いつまでも いつまでも 綺麗な 僕の 押し花/奥華子『押し花』
ぽち、ぽち、ぽち、と、りもこん を 使って ざっぴんぐ。
操作は手慣れたものだ。私の指先の動きにあわせて、画面が目まぐるしく移ろっていく。
流行りの歌手が まいく を片手に ぱふぉーまんす をしたり、売れっ子の芸人たちが すたじお の笑いをさらっていたり、他にも、話題の恋愛
番組表を見れば早かろうが、あいにく、私は全ての文字が読めるわけではない。表示された題名や内容が把握しづらいうえに、そもそも、画面上の文字が小さいためはっきりと判別できない。
情報収集という点でも、多様な娯楽の提供という点でも、あるじ殿が所持する板状の電子機器の方がはるかに優秀だと知っている。あの便利な道具への興味もあるのだが、いかんせん、私は いんたーねっと に あくせす しようにも上手く あいこん を たっぷ できないし、鳴いてみたところで音声認識が作動しないから検索をかけることも不可能だ。
つまるところ、予め決まった内容が放映される てれび の方が、私には都合がいい。こちらの識字能力が低かろうとも、人間が何を喋っているのかは分かるし、りもこん なら押すだけで済むのだから簡単だ。
「あれ?ふたりは?」
しゃわー室から出てくる、湯上がりのあるじ殿。
眼鏡をはずし、濡れた髪がぺたんと貼りついているので、随分と印象が違って見える。
湯浴みのときくらい元に戻ればよかろうにと思うのだが、人間の姿で人間らしく振る舞い続けるのが彼のこだわりである。そういえば、いつだったか、変身を維持する力を鍛えているのだと話していた気がする。
『花見に行く、と』
あるじ殿に返事を寄越せば、彼は「花見?」と乾いた笑いをもらす。そこには、何もかもを察した諦観が見てとれた。
「へーえ?花見ねえ?もう夜なのになあ?」
『こうが殿の言うことだ。当然、含みがあろうさ』
いつものことだ。大体、この時間帯に愛でられる「花」など知れている。しかし、そうした色事にはとんと鈍いのが、かの小鳥の君なのだ。それが証拠に、先程は、私に対して『デデンネも一緒に行くか』と誘ってきた。社交辞令ではない。本当に「花見」なのだと根っから信じるがゆえの純粋な善意だ。
あちゃー…、で、ある。
あのときは、さすがに、片手で顔を覆いたい気持ちになった。おそらく、こうが殿も私と同じような心境だったに違いない。事実、こうが殿は『嘘だろルチャブル』とでも言いたげな表情を浮かべて悲壮感を露わにしていた。彼らしくもなく無防備に狼狽えていたので、吹き出すのを堪えるのに大変な努力を要した。
ここで『是非』と答えるほど、私は愚かではない。それに、るちゃ殿の背後に立つこうが殿が、一転、凄まじい形相でこちらを睨んでくることにも気付いていたし。これでのこのこついてきたら明日の朝陽は拝めないものと思え、と、雄弁に語る顔だった。
私は、るちゃ殿が露ほども後ろめたくならないよう、努めて明朗な声を出す。これからの時間帯は眠気が勝るだろう己の生態を告げ、『次の機会があれば、また誘ってくれると嬉しい』と送り出しておいた。
「わーぁ!すごーい!見てください、このバスペタル!かわいーぃ!」
あるじ殿と私の間を、若々しい乙女の声が通り抜けていったので、ふたりして てれび へと視線を向けた。
きのみじゅーす みたいな甘酸っぱい声を響かせて、あいどるぐるーぷ と思しき数人の女性たちが、はしゃぎながら ろけ に臨んでいる。
それで、ばすぺたる とは何ぞや、と聞き慣れない単語に首をかしげるが、どうやら、映し出されている花びらを指しているらしいことが分かってきた。湯船に張られたお湯の上で、目の覚めるような鮮やかな色をした可憐な花びらが、ゆらゆらと浮かぶ。
「画面越しに届けたいくらいの、めっちゃいい匂いがしてまーす!これ、生花ですよ生花。贅沢ですよねー。キュワワーの花輪に使われてたお花で作るバスペタルなんですって!
リラックスアイテムとして人気急上昇中!自分へのご褒美にも、大切な人へのプレゼントにもぴったりですよー」
おや。なかなか宣伝上手だな。
…それにしても、…そうか、………、…きゅわわー…。
この後、本人たちが実際に体験するとか何とかで入浴しーんが映るところだったが、私の興味はすっかり別の方へ移ってしまっていた。そうなると、彼女らの声が少々うるさく感じられたので、ぷちんと電源ぼたんを押し、さよならをする。
『きゅわわーで思い出したが…』
こうが殿が摘んできた花々はどうするんだ、と、あるじ殿に尋ねた。
いつぞや、かろす の花畑で るちゃ殿がこうが殿に贈った花は、あるじ殿が押し花にして保存した。※1
今回も、叶うことならそうしてほしいというのが るちゃ殿の希望だったのだが、彼自身、果たしてあの大量の花一つ一つを加工することが可能なのか気にかけていたし、なるべくなら あるじ殿に迷惑はかけたくないと遠慮もしていた。
しかし、こちらが案じるよりあっさりと、あるじ殿は「ルチャさんの希望通りにする予定ですよ」と答えたので、なぜだか私が慌ててしまう始末。
『あの花を、全部?並大抵の手間ではないはずだ。手伝うから、私にも関われる行程があるなら教えてほしい』
大きな背中を丸め黙々と作業に没頭する姿が想像されてしまい、あたふたとする私に向かって、あるじ殿は穏やかに笑いかけてくれた。
「その気持ち、ありがたく頂戴します。でも心配しないでください。手筈は整えてありますから」
『手筈?』
「専門家を頼ろうかと」
あるじ殿の中では、既に、様々な情報と段取りが整理された後なのだろう。彼は思い立ったが吉日を地でいく性分だったな、と、改めて実感させられる手際である。
「前回は一輪だったんで素人の僕でも何とかなりましたけど、今回は量も種類も手に負えない。かといって、処分するにはあまりにも切実な想いがこもっている。だからこそ、ルチャさんだって、コウガくんの気持ちごと形に残したいわけでしょう?
普段はわがままを言わないルチャさんの、珍しいお願い事です。というより、此度の騒動で一番頑張った彼に、労いの意味も込めて贈り物をさせてほしい。だから、聞き届けてあげたいと思います。
あるじ殿は、たぶれっと の液晶画面を見せてくれた。
そこには、溜め息が出るほど美しい ぶーけ の画像が掲載されている。細部まで、忠実に、押し花で数々の薔薇を再現してある逸品だ。
「思い入れのある特別な花を手にしたとき、記念としていつまでも手元に残しておきたいと望む人は、案外多いってことです。少なくとも、こうしたサービスが成り立つくらいには、ね。
例えば見本として載っているこの作品、もとは依頼主のブライダルブーケだそうです。単なるドライフラワーとも違う、粋な品ですよね」
なるほど。
思い出を押し花で表す専門業者がいるとは。にっち、というやつか。
ならば、かえって、今回の多種多様な花は作品の出来映えをいっそう華やかにするはずだ。
完成には数ヶ月かかるというが、全てを押し花にするために必要な日数、部品ごとに分解した花を再度組み立て花束を模していく手間隙を考えれば妥当なところか。実物を受け取るときは別の地方を旅している最中となるだろう。早く見たいと急く気持ちはあるが、待つ時間こそが楽しみを膨らませるものだ。
『るちゃ殿が贈った黄色い花の押し花も組み込んでもらうよう頼んでみては?』
「あ、いいですねそれ。さっそく問い合わせます」
他にも、有料になるが、おぷしょん で装飾の額や りぼん を選べるという。迷うことにすら心が弾むような豊富な でざいん を前に、あるじ殿とふたりして、あれやこれやと相談しながら候補を絞り込んでいく。
「…不思議ですよね。自分のためではない物事を考える方が楽しいなんて」
『それだけ、我々が彼らのことを好いているということさ』
それは…まあ…と、何やら照れくさそうに口ごもるあるじ殿。ふふ、普段の饒舌はどこへやら。
喜ぶ顔が見たい。それでいい。
私はそっと目を閉じた。今日も今日とて あろーら は晴天だった。日暮れ時には美しい夕焼けを見ることができた。それらに連なって訪れた今宵の夜空は、さぞ澄んでいることだろう。
ふたりは、今、安らぎのひとときを得ている頃か。恐怖をのりこえ絆を取り戻した彼らが、月の光にいだかれながら寄り添う様に想いを馳せると、私まで幸せな気分になってくる。
胸の内側からぽかぽかしてくるようで……、…だから…、……、…嗚呼、私としたことが。この たいみんぐ で目を閉じたが最後だったな。まぶたが重たくて持ち上がらない…、このあとは映画を観ようと思っていたのに…。
私がうつらうつらとし始めたために、あるじ殿が優しく毛皮をさすってくれる。その心地のよさも手伝って、もう、眠気に抗う気も起きない。
この温かな気持ちのまま眠ってしまえば、きっと、花の咲く夢を見ることになるだろう。
果たして、その通りになった。
今は失われた遠い過去の景色───髪をなびかせ、接地し草の露が染みることにも構わず着物の裾を引きずって、全身に燦々と降り注ぐ陽を浴びながら庭園を訪れる。
自由だ。
何にもとらわれず、裸足で歩き回った。
春の花も冬の花も生え出て、四季折々の草花が咲きほこる不思議な空間。私は目についたそばから摘み採り、仲間を想いながら、五本指を使ってせっせと花冠を編んでいる。そんな、平和な夢だった。