このあと押し花にしてもらいました。
『デデンネは寝てしまったな』
ルチャブルの目つきは、柔らかい。
彼と同じ方向に視線を向けると、確かに、花畑の中央で仰向けになっていびきをかいているカビゴンの腹の上に小さなネズミが乗っかっていた。カビゴンが呼吸をするたびに腹部が上下し、デデンネもその動きに合わせてゆったりと身体が揺れていく。傍目から見ている分にはゆりかごさながらだった。すぴすぴと鼻を動かして気の抜けた寝顔をさらすデデンネは、いかにも
俺たちはもう少し散策してみるか。そう言って、ルチャブルは再び歩きだす。
ここに来る途中は雪景色が多かったから、周囲に広がる春めいた風景を意外に思う。現に、花々を揺らす風は肌寒く、冬の気配を感じるには十分だ。それなのに、まるで、唐突に別世界へと放り込まれたような気分になる。
連れ立って進んでいる途中、不意に、ルチャブルが口を開いた。黄色い花が好きだ、と。
なぜか懐かしい気持ちになって、胸の奥底から温かいものが滲んでくる気がする――と。
『ずっと不思議に思ってたんだが、…何て言うんだろうな。こういう感慨は』
「追憶」じゃないのかと言いかけて、――それは「失われたものを思い返すこと」だと気付いたので、口に出すのを止めた。失われたものだと…他ならぬ自分自身が、思いたくなかったから。
かつて共に歩んだ菜の花畑は、今でも鮮明に思い出せる。
春風の中で戯れた時間も、花々が映り込んだ彼の目の煌めきも、何もかも。
――今世を生きるにあたりまっさらになってしまった彼を眼前にして、時として寂しさを覚えることは否定しない。それでも、…好きだ。彼は間違いなく、この心が愛してやまない唯一無二の小鳥だ。
『…ゲッコウガ?』
黙りこくっていることを心配させたか、ルチャブルが見上げてくる。
『どうかしたか』
『…別に』
卵の黄身だけをかき混ぜて流し込んだような原色の中にありながら、埋もれることなく、見劣りもせずに存在を主張するルチャブルの紅い翼。ただそこに佇んでいるだけで一幅の絵になるから、綺麗だ。綺麗なものを綺麗だと思えるような感性を己に与えてくれたのはルチャブルだ。だからこそ、自分の心は、初恋は、いつまでもこの一羽だけに捧げるもの――「今まで」も「これから」も。ずっと。
『ただ、…花をまとう御主が美しくて思わず見惚れていた』
『ッ…』
打てば響くように素直に頬を染めるから、愛しい。口説き甲斐がある。『また恥ずかしげもなくそんなことを』『懲りない奴だな』等々、照れやら呆れやらを声に滲ませて、いつもながらルチャブルは目を伏せる。
もう一言二言くらい愛を囁いてみようか。そう思って、目線を合わせようとしゃがんだら、顔前で花が揺れた。比喩ではない。一輪の黄色い花が、こちらに向かって差し出されている。
『この地方では、…想いを伝えるときに花を贈るとトレーナーが言っていた』
だから、やる。
照れ屋ゆえに目をそらしがちなルチャブルにしては珍しく、彼の方から見つめてきた。
『俺も、…少しはおまえに返したい』
…ファンサはデバフだからくらうと身動きが取れなくなるとどこかで聞いた。本当だった。
花を貰うのは初めてで――これほど高揚するのか、と……嗚呼、違うな……ルチャブルが贈ってくれたものだから、…こんなにも。
胸がいっぱいになるあまり受け取っておきながら礼を言いそびれるこちらに、構いもせず、相手は口元を緩めた。
『おまえでも、…そんな顔をするんだな』
それがえらく優しい声音だったことも相まって、体温が著しく上がったことを自覚する。
今の自分が取り繕うこともできずに紅潮しているだろう様は、鏡を見なくても分かった。
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両者間で秘密を作らず、何でも打ち明けるのが信頼の証…ということにはならないと思う。
生きているうちに、誰しもが、容易に語れぬものを持つようになる。それは私とて例外ではない。
表に出す必要がないのなら、当たり前のように、しまっておけばいいのだ。ひけらかすのは品がない。
あるじ殿にも、何か事情があるのだろう。他の人間では持ちえない能力を授かっているにもかかわらず、それを積極的に行使しようとしない。あるじ殿は我々の発する鳴き声の意味を事細かに理解できるらしいのだが、今のところ、身内でそれを明かしてもらったのは私だけだ。私のどこかに、信用に足るものがあったのだろう。光栄に思う。だから、私なりに彼へ応えんがため、不意にもたらされた告白の中身は、自身の胸一つに留めておくことにした。こうが殿やるちゃ殿に話すべきだとあるじ殿が判断すれば、それは彼自身が伝えればいいことだ。私が第三者に吹聴することではない。
だが、時には、私のみが知り得ているという状況を利用してもいいだろう。
『あるじ殿』
こそりと、彼に耳打ちをする。
『こうが殿は、どうやらるちゃ殿から貰った花を長期に保存したい様子なのだが…何か妙案はないものだろうか』
「…それは、コウガくんが相談してきたんです?」
『いいや。彼は素直でないからな。私がそれと察しただけだ』
でしょうね、と抑揚に欠けた声。
「すました顔をしてても、どうせ、内心ではどうすればいいのか考えあぐねて困ってたりするんでしょう…。頭の一つでも下げにきたらアイディアを出してやらんでもないんですけどねえ」
などと、こちらはこちらで天邪鬼なことを言いつつ、あるじ殿は薄くて小さな「すまほ」なる板にぽちぽち触れながら操作を始めている。結局コウガくんを待ってるのも面倒だし、その間に花が枯れたらルチャさんが可哀想だし、こっちから声をかけた方が手っ取り早いし…と、世話を焼く理由を言い訳がましく並べ立てて。
ふふ。愛らしい御仁だ。いったい誰に対して釈明しているつもりなのやら。