『穴場を特別に教えてやるよ。ついてきな』
『…穴場?』
茶室前を訪れると、果たして、そこにはルチャブルがいた。
日も高いうちからニューラが現れ、更には矢庭に連れ出そうとしたこともあり、事情が見えていない彼は訝しげに首を傾げている。
『姫君が心配なんだろうけど、大丈夫。あんたが席を外している間は、あいつらが代役やってくれるから』
しゃくってみせると、ルチャブルは振り返って屋根の上を仰ぎ見た。
ダーテングとブラッキーが、それぞれ、ひらりと手を振っている。
『ね、…納得してもらえた?
あんたの今後に関わることだからさ。ここはひとつ、黙って付き合ってよ』
***
片や駆け、片や飛び。
ニューラは、ルチャブルを米蔵の屋根へと案内する。
『この辺に来るのは初めて?』
『…そうだな』
彼は、辺りの景色を物珍しそうに眺めている。
蔵の黒い屋根瓦に、ルチャブルの山吹色した脚は、よく映えた。
『じゃ、下を覗いてみな。気配を殺せよ。そっとだ。ほら、あの物陰の』
指示通りに動き、視線を下げた先で、標的を発見したらしい。目を丸くしている。
『あれは、…』
『結構な数だろ』
かさこそと、うごめく小動物。
丸々と太ったコラッタたちが、地表を自由に行き交っている。漆喰の壁をかじって削り、蔵に穴を開けては貯えを盗み出しているところだった。
『追い払ったりしなくていいよ。あえて見逃してるのさ』
『だが、…これは人間の食糧蔵なんだろ』
『ちょっとくらい構わないって。これ、数ある蔵の中でも重要度低い方だし。ある意味、本命の蔵からコラッタを遠ざけるために用意されたようなもんさ。
駆逐に本腰入れたら大変なんだぜ?わんさか子を産んでどんどん増える奴らだし、一匹一匹どうにかしようったって、物理的に無理。
おまけにあいつらの歯はずっと伸び続けるから、定期的に硬いものをかじって削る習性があるんだ。こういう壁なんてうってつけ。硬度が増すほど、所詮はあいつらの歯磨き素材だよ。
数の上でも、その生態から考えても、端から完全に防げる相手じゃない』
ニューラは、おもむろに爪の状態を確認した。
――狩る前に得物を整えておくのは、猟師の常でありまして。
『で、見逃す理由は単純でさ。
魅力的な餌場を常に開放して、油断させるためなんだ。
森の中、里の人家、そしてこの城内。あいつらは飢え知らずの所為でだいぶ平和ボケしてるんだよね。
おつむの方も、…こういっちゃなんだけど、ぜーんぜん足りてなくて。だから、ここでどんなに恐ろしい目に遭ったって、食べ物の誘惑には勝てずに性懲りもなく何度だってやってくる』
『恐ろしい目って、』
『喰うんだよ』
ルチャブルは連れてこられた意味をようやく想察したらしく、はっとした表情でニューラを見てくる。
その琥珀色の双眸を見据え、ニューラは確認した。『あんたはどうする?』と。
『大抵はオレとブラッキー、…たまーにヘルガーも来るかな。小腹空いたとき、あるいは酒のアテ…ここに来て、とっ捕まえて喰っちゃうわけ。
どんなに喰っても有り余るんだもん、釣りでいうところの入れ食いさ。
この土地のコラッタはいいもん食って肥えてるし、それは今も見ての通り。味も保証する。食いかすはそのへんの茂みにでも放っておけばいい。
あんた、鼠も喰えるんだろ?』
『それは…』
『喰えるんだな。じゃあ、気兼ねなく喰うために片付けるべきあんたの心配事、他には何がある?言ってみてよ。
「立ちすくむ」という表現がぴったりだった。
ルチャブルは、どこへ行けばいいのか分からずに立ち止まっている迷子のような顔をする。
『どうして、俺に、…そこまで…』
『それ訊いちゃう?』
ニューラは、ぽんぽんとルチャブルの頭に手をのせた。
『気に入ってる奴へのお節介さ。言わせんなよ、厚意の理由探しなんて野暮だぜルチャブル。
話は色々聞いてるんだ。換羽期のくせにろくなもん喰ってないんだって?
それもそうだよね、あの姫君が肉塊をくれるわけないもの。じゃあさ、もう自分で勝手にするしかないじゃん?
血肉を喰らって精をつけなきゃ』
『…、…どうにかこの時期を乗り越えていけると思っていたが、甘かったな』
羽根の美しさを維持するにも、やはり血を見ないとダメか。
そう呟くルチャブルは、どうやら腹をくくったらしい。筋の具合を確かめるように、ばさりと翼をひるがえす。
『腕がなまってないといいんだが』
『お、やる気出ました?』
茶化すと、ここにきてようやく、彼は笑みを見せた。
『ニューラ。人目に触れないよう、血を洗い流せる場所はあるか』
『朝飯前。オレらを何者だとお思いですか鳥の君』
伊達や酔狂で返り血は浴びてねえよ。
ニューラの返しを聞き、彼は『頼もしいな』と可笑しそうにしている。
『おろした大根とか使えたら仕上がりは綺麗になるんだけど…まあ面倒だよね。
血は、付着してすぐなら大量の水ですすげばどうってことないよ。単純に聞こえるだろうけど、それが簡単で確実。
御庭番が使ってる水場があるから、後で案内してあげる。今後も自由に使っていい。
…ゲッコウガが暇してるときなら、あの蛙から水を搾り取るって手もあるよ。腐っても水ポケモンだし、何とかしてくれるでしょ』
『分かった。後で頼んでみる』
軽口をたたき、ふたりして小さく笑い合った。
これから弱肉強食の摂理に則って狩りを行う雰囲気は、微塵も醸されていない。
『で? あんたに狩場は教えた。洗い場の心配もない。あとは?』
『十分だ』
直後、トッと瓦を蹴る音がした。
あっという間に空へ身を躍らせたルチャブルは、そのまま急降下していく。
いやいや速すぎでしょと慌ててニューラが見下ろしたときには、とっくに、全てが終わっていた。
捕食者の突然の登場にキィと声高な悲鳴を上げて逃げ惑うコラッタたちの中で、獲物を仕留めたルチャブルが、対照的に悠然と佇んでいる。
ついでに、ニューラも袋小路へと走ってきた一匹を見つけたので軽々と上から飛びかかり、その喉元を一直線に裂いておやつを入手した。
『いやー、お見事。お手並み拝見いたしました』
左手にコラッタを掴み、右手の爪先についた血を舐めとりながら歩み寄ったところ、壁にもたれて座るルチャブルは、既に食事を始めている。
ひたすらの一心不乱だ。ニューラが隣に座っても、彼は見向きもしなかった。
鋭利な爪で引き裂き、口で肉を噛み千切り、咀嚼音を響かせて。どれほど飢えていたのかを如実に物語る喰いっぷりで、眺めているだけで空腹になってくる。
横目に見つつ、彼のことを、綺麗だと思った。胸元の白い羽毛が時を追うごとに赤く染まる様は、寒中に紅花で染色される白妙の生地を思わせる。
『…心配かけたな』
コラッタのほとんどを腹の中におさめ、血塗れの姿を隠しもせずに、ルチャブルは声を発した。
いつのまにやら、ゲッコウガが現れている。
奴は、夢の中からこちらを見つめるような目つきで、うっとりと目元を緩めていた。こいつはこいつで、きっと、ルチャブルの姿に見惚れているに違いない。仮に今、ゲッコウガに『ルチャブルって存外に鮮血が似合うよな』と問えば、反抗的な彼にしては珍しく『そうだな』との素直な同意が返ってくることだろう。
『御主がいつもの調子を取り戻してくれるのなら、それでいい』
優しげな微笑。穏やかな返事。誰だよおまえは。
ッかァー…、…ったく、聞いたこともねーような声出しやがって。何か変なもの見せつけられてないか、オレ。
というか。
野郎、完全にこっちを空気扱いしてやがる。はいはい、気を遣えってことだろ。
『ゲッコウガ。先にルチャブルを水場につれてっとけよ』
ふたりになれるよう仕向けて、恩を売っておこう。そんなニューラの思惑を見抜いている様子のゲッコウガではあったが、別に不平を言うでもなく黙って指示に従い、その場を離れた。
ルチャブルだけが特別なのだということを十二分に理解させるゲッコウガの態度。奴のあまりの変貌振りに嫌気がさしつつ――何ぞ冷やかしてやろうかと思ったのだが、しかしニューラもまた食い気を優先し、ひとり米蔵の影で温もりの残る肉にかぶりつくのだった。
【 了 】