ勝負するんだったら馬も喜ぶって話さ」
「……それはそれで乗るのは気が引けます」
そんな大事な馬をカエデは我が物顔で乗り回している。確かにカエデも馬自身も楽しそうではあるが、キノはもう少し丁重に扱って欲しいと思っていた。
「ああ、ちなみに今乗っている馬は、もう現役を引退して交配用に回された個体だから、多少手荒に扱ってくれても構わんよ」
「それはそれで安心しました」
「キノー見てるーっ!?」
手綱を片手で持ってキノにめがけて手を振るカエデが、馬に障害物をまた飛び越えさせていた。
「今日はありがとうございました、昼食までごちそうになって」
カエデが思う存分乗馬を楽しんだ後、昼食にチーズフォンデュまで頂いた二人はお礼を言った。終始エルメスはつまんなさそうではあったが、キノはお構いなしだった。
「おみやげに持たせたチーズは、旅の途中で焼いて食べたらいい。こっちも久しぶりの客人とあって楽しかったよ」
「……つかぬことを聞きますが」
そう切り出したのはキノだった。
「なぜ、今日初めて会ったばかりのボクたちにここまで尽くしたのか、それがまだ分からないんです。大概、ここにこういう場所があることを広めてほしいと、たいていの場合は言われます。ですが、胸囲っていた言葉が真実ならあなたがすでにしていますし、他の国にこの国のことを知らせてはいけないんですよね?」
「……」
笑顔のまま黙って聞く老人。キノの言葉に乗って、エルメスもまくしたて始めた。
「そーそー。見ず知らずの人に無償でいろいろあげるなんて、そういう美味しい話は世の中そうそうないからね。ホテルは近くに何軒か建っていたけど、たぶんあえてキノたちがいるホテルに泊まったんじゃないかとおもうけど、どうかな?」
「……ああ、そうさ。まああれだけ大騒ぎになったんだから、調べるのは簡単だったさ」
「あの……私からも一つ。キノは分からないって言っていたけど、私は大体予想出来ているんです。単純に、話を聞いてほしい、でも人が周りにいない状況でという条件で。だから私たちを招待したんじゃないかな、と」
「はっは、鋭いねえお嬢ちゃん。その通りさ。ああ、楽しかったって言ったのは本心さ。お嬢ちゃんもそうだろう?」
「はい! ……ところで、そのお話したい内容とは?」
「……まあ、なんだ」
老人は上を向いた。そこにあるのはどこまでも広がる青い空も、点々と浮かぶ雲も無く、灰色の鋼鉄の天井と等間隔に並んだ低紫外線含有式ライトがあるだけだった。
「私は……いや、私たちは明日の夜、この国を滅ぼすつもりでいる」
キノたちは向けられたその言葉に――特に大きな反応もなかった。
「それはまた大事業だね。それって革命?」
エルメスが、まるで夕食の献立について聞くかのように聞き返した。
「いいや、文字通りさ。完膚なきまでに、この世から存在を消す。ここは巨大な草原のど真ん中、周りの国にそのことを知れ渡ることはないし、そもそも知っている国もいない。訪れたことがある商人もいるにはいるが、ね。内部にいる人間さえ一人も取りこぼさなければ、この国は誰の記憶からも忘れ去られる」
「えっ……それって私たちも? 国と心中なんて嫌です」
「はっは、もちろん旅人さんたちを引き留めるつもりはないよ。黙ってくれればそれでいいし、何よりこのことを言いふらしたところで、旅人さんたちには何もメリットがない。そうだろう?」
「そうですね。どのみちボクたちは明日出国します。たぶん二度と訪れることもないでしょうしね。……国の発展具合や民度は、素晴らしいと感じていますが」
「はっは、それはうれしいね。そしてちょうど今この国に滞在している国外の人は、旅人さんたち以外はいない。絶好のチャンスってわけさ」
老人がカウボーイハットを取り、近くの牧柵の杭の上に乗せた。
「ちなみに、国を終わらせるやり方は? 上の軍隊はすごい強そうだったけど。私たちってことは、他にも仲間がいるんだろうけど、対抗できるの?」
「ああ、それならワケないことさ。この国の地表であり天井でもある土台。最下層にあるそれを支える支柱を半分ほど、一番負荷がかかっている中央の地区のモノを爆破すればいいんだ。軍隊は万が一に備えて基地を一番上の層に作ったが、逆に最下層のここには基地はないし、綿密に、緻密に、慎重に作戦を練っているからバレてもいない。おまけに、下の層が崩れたら芋づる式に上の層まで連鎖的に崩壊するため、一か所崩れたらすべてが終わる。この国で、私たちを止められる者はいない」
「そうまでして、おじいさんはどうしてこの国を滅ぼしたがっているのさ。何か国に恨みでもあるとか?」
「いやないよ、むしろ私ほどこの国を愛している人間はいないだろうね。個人的な主観ではあるが、ね」
「フム……あ、分かった!」
「何が分かったんだい、カエデ?」
「おじいさんの正体! 名探偵カエデさんの推理がさく裂しちゃうわよーっ」
変に意気込むカエデに、キノたちははあ、とかへえ、とか相槌を打った。
「して、その推理とは?」
「ズバリ、おじいさんは大統領! 一番国のことを好きな人と言ったら、その人ぐらいよね!」
「まっさかー。国の一番お偉いさんが農業なんてやらないって」
「そのまさかなんだよなあ。正確には元、がつくがね」
「うわあ本当に当たったよ。今日は雨かな?」
「安心してエルメス。この国じゃ雨でも関係ないから」
やる気のない会話が一通り済んだところで。
「……では、国の元長であるあなたが、国を滅ぼしたいわけとは?」
改めてキノが話を元に戻した。
「その理由なら、キノさんたちも知っているはずだよ。昨日のことさ」
「昨日……もしかして、カフェで男の人に話しかけられた時のことですか?」
「ええっ? もしかして、おじいさんあそこにいたんですか?」
「ああ、朝話したとおり、うちの牛乳を扱ってくれないか店を回っていたところに、偶然にね」
「そしてキノたちが聞いていた男の人の熱弁に思うことがあって、作戦を決行! 国は滅亡! っていうこと?」
「エルメス……」
「いいさ旅人さん、おおむね合っているから」
「えっ? 今適当に言っただけなのに?」
「エルメス君の言ったことが当たった。今日は雨かな?」
「シツレイな」
「大丈夫だよカエデ、この国じゃ雨でも関係ないから」
そんなやる気のない掛け合いを二人と一台が一通り行ったところで。
「……では、ボクたちと関わった男の人の言葉がきっかけだったと?」
改めてキノが話を元に戻した。
「そうさ、『もしかつてのような強硬政策を支持する者が一人でも現れたら、その次の日が国が滅びる時とする』という決まりだったからさ」
「そんなの急すぎるんじゃない? たった一人そういう意見を主張したところで、国が傾くとは思えないけど」
「いいやモトラドさん、これは前例があるからこそ、やらなければならない事なんだ」
「……かつての国が滅んだ理由、ですね?」
「そう、積極的な侵略戦争を行ったことによる祖国滅亡。そのきっかけはある一人の少年の言葉からだった」
「……その少年はなんと?」
老人は考えるそぶりすら見せずすぐに答える。
「『こんなにすごい国なのに、どうして周りに広めないんだ!』、とね。子供の考えさ。でも、純粋だった国民は、その言葉の指す意味を――侵略せよと勝手に結び付けた。後は滅亡までまっしぐらさ」
「ふーん、あっ、なるほど、分かった!」
「どうしたんだい、エルメス?」
「きっとこの人がその少年だったんだ! だからすぐに答えられたんだよ」
「そう何度も当たるはずがないわよ」
「ところがそうなんだな。モトラドさんの言う通り」
「わあ、当たったよ。今日の天気は以下略」
しばらく全員が黙って。
「……そして、私は、同じ志を持つものを集めた。たった一人の言葉から国をすべてひっくり返すのなら――いっそう、なかったことにしようとね。これが、私が話したかったことのすべてさ」
「……お話、ありがとうございました」
キノが感謝の意を伝えた。モトラドのエンジンをかける。
「おじいさん元気でねー」
エルメスが軽い口調で言って。
「お馬さん、ちゃんと逃がしてあげてくださいね?」
カエデがモトラドに跨りながら、やや真剣に要求した。
「ああ、もとよりそのつもりさ。あの馬の背中に人をのせるのは、お嬢さんで最後だと思っていたしね。いなくなる国の中では、あまりにも狭いだろうから」
そうして二人と一台は別れを告げ、牧場から去っていく。老人は二人が見えなくなるまで手を振っていた。
「……旅人さんたちの記憶からは、消えては欲しくないねぇ」
自分以外誰もいなくなった牧場の入り口で、老人はぽつりとつぶやいた。
翌日の正午、二人の旅人とモトラドが国民に惜しまれながらも出国したその日、この国は。
なるべく原作に寄せた作風にしたかったけど、力不足で何とも中途半端な仕上がりに。次回は短編集でいっぱいな回にしたいなぁ……という個人的な願望。