プロローグ
瓶詰ゼリービーンズさながらのカラフルな塗装が施された移動販売車は、公園内でひときわ目をひいた。車体を華々しく飾る陽気なその色合い、やはり北国よりは南国のイメージに相応しい。
ボードを彩る手書きのメニューに、「アローラが生んだ奇跡の味!」というキャッチコピー。添えられたイラストがお茶目に舌を出すペロリームの姿だったので、菓子を売っているのだとわかる。それを裏付けるように、辺り一帯には甘ったるい香りが漂っていた。
「ご当地スイーツは食べなきゃですよねー」『ねー』と顔を見合わせ弾んだ声を出す男とデデンネは、迷いのない足取りでずいずい進み、さっそく商品を買い求めている。
近付くと、雨音にも似た油のはねる音がしゃかしゃかと聞こえてきた。ルチャブルの背丈では車の内部を覗き込むことはできないが、どうやらその場で調理が行われているらしい。手渡されたマラサダなる食べ物は案の定熱くて、ペーパーナプキンで包もうがすぐに油が染み出し、ルチャブルの指先に付着していく。
からりと揚げられたパン生地の上に、惜しみなくふりかけられた
『わあ!おいしそう!』
さてかぶりついてみようかという瞬間だった。
いいなー、いいなーと間延びした声。遠慮のない甘えた言い方も、声の高さも、子どものそれだ。ふとルチャブルが視線を巡らせると、すぐ側にある花壇のかげから、こちらをうかがうポケモンが確認できた。
一体のボクレー、……、うん、……ボクレーである、はずだ。ルチャブルの記憶にある容姿とは違い、頭部の木は漂白した後のように色が抜け落ちている。生えている葉も緑ではなく、そこだけ秋を迎えたみたいに紅く染まっていた。突然変異の個体だろうか。
うっかり周辺を見渡したのは不用意だったかもしれない。ボクレーはルチャブルと目が合ったことに気付き、逃げるどころか嬉しそうにふよふよとやってくる。貰う気満々といったその態度を見て、マラサダを分け与えてやらないと面倒くさくなる展開だなと早々にルチャブルは割り切った。ただでさえゴーストタイプに苦手意識を持っている身だ。少々の我慢で無難に済むのなら、せっかくの甘味であれ差し出すのはやぶさかではない。
打てば響く音叉のように、『食べるか』と問えば『食べる!』とすぐさま元気のよい返事があった。
半分に割ると、断面をとろりとしたクリームが伝い、いかにも食欲をそそった。ボクレーは当然その権利があるとでもいうふうに、僅かなためらいもなくマラサダを受け取って、一口かじるなり歓声をあげて喜んでいる。
『思ってたより、ずっと、ずーっといい味がする!』
どうやら気分だけでなく口も軽やかになったようで、訊いてもいないのに、一度はマラサダを食べてみたかったことや、誰かがくれやしないかと張っていたのにみんなから見て見ぬふりをされてがっかりしていたことなどをまくしたててくるのだった。ぺらぺらと繰り出されるお喋りを、ルチャブルは呆れた心地で聞いている。幼いから許されている部分があるとはいえ、なんともまあ、図々しいというか。いじましいというか。
ボクレーを無視したという者たちの気持ちは大いに理解できる。ルチャブルも例外ではない。非情に聞こえるかもしれないが、正味な話、関わりを持たないようにするのが一番賢い方法だろうと思う。だが、あまたのポケモンの中でもとりわけ独特の感性や価値観で生きているのがゴーストの連中だ。やりづらい相手だからこそ機嫌をとっておくにこしたことはないだろう。現に、ボクレーは今にも鼻歌をふんふんとやりだしそうなほどにこやかだった。
にこやかだった、が。
『君には、こんなにおいしいものを買ってくれる人間がいるんだねえ』
そう言って、青い目をすうと細めてきたときから、急に、潮が引いたみたいに周りのあらゆる音が遠のいた。
『君は愛されてるんだねえ。大事にされてるんだねえ』
口元をクリームでべたべたにして、両手に砂糖をくっつけて、思わず世話を焼いてやりたくなるようなあどけない様子でいるのに、妙なすごみをたたえてボクレーが浮かんでいる。
あまりの豹変ぶりに気圧され、ルチャブルはこくりと喉を上下させる。その反応に、ボクレーは、にんまりとした笑みを深めた。
『それに、君は優しいね。見ず知らずのポケモンに、嫌がることなくはんぶんこしてくれるんだもん』
いっぱい可愛がられてて、しかも気立てのいい、君みたいな存在が───この地方では怖い目に遭いやすいんだよ。気をつけなきゃ。
綺麗だから愛でられる。大切にされる。だから幸せになれる。それは事実だけど、反面、争いの火種にもなりやすい。綺麗だから妬まれたり、目をつけられたり、奪われたりするでしょう?
『美しいものほど損なわれる。悲しいね』
口調はたどたどしいくせに大人びたことを言ってくるものだから、ルチャブルはたじろぐしかなかった。
『ねえ、いいこと教えてあげようか。マラサダをくれた御礼に』
御礼という割には不気味な雰囲気を四散させながら、ボクレーは囁く。
『もし、変な奴から交換条件を提示されそうになったらこう答えるんだよ。「天秤ではかってくれ」って』
怖い目。変な奴。
寄越されるものは、いずれも抽象的で定義の曖昧な表現だった。何なら、ルチャブルにとっては目の前のボクレーこそがまさに「変な奴」且つホラーな存在であるわけだが。
それに、天秤ではかる?何を?どういう意味だと言葉を重ねようとした刹那、ふたりの遣り取りを遮るように『ルチャブル』と呼ばれた。ゲッコウガの声だった。
『どうした。やけにほうけてるな』
『…は?』
『心ここにあらずという感じだったぞ』
『いや、そこにボクレーが』
『ボクレー?』
噛みあわない。
ルチャブルが目を離したほんの一瞬のうちに、小さなおばけは跡形もなく消えていた。
さっきまでそこにいたのだと、仕方なしにマラサダを半分やったのだということを手短に話すと、ゲッコウガは可笑しそうに表情を緩めた。
『…残念だが、半分では済まなかったようでござるな』
束の間、何を言われたのかはかりかねて首を傾げたルチャブルだったが、自分の手の内を確認してようやく理解した。
『してやられたな』
そんなに気に入ったのかと思わず苦笑してしまう。
もう半分のマラサダも、ボクレーと一緒に、きれいさっぱりなくなっていた。