※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

117 / 246
【 概要 】
 夜に駆ける話。


進捗0%:⑦

 喚き声が聞こえる。

 きちんと言語を伴っているはずなのだが、もはや聞くに堪えない雑音と化しており、実にくだらないので僕は意図的に意識を遠くに飛ばした。こいつは何も意味ある言葉を喋ってない。そう思えばいい。すると、目の前でぎゃあぎゃあと叫んでいる男が無声映画に登場するキャラクターみたいに思えてきて、滑稽だった。

 

 与えられた仕事量は首を傾げるくらい多かったけど、彼の中にある専門知識や記憶に沿えば、問題なく業務を進めることができた。だから、途中で書類のミスにも気付けた。薬品の発注量がおかしいと思って尋ねたら、どういうわけか回答代わりに目つきについて悪罵される羽目になり、面食らう。なぜそうなるんだ。馬鹿なのか、こいつは。

 冒頭である。

 なんて理不尽ないちゃもんなのだろう!ミスを発見したことへの謝辞は、当然のように、ない。それどころか「俺は知らない」「おまえに正しい数量を伝えた。間違えたのはおまえの方だ」と、息をするように嘘をついてきた。己の過ちをすぐに認められない連中の見苦しいこと見苦しいこと。久しぶりだ、人間に対する生理的な嫌悪感をいだくのは。彼の傍はいつでも清らかだったから、忘れかけていたのに。

 

 記憶の中の彼は、自分に何ら非がないときでも事を荒立てないように謝っていたけれど、それでは相手の思う壺だ。

 僕は従わない。

 発言を無責任に偽り、過剰な作業量を押しつけ、正論を返せば怒鳴り散らすクソ上司と対峙した。こちらに落ち度はない、堂々としていればいい。

 小太りで醜いチビの中年野郎を、蔑んだ目で見下ろしてやった。彼の背は高くて、いつもの僕の目線とは全く違うから、何もかもが別世界のように感じられる。ねえ、「こんな僕は」「どうせ僕は」「僕なんて」とか、哀しい口癖を言わないでよ。君はしゃんと背筋を伸ばすだけで、立派な一人前だ。大抵の奴らは黙らせることができるんだよ。ほら、見せてやりたいくらい。君をいつも威圧していた男が、情けなく尻込みしているんだから。威勢よく見えるように意地を張っているようだけれど、その姿が完全に怯えて威嚇している獣のそれで、嗤ってしまう。

 強く出ることができそうだという相手にしか威張り散らせない輩って、どこにでも湧くんだね。蛆虫のように。

 お次は、「何だその態度は」と攻撃の矛先が変わって、胸倉を掴まれる。だからさ、書類のミスを修正してくれたらいいんだって。こんな程度で怯むと思うなよ、雑魚。

「殴ってみます?

 いいですよ。いっそ痕が残るまでやってもらえますか。診断書取りやすくなるんで」

 平然としていると、相手は予想と違う反応が返ってきた所為なのか、言葉を失っている。

 この遣り取りを見ておきながら止めに入ることもなかった冷淡な周囲の人間たちも、顔を強張らせて成り行きを注視していた。

「言った言ってないの水かけ論も不毛ですし、今度からボイスレコーダーで記録取りますね。ほら、僕って物覚え悪いでしょ?だから録音しておいて、あとから何度も指示を確認できるようにしておけばいいんじゃないかって前々から思ってたんですよね」

 彼がどんな努力を積み重ねてきたのか知りもしないで踏みにじり、物覚えが悪いなんてレッテルを貼ってきたのはこいつらだ。ボイスレコーダーの存在をちらつかせておけば、多少なり態度も軟化するはず。暴言や言いがかりの証拠が残って下手すれば訴訟騒ぎになるとさすがに気付くだろう。

 彼はこういう自衛の手段があると知識を持っていたのに、それを行使する性格をしていなかった。言い返さないから周りもエスカレートしてきた。ならば、代わりに僕が君を守ってあげる。

 最初からこうすればよかった。

 仕事の続きに取りかかりながら、そんなことを思う。

 これからは何でも彼と分担していけばいい。この姿なら人間の社会に溶け込んでいける。僕が別の場所へ働きにいったっていい。そうなれば二馬力だ。帰ったら彼に事情を話して、この精神衛生に悪いバイトを辞めてもらって、色んなことに気付けずにいたことを謝って、僕も協力するからもう一度ふたりで頑張ろうって言ってみよう。

 

 今頃、彼は遅刻に気付いて慌てているだろうか。鉢合わせはまずいだろうから、バイト先へ彼からの電話がかかってきたとき、あるいは駆けこんでくるようなことがあればいつでも逃げ出す準備はできているのだけれど、彼は一向に姿を現さない。

 未だ眠っているのなら、一番いい。彼には休息が必要だ。

 それとも、もういいやって投げ出して、ベッドの上で開き直っていたりして。このパターンなら痛快だな。そのくらいの図々しさがあった方が、彼にはむしろちょうどいいのだから。

 

 

***

 

 

「ねえ、メタモン。昔ね、偉大な物理学者が残した名言があるんだ。学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる――って。本当に、そうなんだ。勉強は尊いんだ。素晴らしいことなんだって、いつも思ってる。未知に出会えたとき、先人たちの英知に触れたとき、心の底から感動するんだ。…僕は、…おもいっきり学ぶことがどれほど楽しいことなのか、それを伝える人間になれたらって、…最近、そんなことを考えるんだよ」

 

 夢中になって専門書を読む横顔が好きだった。懸命にペンを動かして勉学に励む姿が眩しかった。愛おしいと思った人間は、後にも先にも、君だけだった。

 

 小さな賃貸の片隅で、よく、夢を聞かせてくれた。「今は勉強とバイトで精一杯だけど、いつか、もう少し時間とお金に余裕ができたら一緒に色んなことをしようね」と、そう言って、『人生でやりたいことリスト』を作ったりして。

 あまりに馬鹿馬鹿しい、冗談のような「やりたいこと」を書いて、くすくすとふたりして笑ったり。未来に向けた約束を分かち合える喜びで、僕の心は弾んでいた。

 

 

 きらきらと光っていたそれらが、残らず、なかったことになろうとしている。

 

 

 自分の人生に区切りをつけた彼の、変わり果てた姿。

 何も見たくないのに、僕の目は見開いたままだった。

 立ち尽くした。

 頭を真っ白にする衝撃の裏側で、僕の中から、涙と呼ばれる液体が一瞬にして枯渇した。泣けば、それは僕の心から彼が流れ出てしまうことを意味していたし、同時にその死を認めることになるような気がして、だから、何が何でも泣くまいとした本能の防衛だったように思う。

 

 このとき、変身によってコピーした彼の優れた脳みそが意外なことを囁いてきたので、僕はその場に崩れ落ちるのでもなければ、叫んだりすることも、取り乱したりもしなかった。

 

 

《 君が第一発見者だよ 》

 

 

 僕は、理解する。

 彼の肉体が停止したことを知っているのは僕だけだ。このまま、…僕が彼の姿のままで生きていけば、少なくとも「社会的には死んでいない」ことになる。

 

 そうだ。失敗は許されない。ぼろを出さないようにしなければ。

 これ以上彼を死なせるようなことがあってはならない。決して。

 

 

***

 

 

 最後まで謝罪の一つもなかったが、今となってはどうでもいいことだ。僕はバイト先と縁を切った。

 当時、部屋にあったものは一つたりとて捨てられようはずもなく、いかに費用が膨らもうとみんなまとめて貸コンテナに保管したうえで、別の街へと引っ越すことにした。

 

 彼になりすまして生活しているうちに、彼の希薄な人間関係について頭を悩ませることも増えてきた。家族はいないも同然として、連絡を取り合う友人もおらず、定期的な接触のある知人がいるわけでもなく、そのことに僕は危機感を覚え始めていた。

 彼に関心を寄せている存在が僕以外にいないなんて、…じゃあ、僕が死んでしまったら、あとはどうなるんだ。

 こんなにあっけないものなのか。

 あっけなく、消え失せるのか。彼の人生も。彼の頑張りも。僕と過ごした時間も。

 

 何か手はないものかと歩いていたそのときだった。偶然にも目にした報道があった。交差点脇にそびえる商業ビルの壁面、そこに設置されたでかい街頭スクリーンが、インタビュー映像を流していた。

 このカロス地方で、新しいチャンピオンが誕生したというニュース。

 画面いっぱいにひろがる、うら若い美女の眩しい笑顔。「殿堂入り、おめでとうございます!歴史に名を刻みましたね!」と興奮気味に彼女へマイクを向けている報道陣の言葉に、ハッとした。

 

 

 死後にも残る偉業。

 メディアを通じて多くの人々の目に触れ、人口に膾炙され、強烈な印象を残すもの――これだ、と、思った。

 

 

 その日から、カルネ女史は僕の打倒すべき目標になった。

 新機軸にして不退転――壮大な計画の始まりだった。彼が生前に残していた『やりたいことリスト』の項目も少しずつ代わりに遂行しながら、きたるべき時に備えて準備を進めた。

 努力とは、正しい方向に沿って尽くすからこそ成果として現れる。闇雲に全力を出せばいいというものではない。誰かが「合戦に到るまで何をするか」「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結」と言っていた。まさしくその通りだと思う。事前に相手のことをどれだけ研究、分析、把握できているか、何が有効で何が悪手か…あらゆる情報をもとにして、自分にとって有利な状況を作り上げること。それが本番での勝敗を左右する。

 

「噂の君は、こんな小洒落たところにいるんですか…」

 

 これも、自分にとって有利な状況を作り上げる第一歩。

 実力は申し分ないが、癖が強くてトレーナー泣かせのポケモンがいる…そんな話を耳にした僕は、真相を確かめようとミアレシティのプラターヌポケモン研究所を訪れていた。「研究所」という名から想像する無機質な印象はなく、どこぞのホテルではなかろうかと見紛う外観に対して、感嘆と少しの呆れを込めた溜息が出てくる。

 

「昨日、電話を入れた者ですが」

 エントランスで出会った白衣の男性――いかにも怜悧な碧眼の美丈夫に声をかけた。

 

「初心者用のポケモンを譲っていただきたく参りました。今日はよろしくお願いします」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。