※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

141 / 246
深碧のロットバルト⑮

 この世に散らばる各地方には、それぞれに、古より神聖視されてきた山岳がございます。

 それら霊峰の多くは、活火山。大地に内秘められた聖なる「火」は、霊魂を浄化いたします。

 

 火炎をくぐり、せっかく生前の御祓(みそぎ)を済ませ、さっぱりとした気分を得たのですから、その後に続く死出の旅路は不安なく歩みたいと誰しもが願うところでありましょう。支えがあれば、なお心強い。

 

 だから、供となる先達が求められるのです。

 

 清められた霊魂を転生門(てんしょうもん)まで案内するのが、此岸彼岸の狭間を塒(ねぐら)とする輩、すなわちゴーストに属する者たちへ課せられた大切な使命でした。

 

 無論、ゴーストタイプの全員が全員、責任感が強いわけではございません。かったるい、面倒くさいという理由で怠ける者もおりまして、また、嘆かわしくもそちらの方が多数派です。

 ただし少なくとも、とある小さな蝋燭ヒトモシは、真摯に、誠心誠意で、おとなしく役に従事していたのであります───……

 

 

 

 ……やって当たり前だと認識している分、称賛や褒賞を欲しがることはなかった。ゴーストタイプに生まれついたからには「そういうものだ」と割り切っていたし、何より真面目な性格をしていたので、与えられた仕事に精を出し、せっせせっせと転生待ちの魂を導くこと幾星霜である。

 随分と長きに渡って存在を維持できているなと不思議に感じてはいたのだが、何のことはない、冥府からの干渉によるものだった。どうやら従順な社畜として認定され、長寿と引き替えに「今後とも頑張りましょう」と勤勉を奨励されているのだと、それを知ったのはだいぶ後になってからだった。

 

 別に、勤めを苦に思ったことはない。それどころか多種多様な魂たちとの交流を楽しんでいたくらいなので、もっと励むよう促されたところで「まあいっか」「それならそれで」程度の感想に終わる。寿命を引き伸ばされたのは予想外だったが、何はともあれ自分の働きが認められたがゆえの措置なのだから、と、前向きに解釈することにした。

 

 己は門火(かどび)である、と、これは常々ヒトモシが意識していることだ。死者の霊魂を迎え、かつ送り出すための火。自身が「ゴースト」のみならず「炎」を複合しているために、なおさら強く自負していた。

 よって、案内役は天職だ。文句などあろうはずもない。

 そうして淡々と日々を過ごし、淡々と案内役の経験を積み重ね───その粛々とした継続が、ヒトモシの心身をしなやかに鍛えた。いつしか小さなロウソクは、一端のランプへと姿を変えるのだった。

 

 

 進化を果たして力をつけたのだし、もう少しばかり思いきって、外へと飛び出してみようか。

 そんな心境の変化があり、ランプラーは放浪の旅に出ることにした。他者から得る耳学問に終始するだけの暮らしでは、さすがに味気ない。霊界に引きこもってばかりいるのではなく、外からやってくる魂たちのことを知るには自分もまた外の世界を知る必要があると考えての決断だった。

 

 独特の気候。景観。風土。文化。それらに根づき息づく生き物たち。外界は美しかった。

 勿論、心弾む毎日ばかりではない。現実は時として厳しく残酷な一面をのぞかせる。けれど、それを差し引いても外界に満ちる生の輝きは魅力的だった。この輝きを手放して霊界に訪れる霊魂の切なさに想いを馳せ、幾度も胸を震わせたものである。

 

 様々な土地を旅しながら、その場所ゞの彷徨える魂たちを導く。そうしたあてどない生活を続けていたランプラーが、そろそろ一所に落ち着こうと思えたのは、ひとえにアローラ地方の住み心地の良さが気に入ったという単純な理由から。もう大概な年寄りだ、無理もきかなくなってきた。自然と肩の力が抜けていくような、南国特有のゆったりとした時の流れに身を任せてしまおう。

 引退するその日まで仕事をいくらか抑えても大丈夫そうだとランプラーが判断したのは、アローラガラガラたちの存在が大きい。カントー種とは異なり、彼らはランプラーと同じゴーストと炎の複合型であり、霊界を往き来できる。また、仲間との結束を何よりも大切にするからこそ、仲間の死後を「弔う」という、ポケモンとしては稀有な習性を持っていた。墓をつくったり、仲間を悼んで踊ったり、つまり元から「鎮魂」に関わることをごく自然と行えるため、霊界でもきびきびと案内役を担っていた。アローラ支部は、他の支部と比べ、熱心な働き手に恵まれていたことになる。と、なれば、あとは若いのに託してジジイはのんびりさせてもらいますよと、気楽に構えるランプラーなのだった。

 

 

 その日、ランプラーはいつものように霊界で過ごし、ヴェラの火で浄化された魂と語らいながら一仕事を終えたところだった。

 今日はもうあがるか、と、凝りをほぐすようにこきりとアームをまわす。

 ポニの花園が見頃だと聞いたし、このあと行ってみよう。濃淡の異なる紫色で一面が染まり、咲き乱れる花々によって織り成される絶景───嗚呼、ならば、紫の桜と異名をとるジャカランダも満開だろうか。あの神秘的な景色を今年も堪能したいものだ。

 あれこれとアフターの楽しみを思い描いていた折である。

 

 偶然にも聞きつけた、すすり泣き。

 

 くすんくすんと幼げに響いてくる。声のした方へ振り返ると、輪郭のぼんやりとした魂が、泣きながらとぼとぼと歩いている。

 

 おや、半端者を見かけるとは久しいな。どうしたものか。ランプラーは炎を揺らめかせる。

 

 ランプラーのいう「半端者」とは、今まさに生死の境目にいる者を指している。弱った肉体から魂が抜け出てしまって、帰り方が分からず迷子になっている状態だ。この手の魂にどう接するかは大変デリケートな事案だと思うのだが、なんと、処遇に関しては現場の案内役に一任されている。適当にあたれ、ということだ。実にテキトーである。

 

 さて、ランプラーの脳裏に浮かぶ選択肢は三つ。

 一つ、浄化の「火」のもとへ連れていく。

「火」の前まで来てしまえば、浄化対象と見なされて、外界にある肉体とは完全に切り離される。霊界の案内役が相手に生物的な死を与える、と言い換えてもいいか。

 二つ、肉体のもとまで帰す。

 しゃーねえなあ世話がやけるなあと手をひいて、帰り道を一緒に歩いてやってもいい。上手くいけば、蘇生も可能。

 三つ、我関せずと放置……は、ちょっとなあ。それはどうなの、というか。ほったらかしにした結果、悪霊になられても困る。

 

 なにせ頑是ない子どもなのだもの。

 

 ランプラーは、嘆息する。そして、今一度……くすんくすんからぐすんぐすんへと変わり、いまや幼子にありがちな「わあ"あ"ぁん!」という濁音まみれの泣き方で顔をくちゃくちゃにしている魂を───イワンコの魂を眺める。

 病気か、事件や事故による怪我か…外界の彼の身体に何が起こっているのかは知らないが、いずれにせよ、このまま連れていく(死なせる)ってのは、…ちと酷だろうよ。後味も悪いし。

 

『泣き虫な坊やだな』

 

 ランプラーが近寄ると、イワンコはびくりと怯えた。震えるばかりで口をきかず、かわりに夏空の色をした目をいっぱいに見開いている。瞬きもしないので表面が乾いてしまいそうだが、要らぬ心配だった。そのまんまるの眼球から、また、剥がれ落ちる鱗みたいに涙がぽろぽろと零れていく。なんともまあ本当によく泣く子だこと。

『ここは、おまえさんのようなちいちゃいのがくるにはまだ早い場所なんだぞ。何があった?思い出せることはあるかい』

 相手の幼さに配慮して声音を和らげ、辛抱強く待っていると、だんまりの数分を要してようやく、イワンコはしゃくりあげながらも返事を寄越してきた。

『わ、…わかんな、ひっ、ぅ、…レフアが、びょ、いん、…ふぅ"っ、つれて、…ぇっ、…うぅ…』

『そうかいそうかい、大変だったなあ』

 ちっとも事情は分からなかったが、相槌をうっておく。

 憶測ができないわけではなかった。文脈から察するに、レフアとやらはこの子の家族だろう。で、搬送先の病院でイワンコが死にかけている、と。…うん、十分だ、このくらいで。実際のところ、話しかけるきっかけにしたかっただけで、イワンコが何も覚えてないと言ったって別に困りはしなかった。詳細を知ることに大した意味はない。魂と体(うつわ)を繋ぐ糸は、細くはあるがそれでもランプラーにはっきりと視認できていたし、送り届けたらそれで終いの関係だ。

『ほら、ついといで。もう一度レフアに会いたいだろう?』

 よほど大事な存在なのだろう。「レフア」の名に縋るように、うん。うん。と、一生懸命に首を縦に振りながら、イワンコはランプラーの後ろをついてきた。相変わらず泣いたままだ。しかし、不安から一転、次は何とかなるかもしれないという安心感からか、もう、きゃんきゃん吠えるような泣き方ではなかった。しとしと降る小雨のような、落ち着いた泣き方だった。

 

 

 なるほどレフアの花の名を冠するのも納得の、見事な赤毛の女の子だった。彼女が「あ!」と大声を張り上げるのを、ランプラーは病室の扉越しに聞いていた。

「先生!先生!イワンコが!目を開け、ッ、せんせ、はやく!」

 涙声の中に広がっていく喜びの気配を、ランプラーは確かに感じ取っていた。

 …たまにはいいもんだね、こういうのも。

 他者の幸せに寄与した満足感を味わいながら、ランプラーはそっとその場を離れた。

 

 

 めでたし、めでたし───そこで終わっておけばよかった。

 他でもない己がよくよく理解していたはずだ。「送り届けたらそれで終いの関係」なのだと。

 行きずりにしておけばよいものを、気まぐれを起こして自ら物語を続けてしまったから「 あ(・)の(・)結(・)末(・) 」を迎えてしまったし、狂おしい因果が生じることになったのだ。

 

 なぜ、再び会いにいってしまったのだろう。

 

 青く澄んだ目が印象に残っていたためか。また泣いていやしないかと案じたためか。とにかく、どうにも気になって仕方なかったのだ。あのとき見たものは何だったのかしらと、わざわざ映像を巻き戻して確認するみたいに。

 

 

 昨日の今日で退院ってことはないだろ。念のための検査とか、そういう理由であと一日くらいは入院しているはずだとふみ、ランプラーは窓の外から病室を覗き込む。

 果たしてイワンコは予想通りにそこにいたし、加えて、偶然ながらばっちりと目があった。

 意外にも、イワンコは灯りをつけたみたいにぱあっと顔を明るくさせ、尻尾をさかんに振りながら窓際へと駆け寄ってきた。昔からの知り合いに再会し、抱きつきにいくようなその懐っこさが、くすぐったかった。

『夢じゃなかったんだね!』

 イワンコが前足をあげてガラスにぺっとりと寄りかかる際、ランプラー側からは肉球が見え、イワンコのはしゃぎようと相まって愛らしさが増した。

『ぼく、覚えてるよ!あなたのおかげで戻れたんだって!

 起きたとき、レフアの顔が見えて、ぼく、ほんとにほんとに嬉しかったんだ。ありがとう!』

『…それだけ元気なら安心だ。じゃあな、坊や』

『え!』

 イワンコはぽかんと口を開け、きょとん顔を披露する。

『え?え?なんで?なんでなんで?もう行っちゃうの?今きてくれたばっかりなのに?』

 長居する予定なんてなかった。そもそも、こうして会話をするつもりもなかった。一目見たらそれでよかったのだから。

 自分といるところを見られたらイワンコにとって具合が悪かろうし、その意味でも、さっさと引きあげる気でいたのだ。ランプラーは、己の存在が周囲に───特に人間から───どう思われているのか承知している。臨終のときに現れるとか、魂を吸い取って火を灯しているとか。恐ろしげな話には事欠かない。死神扱いされている不吉なポケモン、魂をつけ狙う厄介者、それがランプラーだ。

 そうした世間での扱いを知ってか知らずか、対するイワンコは矢継ぎ早に問うてくる。忙しいの?明日は?また会える?……まったく、降参だった。必死に引き留め且つ次の約束を取りつけようとしてくる態度に絆されて、つい、ランプラーは口にしていた。『来ていいのかい』と。

『もちろん!』

 イワンコは、どこまでも無邪気だった。

『ね、そうしてよ。明日の楽しみをぼくにちょうだい』

 

 楽しみ。

 

 自分と会うことを、…楽しみだと、言われた。

 馴染みのない温もりが、ふわりと、ランプラーの心を包んだ。

 真に受けてどうするんだ年端もいかない子どもの言うことなのに。そう思う一方で、子どもの言うことだからこそ遠慮もなければ世辞もなく、本音がストレートに表示されている。妙に浮き足立っている自分に気付いてしまって、我がことながら可笑しかった。

 

 ちょうどの頃合いで、病室に来訪者があった。あの、赤毛の少女。今回のイワンコのことでは心痛も著しかったろう、これ以上余計なことで彼女を煩わせないように死神の化身(ランプラー)は身を翻すに限る。子犬には『おまえさんが望むならそうしよう』と言い残し、ランプラーはそそくさと隠れた。

 

 

「…あら、素敵。イワンコ、ほら、見てごらん。窓のところ。外側のサッシ」

 知ってる?

 これはね、紫雲木(ジャカランダ)の花。きっと鳥が運んでくれたのよ。イワンコへのお見舞いに。

 

 

 レフアの穏やかな声が、イワンコに呼びかけている。子どもに絵本を読み聞かせるように。

 鳥が運んでくれたのよ、か。

 ランプラーはゆるりと笑みを浮かべる。そうさな、見舞いに手ぶらってのもいかがなもんかと思っただけさ、と、誰に打ち明けるでもなく胸中で独り言つ。どんな表情でふたりが遣り取りをしているのか、それを想像するのは心楽しいことだった。

 

 

 翌日、ランプラーは有言実行を果たしたし、一方のイワンコも素直に喜びを露わにした。

 次の日も、また次の日もふたりは言葉を交えた。イワンコがせがむから、退院先の家にまで、ランプラーは定期的に訪れるようになった。

 互いの年の差はうんと離れていたから、さしずめ爺と孫か。あるいは師弟?すると、『ともだちでしょ!』とイワンコが事も無げに言うので、声をたてて笑うランプラーであった。

 

 幼さを理由にしてランプラーがイワンコを侮ることは一度もなかったし、尊重されていると分かるからこそイワンコもランプラーには敬意を払っていた。一緒になって泥だらけになったり、跳ね回ったりするわけではなかったけれど、和やかに談笑する時間を重ねて、ふたりはゆっくりと友情を育んでいった。

 

 

『ぼくね、ずっと前から病気ばかりしてるんだ。生まれつきの体質だから、どうにもならないんだって人間のお医者さんが言ってた。いろんなとこが、ゼージャク、らしいよ』

 残念ながら、その見立ては正しいとランプラーも頷かざるをえなかった。ランプラーが訪ねても、イワンコが体調を崩して寝込んでおり、会えずじまいということは何度もあった。こちとら死の気配には敏感なゴーストタイプ、彼の生気が薄いことは早い段階で察していた。はっきり言って、ランプラーの手助けで命を拾ったとてどのみち長生きをする個体ではなかったのだ。恐らく、この貧相な肉体には、ルガルガンに進化するエネルギーすら蓄えられていない。

 だが、イワンコは先行きの短さに恨み言を吐かなかった。泣き虫のくせに、死ぬのはいやだと泣きじゃくることもなかった。臨死体験をした所為で妙に開き直ってしまっている節があり、ふとした瞬間、実年齢に不釣り合いな、儚げな顔つきをする。

『最初から分かってたことなんだよ。ぼくは出来損ないのおんぼろ。すぐ死んじゃうんだって。

 なのに、レフアはぼくを見捨てないんだ。可愛がってくれた。病院代はかさむし、看病だって面倒臭いはずなのに、いっつもぼくの側にいて、背中を撫でてくれる。優しい声で励ますんだよ。大丈夫大丈夫、って』

 

 好きだなあ。…大好きだなあ、レフアのこと。会えてよかった。生まれ変わっても、もう一度、レフアと家族になれたらいいなあ。それで───……どうにも回避できない必然であるとはいえ、子どもが、自分の死後について語るのを聞くのは、きゅうと胸が締めつけられる。

 

 せめて、という思いからランプラーは提案した。自分にできることで、イワンコの心を少しでも軽くしてやりたかった。

 

 ここに誓うよ。おまえさんが死んだら、必ず、儂が魂を転生門まで案内してやろう。大船に乗った気でいなさい、なにせ大ベテランなのだから。

 

 あの世のことは任せておきなと力強く言いきってみせるランプラー。強がらなくてもいいんだ、おまえを治療できる方法が見つかるかもしれないだろ気を確かに持て…などと、安易に励ましたりしないあたり、ゴーストらしい対応だった。

 

 暗い話題にもかかわらず、まるで愉快なものを見聞きしたかのようにイワンコは破顔し、そして、笑みながら目元を潤ませる。感受性が強く、涙脆い子だった。何かにつけて、すぐに涙ぐんだ。

『死んでも、すぐにあなたに会えるの?』

『そうだ。おまえさんを迷子になんかさせやしない。この世では拝めない景勝地を共に巡ろう。霊界でピクニックといこうじゃないか』

 ピクニック。

 イワンコは、祈りを呟くみたいに、その単語を繰り返す。

『…レフアに看取ってもらって。ランプラーがぼくを案内してくれて。それなら、…』

 

 それなら、ぼく、何も怖くないよ───と、微笑んでいたイワンコがカーカナの餌食になったのは、それから僅か三日後のことだった。

 

 何の根拠もなく平穏な日常が続くと疑わずに、だが、その幻想はいつでも急に潰えてしまうものだ。雪崩に呑み込まれるように、あっという間に。

 

 事件当日、ランプラーはいつも通りの道を辿って、イワンコに会いにいく途中だった。だが、思わぬ人だかりに出くわしたため、すうと物陰に潜む。

 聞き耳をたてていると、群衆の中で「何の騒ぎだい」と尋ねる声があった。ちょうどよかった。ランプラーが訊きたかったことだ。

「さっきな、出たらしいぜ。カーカナ」

 少し、意味深な間があいた。ランプラーも同様だった。息を呑んだ。カーカナと訊いたその瞬間から、胸騒ぎがしていた。

「…そうか。気の毒にな」

 下手なことは言うまいとする気遣いだろう、いたって簡素な感想が聞こえてくる。

「散歩してる最中だったんだとさ。ほれ、あの女の子だよ。道端で座りこんでるだろ」

 野次馬たちの中心で、通りすがりだろう中年女性らに慰められている少女。嗚咽を噛み殺し肩や背中を震わせながらうずくまる少女───彼女の髪が見慣れた赤毛だったから、今度こそ血の気がひき、ランプラーの炎は薄れて小さくなる。

 

 カーカナ。

 前から聞き及んでいた。人間たちから魔王と称され、恐れられているジュナイパーがいることそのものは認知していた。

 敢えて人間と強い絆で結ばれたポケモンを狙う奴だと知ったときなどはなんと悪趣味なことかと思っていたが、それだけだった。

 なぜなら、自分に実害はなかったからだ。

 関係ないと、…他人事だと、思っていた。

 カーカナのやり口に眉をひそめることはあっても、自分がカーカナをどうこうしてやろうという気なんて更々なかった。

 それが、いま初めて身に迫り、愚かにも慌てる羽目になっている。

 

 駄目だ。

 そのイワンコだけは駄目だ、カーカナ。

 

 ランプラーはすぐさま踵を返し、霊界の道をひた疾る。

 魂の残り香を手繰る術は、長年の経験によって培われている。いずれ己が導くのだと心に決めた魂であれば尚更だった。ランプラーは老いた身体に鞭打って、必死でイワンコを追いかけた。

 

 その子の最期の願いは家族に看取られることなんだ。

 食い殺される末路なんて微塵も想定していないんだ。そんな無慈悲なことがあってたまるか。

 間に合ってくれ。どうか止めてくれ。

 

 

 他の子ならいいから。

 

 

 …他の誰かにしてほしい、などと、生贄の代理を望む下衆なことを考えたのがいけなかった。

 いかにも罰当たりだったし、だから当然のように、ペナルティーをくらった。

 

 実際、これ以上の処罰もあるまい。

 

 

 カーカナの嘴で、イワンコのはらわたと共に魂が引き裂かれる只中の光景を見ることになるなんて。

 

 

 踏み入れたこともない霊界の深部で目の当たりにした惨状───イワンコの目は開いたままだった。まるでアローラに広がる眩い空と海を一緒に閉じ込めてしまったかのようだと感心していた彼の両目からは、かつてのきらきらした光が失われ、虚ろとなっている。ずるりと腹の中身を引き出された際、かくんかくんと、力なく頭部が揺れた。

 イワンコの顔面には、死してなお消えない絶望が貼りついている。もとが天真爛漫な子犬のものとは思えない、恐怖をとどめた形相に絶句してしまう。涙で、涎で、冷や汗で、失禁時の尿で。とめどなく分泌されたのだろうそれらで、毛皮はぐっしょりと濡れていた。

 違う。

 違う、これは何かの間違いだ。

 しかし、いくら目を擦っても、いくら瞬きをしても、視覚情報は更新されない。凄惨な出来事が完結しない。

 

 この子は安らかに逝くはずだった。約束したんだ。心配するな儂がついているからと。

 それが。

 どうして、こんなことに。

 

 魂が喰われた。

 魂が失われた。

 

 愕然と、する。イワンコの輪廻(らいせ)が閉ざされた事実が身に染み渡っていき、ランプラーを激情に駆り立てていく。

『……、…おのれ…』

 

 生まれ変わっても。

 そう、「生まれ変わっても」と彼は言っていた。はにかみつつ、来世を信じていた。

 

 生まれ変わっても、もう一度、レフアと家族になれたらいいなあ。それで───……

 

 

 

 それで、ランプラーと、また、ともだちになりたいなあ。

 

 

 

『 おのれぇっ!!! 』

 このとき、ランプラーがきちんと相手を観察できていれば、突然やってきたランプラーの存在に戸惑うジュナイパーの焦燥を見抜けたことだろう。その隙をついて、一矢報いることもできたかもしれない。

 だが、それを可能にする冷静な分別は、ランプラーの中から消滅している。大体、精神的余裕なぞあろうはずもなかった。救いだしたかったのに手遅れで、思い入れのある大事な存在が惨殺された現場に居合わせる。そんな凄絶な経験をしておきながら、どうして平常心を保てただろう。

 

 どうしようもない。感情を制御できない。そして、そのどうしようもない取り乱し様が、カーカナの側を有利にした。

 

 不測の事態に一度は焦りを覚えたカーカナも、心を千々に乱しているランプラーを前にすることで、かえって余裕を取り戻しまったのだ。

 

 余所者の介入は想定外だったが、よくよく見てみれば貧相な年寄りが怒鳴っているに過ぎない。なんだ、己の力を以てすればどうとでも対処できる───「勝てる」という確信をカーカナの中で芽生えさせた時点で、ランプラーの詰みだった。

 

 歯が立たないのではない。そもそも歯を立てるところまで接近することさえ不可能だった。

 両者間の実力差は歴然としており、果敢に立ち向かったとて、ランプラーが一方的に嬲られ、蹂躙されただけだった。ランプラーの全力を嘲笑うかのように、ごく短い時間で決着がついた。

 カーカナにしてみれば、おそらくは窓ガラスに飛礫を投げつけて割るのと大差ない行為であったろうし、事実、ランプラーはいとも容易く粉々に打ち砕かれ、瀕死に追いやられている。

 

 捻じ曲げられたアーム。ひび割れた側面。もはやこれまで、虫の息。「炎」が「草」を焼けぬとは。

 

 野生において、敗者とはつまり死者である。このとき、誰が見ても、惨敗したランプラーの終焉は時間の問題のように思われた。

『先輩ならさ、後輩の手本になるような振る舞いをしてみせなよ』

 呼吸ひとつ乱すことなく、カーカナはランプラーを見下ろしてくる。

『お食事中に失礼しました、くらい言えないのかい?』

『……、…あの、イ、ワンコは、……、魂は、儂が、……』

『自分が先に目をつけていたのに、って?あまいね。あますぎる』

 独り合点のカーカナは、ふんと鼻先で一笑した。

『自然界において予約システムが機能するとでも?いつだって早い者勝ちでしかないというのに』

 さて、と。がらくたを住まいに置いておく趣味はなくてね。失笑まじりのカーカナによって、ランプラーは外界のゴミ処理場に捨て置かれることになった。屈辱の極みだ。

 無造作に遺棄され、埋め立て予定の廃棄物とぶつかり、ガチャンと耳障りな音が生じる。すぐにでも肺腑が腐って寿命が縮みそうな悪臭が、四方にたちこめている。

『お似合いの墓場じゃないか』

 御愁傷様、と、くすくす嗤いながらカーカナは去っていった。取り残されてのち、しばらくすると、あたりを徘徊するベトベターやベトベトンが近寄ってきた。猛毒の結晶である不揃いな歯をかちかちいわせ、アローラ種の特徴であるサイケデリックな体がドロドロと流動している。彼らの主食はゴミだ、ランプラーも餌だと認識されたのだろう。

 

 ふざけやがって。

 

 死にかけてはいたが、無力な己への怒りが、奥底から逆巻くカーカナへの復讐心が、ランプラーの命を繋ぎ止めた。

 

 

 みていろイワンコ。老いぼれにも意地があるさ。

 必ずやおまえさんの無念を晴らしてやるからな。

 

 

 深手により自力では動けない。しかし、迫りくるヘドロたちがいる。そ(・)れ(・)で(・)い(・)い(・)。一難去ってまた一難ではなく、これはある種の救援に他ならなかった。ランプラーにとってもまた、彼(・)ら(・)は(・)餌(・)な(・)の(・)だ(・)。

 

 ゴーストタイプの多くは、生き物の生気を吸い、己の糧とする。

 

 食料が向こうからきてくれるなら好都合。療養所としてはまず最悪の環境だが、ゴミに紛れているからこそやってくる清掃員(ベトベターたち)のおかげで、食いっぱぐれることはなさそうだ。

 

 ランプラーは辛抱強かった。生半可な忍耐ではなかった。何としてでも仇討ちを遂げてやるという覚悟を胸に、ゴミを漁る者たちの生気を取り込みながら少しずつ少しずつ傷を癒した。

 イワンコと初めて出会ったあのとき、霊界で、軽々しく情けをかけずに「火」まで連れていく選択をしていれば、少なくとも彼の来世は保証されていたのに。ならば、初動の判断ミスが今回の悲劇の大元ではなかったか。自分も事件に加担した側ということになりはしないか。…ふとしたとき、その考えで気が狂いそうになって、すぐにでもランプの頭部を打ちつけ自害したい衝動に襲われることもあったが、こうして苦しむことがイワンコへの贖罪だと己を諭し、しぶとく生き抜いた。どうにか身動きができるというところまで回復するのに、半年かかった。

 

 カーカナの情報を集めよう。それだけではない、自分自身も鍛練せねば。

 

 情報と、能力強化のための闇の石が不可欠だ。どちらも簡単には手に入らない。またしても、ランプラーは地道な手段をとるしかなかった。一段、また一段と果ての見えない階段をのぼっていくみたいに。

 ろくに機能しない身体を引きずって、ときには霊界の時空の歪みも利用しながら移動した。アローラ中のポケモンを尋ね回った。行く先々で、どんなことでもいい、カーカナについて知っていることを教えてくれと懇願した。闇の石を見つけたら譲渡してほしい旨を付け加えておくことも、抜かりなかった。

 当のカーカナから気取られぬよう注意しつつ、気の遠くなるような歳月を経て奴に関する手がかりをかき集めた。神出鬼没の謎めいた鳥とはいえ、生きているのだから、生きてきたのだから、どこかに必ず痕跡が残る。僅かな情報も、繋ぎ合わせていけばそれなりに経歴を炙り出せる。

 おぞましく変わり果てた見た目を時に馬鹿にされ、時に邪険にされ、時に不憫に扱われながらも、ランプラーは挫けずに調査を続行した。そのうちに、幸運にも、親切なイシツブテから闇の石を貰う機会を得た。進化をすれば、変化に伴い、身体も新たに組みかわるはず。今はいうことをきかない身体も治癒するだろうと───思って、いた。

 

 念願の進化だ。シャンデラになれた。

 全てにおいて増強された実感がわく。

 

 しかし、内なる能力が向上しても、それらを駆使するだけの身体は整わなかった。曲がったアームは曲がったまま、変形は矯正されず、忌々しい置き土産となった。

 

 障害が解消されなかったことに気付いた途端、さしものシャンデラも悲嘆に耐えかねて慟哭した。

 

 これでは戦えない!

 

 うぅ"と低く唸り、しかしシャンデラは諦めなかった。

 頭をかかえている場合か。ここで立ち止まるわけにはいかない。奴に目にものみせるまでは我武者羅でなければならぬ。

 己で足りないのならば他で補えばいい。他力本願で上等だ。

 

 

 

 潮時は必ずやってくる。

 待つさ。いつまでだって。その愚直こそが自分の取り柄なのだから。

 

 

 

『ここは、…ここは、まさか、…そんな…ッ!』

『おまえもゴーストタイプだ(・)っ(・)た(・)のなら分かるだろう。霊界の終着点、冥府だよ』

 

 宿敵と定めた相手と再び合間見えたときから、シャンデラは感慨にひたっている。一方のカーカナは、シャンデラと対峙してもピンとくるものがないらしい。一瞬だが、あからさまに、傷だらけの醜いポケモンに対する嫌悪感を表に出しただけだ。醜悪な姿にしたのは他ならぬ自分なのだということは記憶の彼方へ旅立ったのだろう、まっさらに削除されているようだ。今はただ、現状を受け入れることができずに喚くばかり。そうだろう、そうだろう、儂を忘れていてこその憎きおまえなのだ。罪悪感とは無縁の奴だもの。仮に、この場で安っぽい謝罪や反省の言葉を口にされようものなら、興が醒めていた。

 

『お噂は兼々、魔王。おまえも御陀仏になったか、やはり驕れる者久しからずだな』

『死んだ!? 死んだというのか!このボクが!!!』

『生物としての生命維持活動は、きっちりと終わってるよ。自分の最期を覚えてないのか』

『最期だと!馬鹿を言うな!そんなもの、……、覚えてなど、……、おぼ、え、…ァア"、…?』

 う"、ぅわ、あっ、ああああ"ああ"あ"あ"!!!

 突如として、全身の羽根という羽根を揺さぶりながら、カーカナは半狂乱になってのたうちまわる。ほう、期待以上の手応えだ。簡易な問いかけで心的外傷を掻きむしり、二次被害を体験させるというのもオツなものである。

 想像を絶する苦痛、魂に刻み込まれている悪夢───実に痛快だった。バックヤードに集ったメガやすの仲間たちと共に、このフクロウが生きながらにして腑分けされゆくのを眺め、断末魔の残響が消えるまでの間、シャンデラはゆったりと心身をくつろげ、安らぎの中にあった。

 ゲッコウガは素晴らしい仕事をしてくれた。今なら、どんな報酬を求められようと喜んで差し出そう。

 

 まさか、執行者があの蛙の青年になろうとは。夢にも思わなかった。

 遠い過去、霊界で見事当たりくじを引き、「籠の鳥」を捕らえんと来世へ突き進んでいったゲッコウガ。狂気がぬるりと滴ってきそうなほどの、妖しい笑みを浮かべていた彼のこともまた、ルチャブルやデデンネとは違う意味で、頭からはなれずにいた。

 デデンネが、必ず役立つからと連れてきたのがかの蛙であったことに仰天したし、併せて、ゲッコウガにとっての大事な「籠の鳥」が誰であったのかを悟ったとき、シャンデラはいたく感じ入った。

 いっぺん死んだくらいでは色褪せもしなかった執着心で以て、もう一度籠に閉じ込め直した小鳥だ。それを横取りしようと目論んだ魔王がどうなるのか、火を見るよりも明らかである。さすがは縁が紡いだ筋書きだ、誠によくできている。

 性懲りもなく手を出した獲物には、己を死に至らしめる毒薬が付属していたわけだ。そりゃあ、ただでは済まんだろうて。

 

 もうひとりの立役者(メタモン)にも、喝采を。

 …今までに、アローラに生息するメタモンたちへ依頼することを考えなかったわけではない。カーカナに変身したうえで奴を討ってくれないか、と。

 だが、その策には致命的な問題があった。

 メタモンというポケモンは、相手の練度(レベル)をコピーできない。化け物じみた強さを持つカーカナに変身できたとしても、メタモン自身の練度が低ければ無意味も同然であり、対等に渡り合えるようになるとは限らなかったのだ。その点、此度のメタモンは、本来のレベルがカーカナに匹敵する実力者であり、バトルに通じる戦略家である。助太刀が得られたのはありがたかった。

 

『やかましいぞ。くさっても魔王だったんだ、もう少し品格や威厳を示してほしいもんだね』

 見境なく暴れるカーカナに言い放てば、カーカナの巨躯は動きを止める。まるで不可視の縄に捕縛され、強引に組み伏せられたかのような有り様だ。ぜえぜえと肩で息をするカーカナは、目を異様にぎらつかせながら、僅かな身じろぎすら封じられた不自由に、口元を歪めていた。膝をつかされたことが、よほど我慢ならなかったと見える。

『ろくな死に方をせんかったようだなあ、カーカナよ』

 今にも呪詛を吐きそうな禍々しい顔つきさえさらりと無視して、シャンデラはカーカナを隷属させる。

 戦えないシャンデラがカーカナより優位になれる唯一の状況───それは、カーカナが魂(・)だ(・)け(・)の(・)存(・)在(・)に(・)な(・)っ(・)た(・)と(・)き(・)。霊界の案内役は、勤めが長い者ほど権限が増す。魂に対する強制力があり、常に主導権を握ることができる。

 

 つまり、こいつは、もう、儂の意のままだ。

 

 シャンデラの心は、依然、穏やかだ。この日のためだけに生きてきた。最後の最後で白星を確定させた。これで、ようやく───区切りをつけられる。

『いくら苦しみぬいて死んだにせよ、喉元を過ぎれば何とやらだ。あとは消えるだけ、楽なもんだろう?』

『いやだ!!!』

 いやだ、いやだ、いやだ!!!

 カーカナはぶんぶんと首を振って、見苦しく駄々をこねる。

 

 さみしい。

 さみしい。

 誰からも愛されずに死んでしまうなんて。

 

『ボクだって誰かにとっての一番になりたかったのに!だから、いっぱい、いっぱい、努力してきたのに!綺麗になろうとしたのに!

 なぜ分かってくれない!? なぜ邪魔をする!?なぜろくでもない末路しか用意されてないんだ!』

『…略奪を、おまえは「努力」と呼ぶのか』

 この期に及んで呆れた奴だな可哀想に、とシャンデラは呟く。

『おまえが誰かにとっての一番だったときは、間違いなく、あったよ。おまえがそれと気付かず、それを信じず、本当は恵まれていたにもかかわらず、おまえ自身が不満を訴えて台無しにしたのさ』

『何を、知ったふうに…ッ!』

『知っているよ』

 知っているよ。何年もかけて調べあげたのだからね。

『たとえ理想と異なろうが、それでも折り合いをつけて生きていくんだよ。日々の暮らしの中で幸せを見つけていくものなんだ。おまえはどうだった?誰かに愛されるために、まずは自分が誰かを愛したことはあったかね?』

 自分からは何も出さないが貰えるものは全部貰う。与えられることだけを望み、ただ欲しがるだけ。…そんな都合のいいことがあるもんか。

 こいつにも事情があった。愛に飢えるきっかけがあった。だが、そのきっかけから堕ちていくかどうかは別の話だ。負の感情を断ち切って別の道を歩める可能性を、こいつは自ら捨てたのだ。

 綺麗になりたいというのも、当初こそ本音だったはずだが、カーカナの狩りの目的はとっくに変容している。

 

 早い話が、憂さ晴らし。

 

 とどのつまり、こいつは歳だけくったガキなのだ。かつて自分では掴めなかった幸せを享受している者たちが眩しくて、いっそう自分が惨めで、だから羨望をこじらせて逆恨みし、妬み嫉みからくる当てつけを行った。自分だけが損をしていると感じているのが嫌で、周りの者も同じ目に遭わせてやりたいという身勝手な振舞いを延々と続けてきたのだ。人とポケモン、異種族間で結ばれた尊い関係を虚仮(こけ)にして、平然と踏みにじった。

 

 

 そんな奴に同情なんかしない。慰めてなどやるものか。

 

 

『星に届くように手を伸ばすと、あまりにも多くの場合、人は足元にある花を忘れる……この世にそんな言葉を遺した者がいる。おまえの生涯そのものを象徴するような内容だ。なあ、カーカナ』

 シャンデラの蒼炎がぶわりと燃え盛る。火力を上げる。一気に、苛烈に、最大に。あまりの熱で己(・)に(・)も(・)引(・)火(・)す(・)る(・)ほ(・)ど(・)に(・)。

 

 最初で最後、命を燃やす一世一代のオーバーヒートだ。

 

 炎に対する本能的な恐れからか、カーカナが怯む。

『…案内用の篝火にしては、過剰だ』

『案内用じゃないからさ。おまえを火葬するためだけの、煉獄の焔だよ』

 相変わらず身動きを許されぬまま、しかし、カーカナの顔色だけが急速に失せていく。

『聞き間違えたか。火葬だと?転生門へ連れていくのがおまえの役割のはず』

『おめでたいな。魂を貪り喰って他者の転生の機会を奪い続けてきたおまえが、あの門をくぐれると思ったら大間違いだ』

 そんなに虫のいい話があると思うのかと切り捨てるシャンデラに対し、カーカナはまたしても苛立ちを露わにして語気を荒げた。

『外界で魂を喰うことは大罪ではない!霊界も黙認してきたことだろうが!

 おまえは肝心なことが抜けているぞ。ボクの「浄化」はヴェラ火山で済ませてあるんだ!今のボクは裁かれるべき罪など背負ってはいない!!』

『…そうだな』

 

 魂を喰う。それは、強制的に輪廻を断ち切る点で良識を疑われる行為ではあるのだが、処すまでもないというのが霊界の総意らしい。それが証拠に、カーカナは野放しにされ、カプ神たちも厳罰を与えることはなかった。この世にあまた犇(ひし)めく魂の総数に影響はないと、そう判定されていたのだろう。霊界の物差しではかった場合、魂を喰ったとて「米びつの中から米粒がいくらか消えた」というくらいの出来事と大差ない。

 

 だが、その米粒をダイヤモンドと見なしていた者たちが、確かにいたのだ。

 前触れもなく宝物を奪われたことに傷つき、泣き暮らした者たちが、確かにいたのだ。

 

『だから、儂のやることはごく私的なことだ。私怨だよ』

『な、…ッ、一介の案内役のくせに、そんな勝手は…!』

『まかり通るのさ』

 上位存在(ギラティナ)の許可も得ていると告げたところ、思いがけない名が出てきたためだろう、流石のカーカナも息を呑んでいる。

 こちとら霊界には散々貢献してきたんだ。少しばかりのわがままは見逃してもらわねばな。

『おまえは、一体…』

『儂か。…儂は、おまえが清算しそこねた過去そのものだ』

 

 遠からん者は音にも聞け。

 近くば寄って目にも見よ。

 

 我こそは、黄泉の先導者なり。

 朋友の仇、魔王を討ち取らん。宿願を果たし候。

 

『さあ、支払え。償え。然るのちに待ち受けるのは道連れだ。我が身と共に逝こうぞ』

 一歩たりとも譲らぬ厳正な調子で、凛然と、シャンデリアが通告する。

 ───消える。

 次に新たな生を受けることなく、ここで幕引きとなる。それが冗談でも何でもない確定事項だということが、ようやく理解できたようだ。二度と払拭できない敗北の烙印を押され、カーカナは小刻みに震えだしている。

『やめろ、…やめろ!く、来るな!』

 

 ボクのそばに近寄るなああーッ!!!

 

 あらん限りの絶叫。譜面にも書き起こせやしない不協和音だが、しかし、シャンデラは聞き惚れている。

 なんと心地のよい鎮魂歌(レクイエム)。数々の怨念が奴の首を絞めあげて、この悲鳴を搾り取っているように聞こえる。カーカナがシャンデラの接近を怖がるたびに、シャンデラの愉悦が深まっていく。

 心が凪いでいたシャンデラも遂には歓喜で高揚し、それこそ、魔王がごとき高笑いが、霊界に木霊していく。

 

『ふはははは!

 待ちわびた!待ちわびたぞカーカナ!おまえを魂ごと屠るこのときを!!!

 いざ!総仕上げといこうじゃないか! 』

 

 

 

 ───呪わば穴二つ。

 今ここに、討つ者も討たるる者も諸ともに、芯まで滅却されし二つの魂。とうに腹は括っておったとシャンデラの翁は申します。

 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし。心を覆っていた暗雲は、ようやく、晴れることと相成りました。脳裏に浮かぶ和やかな友との思い出、駆け巡るは走馬灯。

 御老体はそろってご退場、ご退場。最期まで華々しく、照らしてなんぼのシャンデリア。蒼く燃えゆく火が焦がす、積年の血風録でありました。

 

 

 散りぬべきとき知りてこそ、花は散りどきを心得てこそ美しいと言ったのは、はて、誰であったか。

 ひっそりと、誰に知られるでもなく討ち果たされた意趣返しの物語。

 

 

 

 ちょうど時間となりました。

 ちょいと一息願いまして、───またのご縁とお預かり。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。