降水確率0%の太鼓判を押してもらえる溌剌とした天気だ。まっすぐに降り注いでくる強烈な陽射しは、視界を単純に明るくするだけでなく、もはや目玉に絶え間なく突き刺さってくる閃光と化している。まるで熱されたアスファルト上に落下したアイスクリームの心情───こんなにも激しい白日のもとにさらされては、ただ屋外に立っているだけでも総身が消毒されていくような気さえする。おとぎ話に出てくるような悪霊などは一瞬のうちに蒸発していくだろう。
……なんて。
現実逃避が過ぎるな。デデンネは、そっと首を振る。分かっているさ。そんなに簡単な話ではないことくらい。抱える悩みとはまるで裏腹の、底抜けに青い空を見上げ、小さく息を吐いた。
からりとした陽気であれ、吹いてくる潮風で毛先がべたつくのを感じ、デデンネはくしくしとひげを手梳きした。可憐な小動物を演じるためにも身だしなみには気を遣っておかなければ。
日に焼けないようにという配慮から、デデンネはつばの広いポケモン用の麦わら帽子を与えられている。例によって男の───メタモンの───肩に乗り街中を移動しているわけだが、道行く人々は、そんなデデンネの姿を見るだけで相好を崩し、何オクターブか高くした声で「まあなんて愛らしいのかしら」と話しかけてきた。デデンネは己の容姿が秀でたものであることや、人間ウケがいいことをきちんと自覚している。自分の存在が場を和ませるのだと心得ているし、本日も聞き込み調査の潤滑剤として主人についていくのだと理解していた。
ふたりがやってきたビーチは塵一つとて落ちておらず、白い砂浜と青い海、ヤシの緑、ハイビスカスの赤、黄色く咲いたパラソル等々、鮮やかな原色に満ち満ちて、パソコンのデスクトップを飾る壁紙から抜け出てきたかのようなおよそ完璧な景観が保たれている。
ゴザの上、あるいはビーチチェアの上で、地元民や観光客が水着姿となり思い思いに寝そべっている中を歩く。男の格好は、一目で泳ぎに来たわけでないことをうかがわせるものだった。カーキ色のサファリハットに同色のカーゴパンツ、生成りの麻シャツ。単なる観光目的にも見えないのは、知的な顔立ちが影響しているかもしれない。男は周囲を見渡し、木陰の近くに陣取っていた老人に目星をつけ、ごく自然体を装って近付いていく。
「アローラ」
主人がにこやかに挨拶するのと同時に、デデンネもにっこりと笑顔を作る。突き出たお腹に愛嬌がある恰幅のいい老人は、ふたりを何ら警戒せず、アローラと返してくれた。
「すみません、突然話しかけて。地元の方ですか」
「そうだよ」
答える老人と目が合ったので、デデンネは少しばかり首をかしげて「デーネッ」とよそゆきの声で鳴いてみせる。老人の笑みがゆったりと深まった。誰しもが浮かべる、小さくて可愛らしいものを見たとき特有の目つき。相手の懐に入る足がかりとしては、それで十分だった。
「僕、アローラ地方に伝わる民話や伝承について興味があって研究している者なんですが…」
民俗学者を自称し、ミニリュックから筆記具やボイスレコーダーを取り出しながら取材許可をとりつけ、たちまち老人と打ち解けて話に弾みをつけていく男を見ながら、デデンネは感心していた。偽りの身分になりきり、それらしく振舞うことの、なんと巧みなことだろう。言動には違和感も綻びもない。デデンネすらうっかり騙されそうになる始末だ。彼には生来の詐欺師の才能があるのだろうなあと、はんなり顔で、大概失礼なことを考える。
一人、二人と話を聞き、集めた話をもとにして更に取材を進め、五人目あたりでそろそろ頃合いだろうと本題を切り出すことにした。
オレンジ色を基調とした生地にククイ柄が散る洒落たワンピースの老婦人である。地方全体に根付いているらしいのんびりとした気風が手伝ってくれていることもあって、今のところ仮初のフィールドワークは順調だった。彼女も快く男の依頼に頷き、遣り取りに応じてくれた。
「この地を治めていた王族とニャースの逸話、ガラガラの童話から見えてくるヴェラ火山への信仰…土着の文化とポケモンたちの関わりに興味が尽きませんよ。…ああ、それとシロデスナの怪談は怖かったなあ」
楽しげに話す男に引っ張られて、老婦人もおおらかな態度で相づちを打った。
「怪談…とは、また少し趣向が異なるのだけれど、カプ・レヒレが生み出すという霧の話はご存知?彼岸と此岸を繋ぐって伝説が有名で」
「いえ、初耳ですね。さすがは神様だ。詳しくうかがっても?」
遠回りな調査だ。
たとえばドラマでよくあるように、「警察です」と一言放って組織名と身分証明を出し、権力と強制力とをちらつかせて、いきなり本題に切り込んで、情報提供を要求する芸当などおいそれと一般人に真似できるものではない。いくつかの手順を踏み、ある程度の信頼を得たうえでないと肝心の話を引き出すことはできない。アイスブレイクもなしにデリケートな事柄を突きつけてもシャットアウトされるのがオチだ。事前に、男はデデンネに言っていた。ジュナイパーのことは、割と扱いが難しいネタかもしれないと。被害者と加害者が存在しうる話題を出す場合には、段取りを経て、慎重に尋ねた方がいいと。
そして、先に言ってしまえば、この五人目の老婦人で───当たりを引いたというか、此度の案件の難儀な部分を拝むことになった。
老婦人への取材もひと段落というときになって、「そういえば」と新たに口火を切り、いよいよ男は本来の目的のために動いた。
「他の方々から話を聞く中で、ちょっと気になったものがありましてね。黒くて大きなフクロウのおばけ…だったかな。あなたは何か…」
知っていることはないですかと続けようとしたのだろう。
もちろん、今まで取材した者たちにはジュナイパーの話を振っていない。今回が初だ。これで出方をうかがって、次の六人目に活かし、以降、ジュナイパーの調査を本格化させていく算段だった。
しかし、刹那にして緊張が走る。老婦人の血の気が瞬く間に失われ、無駄な感情が削げ落ちた能面のようになった。下手を打ったことがありありと分かる顔だった。
「おばけだなんて、…罰当たりな」
やがて、彼女は咎めてくる。震える声と、怯えるような目を伴って。
「滅多なことを言ってはいけないわ。カーカナだって神様なのだから」
カーカナという初めて出現した単語にふたりして困惑していると、老婦人は逃げるように去っていった。取材のお礼を伝える暇もなかった。一刻も早く離れなければという足取りが気になった。
一息置いたあと、男は、デデンネにそっと囁きかける。
「…やっぱり、アンタッチャブルなポケモンなんですかね」
『あん、ちゃ…?』
「アンタッチャブル。手出しができない存在ってことですよ」
ううむ、とデデンネは思案顔になる。
『そうさなあ…。ご婦人の反応が過剰だったことは確かだが、まあ、未だ一人目をつついてみたに過ぎない。気を取り直して次へと参ろう』
ふたりでこそこそと打ち合わせを行っていると、「おい、兄さん」と背後から呼ばれた。振り返った先には、ドリンクの屋台を出している中年男性の姿。巨大なアイスボックスは出店でよく見かける青いプラスチック製で、中には氷水を漂流するように多数のペットボトルが浮かんでいる。
「あの姐さん、知り合いだからさ。つい気になって、おたくらの会話を聞きかじってたのよ。したらば、よりによってっつー質問をしちまったな。いや、なに、兄さんが悪いってこたないんだが」
学者さんなんだって?さっきまでビーチをうろちょろしてたもんな。そんなことまで追加してくる。さすが地元民、情報の回りが早い。
「お節介で言っとくがね。この地方のジジババにカーカナの話はせん方がいい。というか、年寄り連中に限らず、ここいらじゃカーカナの名を口にするだけで奴が化けて出てくるってんで、あんまし歓迎される話題じゃねえからな」
その一方で、この中年男性はカーカナとやらにまつわるもの全般を迷信として片付けているらしかった。辺りをはばかるようにして声量を落としてはいるが、かの者の名を平気な顔で連呼している。
「神様…といえど、どうやらアローラを守るカプ神たちとも違うようですね。おっかないものなんですか?ただの都市伝説?」
「作り話だったらよかったんだけどな。ちゃんと実在する鳥ポケモンだよ。ずっと昔から、もう長いこと棲みついてんのさ」
この男性は幸いにして直接的な被害に遭ったこともなければ見たこともないというが、しかし、毎年犠牲者は出ているのだという。
「カーカナってのは、こっちの言葉で『魔王』って意味なんだけどよ。よくあるだろ?お姫さんとかをさあ、有無を言わさずつれてっちまうような。アレとおんなじだ。めぼしいポケモンを攫っちまうんだ」
「…何のために攫うんでしょう?」
「そりゃ、あんた。食うんだろ。連れ去られちまったが最後、そのポケモンは二度と帰ってこないんでね。事実だけ取り出してみりゃ、ぶっちゃけ、狩りと変わんねえよな。
つっても、やっこさんも寄る年波には勝てんってことか、今となっちゃカーカナの仕業らしい事案なんぞ年に数件あるかないかってくらいだよ」
ただし、今でこそ被害件数が減っただけで、先の老婦人がまだ幼い時分などは、手あたり次第と言っていいほどそれはそれは多くのポケモンが神隠しのように忽然と姿を消したのだとか。
「さっきの姐さんも、ガキの頃に大事にしてたイワンコがやられちまったんだとさ。平たく言やァ、カーカナのことは地雷なんだ。そういう年寄りは大勢いるから、これからも現地の人間相手に聞き込むってんなら気をつけなって話だ」
「ご忠告をありがとうございます」
殊勝な態度を見せつつも、この屋台の主が喋り好きだと踏んだのか、男は会話を続けた。併せて、デデンネも耳をそばだてる。
「そんな話を聞いたら、尚更、おばけや妖怪の類に思えるんですけどね。神格化されてるのはなぜなんでしょう?ご存知ですか?」
「あー、…そこは、ほれ。人情っつーかな…」
彼はほりほりと頬をかいた。
「いつからかな、誘拐って発想をしなくなったみてえだぜ。
カーカナは可愛がられて育ったポケモンが好きなんだ、うちの子は愛された者として選ばれたんだ、それは誉れ高いことなんだ…って、理屈をこねてんのさ」
そうでもしないとやってられないということか。民草の哀しい知恵だなと、デデンネは胸を痛める。畏怖の対象から選ばれることを喜べ。愛でられることを喜べ……押しつぶしてくるような重たい悲痛を紛らわすには、そう考えるより他になかったのだろう。悲しみを喜びへと無理にでも転換する筋道をつけなければ、方便でもなんでも用いて恐ろしさを薄めなければ、やりきれなかったのだ。
カーカナなる存在が神であろうはずがない。デデンネは思う。ルチャブルが語った体験を思い出す。異空間は白骨だらけだったと言っていたではないか。かどわかされたポケモンたちが丁重に扱われていたとも思えない。無慈悲に食い散らかされたのだ。生きていくための最低限の狩猟からは逸脱した、いたぶるだけの残虐行為。それが真実だ。
人間たちもただ黙っていたわけではあるまい。過去に駆除を試みたことだってあろう。しかし結果がどうであったのかは現状が物語っている。強い個体をどうにも御せず、なればこそ余計に、触らぬ神に祟りなしの思いが濃くなる。そして人間はときに、手に負えない悪鬼を神として祀ることで相手が鎮まることを期待し、解決を図ろうとする場合がある。今回のこともそうした歴史の積み重ねなのではないだろうか。
「倒すことはできなくても、遠ざける方法とか、そんなのはないんですかね」
「弱点ってか?そいつは聞いたことねえなあ…」
首をひねり、しかし男性はすぐに思い当たることが見つかったのか「そういや」と漏らす。
「アセロラちゃんに聞いてみたらいいかもしれねえな」
「…アセロラちゃん?」
「結構な有名人なんだぜ。ウラウラ島に住んでんだけどよ、まだほんの子どもとはいえおたくが調査してる分野に関しちゃ大人より精通してるんだ。生き字引的な地元の年寄りにあたって下手に揉めるよか、カーカナのことを訊く相手としても安全だろうぜ」
単に喉が渇いていたのか、それとも耳寄りな情報をもたらしてくれた心付けのつもりなのか、いずれにせよ男は店主に礼を告げながら、何本かのペットボトルを買い求めた。デデンネが見たところ、アイスボックスの中にある商品はどれもスーパーやコンビニで手に入りそうなものばかりで(実際、別にアローラ地方でなくても買える大手飲料メーカーのロゴやラベルが散見された)、ご当地色を全面に出しているということもなさそうなラインナップだ。その中で唯一「物珍しいかも」と思える品を、男は手に取った。「超☆海洋深層水」という、なんとも馴染みのない謳い文句がたいそう胡散臭かった。
***
男がスマホで検索をかけるだけで、アセロラという少女の情報は(恐ろしいことに)瞬時に収集がかなった。アローラにポケモンリーグが新設された際の初代四天王に抜擢されたことを報じる電子記事が出てきたので、トレーナーとしての実力は勿論、掲載されていた顔写真によって容姿まで判明する。ネット上ではアセロラのバトル動画も数多く投稿されており、生態や特性をよく理解した戦いぶりからゴーストタイプに詳しいという裏付けもとれたので、男は早速どこぞの電話番号をタップし始めた。連絡先まで特定したのかとデデンネが驚くと、普段は図書館で働いているという記事があったので問い合わせ自体は容易いとのことだった。
果たして、少女はウラウラ島の図書館に勤務していたし、何なら本人が電話口に出た。男がスピーカーに切り替えていたので、デデンネにも彼女の幼い声が聞こえた。会って話ができないかという男の申し込みを、アセロラはいとも簡単に了承した。もちろん、協力してくれるというならこちらとしては大助かりなのだが、相手は初対面の(経歴を詐称している)成人男性なんだぞ少しくらい用心しろとデデンネがその危なっかしさを叱りたい思いにかられるくらい、あっさりと応じるアセロラなのだった。
(唐突な申し出ゆえ当たり前だが)今日は都合がつかないというので、幾度かの遣り取りを交わした結果、明後日の予定としてこちらからアセロラのもとを訪れる運びに。いつの連絡船で来るのか時刻を告げたあと、男は会話を終えた。
『やはり電話では済まない話か』
ルチャブルを連れて出歩くことを心配したデデンネが問うと、男は頷いた。
「真っ黒ルチャさんに会ってもらった方がより深刻さが伝わると思います。それに、もしかしたら、この島を離れること自体にも一定の効果があるかもしれませんし」
『奴の活動域が限られている可能性があるということだな』
霊界の捻じ曲がった時空を通じてどこにでも出現できる───ということだってあり得るのだが、きっちりと縄張り意識を持っているらしい各島の
商店街の隅にあったコインロッカーに手荷物を預けてしまってから、男は左肩にいるデデンネの方へ顔を向けてきた。
「人間を相手にした取材は切り上げて、次は別口にあたってみましょうか」
『うむ。ぽけもんの視点では、例のフクロウも違って見えてくるやもしれん』
まずは手始めに、ルチャブルが攫われた地点、その近辺に広がっていた森から始めることとしよう。
***
デデンネを背に乗せ、ミルクティー色の体毛をなびかせながら、一体の狼が地を蹴る。疾走する。
小さなデデンネでは長距離を移動するのに時間がかかってしまうことや、
アローラの人々に話しかけたときの慎重な態度とはまるっきり逆に、出会ったポケモンには片っ端から声をかけた。カーカナの名も積極的に出した。敢えて「何なんだこいつらは」と身構えさせる戦法である。これはデデンネの発案だった。デデンネとて元は森暮らしであり、野生の住民らが詮索屋を避け、余所者を嫌厭することを重々承知している。変な奴らがやってきたという情報はあっという間に駆け巡るし、目に余るようならその土地の重鎮が出てくるのが常だ。事実、「カーカナのことを教えてほしい」と言えば、ポケモンたちは表情を曇らせ、一様に口を閉ざして、関わり合いになりたくないとばかりに逃げだしてしまう。これだもの、森のまとめ役を引きずり出して話を聞いた方が手っ取り早い。あるいはその過程で、探りを入れてくるのはいったい誰だと
『あ!いたいた、こいつらだ』
声変わりとは縁遠そうな甲高い声。幼児みたいな、たどたどしい口調。辺りを見渡すと、物陰で、赤い眼光が蛍火のようにいくつも瞬いている。
『ルガルガンとデデンネだ』
『変なことを訊いて回ってるふたり組だ』
『怪しいやつらだ』
『フトドキモノだ』
木々の合間から、わらわらとボクレーが現れた。団体でのお出ましである。
ちらりと振り返ってくるルガルガンの横目が『首尾よくいきそうですね』と語っていたので、デデンネも目配せを返しておく。
『やい!不審者!
『言うことをきいた方が身のためだぞ!』
『シンミョーにお縄につけ!』
どうだ恐れ入ったかと脅かすつもりなのか、ボクレーたちは「親分」という言葉をことのほか強調してふたりに迫ってくる。派手に動いた甲斐があり、都合よく向こうから接触してきたのはありがたい。包囲されるがまま、おとなしくついていくことにする。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
いとけないボクレーたちに急かされながら深部へと歩んでいく。四方には原生林しかなく、人間にとっての未踏の地であることは明らかだった。古代から現代に至るまでずっとこうだったのだろうと思わせる、湿り気を帯びた独特の香りが辺りを包んでいた。
『親分!つれてきたよ!』
ルガルガンもデデンネも一切逆らうことをしなかったので、それは自分たちが凄んでみせた結果に違いないと解釈したらしいボクレーたちは鼻高々だ。えっへんと胸をそらしている。
ボクレーの帰還を受け、親分と呼びかけられ、がさりがさりと蔦や枝をかき分けてやってきたのはオーロットだった。さほど丈はないが、横幅が広く、がっしりとしている。若い樹木にはない、ささくれ立つ荒々しい木肌や朽ちた色合いが樹齢を示した。
『…困るねえ、御二方。皆の不安をいたずらに煽るのはやめとくれ』
重みのある老婆の声だ。古木の印象がより強まる。
このポケモンは己の根を通じて木々を操り、住処を荒らす者を閉じ込めたり食い殺したりと容赦をしない一方、森に暮らす生き物たちには大変親切に接することで知られている。守護者として部外者の奇行を見逃せなかったのも頷ける話だった。
『騒ぎたてたことは申し訳ないと思っている』
白洲で奉行を相手に申し開きをするときの気持ちとはこんな感じなのだろうか。ルガルガンの上で背筋をぴんと伸ばして、デデンネが果敢に口を開く。
『しかし、それも我らがのっぴきならない事情を持つゆえのことだ、
『事情ね…』
オーロットは、デデンネの
『あんたらのお仲間がさらわれでもしたのかい』
『おや、さすがは年の功だ』
『なんの、ほとんど当てずっぽうさ。だけどそんくらいのことでもないと、しゃにむにカーカナの聞き込みなんてしないだろ。それに、あいつは人に飼われたポケモンしか相手にしないからね』
品定めをするようにふたりを矯めつ眇めつ眺めていたオーロットだったが、その単眼をゆっくりと細めた。目の中には憐みの色が広がっている。
『気の毒だが、お仲間のことは諦めな。帰っちゃこないよ』
『…そのことなんだが』
帰ってきたんだ。
デデンネが言うと、辺りはしんと静まりかえった。それは驚きであり、混乱であり、先を聞かねばならないという関心の表れでもあった。
デデンネは先を続けた。
『帰ってきたというか、運よく逃げ出せたといった方が厳密かもしれん。とにかく、一旦は我らの元へ戻ってきたんだが、どうも敵は己の手から零れ落ちた獲物に執着しているらしくてな。近々、もういっぺん、仕掛けてくるかもしれない。今度こそ仲間がやられてしまう危険がある。だから、何としてでも守り通したいんだ。そのために敵を知りたい。対策を立てたくて、敵に関する手掛かりが欲しくて、こうして駆けずり回っていたというわけだ』
たっぷりとした沈黙を経て、オーロットは『そんなはずはない』と呟いた。どれほどデデンネがはっきり説明しても、到底認められるものではないと疑いの眼差しを向けてくる。
『いきなり前例のないことを出されてもね。…霊界の奥まったところにあいつの拠点があると聞くが、そこに連れ込まれておきながら逃げおおせるなんて芸当は…』
『取引をしたと言っていた』
『なんだって?』
『天秤を使ったんだそうだ。帰りたいという願いと釣り合うものを差し出して、どうにか収束させたらしい』
ぎょっとするという言葉が相手にぴったりだった。
オーロットは眼球まるごとを剥き出しにせんばかりに見開き、それどころか顎がはずれているみたいに口まであんぐりと開けた。そんな唖然としたオーロットを見て、ボクレーたちもまあるく口を広げぽかんとしている。不謹慎ながら、思いがけず生じたコミカルな場面に笑わないようにするのはふたりにとって一苦労だった。
『て…天秤?今、天秤といったのかい?』
『そうだ。我らの仲間が教えてもらったと言っていたぞ』
白いぼくれえから。まらさだという菓子を分け与えた礼に、と。一字一句を区切るようにしてデデンネが答えると、老木は光の速さでくわっと恐ろしい形相に転じた。一気に沸点までのぼりつめたオーロットの感情がほとばしり、びりびりと空気を震わせる大声で『リコ!!! 出てきなっ!!!』と怒鳴る。とんでもない剣幕にひえっと体をすくませたボクレーたちとは異なり、どこからか、名指しを受けたボクレーの『ぴゃあ!』という情けない返事が漏れてきた。
『とっとと出といで!ヴェラの火口に投げ込むよ!』
どうやったって怒られると分かっているからだろう、
『このたわけめが!あんた、禁書を読んだね!そうなんだろ!?』
もろに叱責を浴びて縮こまりながら、リコはもじもじと手をこすり合わせた。
『だってさあ…せっかくお化け文字も習ったしさあ…』
『だからって、…嗚呼!よりにもよって!私のものには触るなときつく言い聞かせておいただろう!! こともあろうにどこの馬の骨とも分からん連中へ他言するとは!!』
ふええと気弱な有様で、リコはどんどん小さく縮こまっていった。
『ごめんよう、ばあちゃん。だって、マラサダはおいしかったし、優しくしてもらったし…』
『おだまりッ!』
自分とは無関係のところで誰かが怒られていると、面白がってはやしたてるのが子どもだ。周りのボクレーたちは、早速『やーいやーい』とからかいだしている。
『言いつけ破って、いーけないんだあ』
『怒られてやんのー!』
『ちょっと目立つ見た目してるからってさあ』
『ちょっと勉強ができるからってさあ』
『そーんなことくらいで調子こいてるからだぞお』
『でもさー、オレたちだってマラサダ食いたいよなあ?』
『そうだー!マラサダー!』
『おまえだけ抜け駆けするなんてずるいぞ!』
ばあちゃーん!マラサダが食べたーい!
マーラサダ!マーラサダ!
チビたちの大合唱が始まった。数が数なので、かなり騒々しい。意識の矛先がすっかりお菓子に向いてしまっているのんきなボクレーたちに対し、オーロットはわなわなと震えて、もう何度目になるかも分からない怒鳴り声を張り上げた。
『やかましいバカ孫どもッ!!! ばあちゃんじゃない!親分と呼びな!!!』
出会いがしらの威厳はどこへやら、今ではまったく祖母の顔になって、オーロットは頭のてっぺんから湯気を出さんばかりだった。
きゃあ!とソプラノの声を残し、ボクレーたちは蜘蛛の子を散らすようにしてぱっと逃げ出していった。目にもとまらぬ速さでしゅるんと森の暗がりに溶け込んでいく。
ぜえぜえと肩で息をする御老体。あっけにとられているデデンネに代わり、こほんと咳払いをしたのはルガルガンである。
『それで、…あー、…えっと、マダム?』
折り目正しく、ルガルガンは紳士的に振舞う。
『あの子については、これ以上叱らないでやってください。おかげで仲間の命が助かったんです』
怒り冷めやらぬオーロットは、身内の醜態をさらした気まずさもあってか、口を挟むんじゃないよと苦虫を噛み潰したような面持ちだ。しかし構わず、ルガルガンは続けた。
『話を戻しますね、マダム。カーカナのことです。奴から仲間を守る術について、何か助言等をいただけるとありがたいのですが』
オーロットは、ふんと鼻を鳴らす。
『弱点らしい弱点なんぞありゃしないよ。というより、知らない。そんなことまで把握できるほどあいつに近しい奴はいないんだから』
『…人間から忌み嫌われ、ポケモンからも疎まれているということですか』
『疎むほどの関心もないさ。放っておくのが吉ってだけのことだよ。
先にも言ったが、あいつは人間のペットしか殺さない。普段は木の実を食ってるくらいの奴なんだ。好きにさせておけば少なくとも森に生きる者たちは害を被らない。今までもそうだし、これからもそうなる』
個の犠牲による全の救済ということのようだ。オーロットの話し方に、罪悪感は含まれていなかった。
『私らゴーストタイプからして見れば、別に、あいつがしてることなんて普通の範疇なんだがね。そうは思えないポケモンがいることも事実だし、それは仕方がない。私らとて割り切ってるよ。奴の言動や考え方が不気味だってんで、眉をひそめたり、関わり合いたくないと遠ざかる手合いは多い。そういう意味では、カーカナは出過ぎた杭なんだ。ちょっとやそっとのことじゃ引っ込まない。だからまあ、確かに、面倒くさくはあるよ。下手に長生きしてるもんだから偏屈だし、自己流の思想で凝り固まってるしで』
考えが合わないな、とデデンネは嘆息する。そのこと自体を否定するつもりはない。所変われば各々の土地独自の文化や風習、価値観が発生するのと同じで、ポケモン間でも、タイプ別で物の考え方に一定の傾向が見られる。「○○タイプは△△しやすい」というように、いずれもステレオタイプであるが、雑談でよく取り沙汰される。下世話なものとしてはほどよいネタだ。そう、あくまでネタではあるのだが、それでも、ゴーストタイプの癖の強さは知られたところだ。彼らの死生観からして、理解するのに時間がかかる(説明されたところで納得しがたいことも多々ある)。
デデンネは、人間と共に楽しく毎日を生きていたはずのポケモンたちを問答無用で誘拐し、食らってしまうという件のジュナイパーに関しては、頭から悪者だと決めてかかっていた。仲間の命が関わっているとなれば尚更だった。しかし、オーロットにとっては何ということもない出来事らしい。普通の範疇だとさえ言っていた。精々が、協調性に欠けているので困るという、学級内の問題児に頭を悩ませる教師のような言い様である。
『私にも森での立場ってもんがあるから、苦情を受けたことは何回かあって、そのたびに諭しはするんだ。でも、これがまた煩がってねえ。こっちが諫めようとしたところで聞く耳を持たない。親切で差し出した手ですら選り好みするような奴なのさ。
長い付き合いの私らだって手を焼いてるんだ、昨日今日遭遇しただけのあんたらじゃ手の打ちようがないよ』
さっきも言ったろ。諦めな。
今回は運がよかっただけだ。
あいつはやるといったらやるんだ。どのみち食われる。
『今度も天秤で切り抜けられると楽観するのも止すんだね。天秤を水平にする条件がそう何個もあるはずがないんだから』
『…ならば、カーカナと直接会う方法はありませんか』
孫たちの幼稚な失態がまだ尾を引いているらしく、森の重鎮は不機嫌なままだ。こちらを呼び出しておきながら、そろそろ話を終わらせたいらしいオーロットである。けんもほろろという突き放した態度だが、ルガルガンは食い下がる。
『手荒いように聞こえるでしょうが、僕らは先んじて制圧することだって考えてるんです』
『へえ、勇ましいことだ』
わざとらしい抑揚のついた言い方だった。オーロットはわさわさと全身の葉を揺らした。嘲笑している。
『あいつが今日まで生き延びてるのは、強いってだけじゃない、元が用心深い所為だよ。それに、お仲間を守ろうと───つまりはあいつを邪魔しようとするあんたらの存在をどんなふうに解釈するのか確証を以て言うことはできないが、奴の性格上は歯牙にもかけないはずだ。さしたる障害だとは考えないだろうよ』
『格下は相手にしないということですか』
『というより、あいつが興味を持つ対象範囲がえらい限定的なんだよ。あんたらが息巻いたって気にしないだろうし、かといって、軽んじた相手だろうと直に接触するなんて危ない橋も渡らない』
私がこうしてペラペラ喋ってるのだって、あんたらを脅威に思っていないからだし、これきりの関係だからさと念押しのようなことを言う。オーロットを仲介にカーカナと渡りをつけてもらうことを期待するのも無駄だと仄めかされてしまった。
『さあ…立ち話はこのくらいにしておこう。せっかく得られた猶予だ、今のうちにお別れ会でもしておくんだね』
気になってとっつかまえてみたら大したことはなかった。やれやれ。ぶつくさ言いながらオーロットは腰をとんとんと叩きつつ踵を返し、のしのしと去っていく。
『待ってくれ。もう一つだけ聞かせてほしい』
デデンネは、咄嗟に声をあげる。ルチャブルの、あの錦の羽はどうなるのだろう。永劫、失われてしまうのか。命を拾っただけもうけものだと物分かりよく考えたいところだが、そうもいかないのが情動だ。
『天秤の取引で使われた材料を取り戻すことはできないものだろうか』
オーロットが完全に振り返ることはなかった。僅かに右へ首を傾けて、デデンネへ一瞥をくれる。デデンネとしては、当然、ルチャブルの力になりたい一心から尋ねたのだが、オーロットには何ら関わりがない。あくまでも他人事だ、悲しいほどに。ゆえに、そんなことも分からないのかとデデンネの浅慮を冷たく見下す言い方で、彼女は口を動かした。
『とうに成立した取引だ。甘ったれて未練がましいことを言うもんじゃないよ』
オーロットの姿は、すぐに、森と同化して見えなくなった。多脚での移動に際して茂みの揺れる音がするので、まだ近くにいることは分かるのだが、追いかける気にはなれなかった。
カーカナに関する新たな情報は得られたものの、それが解決策に結びついたわけではない。総括すれば「見切りをつけろ」と勧められて終わったひとときだった。
省みて、私はいやな奴だなとデデンネは気付かされる。デデンネは、カーカナが嫌われていることを望んでいた。あいつには以前からほとほとまいっていたんだ、いい機会だからやっつけてしまおう、森の総力をあげて協力してやるから───そんな展開になりはしないかと期待していたのだった。ところがどうだ、蓋を開けてみれば、少なくともカーカナは森に住まうポケモンたちから好かれてこそいないものの憎まれるとまではいかず、そこに存在することを認められている。今回のルチャブルのことも、カーカナによる数ある事例の一つに過ぎないからと捨て置かれ、同情されることはなかった。手を貸してもらうことさえ難しいようだ。
加えて、元通りの姿に戻ることは望み薄であることをルチャブルに告知せねばならない。滅入ってしまったのはルガルガンも同様らしく、ふたりの間には重たく淀んだ空気が流れていた。