おーす!未来のチャンピオン!
「貴方とポケモンの行く道に祝福がありますように」
この言葉と共に、チャンピオンロードへと送り出された。
「ゆっくりでも歩みを止めなければいつかは夢に辿り着く、ってね」
険しい道すがら、そんなふうに、柔らかく笑いかけてもらえた。
積み上げてきた戦績と、受け取っては貯えてきた励ましの言葉を携えて、ラストダンジョンを踏破する。
稀有なバトルセンスと確かな実力を持った我が手持ちトリオは、リーグに集結したつわもの達を容赦なく薙ぎ払い、経験値を片っ端から躍進の糧として、四天王へと続く扉をこじ開けてくれた。
有象無象とは明らかに格が違う、才に恵まれ精彩を放つ四人のトレーナー。その一角が語った高説は、今でも胸の中に木霊している。
「 料理は作れども作れども消えるもの。ポケモン勝負も終われば勝ち負けの記憶すら薄れゆく。やがて薄れ消えゆくものを記憶に刻みこむため全身全霊を打ち込む…それが人生です 」
僕が今、成し遂げようとしていることそのものだった。
世の中は飛花落葉だ。それは承知している。だけど、それでも尚、真理に抗ってみたかった。「あの人」と出会い、「あの人」を喪い、「あの人」がこの世界で確かに生きていた跡を残したくて、「あの人」にまつわるものが薄れ消えゆくことを阻止したくて――僕は、全身全霊を打ち込んできた。
「ちょっと、近寄ってもらえます?」
僕はその場にしゃがみ、ちょいちょいと諸君を手招く。
首を傾げて訝しむ様子を見せながら距離を縮めてきた彼らを、全員、問答無用でぎゅうと抱き込んだ。
「僕ひとりでは、この場にいることすらありえなかった。君たちには感謝してます」
いつにない仕草に対し、三者皆して目を丸くしているが、構うものか。
こうやって抱きしめるなんて最初で最後かもしれないなあと思いながら、僕は、先を続ける。
「どうしても勝ちたい。勝たねばならない。現チャンピオン撃破の先――殿堂台へ、どうか連れていってください。
嘘偽りなく申し上げます。これが、僕の、一生のお願いです」
***
光の間――緞帳代わりに設置された総レースの見事な窓かけが、吹き抜ける風に合わせてひらめいている。名の通りに燦々と日光が降りそそぐ、ステンドグラスのバラ窓が美しいこの神聖なバトルフィールドが最終決戦の舞台だ。
観客席はないが、代わりに、おびただしい数のカメラが待機して一瞬一瞬を切り取っている。リーグ戦に関わるものは全てがライブ配信だ。世代交代がなされるか否かの決定的な
僕たちの手の内に、メガシンカとか、選ばれし者のみを対象とする上等な選択肢は握られていない。数多くのポケモンを従える余裕もない。ゆえの少数精鋭。特殊な訓練を積んでいるわけでもない。基礎基本に忠実たれ。その繰り返しだった。繰り返して盤石にして、揺るがぬ足場にして、ここに立っている。
苛烈に激突するポケモンたちを見ていると、思わず、僕も助太刀をしに割り込みたくなる。せめて痛みや労苦を共有したいと、いつでも思っている。本来なら――
しかし、トレーナーの立場でできることといえば、精々が「信じる」という曖昧な祈願だけだ。
回復薬をいくら持ったって、道具や技を工夫したって、頭をフル回転させて指示を出したって――最後の最後で、肝心なところはいつも、矢面に立つ戦士が運命を切り拓く一手を指す。
戦いの最中にも著しい成長を遂げながら、引力からも解き放たれたかのように跳躍したのはゲッコウガだった。
奇しくも、最後の真打ちを相手にルチャブルが戦闘不能に追いやられた直後。
おまえの敵はオレが討つと言わんばかりに闘気が練り上げられ、鬼気迫る臨戦態勢から放出される威圧感も段違いだ。それが愛による賜物なのか、彼が全力を出すに足る相手――対戦者としては間違いなく過去最強のメガサーナイトを前にしているためなのか、この際どちらでもいい。何にせよとにかく、元からヤバかった化物の更なる覚醒を、僕は目の当たりにした。
歴史が動いた、と、直感する。
いつも気怠そうに細めている目をしかと開眼させ、薄紅の焔を灯すゲッコウガ。
水晶のように透明な鋭さを帯びているのに、かたや泡硝子を思わせる揺らめきを宿した水の得物――これまで誰も見たことがないような巨大な水手裏剣を高々と上空で生成している。旋回する武器の動きにあわせて飛び散るしぶきは細かくて、小さな水滴一つ一つが光を白く反射させるから、局所的にダイヤモンドダストが発生しているように見えた。
端的に言って、美しかった。
何もかもがスローモーションで展開し、束の間、「バトル」という荒々しい単語からは全く切り離された光景が、そこにあった。
きっと。
古来、玉座から君主を引きずり下ろす反逆者たちは皆、揃ってこんな顔をしているのだろう。磨きたてられたクナイの、その切っ先に似た凛々しい横顔。今まさに、彼は王手を突きつけようとしている。
テレビで。
スマホで。
パソコンで、決戦の中継を観ようと画面を覗き込んでいる者たちが、興奮によって頬を紅潮させている様がありありと浮かぶ。どよめきが聞こえてくるような気さえする。
視線を独占して。
万人を魅了して。
歴史を塗替えて。
ハイライトの中心にいるのが、おまえなのか。
闇夜を住処としているはずの忍者が、民衆の心を、白昼堂々と盗んでいく。
――ホントさァ、…この、…クソ蛙。そういうとこやぞ。
掛け値なしの一騎打ちは、爆風と衝撃を会場全体に轟かせた。
僕の髪はもみくちゃにされ、ジャケットの裾は嵐に巻き込まれた
ひびの入ったそいつをつまみ上げ、ゆっくりとかけ直す。
「…てっぺんの色って、やっぱ、青いんですね」
登りきったら、視界を遮るものは何もない。あとは空しか広がっていない――何だか、一端の登山家にでもなった気分だ。
偶然にも、僕の眼前には、今、青々とした痩身の背中が見えている。
***
「 この荘厳な空間こそが殿堂入りの間。これまでの経験をポケモンリーグにてほとばしらせ、命を輝かせたポケモンとトレーナーを永遠に刻んでおく場所。
あなたのポケモンへの思い、あなたのため力を奮い戦い抜いたポケモンをマシンに記録して、永遠のものとしましょう 」
流石は大女優とでも言おうか、静かな口調で話しても一言一句が明瞭に聞こえてくる。耳触りまろやかな声は敗北を喫してもなお誇りに満ちており、まさしく女王のそれだった。勝敗にこだわらず、晴れやかな顔を見せ「気高き魂を持つポケモンとトレーナーの姿に激しく心を揺さぶられた」と麗句を添えて健闘を称えてきただけのことはある。
カルネ女史に導かれてやってきたのは、報道陣も立ち入りを許されない聖域――功を顕彰し、偉大な存在として史にその名を残すための、僕の目的地。
マシンが起動される。
取り消されない、剥奪もされない、そんな未来永劫の証が刻まれる。
これが、クロニクルの続きに参列する正統な手続き。
――そう、…この瞬間だ。
この瞬間のために、僕は。
「ふ、…、…はは、あはははは!」
笑わずにいられようか。
懊悩の先には、ちゃんと。希望が両手を広げて待っていた。この世は頑張っても報われないことばかりだと斜に構えていたけれど、なかなかどうして、捨てたもんじゃない。
遂に。
遂に、遂に、遂に――遂に!
「永遠ッ!
永遠だ!
この顔で!
この名で!
殿堂入りを果たすことにこそ意味があった!」
憐れな憐れな「君」。
弱者として虐げられ、人間の悪意に失望してこの世を去った「君」。
僕が無力だったばかりに、その自殺を止めることができなかった大事な人。
忘れぬ限り、真なる死は訪れない。
だから思い出せばいい。何度でも。
だから覚えていればいい。永遠に。
そう思っていた。だけど、ねえ、聞いてよ。この世の輩は無責任で、薄情だから、君に関心を向けていた奴なんて残念ながらいないんだ。君がいなくなっても気に病むことなくのうのうと生活を続けて、誰一人として君を探そうとする人間はいなかった。これが現実なんだ。君が生きていた事実をまともに知っているのは、もう、僕だけなんだよ。
じゃあ、僕が死んでしまったら、あとはどうなる?
誰よりも幸せになるべきだった存在が、誰からも忘れられてこの世から消滅するなんて、そんなことが許されていいはずはない。
僕は、彼の死を承服しない。
「これで『彼』は『死なない』!
たとえ僕が死んでも!後世の誰かが必ず覚えていてくれる!ずっと!
コウガくんに、ルチャさんに、姫に、そしてカルネ女史。
皆から一様に凝視される中で、形が崩れていく。
僕は。
声を出して笑ったら、「変身」が解けてしまう。
実に十年近く一度たりとて戻ることのなかった元の姿で、僕は、むらさき色の体をぶるぶると震わせいつまでもいつまでも笑い続けるのだった。