※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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キラキラ:ドラパルト

『久しぶりの新入りだね』

『外の匂いがする。野生の子だ。どこに住んでたの?森?川辺?』

 

 興味津々という目つきのポケモンたちからぐるりと囲まれ、覗き込まれ、ヌメラは可哀想なほどに硬直していた。二つの触覚がびょっと上に向かって伸びきっており、口元はきゅっと結ばれたままで一言も発しない。

 やれやれと溜息をつき、ドラパルトは上空からするりと輪の中に介入した。

 

『矢継ぎ早に問うのは止しておやりよ。ほら、縮こまっているじゃないか』

 

 ヌメラへ近寄っていったポケモンたちに悪気はない、それはドラパルトも分かっている。世話焼きが多いため、新入りを迎え入れたい気持ちがつんのめっているだけだ。相手がひとりぼっちの子どもとなれば尚更である。

 

『研究所にようこそ、ヌメラ。此処には気のいい連中しかいないし、あんたに意地悪なことはしないと約束するよ。だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だからね』

 

 助け舟を出すつもりでドラパルトが声をかけ、彼のまあるい緑の頬を爪先でちょんとつつくと、ヌメラは『はひっ』と身体をびくつかせた。やっと声が聞けたと思ったら奇声からの幕開けである。しかしこれを機に、ヌメラは金縛りから解放されたように我に返った顔をした。

 

『これから!よっ、よろしくおねがいしま、しゅ!』

 

 強張るあまり、生まれて初めて喋ったかのように呂律が回っていなかった。

 しかし、つっかえながらもしっかり声を張ったその様はいじらしく、周囲に好意的に受けとめられた。

 

『じゃあ、よろしくするー』

『ねえねえ、あそぼうよー』

 

 ドラパルトの角から二匹のドラメシヤが抜け出してくる。この二匹はドラパルトの実子であり、普段なら、見慣れないものに気付くや否やすっ飛んでいってちょっかいを出すほど腕白だ。しかし、顔合わせのときは様子見に徹しており、親であるドラパルトがヌメラにどう接するのかを注意深く観察していた。

 まだ幼くはあるものの、ドラメシヤは本能的に天敵がやってきたと察して警戒したのだ。ドラゴンは同族と敵対することが多く、互いの属性技が弱点であるため、大人の了解が得られるまで手を出さないのは正しい判断である。

 

『遊ぶついでにフロアを案内してやんな』

『はーい』

 

 ドラメシヤはふよふよと漂い、『あっちのさ、茂みの方に行こうよ。ぼくらの秘密基地をおしえたげるね』と言いながら早速ヌメラを誘っている。

 

『おかあさんも一緒にいこ?』

 

 ふとドラメシヤが振り返ってくるが、ドラパルトは肩をすくめてみせた。

 

『あいにく用事があってね。終わったらすぐいくよ』

『ぜったいだよー』

 

 言質を取って気が済んだのか、ドラメシヤはあっさりと引きさがった。今はヌメラへの興味が勝っているようだ。双方が盛んに口を動かし、きゃあきゃあ騒いでいる。ヌメラも嬉しそうに笑みを浮かべており、まずは一安心だろう。瞬く間に打ち解けていく子どもらを見送っていると、隣にいたコータスのおばあから声をかけられた。

 

『用事ってのは、アレか。いつもの調(・)べ(・)も(・)の(・)かい』

 

 然り――…ステルスポケモンとの分類通り、ドラパルトは隠密行動が得意だ。光学迷彩を駆使して身体を透明化させ、ゴーストらしくどんなところだろうとすり抜け、情報収集を行う。時には、人間を補助するために搭載されているパソコン内のロトムに協力を要請してハッキングを試みることだってある。

 それもこれも、人間側からの説明が不足しているためだ。

 研究所に住まうポケモンは人間の発する言葉の大部分を理解しているが、一方の人間はその事実を忘れがちになる。専門的なことは分からないだろうからと、ポケモンたちへの説明は省略される傾向にあった。

 もちろん、学術的なことは分からないし、理論を説かれたってチンプンカンプンだ。それでも、どうせ伝わらないと決めつけて説明を放棄するのは、やはりドラパルトとしてはいただけないのである。難解なことを素人向けに平易に語る、これは工夫次第でいくらでも可能になるはずだ。何より、情報を開示されないとなると、不都合なことを隠蔽しているのではないかと勘繰ってしまうじゃないか。研究する者される者の信頼関係を損ねないために、誠意を見せてほしいと思っている。

 

 

 基本的に研究員たちは善人であり、世話にも配慮が行き届いている。だが、かつて、この研究所では悲惨な事件が発生した。

 研究への熱意が狂気へと転じた者が紛れ込んでいた所為で、引き起こされてしまった非情な実験――ポケモンたちを欺き、栄養剤と偽って違法薬物を摂取させていた。

 その罪を暴いたのは何を隠そうドラパルトである。きな臭いと感じた己の勘を信じて行動を起こしたことにより、被害を最小限に食い止めることができた。

 

 …否、「できた」というのは誤りかもしれない。過剰摂取(オーバードーズ)の弊害が後遺症として残ったポケモンや、中毒症状の緩和が間に合わずに落命したポケモンがいたのだから。

 

 真実が明るみとなったとき、人間もポケモンも、実行犯に憤った。悪がしかるべき法の下で罰せられたときには、胸をなでおろした。両者が涙した。

 人間はポケモンを想って泣いてくれた。犠牲者が出たことを悔い、同僚の悪行に気付かなかったことを謝罪してくれた。だから、ドラパルトたちは今も尚この研究所で暮らし続けている。

 

 だが、人間が感じた心の痛みと、ポケモンたちが感じた心の痛みは、決して同等ではない。

 

 人間だからという理由で、他の研究員たちまでむやみに嫌ったりはしない。さりとて、信用しきれない。それがドラパルトの本音である。

 仮に研究所を見限ったとて行く当てもなく、人間の臭いが染みついた温室育ちでは自然界で生き残る術にも乏しい。生きていくためには今後も人間の世話になるしかないが、事件を境に「何の疑いも持たずに人間のなされるがままになる」ことへの抵抗感が生じ、自分たちが積極的に情報収集をする必要性を覚えた。 

 以来、ドラパルトは研究員たちを影ながら監視し、不適切な研究が行われていないか確かめ、所内のポケモンたちを守ることを使命としてきた。ドラパルトの暗躍を知るのは一握りであり、おばあはそのうちの一体だった。

 

 

『ヌメラのこともさ、「仲良くしてあげてね」だけだよ。子どもたちにはそれで通じても、あたしは納得いかないね』

『そうさねえ…、確かに、事情は知ってるに越したこたァないが…』

 

 煙管を吸って吐くように、ふしゅうと音を立て、おばあは鼻から白い煙を噴き出す。

 

『ま、上手くやんな。後で共有しとくれよ』

『分かってる』

『こっちは任せとき。チビたちのことは見ておくからさ』

『いつも助かるよ』

 

 ――どろろん。

 ドラパルトは不可視となる。一般に「おばけ」とはこうしたものだ。魔法の杖を一振りするかのような鮮やかさを以て、たちどころに姿も気配も消していく。

 

 

 

***

 

 

 

 エントランスホールへ向かうと、目当ての人物が見つかった。

 窓際のラウンジにはソファとテーブルの応接セットが並べられており、そのうちの一つに、女性研究員が腰掛けている。ドラパルトたちのもとへヌメラを連れてきた人物だ。仕事の邪魔にならないようにとバッサリ切られた黒髪はおでこ全開のベリーショートで、襟足の部分を刈り上げてある徹底振り。クレヨンみたいな明るい髪色の研究員が多い中、髪型髪色共に彼女は所内でも目につきやすく、おかげで探しやすい。

 

 研究員には客が来ていた。相手は少女、珍しい訪問者もあったものだ。

 こちらの姿は見えていないと分かっていても慎重に動き、声が明瞭に聞こえるところまで接近を試みる。

 

「話す時間が取れてよかった。予定を調整してくれてありがとう」と研究員が切り出すと、向かい合って座る少女がふるりと首を振った。

 

「こちらこそ。御多忙の中、恐縮です」

 

 二人でだいぶ話し込んでいるのではないかと思ったが、どうやら偶然にも、アバンからの視聴に間に合ったようだ。ドラパルトは、引き続き耳を澄ませる。

 

「叔父から電話があったときは、驚いたけど心が弾んだよ。野生のヌメラにお目にかかれる機会はそうないからね」

 

 二人は、互いの情報に齟齬がないか確認しながら会話をしており、これはドラパルトにとってもありがたかった。おかげで、「少女がヌメラを助けたこと」「助けたはいいが養育環境を用意できなかったこと」「少女が暮らす寮の責任者が研究員の親戚で、ヌメラの件を託されたこと」を把握する。

 

「君は、ヌメラを初めて見たんだっけ?」

「はい。思ってたより小さかったので、意外でした」

「意外どころじゃないさ、あんなに小さな個体は私も知らないよ。

 こちらで世話をするにも注意が要るかもしれないと思って、実は、君たちがお世話になったという診療所の医師に連絡を取っておいたんだ。彼も、最初は仰天したんだって。あんまり小さいもんだから、治療するときに緊張したそうだよ」

 

 

 ――他にも教えてもらったことがあるから、君にも話しておこう。

 あのヌメラは確かに小柄だけど、未熟児ではない。それはそうだ、ある程度体が出来上がってないと卵の殻を破ることはできないんだからね。

 自力で出てこれてる時点で、あのヌメラは外界で生きていけるだけの準備が整ってたってこと。あの体格は彼の個性だったのさ。身体の発達具合から見て、今年の春に生まれてきたんじゃないかと推測されていたよ。

 医師には、体格よりも気になることがあったらしくてね。血液検査で分かったことだそうだけど、貧血と低栄養の傾向が顕著だったんだ。小さなヌメラが餌を得るのに難儀しただろうことは想像に難くない…、でも、この件に関しては私も疑問に思うんだ。少なくとも半年は、親が面倒を見るはずだからね。

 ヌメラは草食だ。ただし、生まれて間もないときには一工夫がいる。草だけでは成長に必要な栄養が不足するから、親が世話を焼くんだ。ヌメラの背丈では届かない場所に生えている木の実とか、滋味あるものを取ってきてくれるんだよ。

 うん、君も察したかな。

 あのヌメラはたぶん、親からの育児放棄に遭ったんじゃないかな。当時、森では食糧不足だったのかもしれないね。そういうときは、巣内の子ども全てを育てることは難しくなる。一番小さな子どもが口減らしで捨てられるのは、普通にあることなんだ。…残酷に聞こえる?でもね、少ない餌を分け合っているうちに子どもが全滅するよりはマシ、って戦略なんだよ。厳しい自然界に於いて、いくらかでも子どもを残していこうと選択しているんだ。

 あるいは、…そうだね、育児放棄とはいかずとも、親と死に別れたか、はぐれたか。いずれにせよ親の庇護下になかったことは間違いなさそうだ――…

 

 

 …ドラパルトは息を吐き、束の間、天井を振り仰いだ。

 こんな不幸話、大して珍しくもない。野に生きるとはそういうことだし、そこでは人間味のある倫理観など意味を成さない。

 だが、ヌメラは野垂れ死ぬことを選ばず、未来を切り拓こうと自ら行動した。その結果、縁が繋がり、こうして研究所にやってきたのだ。

 

 あのヌメラはあたしがきっちりと面倒を見て、うちの子どもたちと同じように愛そう、と、今、心に決めた。

 

 研究員の話をじっと聞いていた少女は、俯いている。膝の上で作られていた握りこぶしが、更に、ぎゅっと丸められる。

 

「そんな、…診療所では一言も…」

「…露骨に涙を誘う話をしてしまえば、『こんなにも可愛そうなポケモンなんだからおまえが引き取れ』と言外の圧力が生じかねない。診療所の医師は、君に余計なプレッシャーをかけたくなかったんだと思うよ。…まあ、結局、君はヌメラと家族になることを選んだわけだから、私が代理で伝えたまでさ」

 

 湿っぽくなった場の雰囲気を仕切り直すように、研究員は少女に向かって微笑んでみせた。

 

「ヌメラはきっと生きづらさを感じながら森で暮らしていたことだろう。そんな彼が、君のバッグの中に自ら入ってきた。…私は、ヌメラが自分から人間に近付いてきたという点に興味を持っていてね。もしかしたら、人間に保護されることこそが彼の狙いだったのかもしれない。だとすれば、現状、彼の望みは叶ったことになるね。そのことを喜んであげようよ」

 

 研究員は手元の機材を操作し、ホログラムを映し出した。縮小されたヌメラ、ヌメイル、ヌメルゴンの立体映像が並んでいる。

 

「ドラゴンの系譜は、その多くが大器晩成型だ。成長にも時間がかかる。長生きができた、つまりは強かに生き抜いて最終進化を果たした個体は、当然、相応の強い能力を手に入れる。余裕があるんだ。

 ヌメルゴンの場合も例外ではないよ。人懐っこい性格で知られるポケモンだけれど、それは、裏を返せば人間を怖がる必要がないほどの力があるってこと。雨天時ならかなりの確率で野山を歩く姿を観察できることからも分かる通り、平気で表に出ていけるんだ。隠れる必要がない。襲われる心配をしていないから。

 比較して、ヌメイルはどうか。

 中間形態に進化できただけでも大したものだけどね。この段階まで至ることができれば、敵を退ける術が格段に増えるから生き延びやすくなるし、ヌメイルのほとんどがそのままヌメルゴンに進化できるのも頷ける話だね。

 もう分かるだろう?一番大変なのはヌメラなんだよ。非力だから無理がきかない。周囲を警戒しながら隠れ住むことで敵をやり過ごす、それだけで精一杯だ。身体が乾くと死んでしまうから生息域も限られる。ヌメイルまで成長すること自体がそもそも大変に困難なのさ。当然、野生界におけるヌメラの生存率は著しく低い」

 

 野生出現などまず望めないポケモン。

 もはや幻とさえいえるだろう相手だ。

 

「それなのに、…警戒心の強いポケモンが私のところにきてくれた…」

「そうだね。それこそが肝要だよ」

 

 今回研究所にやってきた小さなヌメラは脆弱そのものだ、尚のこと人前に現れるはずがない。

 それでも生き残りをかけて決断したのだ。ヌメラの一世一代の大博打に想いを馳せ、ドラパルトは胸が熱くなるのを感じた。自力ではどん詰まりになるしかなかったから、人間界に活路を見出そうとしたのだろう。新天地で、己の運を試すつもりで。

 

「きっとね、誰でもよかったってことはないと思うんだ。何が決め手になったのかはヌメラにしか分からないけど、大勢の中から彼は選んだ。君に決めた、ってね。ヌメラが君といることを願うのなら、私としても彼の気持ちを尊重したい」

 

 ヌメラは少女と共に在りたい。少女もそれを希望しているが、ヌメラを養う環境が用意できない。だから研究所が仲介する。少女と研究員が共同の保護者としてヌメラを養育する――ということで、話がまとまっているらしかった。

 

「ヌメラの正式な『親』は君でいい。君がスクールを卒業するときに、改めてヌメラを引き取るということでいいかな?」

「はい。それまで、お世話になります」

 

 少女が深々と頭を下げた。その礼儀を十分に受けとめた様子だが、研究員は淡々と現実的な問題にも触れていく。

 

「研究所が全て無償で請け負うということではない、…それは理解してる?」

「もちろんです」

「私がヌメラの担当になり、世話をしよう。予防接種や定期健診といった健康面のフォロー、快適に過ごせる生活環境の提供を約束する。

 その代わり、条件が二つ。

 一つ、諸費用のうち、ヌメラの食費は君が負担する。

 二つ、私の研究対象としてヌメラに協力してもらう。

 これに関して予め了承しているから、君はこの場にきてくれた。そうだね?」

 

 さすがに全額負担などというむしのいい話にはならない。研究所側が善意で手を差し伸べたとはいえ、本来は少女が養うべきポケモンなのだから当然だろう。

 また、ヌメラとてただ飯食らいというわけにはいかない。被検体とならねばならないが、そうしなければ彼にかかる多額の金が経費として計上できないからだ。そのくらいの事情は、研究所暮らしが長いドラパルトなら難なく読み解ける。

 人間と共に暮らしていれば、様々な情報に触れられる。だからドラパルトは、ヌメラの生態があまり解明されていないということを知っている。研究が進んでいないポケモンは数多いが、ヌメラもそのうちの一体ということだ。捕獲が難しいことはもちろん、人工繁殖の成功例がほとんどないためだという。ヌメルゴンの産卵のためには、自然界にしか存在しない何らかのエネルギーが作用しなければならないのでは……など、仮説はあるらしいが、要するに現代科学を以てしても未知のままということだ。最先端の研究も技術も太刀打ちできない領域――そうしたドラゴンの神秘に詳しいはずのドラゴン使いたちは、いずれも秘密主義で非協力的らしい。その意味でも、今回のヌメラの参入は歓迎されることだろう。というか、研究対象として貴重だからこそ研究所も費用の大部分を負担する気になったのだ。少女の支払い額は月々一万ということだが、ドラパルトは妥当なところだと判断したし、少女も金額に関しては冷静に受け止めている。むしろ、彼女の想定よりだいぶ安かったようで、どこか安堵の顔つきを見せていた。

 

「ポケモンの中でも、特にドラゴンタイプ専用フーズは高価なんだ。もちろん、君にも月末にひと月分の明細書を渡す予定だよ。ゆくゆくはヌメラと暮らすことになるんだから、そのときに備えて、今のうちから参考にしておくといい。どんなことにお金が必要で、どれほどの金額になるのか、それを知っておくことは有意義だと思う」

 

 お金は用意できそう?という問いに、少女はしっかりと首を縦に振った。

 

「校内に、アルバイトを募る掲示板があるんです。私にもできそうなものがいくつかありました。図書館の本の整理とか、学校の清掃作業の手伝いとか、売店の品出しとか」

「君自身が働いて稼ぐということだね」

「…、…両親に頼るつもりはないので」

「自立しようとする姿勢は好ましいよ。ただし、学業に支障が出ないよう気を付けなさい。あくまでも学生の本分は勉強だから」

「わかりました」

 

 研究員は、少女に厚みのあるクリアファイルを差し出した。

 

「君のサインが必要な書類をまとめておいた。しっかり読んで、サインをして、コピーを取ること。全て記入ができたら、また研究所に持ってきてほしい。コピーは自分の控えとして保管しておくんだよ」

 

 少女は大事そうに両手で受け取り、鞄の中にしまい込む。

 この研究所にきた主要な用事があらかた済んだためだろう、ようやく少女は打ち解けた空気を醸し始める。

 

「あの、ヌメラと一緒にどんな研究をなさる予定なのかうかがってもいいですか」

「もちろん!よくぞ尋ねてくれたね!」

 

 むしろこれこそが本題だと言わんばかりにトーンを数段上げ、研究員がにこやかに応じた。

 この研究員はポケモンの分泌物を専門に研究しており、中でも「粘液」に注視している。世の中には体表を粘液で覆っているポケモンがおり、「彼らの粘液が持つ役割は実に多彩なのだよ!」と研究員が熱弁をふるう場面には、これまでにも何度か遭遇している。内容も覚えてしまったドラパルトだ。たとえば、愛着があるものへのマーキングに使ったり*1、粘液の溶解力を上げて敵を撃退したり*2、ぬめりを利用し敵から捕まりにくくしたり*3、粘液に毒を含ませ身を守ろうとしたり*4、獲物捕食時の消化を補助したり*5。

 

 そして何より、もう一つ。

 

「乾燥防止…!特にヌメラの粘液が持つ高い保湿力を研究することは悲願だったのさ!」

「保湿!」

「スキンケアのための粘液利用はすでにナマコブシが知られたところだけど、いずれは彼らとの差別化を図るような美容グッズを開発したいと思っている!」

「美容!」

「ヌメラのフェイスパックとかどうだろう!」

「パック!」

 

 少女は、想定外の研究内容に驚きを隠せなかったようだ。素っ頓狂な声をあげ、オウム返し一辺倒になっている。滑稽だ。そして、研究員の思い描く研究内容を聞き、ドラパルトも愉快な気持ちになっていた。

 人間の発想は面白い。へえ、あの子のぬるぬるが美容に役立つ?本当に?そんなに素敵な可能性を秘めていたとは。商品化が実現したあかつきには、是非とも可愛らしいパッケージで売り出してほしい。どうやらあのヌメラはつらい目に遭ってきたようだし、ここでひとつ、彼自身が楽しい気分になれそうな話題があってよかった。

 

「ひと段落ついたし、二階の保護フロアに案内するよ。これからヌメラがどんな場所で暮らすことになるのか君も見ていったらいい」

「是非!お願いします!」

「慣れるのに時間がかかるだろうから、君から預かったヌメラは既に放しておいた。もしかしたら、もう古参のポケモンたちと仲良くなってるかもしれないね。面倒見のいい子たちが多いから」

 

 期待していた以上の情報が得られたし、そろそろ自分も引き上げよう。何なら、このあと彼らにくっついて、一緒にエレベーターに乗り込んでしまおうか。浮遊しているし、間違っても重量オーバーのブザーは鳴るまい――ドラパルトが思案していた折、研究員と連れ立って歩く少女が、不意に振り返ってきた。

 

 すっかり油断していた。

 アイスブルーの瞳に射抜かれ、ドラパルトは、動揺してしまう。

 

 少女と目が合っている。偶然だろうか。

 それにしては、意味ありげな眼差しであるようにも感じる。

 

 数秒間、互いの視線が絡まる。

 

「どうかした?」

 

 不思議そうな研究員の言葉に、少女は何事もなかったかのように笑って答えた。

 

「いえ、…私、こうした研究所に入るのが初めてなので。色んなところに目移りしちゃいますね。おしゃれなオフィスって感じで、素敵です」

「褒めてもらえて嬉しいよ。とりわけ所長が喜ぶだろうね。なにぶん、デザインにこだわりがある人だから…。レイアウトやインテリアは彼が考えて配置しているんだよ」

 

 雑談をしながら、二人がエレベーターに向かって去っていく。

 

 少女がドラパルトに気付いていたのかどうか、その答えを確かめるタイミングをなくし、分からずじまいになってしまった。

*1:
ヌメルゴン

*2:
ヌメイル

*3:
ドジョッチ

*4:
ウパー

*5:
トリトドン





 ヌメラが世話になる研究所内の「保護フロア」は、アローラ地方のエーテルパラダイス2Fにある「保護区」のような感じかと思います。もちろん、エーテルパラダイスと比べれば規模は小さいですが…。
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