六号くんが運命の相手と出会う話。
生まれたときから選択権などなかった。
ありとあらゆることが一方的に押し付けられた。人間本位の勝手な価値基準の下で行われる搾取、譲渡、暴虐、救出、治療。殺しにかかってきたかと思えば生かそうとしてきたり、余計なお世話だ。可愛がったり憐れんだり、不愉快だ。己に関する生殺与奪の権限でさえも人間が握っているとは、反吐が出る。
ポケモンセンターで粗方回復した頃を見計らって脱走し、周辺をのんきに飛び回っていたヤヤコマに変身して飛びたった。
遠くに行こうと思った。
目的地なんてない。ただ、ここから正反対の方向へ、ひたすら飛んでいこう。背を向けて、しがらみを断ち切ろう。誰も、…特に人間なんかが来ないようなところへ行って、自由に生きるんだ。
鳥となって飛翔する間、自然と涙が溢れて止まらなかった。
世界のあまりの大きさに、美しさに、自分がどれほどちっぽけで矮小なのか知らしめるその圧倒的な残酷さに打ちのめされて、心が震えていた。
生まれ変わったように感じたのは、決して、誇張でも何でもない。率直な実感だ。
これからは、何でも自分で決めよう。ゼロから始めていこう。そんな意欲が湧いてくるから、羽ばたきも自然と力強くなった。太陽は偉大だ。あのおぞましい地下室にいたときは早く死んでしまいたいとしか思っていなかったし、それなのに自殺したり他のものに変身して逃げ出したりしないよう薬物投与で昏睡させられることが多かったから絶望してばかりだったけれど、隅から隅まで光に満ちた明るい大空を飛んでいると、もうちょっと生きてみようと素直に思えた。
そうして、長い旅路の果てに辿り着いたのがポケモンの村だった。
年がら年中、花とそよ風と芳香にあふれた、穏やかな静寂が約束された場所――奇しくも、夢みたいに美しい花畑では、悪夢のような体験から逃れてきたポケモンたちが身を寄せ合って暮らしていた。どいつもこいつも同じような境遇を経てきたのだなと、それは身に纏う空気の薄暗さで察しがついた。誰も不幸自慢なんてしなかったから互いの経歴は全く以て不明だったけれど、目の中に残る哀しみや刻みつけられた消えない傷痕が、代わりに、いっそ雄弁に物語ってくれたから、それが自己紹介のようなものだった。詮索するようなことはしなかったし、それがこの土地で生きていくうえでの礼儀作法だった。
必要以上に干渉しない距離感が心地よかった。ひとりでいる気楽さがあった。以降、時間の流れをとんと気にすることなく、只々うとうとまどろみの中にいるような生活が続いていたが――そこからはたと目が覚めるような想いに駆られたのは、一人の少年が、彼が、君が、ちらちらと虚空を舞う雪みたいに己の眼前へと現れたからだ。いかにも淡く、なのに、思わず目で追ってしまう
『導くと共に翻弄する』――そんな抗えない何かを運命と呼ぶのなら、嗚呼、彼はまさしく我が運命だった。これから、尽きせぬ幸福と銷魂とをこの身に与えてくる人間と、出会ってしまった瞬間だった。
「君、ひとり?」
今にも泣きだすんじゃないかという緊張した震え声。風になびく薄茶色の髪。不健康そうな青白い肌。栄養が行き届いていない痩せ細った身体は、しかし発育という意味では一点、背丈だけがひょろりと高い。ただし、その長身は彼にとっての短所に思えた。猫背がちなんだから尚更だ。不格好な外見の所為で、頼りなさそうな雰囲気がいっそう増しているように見える。
「僕も、…独りなんだ。…ねえ、…隣、座っていいかな」
どこか儚い空気を纏って、寂しい目をした少年は、おずおずと近寄って話しかけてきた。
不思議なことに、この場にいるポケモンたちはひとりとして彼を威嚇したりしなかった。
その理由はすぐに分かった。
何かにつけて自信なさげに振舞う少年を見ていると、シンパシーを覚えたから。
誰からも優しさを与えられなかった、ひとりぼっち同士――少年は、人間という憎悪すべき種族ではあるけれど、「弱き者」なのだと知れた。彼は自尊の心をむしりとられた者特有の卑屈な影を背負っていた。人間でありながら、人間たちからは人間扱いされていない、我々側の存在なのだと察せられた。
こちらが逃げなかったことに、少しホッとした顔をして、少年は口から一滴ずつ水滴を垂らすように、ぽつりぽつりと、とりとめもなく話した。話題は何度でも移ろい、彼の話にはことごとく――これといった山場や、聞き手をうならせるような含蓄や意味、あっと驚くようなオチ、何一つとしてなかったけれど、自分は、そんな彼の隣に留まった。相槌を打ってやるようなことはしないにせよ、ずっと話を聞いていた。
黙って寄り添う。それだけの反応が、どうやらこの少年にとっては嬉しいらしかった。
初めて会ってから、次の日も、その次の日も、毎日飽きもせず、少年は花畑へと足を運んできた。いつもきょろきょろと見渡して、こちらの姿を認めた途端にぱっと明るい表情を見せて駆け寄ってくるから、自分に会いに来ているのだということを認めないわけにはいかなかった。
話の中に、彼の住まう「施設」の話が頻繁に出てくるので、彼は
人間なんか大嫌いだ。しかし、だからといって十把一絡げにはしない。だって、この少年は善人だったから。純粋で優しく、少しどんくさくて、声を荒げることなどいっぺんもなくて、…だから、いじめっ子にとってはさぞ「いいカモ」になっていることだろう。上背もあるからすぐ目につくだろうし、どこにいたって見つかって引きずり出されそうだ。憂さ晴らしのように寄ってたかって一人を攻撃し、結果、心根の美しいものが苛められてしまう現実。吐き気がする。
最初は、こうした同情がきっかけだったかもしれない。絆されて、奇妙な仲間意識のようなものだって抱いていた。だけど、日を追うごとに、憐憫では片付かない心境の変化が現れていた。
いつの間にか、彼の訪れを待っている自分に気付いた。
いつの間にか、彼の幸せを願っている自分に気付いた。
果てには、いつまで会いに来てくれるんだろうかと、別れがちらつく未来を案じたりして、名残を惜しむことさえあった。
時期を同じくして、少年の方にも転機が訪れていたらしい。
ある日、肩がけにした鞄を弾ませ、息急き切って彼は走り込んできた。
「メタモン!聞いて!」
病的な肌を珍しく朱色に染めながら、彼は興奮したように掠れた声を出した。
「ぼ、僕ね!成績ッ、みっ、認められて!ミアレシティにある高専に通っていいって!」
奨学生になるんだ!
このときばかりは、普段から気弱そうに見えていた彼の表情にもある程度の自信が滲んでいて、その様を眺めるだけで微笑ましかった。
温かいものを感じていた。
彼が遠い街へ行っても、うまくやっていけますように。次こそは、彼の不器用さも受け入れて支えてくれるような友達に恵まれますように。
そう思っていると、彼は、鞄の中から何かを取り出して、地面の上にそっと置いた。
モンスターボールだった。
「 一緒にいこう 」
彼らしからぬ、きっぱりとした言い方だった。
自分の意見を明示することが苦手で、相手の顔色を窺ってばかりで、断られることをも当然の前提に据えながら遠慮がちに尋ねるような少年が、いつになく思いきったのだ。意気地を出して。
彼を突き動かす対象になれたことを、嬉しいと、…確かに感じることができた。
いつでも彼の傍は心地よかった。かつては、必ず「変身」することを求められた。生殖をあてにされ、変身という固有能力を利用され、「メタモンのまま」であることを許された日などなかった。
この幼い人間は違った。
何も求めてこなかった。
メタモンというポケモンが持つ付加価値など一切気にすることなく、メタモンがメタモンのままでいることを尊重して受け入れてくれた存在だから、好ましかったのだ。
一緒にいたい、と、思った。
迷いなんてなかったから、当たり前のような顔をして、自分からボールに触れた。