INエイセツ:ウルップさん
美しさに魅せられて思わず手を伸ばしてみても、瞬間、触れようとした指先は凍結する。拒まれる。冷たく、堅牢で、容易に他者を寄せつけはしない。それが氷雪だ。
凍える風が
待ち受けているポケモンたちも見るからに巨大で、分かりやすく重量級揃いだ。何とはなしに、永遠に進展を見せないシーソーゲームを想像させる。こちらの手持ちトリオの総重量を以てしても、相手の一体分にも満たないのだから。
フリージオは特防、クレベースは防御にステータスのほとんどを割いているような非常に尖った性能の持ち主で、その鉄壁の硬さは、生半可な攻撃のことごとくを撥ね除けてしまう。更には、彼らの活躍の幅が広がるよう、あられを降らせてバトルフィールドを自陣有利に整えていくユキノオーの存在も厄介だ。他の二体とは明らかに得意分野が異なる草・氷複合のユキノオーは、攻撃面で光るものを持っており、「氷技が弱点でない草タイプは強い」というセオリーをそのまま体現した存在である。先述した特性の「雪降らし」も十分な追い風になる。あられ下ではタイプ一致高威力技の「吹雪」が必中になるのだから手強いことこの上ないし、加えて、クレベースの「アイスボディ(→天気があられのときにHPを少しずつ回復する)」が発動すれば自ずと持久戦を余儀なくされる。雪国らしい忍耐が問われる戦いとなるだろう。三体それぞれの役割が明確であり、かなりバランスがいい。
対するこちらは、氷塊の要塞と化している対戦相手と比較すればあまりに華奢だった。
ふうと息を吹きかけられただけで姫は氷漬けにされてしまいそうだし、ルチャさんは元から氷タイプを苦手としているし、万が一フリーズドライが放たれようものならコウガくんだってひとたまりもない――が、それでも、乗り越えなくてはならないのだ。のんびりとバイクの旅を続けてきたようで、その裏では「俺TUEEE」状態を維持するための泥くさい特訓なんかにも人知れず身を投じてきた三者。培われた忍耐強さも並大抵のものではないので、是非ともお披露目したい気持ちはあるのだが――ここでは、バトルが長引いて体温を奪われてしまう前にケリをつけるに限る。
体格差も形勢もひっくり返すだけの経験を積んできた。練度を高めてきた。いかに氷が分厚かろうと、炎の熱で熔かさねばならない。鍛え上げた拳で砕かねばならない。上回る強度の鋼で穿たねばならない。いずれも手持ち諸君になら可能だ。
全てのバトルは、チャンピオンになるための
大丈夫。
勝てる。
そのために彼らを育て、鍛えてきたんだから。これが最初のバッジだろうが最後のバッジだろうが常にやることは変わらない。
いつも通り。それだけでいい。
***
カロス地方内のジム制覇を達成する瞬間から遡ること数時間前。
積雪の重みに耐える街並み――どうしてこんな土地にまで人間は棲みつくのだろうと、僕は前々から首を傾げていた。
その生態上、寒冷な環境でないと生きていけないポケモンは多いが、彼らと違って人間は適応力が高い方だ。ただし、順応していく力に優れているとはいえ、居住地に豪雪地帯を選ぶ理由がいまひとつ分からない(どこに住もうが当人の勝手ではあるのだけれど)。
その昔、未開の土地を拓く目的で政府奨励のもと移ってきた…初めはそんな動機だったのかもしれない。雪という共通の困難があればこそ、住人たちは自ずと助け合うことになったはずで、それにより結束が生まれ、連綿と生活を営むにいたる――ならば、その歴史の中で様々な思い入れが生じるだろうし、先祖代々続いてきたものを今更手放す理由もないのだろう。
あるいは、どこにも馴染めず居場所を見つけられなかった者が流れに流れて辿り着く静寂の場だったのか。余計な関わりから遠ざかろうとした孤独な者たちの吹き溜まりが集落の出発点だった可能性だってある。
かつての、僕みたいに。
―― ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ――……望郷なんてものは、天涯孤独で根無し草の僕には無縁の単語であるはずなのだけれど。
とっととジムに挑戦すればよかったのに、どうしても無視できない森があった。妙に血が騒いで、そのまま素通りすることもできず、結局は立ち寄ってしまう始末。
舗装された道を一歩でも外れたら必ず迷って遭難し、命の危機に瀕するからと人間が倦厭する樹海――あまりに広大なので未踏の箇所も多く、全容は明らかになっていない。
何があろうと自己責任。それと承知の上で一部の者だけが知る獣道を辿っていけば、急に、鬱蒼とした森林の中であることを忘れるような花畑に出会える。
標高も比較的高く、近隣には冬よりも冷たく凍る街――エイセツシティがあるというのに、ここだけは一年を通じて陽だまりのような黄色に満たされていた。ひらけた場所ゆえに日光が十分にいきわたるので、四季咲き性の、逞しい数多の植物が根を張っている。
手持ちトリオ各々が花舞う空間を散策している傍らで、僕は、端にそびえる木の根元に腰を下ろす。
ガトーショコラにかける粉糖みたいに、全体へ惜しみなく顔料をまぶしたかのような一面のクロムイエロー。風に漂う仄かな香り。何も変わっていない。
ここだけが、世界から切り離されて、時が止まっているかのよう。
《 君、ひとり? 》
――あのとき。
僕にとっての古巣にあたるこの場所で、彼と出会った。
どこか儚い空気を纏って、寂しい目をした少年は、おずおずと近寄って話しかけてきた。
《 僕も、…独りなんだ。…ねえ、…隣、座っていいかな 》
「俺以外の人間がいるたァ、驚いたな」
顔を上げると、見覚えのある人物が立っていた。白髪白髭が特徴的な、恰幅のいい中年男性が一人。全体的にいかつい風貌をしているが、目つきや話し方は穏やかで、笑い方に愛嬌があった。
「おっと。あれだな。挨拶を忘れているよな。いきなり話しかけてすまなかった。
俺はウルップ。エイセツシティのジムリーダーだ」
「…まだポケモンの村の見回りをやってたんですか。もう随分と長い活動ですよね」
「うん?…俺のことを知ってるのか」
「…、…あなたがここに来ているのを遠目で見たことがあるんですよ。
訳ありのポケモンたちから随分と懐かれていたので、印象に残ってたんです」
「その口振りから察するに、おまえさんもここにはよく来てたみたいだな」
「…昔のことです。ここは、秘密基地みたいなもので、…友人と、よく遊んでいた…」
ナイショの村――ポケモンの村。人間から虐げられ、それを苦に逃げ出してきたポケモンの集まり。
エイセツのジムリーダーは心優しい熱血漢で、この地に住まうポケモンたちを心配し足繁く様子を見にきていたことを、僕は知っている。今日までその日課が続いていたことや、今なおジムリーダーを現役でやっていることに関しては、思いがけなかったけれど。
「…あなたの所は氷タイプのジム、なんですよね。後から訪問しても?」
「歓迎するよ」
《 僕、エイセツって街に住んでるんだ。こことは違って、雪に閉ざされて、…一年中、身体の芯から凍りつくようなところ。…この花畑に来ないとさ、世界には白以外の色があるんだってこと、忘れそうになっちゃう。
真っ白な街並みを見ていると、どうしようもなく、寂しくなってくるんだ。…きっと、僕、白い色が苦手なんだと思う。別の色に染まろうとしても、白紙に戻されて、今までの頑張りをなかったことにされるような気がして。
雪って、積もるでしょう?あとからあとから上に乗ってきて、覆われて、隠されて――…怖いんだ。僕、愚図だからさ。きっと、雪の降る速度にすらついていけなくて、逃げ遅れて、埋もれたままになって…。雪は音を吸うから、いくら叫んだって、誰も気付いてくれないんだろうなあ。
埋もれる前に、ここを出ていきたいなあ。…誰も僕のことを知らないところに行って…全部やり直せたらなあ… 》
「つかぬことをお訊きしますが」と前置きし、僕は、アイスブルーの瞳を見据える。
「氷タイプを専門になさっている理由は何ですか。育成しやすい気候の所為だけではないですよね」
見渡す限りの銀世界で育ち、こんこんと舞う雪花を見て悲哀を感じるほどに繊細だった「あの人」。いつでも、静かに泣いているみたいに、微かに声を震わせて話すのが癖だった。
彼が一刻も早く抜け出そうとしていたエイセツシティに暮らし続けるこの御大は、何を思って凍てつくポケモンたちと共にあるのだろう。
「…堅いものは強いが脆い。それは俺も分かってる。大事なのは、しなやかさ…あれだよな、水のように器に合わせ形を変えても本質は変えない…だな。俺にはそれができないから氷タイプを愛してるんだよ」
「…金言ですね」
俺にはそれができない「から」愛する――人が誰かを求めるとき、そこにはどのような心の働きがあるだろう。
自分にはできない。相手にはできる。互いの能力が違うからこそ、補い合うために異質な相手を求める場合と。互いの本質が似ていることを理由に好ましさを覚える場合と。ならば、僕は、後者だ。
誰からも優しさを与えられなかった、ひとりぼっち同士。
そんなの、このポケモンの村には幾らだっていたけど、彼は他の誰とも違っていた。当時、彼の目の奥に、僕は、氷のかけらを見つけていた。寂しげな目をするその根源が溶けたとき、この人はどんなふうに笑うんだろうと――それが、知りたくて。見てみたくて。何より…凝ったものを溶かすのが僕であればいいと望んだ。
叶うことなら、ずっと一緒にいたかった。
「器に合わせ形を変えても本質は変えない――生意気を言うようですが、僕は、……、…己のしなやかさに誇りを持っている。その特質を駆使して求めた強さがどこまであなたに通用するのか、是非、挑んでみたい」
初対面の若造を
ジムで待ってると言い残し、地を踏みしめて歩き出すその背が、やがて森の向こうへと消えていく。