ヌメラは、よく夢を見る。
いつもいつも、同じ夢だ。うっとりするほど素敵で、自分では叶えられもしない理想や願望がこれでもかと詰め込まれていて――…夢の中で、ヌメラは変身を遂げている。ビビヨンとなって空を飛ぶ。
だから、目覚めると、待ち受けている現実にがっかりしてしまう。所詮自分は、地を這うちっぽけな存在だと思い知る。華麗な彩も優雅な翅も消え失せ、残るのは厭わしくて汚らしい体だけ。夢の中の
矮小。
そう、小さいのだ。どうしようもなく。
だが、オリーヴァの言葉が脳内を過る。
――生まれ持ったものには必ず意味があるわ。
ヌメラは、今日も、あの木道を眺める。
数は決して多くないが、それでも、毎日必ず人間が通る。そして、彼らのほとんどがポケモンを同伴させていた。こちらにはポケモンの味方がいるのだとアピールされては、確かに、野生連中は迂闊には手を出せない。いてくれるだけで周囲への牽制になるのだから、ポケモンの帯同は人間としては心強いことだろう。
行動を共にするポケモンたちは、どんな経緯で人間と知り合ったのか気になるところだ。何かしら人間に気に入られる要素を備えているはずだが、少なくとも外見だけで選ばれたわけではないだろう。他にも付加価値のある能力を有しているはずだった。
ヌメラは、嘆息する。
オリーヴァは、小さいという理由に価値を見出す人間はとても多いと話して、ヌメラに希望を持たせてくれた。せっかく生を受けたのだから卑下したってつまらないと話して、ヌメラを鼓舞してくれた。しかし仮に、人間が自分の小柄な姿を気に入ってくれたとしても、ヌメラには「その先」がない。個性的な特技も秀でた能力もない。例えばオリーヴァのオイルのように、人間に喜んでもらえそうなものを生み出せたらよかったのだが、生憎そのような副産物も持たない。
前向きな話を聞かせてくれたのはありがたかったが、結局、オリーヴァが特別に幸運なだけではないのか。…ひねくれているようだが、ヌメラの考えにも一理あった。
理想的な出会い方をして理想的な生活を手に入れるなんて、ちゃんちゃらおかしい夢想だ。思い描くことが寸分の狂いなく実現することはあり得ない。そんなに世間はあまくはない。
とは言え。
とは言え、だ。ヌメラは想像する。何の助力も得ずに、これからも自力で乗り越えていけるかどうか。どう越冬するか。…落ち葉の下にもぐって身を潜め、時にはその落ち葉を食んで飢えをしのぐ。いずれ霜がおり、氷柱がさがり、雪がふる。そうなれば命が尽きたも同然だ。寒さに滅法弱い所為でまず間違いなく身動きが取れなくなり、そのまま雪の下に埋もれて野垂れ死ぬ――そんな末路しか見えなかった。こうして考えてみると、どうにも、一発逆転を狙わぬ限り己は生存競争で敗北を喫するしかないようだ。
小さく弱い者は、野生界では不利だ。
見つかれば
野生界で協力を得られそうにないのだから、やはり、ヌメラは人間を当てにするよりほかにないのだ。
「野に生きる者としての誇り」などという抽象的な概念は、きっと上等なものなのだろうけれど、少なくともヌメラを救ってはくれない。ならば、気高さなんて要らない。生きるためなら意地汚くたって構わない。
無能である事実は変えられないが、それでも今は進むべきだ。新しい環境に飛び込んでいけば活路を見出せるかもしれない、と、ヌメラは思い直す。
そうすると、次は、誰についていこうかという話になる。ヌメラは、また、木道を眺める。眺める。眺める――…いつまでたっても、眺めるだけで終わる。行き交う人間とポケモンを何度見送ったかしれない。
親しげに笑い合う人間とポケモンの様子を見ていれば羨ましくなる。しかし、果たして、既に出来上がった彼らの関係の間に割って入れるだろうか。それを許してもらえるだろうか。受け入れてくれるだろうか。そういうことを考えだすと、くよくよとしてしまって、肝心な「あと一歩」が踏み出せない。
「えいやっ!」と、それこそ「あ!やせいのヌメラがとびだしてきた!」という具合に、人間の前へと出ていけたら話は早いのだが、同じポケモンであるハスボーやオリーヴァに話しかけるときでさえ勇気を振り絞ったくらいなのだ。人間を頼ろうというところまでは決めておきながらも、身に沁みついた慎重な姿勢はすぐには変えられなかった。
そうこうしている間にも時は過ぎ、吹き抜ける風に秋の気配が混じる季節がやってきた。この調子ではあっという間に冬になってしまうと焦るヌメラだったが、むしろここまで不断でいたことが転機となった。
待てば海路の日和あり。ようやくチャンスが巡ってきたのだ。
***
「ここが、地方内でも指折りの広さを誇る湿地帯です」
老婦人の喉から出てきたとは思えないほど、声がよく通る。
その日は、珍しく団体で人間たちがやってきていた。堂々と話す老婦人以外は、いずれも年若い。学業の一環、フィールドワークで訪れた人間たちだったのだが、もちろんヌメラは知る由もない。リーダーが群れを率いてきたのだと解釈する。概ね正しい見方である。
今回は個々の人間それぞれにポケモンが同伴しておらず、表に出て付き従っているのは、見る限り一体だけだった。この界隈では見かけないゼブライカ――いかにも屈強な見た目をしており、群れ全体の警備を担っていることは明らかだった。不用意に近付いてくるなと野生ポケモンに対して警告しているのか、木道の板の上で蹄をぶつけ、カツンカツンと音を立てている。耳もしきりに動かしており、周囲への警戒を怠らない。白銀のたてがみからは、時折、青白いスパークが散って見えた。雷撃でも叩き込まれようものなら即死であろう、と、ヌメラは震えあがる。
「ご覧の通り素晴らしい景観が広がっていますが、…残念なことに、人間はこうした湿地帯を不用の地とみなす場合があります。水を抜き、埋め立て、あるいは焼き払う。自然破壊などとは考えもせずに、ただ、自分たちの利益のみを優先し改変してしまうのです。事実、今もなお世界各地の湿地が消失し続けています」
話に聞き入る若者たちを一人一人見つめるようにしながら、老婦人は語りかける。
「週明けの講義のテーマは『湿地の役割』になります。湿地がなぜ重要なのか、それを考えながら散策してください。
では、一旦、自由時間に入ります。30分後にまた集合してくださいね。時間は厳守でお願いします。このあとにマスキッパの観察なども控えていますので」
きびきび飛ばされる指示を受けた後、若者たちは思い思いに散らばりだした。
単独行動をしている人間になら近付けそうだ。間違ってもゼブライカに敵視されないよう細心の注意を払いながら、ヌメラは草と草の間隙を縫いつつ木道への接近を試みる。
「わあ…きれいな水…」
すぐ上から声が降ってきたので、はっとして動きを止めた。
温かみのある声だった。愛らしい声だった。だから、怖くない、怖くない――自分自身に繰り返し言い聞かせる。どくんどくんと心臓が脈打つ中、息を詰めながら見上げると、少女がしゃがみこんで水面を眺めているところだった。
「もっと濁ってるのかと思ってたけど…、湧き水だからきれいなのかな…」
帽子の下からのぞく癖の強い茶髪は全体にもっさりとしていて、ビッパのほっぺみたいだ。肌も小麦色だし、ぱっと見たときの彩度が低い。だが、陰気な印象はない。なにせ大地の色だ。自然に生きるヌメラにとっては馴染み深く、むしろ安心感が増す。
そして、暖かみのある色を基調としているからこそ、薄青の双眸が目を引いた。柔らかな土に抱かれてひっそりと咲くネモフィラの花。彼女の顔を見ていると、そんなイメージが湧いてくる。
少女はヌメラには気付いていない。だが、少しでも視線をずらしてくれたら容易く目が合いそうな距離だ。
どうしよう。どうしよう。目が合ったら。
驚くかな。可愛いって言ってもらえるかな。笑われたりしないかな。構ってくれるかな。不安と期待が入り混じる気持ちをかかえて少女を見つめ続ける。
少女が身じろぎをする。どきりとしたが、彼女の目は遠くへと眼差しを送った。何を見ているのだろうと視線の先を追うと、どうやらスワンナたちを眺めている。なあんだ、とヌメラはしょんぼりして触角を垂らした。
「スワンナがあんなにたくさん…。偶然じゃないよね、きっと。帰ったら渡り鳥と湿地の関係を調べてみなくちゃ…」
声に出すことで考えを整理しているようだ。それだけでなく、ポケットからメモ帳を取り出して書き込み始めた。
少女は集中しており、やはりヌメラとは目が合わない。ヌメラだけが、今、一方的に彼女を見つめている。
少女の様子を観察していた中で感じ取ったことだが、どうやら彼女は、他の若者たちとは少々熱の入れ方が異なっていた。もっと自由に、特にこれといった目的もなく歩き回っている者が大半なのに、ペンを動かす彼女の手は止まらず、瞳は好奇心で輝いていた。
僕は何を浮ついているんだろう。
ヌメラは自分自身に呆れていた。この場には他にも人間がいるのに、さっきからこの子ばかり気にして。惹かれて。想いだけが先走っている。
ここに連れてきていないだけで、彼女にだって既に一緒に暮らしているポケモンがいるかもしれないじゃないか。それに、僕のことに気付いたって、興味を持ってくれるかも分からないのに。そうさ、大体、この子が何者なのかもどんな性格なのかも何一つ知らないで、…そのくせに。
そのくせに、僕は、ついていきたいと望んでいる。
そう願ったヌメラの前に、突如として、運命の分かれ道が現れた。
どこからか、「痛っ!」と小さな呻き声。少女はすぐに反応し、声の主に話しかけた。
「何?どうしたの?」
心配を受けた一人の少年が「いや、たいしたことないんだけどさ」とひらひら手を動かす。
「草で切ったんだ。人差し指のとこ…って、うわ、血…、えー…こんなスパっていくもんかね…?」
「切れるよ。このあたりに生えてるの、
ぼやく少年に、少女は冷静な答えを返しながら「私、絆創膏持ってる。ちょっと待ってて」と伝えた。
少女はショルダーバッグを木道の上におろし、がさごそとあさった後、一枚の絆創膏を取り出して少年の元へと駆け寄っていった。
ヌメラは、残されたバッグを見遣る。
小さな自分なら問題なく入り込めそうなバッグだ。それが、大きな口を開けたまま、目の前に置かれている。
幸運の神には前髪しかないという。後から慌てて捕まえようとしても、後ろ髪がないので掴み損ねる。
つまり、チャンスは一瞬だ。その一瞬をものにできるか否か――…ヌメラは、前者となるべく行動した。
石橋は納得がいくまで何度も叩き、壊れないことを確認しているのにそれでも渡らないという選択をすることがある…そんなヌメラが、このときばかりは、破れかぶれに、勢い任せに行動した。
チャンスが一瞬なら、決断も一瞬。
ヌメラは、バッグの中に潜り込む。