浮遊する花輪、ひらり。
ナース帽を着用するキュワワーたちもまた、ポケモンセンターに常駐するスタッフだ。治療の手伝いと称し、持ち前の香りを以て傷ついた者を癒す役目を担っている。今日も、芳しい香りをふりまきながら「アロマセラピー」を発動してくれた…が、状態異常を解消させるはずの技もルチャブルには効果が薄いようだ。特殊な香りで包み込んでも、それで彼の意識が戻るわけではなかった。精々が、悪化を遅らせる程度。
花摘みポケモンと呼ばれるように、キュワワーは自身の蔓に手ずから摘んだ花を絡ませ、己を飾る。先ほど訪ねてきたキュワワーの花には見覚えがあった。昨日、ルチャブルのために採ってきた花と同じだったから───…ゲッコウガは、水辺に咲いていたそれがそよ風と共に涼しげに揺れていた様を思い出しながら、いま再び地を駆け、メガやす跡地に向かっている。
花を贈るだけでルチャブルが目覚めるのなら、花畑をまるごと持ってくる勢いで幾らでもかき集めてくるつもりだが、現実はそう易しくはできていない。奇跡を待っている時間が惜しいゲッコウガは、成果を求めている。具体的な治療法はないか、特効薬はないか、花を探す傍らで周辺のゴースト勢に聞き込みを行っていた。
しかし、どのポケモンに訊いても、返答はかんばしくなかった。霊界が生者の心身に障るということを知っていても、当の
本来なら、もっと早くに、…というか最初に、ジュナイパー討伐に際して諸々の事情を共有しているメガやす跡地の住民に話を聞きにいきたかった。
しかし、かの空間は、ゲッコウガにとって仇敵を思う存分に痛めつけた愉悦の場だ。ほとぼりが冷めない限り、出向くには適さない。
理由は単純。あのとき味わった強烈な興奮がぶり返してしまうと、非常に煩わしいことになるからだ。
人と共にあるゲッコウガは、どうしても、人の世が課してくる規則に従う必要があり、『人間への安全性』すなわち人間に危害を加えないということや、『命令への服従』といった、まるでロボット三原則のような内容の遵守を強いられる。たとえ本能的な破壊衝動が生じても押し殺すしかないわけだが、件のジュナイパーに対しては一切の枷を無視して殺りたい放題だった。幾度となく汚れ仕事を請け負ってきた前世とは一転、今世ではおとなしく日常を過ごしていた分、反動が凄まじかった。流れ出る血の鉄くさい臭いに昂ったし、実際、あの場に居合わせた面々は全員ある種のトランス状態に陥っており、異様な熱気と狂気に呑まれていた。
仮に、ゲッコウガが再び残忍な欲望を得た場合、今一度鎮めるには難儀しそうだった───それこそ、落ち着くためにまた誰かの血潮で手を染めかねない───ので、訪問を後回しにするしかなかったのだ。享楽で無益な殺生をする気はない。
『霊障の解消法…ねえ…』
ゴーストが、困り顔で頬を掻く。
ゲッコウガがルチャブルの容態について話すと、『何とかしてやりたいのは山々なンスけど』と煮え切らない。
『私たち医者じゃないものー』
ごめんねー、と横からゲンガーが加わる。私がちゅーしにいこうか?と悪びれもせずに意味不明の提案してきたので、反射的に水刃で斬り捨てそうになった…が、殺意で痙攣する指先をどうにか抑えた。ルチャブルは女子供に手を上げたりなんかしないと内心で己を諌め、ブチギレ寸前のところで息を吸ってやり過ごし、『拙者、推し被りは殺す主義だ』と注意喚起をするにとどめておく。
『やだー、次は私が三枚おろしになっちゃう!』
睨まれておきながらケラケラと笑うのだから調子が狂う。
こういう話の通じない手合いではなく、年の功ということでシャンデラに話を聞けたらよかったのだが、本命として頼みにしていた翁のことを尋ねるとゴーストの表情に陰が落ちた。口ごもる彼に代わって『御大はお星さまになったのよ』と答えるゲンガー。あーあ、さみしくなっちゃったわ、なんて、まるで友だちが遠くに引っ越していったような話し方をする。
ゲッコウガが仕事を片付けたあのとき、分解されたジュナイパーの骸を見つめながら、シャンデラはぽそりと告げた。
『ここから先は儂が引き継ごう』
冥府でけりをつけてくると言い残して、ゆらりと姿を消した。シャンデラにとっては、ジュナイパーが息絶えてからが本番だったようだ。どうやらずっと以前から、奴の肉体のみならず、魂ごと止めをさす算段をしていたらしい。だが、老衰と怪我で自由のきかない体であったし、倒すにしても選べる手段は少なかったはず。恐らくは捨て身で臨み、文字通りに命を燃やして散っていったのだろう。
『あんたらが気にすることはないスよ。こういう結末が御大の本望だったはずだし』
ゴーストの言葉には、黙って頷くしかなかった。気にするも何も、一時的な共闘関係を結んだに過ぎない。浸るほどの感傷もない。ただ、シャンデラがいなければルチャブルの救出は不可能であったことを思えば、一言くらい礼を伝えるべきだったと、ゲッコウガにしては珍しく殊勝なことを考える。
『…あのさァ…』
何はともあれ当てがはずれた以上は無駄足だ、と、ゲッコウガが踵を返そうとしたそのとき。
ミミッキュが、やたらと不機嫌な態度で声をかけてきた。
『ルチャブルが寝込んで、…その、…デデンネ、は…、……、やっぱ、…へこんでたりすんの?』
いや、ぜーんぜん、どーでもいーんだけど?デデンネにも別に興味ないんだけど?ちょっと気になったから訊いてみただけっていうか?……などと、ぐだぐだ胸中で言い訳している最中であろうことが容易く見透かせてしまう。ちらちらと寄越される視線が疎ましい。自分では誤魔化せているつもりなんだろうか。
いちいちポーズを作って取り繕い、本音をさらけだせない思春期の青臭さ。で?へこんでたら何だ。何をしてくれるんだ。
…こいつ、存外に使えるか?
シャンデラの代替…とはいかぬまでも、ミミッキュの淡い恋心を利用することで搾り取れるものがあるかもしれない。ゲッコウガは、うんと憐れっぽく目を伏せてみせた。
『それはもう…悲しみにうちひしがれて痛ましいほどだ。看病疲れでやつれ、…次は彼女が倒れやしないかと…嗚呼、心配でござるなあ…』
心労心痛はいかほどか、なんて、心にもないことを平気な顔で言えるのが己の長所だと思っている。
片やミミッキュは、こちらの想像以上に思い詰めた顔つきをしていて、どうすればデデンネに寄り添えるのか真剣に取り合っていることがうかがえた。
そうだ。考えろ。実行に移せ。デデンネに感謝されたいのならば、ルチャブルを助けることこそが最善策。惚れた雌のために意気地をみせて一肌脱いでみろ。
密かに観察をしていた折、ミミッキュは、さっと顔をあげた。
『…ちょっと待ってろ。帰んなよ、兄さん』
言うが早いか、ミミッキュはバックヤードに向かってするすると移動していく。
焚きつけたことが功を奏したか。何ぞ解決の糸口でも握っているのだとしたら───…思いがけない相手の思いがけない行動に、つい期待が膨らんでしまう。ぬか喜びだけは勘弁だぞ、ボロ布小僧。
***
小一時間は経っただろうか。
ミミッキュが扉の向こう側へと消えた際、あわせて気配も消失したので、霊界を使ってどこかにいったのだと解釈するのが妥当だろう。
決して気の長い方ではないが、ミミッキュの手土産を確かめるまでは居座るつもりでいる。ただ、そこには待機を選択したがゆえの苦痛が待ち受けていた。メガやす住民たちがここぞとばかりにゲッコウガへ話しかけ、大から小まで質問責めにし、興味津々といった態で接してきたためだ。アローラを去ればもう二度と顔をあわせないのに、なぜこうも馴れ馴れしくしてくるのかと鬱陶しいことこの上なく、ゲッコウガはげんなりと虚無顔になる。
「初めて会うおともだちとも仲良くしましょうね」という、子どもでも上手くやれることが滅法苦手で、必然と社交性に欠け、人見知りをこじらせているのがこのゲッコウガという蛙である。「初めて会う」相手なのにおともだちもくそもあるかよ、などと無粋なケチをつけるようなところからして救いようがなく、前世から続くひねくれ具合は筋金入り。だもんで、通常、有象無象に対しては無視を決め込むことにしているのだが、ルチャブルが世話になったという恩によって彼らを拒めず、塩対応ながらぼそぼそと喋り、どうにか会話を成立させていた。いつの間にやら戻ってきたミミッキュが『え、なに、打ち解けちゃってる感じ?』とすっとぼけた感想を述べるくらいには、傍目からは親しげに見えたらしく、それもまた、無性に腹立たしかった。馬鹿言え、と怒鳴りつけたくなるのをぐっと堪えるゲッコウガである。
『ダチ公つれてきた』
ミミッキュは得意げな調子で喋り、これで何とかなると思うぜと早くも解決を宣言する。
加えて、実に恩着せがましく、デデンネにはくれぐれもよろしく言っといてくれと念押ししてくるので、あーハイハイと糸目モードで雑にあしらってしまった。よろしく伝えたからといって何か進展するわけでもあるまいに。仲を取り持つつもりも更々ない。そんなことよりも、ミミッキュがつれてきたという存在の方が何より重要だった。
大口叩くだけの価値と、待った甲斐とが……
『ぱんぱかぱーん!』
……あると、いいのだが……。
おい何だその気の抜ける登場は。鼻白む間にも、おっじゃましまーす!という挨拶が続く。元気が過ぎれば単なる騒音だ。場にそぐわぬ大声がうわんと廃墟内で反響したものだから、ゲッコウガは思わず顔をしかめる。
わあ、コンクリ打ちっぱなし!デザイナーズ物件じゃん!等々、単なる廃屋に対してとんちんかんな評価をしながらはしゃいでいるのは、幼さ丸だしのボクレーである。言動からしていかにも幼稚だが、妙に、雰囲気のある奴だ。そして、通常個体とは比べ物にならないくっきりとしたツートンカラーは、あまりに分かりやすく色違いの突然変異種であることを示している。
そうか、…こいつが。
ルチャブルに天秤の情報をもたらした第一の救世主なのだと、一目で理解した。
店内のあちこちを眺める奔放な視線は、そのうちに、ぴたりとゲッコウガを終着点にする。
『あ!このお兄さんか!おっけーおっけー!』
話は聞いてるよーとのんびり語尾を伸ばしながら、ふよりと近付いてきた。
『ぼくらの森に来たルガルガンといいデデンネといい、今回のお兄さんといい、…ルチャブルはホントに大事にされてるんだね』
ボクレーは、薄青の目を柔らかく細める。
『ぼくもさあ、はんぶんこだったのにルチャブルのマラサダ全部たべちゃったしさあ。そのこと、ちょびっと気にしてたんだよね。だから、お詫びも兼ねて力を貸したげる』
情けは人の為ならず───この慣用句の意味をこれほど納得したことがかつてあっただろうか。
誰に訊いても「お手上げだ」としか言われなかったここ最近の中で、初めて「協力する」と前向きな発言が聞けた。ゲッコウガは、いたく感じ入る。
───ルチャブル。御主は生来、善良な小鳥だ。たとえそこに幾らかの打算があったとしても、結果として相手に優しくできる小鳥だ。最後には利他を選択する小鳥だ。
だからこそ前世では傷ついてばかりだったのに、今世では、その温かさで周りを動かすだけでなく、それにより己自身をも救っていくんだな。
ボクレーは、頭から生えている枝を揺らした。動きにあわせて、枝の先にくっついている赤い葉が小刻みに震える。
『さあさあ!お立ち合い!御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで~』
行商人の口上のようなことを言いながら、胸を張っている。
『実はここだけの話、ぼくらの葉っぱを煮出したやつって何でも治しちゃう万能薬なのね。ぼくのは格別にレアだから、エリクサー顔負けの霊薬になること間違いなし!霊障も何のその!……、そんかわしー…』
あざといほどの上目づかい。その仕草が何を示すのかは明白なことだった。
『ロハじゃないんだろ。望みは何だ』
『お!話がはやーい!』
そうこなくっちゃ、えへへ、と機嫌よく口元を緩めて、ボクレーは高らかに呼ばわった。
『マラサダで!手を打とうじゃないの!』
『……まらさだ……?』
ゲッコウガは、間抜けにも問い返してしまう。それはそうだろう、予想さえしていなかった単語が出てきたのだから。
どっと全身から力が抜けていくのを感じると同時に、自身が随分と緊張していたことを思い知る。もしルチャブルを救う過程で交渉事が生じた場合、必要ならばこの身を、この命を差し出しても構わないと覚悟していただけに尚更だった。
『いや~、ぼくだけがマラサダにありついちゃったもんだから、他の兄弟たちにやっかまれてんの。毎日毎日、マラサダマラサダ、買って買っての大合唱。で、ばあちゃんがノイローゼ気味なんだよねー』
お兄さんが用意してくれるんならさ、ぼくもまたマラサダを食べられる、兄弟たちも満足、ばあちゃんもほっとひと安心、みーんながハッピー!でしょ?……と、きたか。そこまで熱望しておきながら人里におりて強奪する発想はないんだな。剣呑なことを考えるゲッコウガだが、それもすぐに改めた。そう、安直なノリで人間に敵対する行為は得策とはいえない。奴らは野性を失っているくせに、自分たちが脅かされるや対象種を殲滅する勢いで報復してくるのでそこらのポケモンより狂暴だ。進んで駆除対象になる必要もあるまい。
ゲッコウガがひとりで納得している間にも、ボクレーは話を続けていく。
『マラサダっていくつか種類があるじゃん?ぼくの兄弟たちにも好みが色々あるし、だから、それぞれの味を百個ずつ!ってのはどう?』
『承知した』
『わーお、太っ腹ァ。即答するんだ?安請け合いしてない?』
『問題ないと言ってる』
マラサダの総数は、総額は、どれほどになるのか。ボクレーは納品先をアーカラにある森の祠に指定してきたが、どうやって運び込めばいいのか。それらを全く考慮せずに、ゲッコウガは了承した。計算をするのも段取りを組むのも自分の仕事ではない。あの金づる…もとい、パトロンがやればいいのだ。金で解決できることならむしろありがたいとさえ思っていた。
一方のボクレーは、商談成立ぅ、やったやった、夢みたーい!と、くるくる回っている。メリーゴーランドに乗っているかのような軽やかさで、輪を描く。
くるくる、くるくる、くるくる、
───くるり、と、急停止。
次いで、振り向きざまの無表情。にこやかだった幼子は、装いをがらりと変えて能面になる。
『ねえ。
軽快に回っていた木馬が耳障りに軋みながら失速し、スピーカーから不気味なノイズが流れだしてくるような、ホラー映画顔負けの演出。こういう、唐突に露出する気色の悪さがゴースト連中の欠点である。背筋にうすら寒いものを感じながら、ゲッコウガは憮然とする。
『見くびるな。取り引きで謀るほど俗呆けはしていない。ルチャブルの今後がかかっているとなれば尚のことだ』
『……、…だよねー』
へらりと笑い直すボクレーは、ぐいと身を乗りだして、ゲッコウガの耳元で囁いた。
『気分がいいから、ぼくの葉っぱの他に色をつけてあげるよ。今回の件で、ちゃんと踏ん切りがつくように』
霊界に入るけど、ついてこれる?
挑発的な態度で尋ねてきた。生意気な。答えなど問われるまでもなく決まっているというのに。
もう一度言ってやろうか。見くびるな、と。