絵心とかないけど、もし、いま目の前に広がる海を描けって言われたら、少なくとも青い絵の具は使わないだろうなと思った。
だってさあ、エメラルドグリーンだもん。見事にエメラルドグリーン。おひさまの光が水面で乱舞、乱反射、目に眩しいくらいにキラッキラ。この湾いっぱいに世界中の宝石を溶かして流し込んでんのかと思っちゃう。で、それだけにとどまらず、並外れた透明度というおまけつきだ。あれか。テレビの旅番組なんかでよく見聞きする「カヤックごと自分が宙に浮いてるみたいですぅ」ってやつか。360度ぐるりと視界を染める景観の美しさには、素直に見惚れるほかない。
こういうのでいいんだよ。こういうので。テンプレで。これぞ
甲板から振り仰いだ先にある空の色も、雲の形も、陽射しの輝きも、この世のどこにいようが同じはずなのに、異邦の地にいるのだと思ったそばから全く違って見えてくるから不思議だ。
さあ、いよいよ港に着く頃合。陸に足をつけるのも久しぶりになる。心が弾んでまいりました!
ホエルオーじみた巨大な豪華客船で波をかきわけ海を渡る贅沢な数日間───どこもかしこも一級品で揃えられた中で生活してたら、いっぱしの富豪になったような気にもなる。きらめくシャンデリアの下、社交界デビューしちゃいました、みたいな。あくまで錯覚に酔いしれただけなんだけど、でも、乗客にそんな夢すら見せて高揚感を喚起してくれる、何から何までサービスが行き届いた快適な旅だった。払った金額に見合っていると思えたから、満足してる。必ずしも乗る船のグレードを上げる必要性はなかったわけだが、プラスアルファの特別な時間を過ごすに足る十分な資金があるなら、使わにゃァ損だ。勿体ないでしょ。経済、回してかないとね。
僕らの生活を支えてくれているのは、かつて僕が汗水たらして仕事で稼いできた給金はもちろん、バトルを制してぶんどったというか、巻き上げたというか、なんだかカツアゲみたいな表現になるからアレだけど、まあ要するに、手持ち諸君と荒稼ぎして積み上げた賞金の山々だ。変わり種でいくと、謎のおじさんがそっとこの手に握らせてくれたいくつかの金の玉とか(純金の塊だからくッそ重たいし、そんな高価なものをポンと渡してくるおじさんの正体も金球の出所も不明だし、冷静に考えたら怪しすぎて色々やばいけど、ま、いっか)。
ってわけで、以前コウガくんから暴露された通り、口座を確認したときに表示される数字が一般人を名乗るにはちょっと度が過ぎてるんだよね。ここだけの話、実は結構すごいことになっている。いちいち資金繰りに悩まなくていいなんて、嗚呼、ストレスよさようなら。ほんま助かってます、ありがとうございますと、僕は今までに出会ってきた対戦相手たちへそっと心の中で合掌した。
僕がこうしてやたらお金のことに重きを置くのは、今や故人となった僕の愛する「あの人」が、貧困を遠因としてこの世を去ったからなんだと思う。
お金はこの世の全てじゃない。でも、全てのことにはお金が要る。自分にとっての大事なものを大事にしようとしたら、やっぱり、それにはお金が要るのだ。金、金、金と連呼するのは品がない。百も承知だけど、でも、生きていくために必要不可欠な社会的要素なのは間違いないから。「あの人」だって、もう少し経済的な余裕があれば、しなくて済んだ苦労がいっぱいあった。夭逝も避けられたはずなんだ。
だから、ねえ、これからも見守ってて。
遺品として残された「やりたいことリスト」の項目は、僕が引き継いで全て消化してみせるから。早速、予定されてた船旅をクリアしたよ。他地方への旅も始まるよ。末端の細胞にいたるまで完璧にコピーした君の肉体で世界中を歩き回って、僕が君を色んなところへ連れていってあげるからね。
心の中で呟き、ちょっぴり感傷に浸ってみたりして。
……うん、センチメンタルになるのはほんの一瞬でいい。さて、切り替え切り替え。僕らしさを取り戻すための深呼吸。タラップを通じて下船するさなかに思いきり息を吸い込むと、花なのか果物なのか、色に例えるなら完全にビビッドカラーな匂いで鼻腔が満杯になる。むせかえるような、味まで感じられそうな、もったりと甘い完熟したアロマ。そして、後味みたいに、微かに磯の香がまぎれている。
うむ、序盤から既にぽいわー。ホント、ザ・南国っぽい。嗅覚を快く刺激する香りだけじゃない、肌が知覚する気温も高くてあったかいし。過ごしやすいし。行き交う人たちのカジュアルな夏服、健康的に日焼けした肌、陽気で快活な笑顔。街歩きしてるだけで爽やかな性格に早変わりできそうだ。
他にも、カンタイシティ乗船場の待合室に掲げられた「
ていうか街のネーミングからして素晴らしいじゃないか。カンタイ。つまりは歓待!いいね、是非とも全方位から歓待してもらいたい。
こちとら純度100%の好奇心引っ提げてメッチャクチャ楽しみにしながら渡航してきましたんで。喜びに胸を開け大空あおげ的な心の準備運動ラジオ体操第一終わってますんで。あとはひたすら現地の皆さんからのハートフルなおもてなしを受けるだけ!超期待してまッすよろしくどうぞ!
なんせ、ゆーったりまーったりのバカンスだ。憂き世から解き放たれることを目的に遊び一色の毎日にするんだ。しけたツラしてられますかっての。
だもんで、そりゃーもう目一杯にアーカラ島を満喫しましたとも。ショッピングにマリンスポーツ。ヴェラ火山にも登ったし、シェードジャングルも探検したし。マラサダに関しては一通りのフレーバーを実食コンプリート。エトセトラエトセトラ。大人げないほどはしゃぐ日々を送っている。
ッはー…、開始早々、五つある島のうちの一つ目ですよ?まだ観光スポット有り余ってんの?最高じゃん。
「メレメレ島に行く前に、ラスト・アーカラってことで『命の遺跡』に行ってみましょうか」
早くも滞在して一週間が経とうという頃、タブレット端末を見ながら提案する僕の右肩にひょいと姫が乗ってくる。
『ほう、遺跡とな』
「アローラ地方は複数の島で成り立っているわけですが、人工島を除く四つの島々には守り神が一柱ずつ祀られていると聞きます。このアーカラ島の守り神はカプ・テテフ…と、言うらしいですね。観光ガイドによると、…遺跡の名からも分かる通り、命あるものを癒したり破滅に導いたり…生と死を司る伝承がいくつもあると書かれています」
『なるほど、…神らしい権能だ。そうした
…御尤も、おっしゃる通り。ちくりと咎められては首を竦めるほかない。ぴえん。
礼節を重んじる姫君ならではの御言葉にはぐうの音も出ず。いやはや、その手の信仰心が薄くてすみません…しっかし、トコヌシノカミ、とか、小難しいなあ。どこで覚えてくんのそういう単語。姫ってば相変わらずミステリアスなんだから!
土地神への挨拶か、単なる観光か、その目的はさておき遺跡に行くこと自体は誰も異を唱えなかったので、翌日、我々カロス御一行様は
昼間だ。
快晴だ。
神域の近くにあるためか、周囲は精気に満ち、緑豊かに生い茂っている。いかにもリゾート地の太陽といったふうの強い日光を浴びているおかげで、その分だけ地表の影も濃く、むわりとした草いきれが全身を包み込んだ。むかって右手に洪波寄せる大海原が広がっていて、だから、呼吸をするたび酸素だけでなく水を肺に取り入れている心地になるくらい大気がしっとりしていた。
重ねて言おう。昼間だ。怪奇現象なんて黄昏時か夜中丑三つ時特有のものだろうと思い込んでいる側からすれば、神隠しが発生するなんて夢にも思わない時間帯だった。
だのに、それは唐突にやってきた。
背後からびゅうという音が追いかけてきたかと思えば、察知した時点でもう手遅れで、あっという間にもみくちゃにされた。ミキサーだか洗濯機だか、とにかく、その中に問答無用でぶちこまれて否応なく掻き回されてるみたいだった。思わず足元がよろけ、目を開けていられないほどの───一陣の突風が駆ける。
直前までのんびりと僕の肩口に座っていたお姫さまを咄嗟に腕の中に抱き込んで、身を屈めた。周辺の青葉を全て根こそぎ
実際はストップウォッチで計時するのも困難なくらい一瞬の出来事だったというのに、髪も衣服もぼっさぼさに乱される。…どぉせゥチゎ…暴風に弄ばれたってコト…もぅマヂ無理…ってやつですわ。毛根から引き抜かれてハゲ散らかしてないのがミラクルなレベルだった。よって、自然、風が吹き抜けて辺りに静けさが戻ったあとも口からは悪態か溜息しか出てこない。
「ったく…トルネロスじゃないんだからさあ…」
世界の瞬間風速新記録なんじゃないの?今のは。
髪を撫でつけつつぶつくさ言いつのっている間に、『ぷはっ』と勢いよく姫が顔を上げて小さい体いっぱいに空気を取り込んでいる。
「あ、申し訳ない。必死になっちゃって。力加減、まずかったです?」
『いや、…あるじ殿のおかげで事なきをえた。礼を言う』
彼女の体重くらいだったら吹き飛ばされてもおかしくない風だったから、こちらとしても護衛を遂行できて安堵する次第。丸腰でなく、日傘の一本や二本持ってきてたら、メリー・ポピ●ズみたいに後からふわふわ舞い降りてくることができたかもだけど。
「そっちは大事ないです……か……」
野郎共の心配なんぞ要らんだろう、って、軽く考えていたのに、言葉が尻すぼみになっていった。
振り返った先で待ち受けていたのは、紛うことなき緊急事態だった。
はっと周りへ視線を巡らせ、途端に険しい顔つきになるコウガくん。僕も彼につられ、すぐに、嫌でも気付く羽目になる。
どぉせゥチゎ…とかカビ生えてる化石みてーなネットミームほざいてる場合じゃねーぞ、コレ。
ルチャさんが、忽然と姿を消している。