※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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デートしよう②

 引き伸ばされたスーツケースのハンドル部分を背もたれ代わりに腰掛け、デデンネはゆうらりと尻尾を揺らした。

 貴重品はもちろん男自身が所持しているが、スーツケースは待合室で邪魔になるからと置いていったため、その上にデデンネがちょんと座り、荷物番を兼ねることにしている。

 

 スーツケースに乗った分、目線が高くなり、外の様子を確認することが叶った。浜辺が見えるはずだと思ったのに、その予想は外れてしまう。立地の関係上、目前に海が広がっているのは確かなのだが、少なくともこの窓からは窺えない。植物が垣根のように生い茂っているので、向こう側まで見通せないのだった。

 視界を占めるのは、いかにも南国を連想させるような花々。暮れも近いのに未だ大きく花弁を開き、景色を彩っていた。それぞれの花の名は知らないが、路傍の草とは一線を画しているのは明らかで、園芸用に交配された種ならではの華やかさが目を引く。赤、白、黄色と発色の強い派手な花が多く、その大胆な造形と併せて目を楽しませてくれた。こうした植生の違いからも異国情緒が醸され、デデンネは(・)心が躍るのだが、…さて、隣の蛙はどうだろうか。

 

 デデンネとゲッコウガの間には先程からずっと沈黙が横たわっているが、ルチャブルがいなければ奴の口数などこのくらいのものだろうと心得ているので、デデンネは何ら気にしていない。

 

 窓から西日が射し、廊下を茜色に染める。夕景特有の物寂しさ――夕陽の美しさが切なさを喚起するのは、たとえ異邦の地にいようと同じらしい。

 この時点で改めてゲッコウガを見遣り、デデンネはいっそ呆れるような気持ちを以て感嘆した。黙っていれば本当に二枚目なのである、この蛙は。腕を組み、壁に背をあずける物憂げな立ち姿。朱い光に照らされて長く伸びた影。佇まいと陰影だけで絵になるのは流石の一言だった。しかも、この夕方の雰囲気に似合いの遠い目つきをしているものだから、余計に哀愁を帯び、それがまた抜群に色気を漂わせるのである。これで口を開けば「耳から孕ませる気ではあるまいな」と身構えなくてはならないほどのべらぼうに好い声が出てくるのだから始末が悪い。そこいらの雌ならイチコロだろうし、現に、通り過ぎていくポケモンたちの中には、ちらちらと視線を寄越したり、頬を染めたりする者が見受けられた。

 

 しかし、いずれにせよゲッコウガは歯牙にもかけない。

 彼の意識は、常時、愛する小鳥にのみ向けられている。

 

 特殊な治療が必要だからポケモンセンターを訪ねたものの、ルチャブルの火傷の程度そのものはいたって軽い。手負いと表すことさえ仰々しいくらいだったし、騒ぎ立てるほどのものではない。これまで旅をしてきた中で振り返ってみれば、より深刻な怪我なんていくらでもあった――が、これはあくまでもデデンネの考えに過ぎない。手当てはあっさり終わるさと言ったところで、ゲッコウガにとっては何の慰めにもならないだろう。負傷の「程度」以上に、彼にはルチャブルが負傷したという「事実」そのものが重くのしかかっているのであり、番(つがい)の不在を心細く思っている最中なのだから。

 

 普段は拗ねてばかりの悪たれも、ルチャブルが絡んだ途端にしおらしい。

 あやめも知らぬ恋*1もするかな―――…デデンネは、そっと呟いてみる。

 

 

+++++

 

 

 仲間のデデンネでさえ扱いに困る、そんなアンニュイな色男(muguet)の胸中とは、果たして――…と、勿体ぶったってどうしようもないのだ。

 

 物言わぬ蛙に代わって作者が蓋を開けてみるのだが、結果は以下の通り。

 いつになったらルチャブルとヤれんのかなあ…、と、これだけである。銀幕スターも斯くやと思われる風格がありながら、その中身は艶消しもいいところだった。

 

 あやめも知らぬ恋などと、古風に、雅に、いい感じに解釈してもらったというのに無駄に終わったわけだ。当のゲッコウガはそんなこと知ったこっちゃないのである。デデンネがこの低俗っぷりを知ったら『破廉恥な!』と怒り狂うことだろう。ふつーにセクハラだし。そして、時を置かずゲッコウガの脳天めがけて容赦のない雷(物理)が落とされるはずだ。ゲッコウガにしてもデデンネにしても言わぬが花なのである。

 

 周囲から自分がどう見られているかお構いなしにゲッコウガはひとり悶々としており、ルチャブルが負傷したとあっては無理をさせられないし今夜も(・)お預けだなと嘆息している。クソらしきもゲッコウガなのだが、ひとまず弁明しておくと、ゲッコウガは心からルチャブルを心配しているし、不在にしている彼を恋しく思っていることも本当だ。

 

 しかし、それはそれとしても、ルチャブルへの心配と「ルチャブルと生ハメしなきゃ出られない部屋に入りたい、今すぐ」という自身の欲望は、驚くべきことに、ゲッコウガの中では矛盾なく両立するのである。同人誌の中でしか存在しないファンタジーすけべ空間に縋りつきたいくらいには、ゲッコウガは精神的にキていた。この場に媚薬でもあろうものなら躊躇いなくルチャブルに盛るであろう、それほどに切迫している。

 

 注意深く読み進めた読者諸氏であれば、今夜も(・)お預けだと嘆くゲッコウガのモノローグで傍点が打たれていたことに気付いたはずだ。

 

 今夜も(・)――…そう、実はここ暫くルチャブルとろくな触れ合いをしておらず、そのフラストレーションでゲッコウガは割とマジで死にそうになっていた。あのばかデカい船の中でも何もなかったのか(何もシなかったのか)と突っ込みたいところだが、Exactly、なーんにもなかったのである。

 

 それには、ルチャブルの「よく遊び、よく食べ、よく眠る」という健康優良ライフの鑑のような過ごし方が関係していた。

 

 最初こそフーディンとのいざこざが発生したものの、それ以降は特にこれといったトラブルもなく、ルチャブルはそりゃァ~もう心ゆくまで船内のあらゆるアクティビティを満喫していたし、そのことは間近で見ていたゲッコウガであればこそよくよく理解している。ルチャブルを殊更に魅了したのは船内施設の一つであるバトルフロアで、ルチャブルはもはやスポーツのノリで溌溂とポケモンバトルを楽しんでいた。時に「どこぞの四天王クラスの実力じゃないのか」というレベルで度肝を抜かれるほど強い相手と対戦することもあり、公式戦でもないのに世界の広さを見せつけられる思いだった。信じ難いことに、あのルチャブルに土をつけるような者もちらほらといた。『負けるってこんな感じだったな!久々に思い出した!』とルチャブルは大いに悔しがり、そして、鍛え直さなければとトレーニングルームで意欲的に身体を動かして……、と、こんな感じでハードな運動を繰り返し、その分だけ盛大に飲み食いし、そのままスヤスヤ眠るというサイクルを確立させていたのである。そこに、ふたりきりの時間を持つ隙などこれっぽっちもなかった(言うまでもなく、イチャイチャ☆プールデートは頓挫したきり実現できていない)。

 

 甘い雰囲気のもとで抱き合えたのは、なんと、あの甲板での一回きり。仮にこの一回をカウントしない場合、カロスを出発してから今に至るまで、実質、ゲッコウガはハグもキスもセックスもない「ないない尽くしの三重苦」に苛まれていることになる。加えて、触れ合えていないことを何ら問題視せず平気そうにしているルチャブルの態度も、ゲッコウガのメンタルをゴリゴリと削っていた。

 

 一般的な三大欲求は、食欲・性欲・睡眠欲とされる。理性が本能に勝る人間とは異なり、ポケモンなれば性欲が突出して然るべきなのだが、どうやらルチャブルは異なるらしかった。

 ゲッコウガが囲い込んでいることもあり、既にルチャブルは子孫を残すための異性間交尾を必要としなくなっている(今さら雌との交尾を望まれたらゲッコウガは発狂するし、相手を縊り殺すのは間違いないと確信をもって断言できる)。かといって、同性間交尾を通じて性的な快楽を追求することに積極的というわけでもない。そして、ゲッコウガとの精神的繋がりを信頼しているがゆえに、殊更に肉体で繋がろうともしない。

 ルチャブルは、日々の生活が充実していれば、その中で上手く性欲を昇華してしまえるのである。決して持て余すことはない。心身共にどっぷりとルチャブルに依存しているゲッコウガとは違って。

 

 ルチャブルがこんなにも船旅を楽しんでいるのだから好きなようにさせてやろうと考え、見守る姿勢でいたことは否定しない。実際に、好奇心の赴くままにこやかに行動するルチャブルを見るたび癒されていた。ただ、これほどまでにいちゃつく機会がないとは想定外だったのだ。身体を酷使して故障してはいけないからと船内にあったポケモンサロンでルチャブルが施術を受けたときなどは、絶体絶命的にヤバかった。凝りをほぐすことが主目的だったはずなのに、ついでとばかりに美容方面のケアまで完遂され、羽毛の一つ一つを磨きたてられたような麗しの番が爆誕したのである。想像してみろ。香油のいい匂いも漂ってくるんだぞ。たまらんだろうが。あのときのルチャブルは全身が芸術的にふわっふわのつやっつやに仕上がっており、『身体が軽い!』とマッサージの効果を実感するようにぴょんぴょんと無邪気に跳び回っていたので、めっっっ……っっッちゃ可愛かった。どちゃシコぶち犯(おか)という不穏な呪文が脳内をよぎり、直視を続けていたら人目をはばからず襲ってしまいそうだった。きれいに手入れがなされたその羽を今から精液(ザーメン)でドロドロに汚してしまいたいと心の底から思ったけれど、喜んでいるルチャブルに水を差すような真似はできなくて、我慢したのだ。重ねて言おう、我慢したのである。あのゲッコウガが。

 

 アローラに上陸できたら状況も変わるはず……と思っていたのに、クソカス共の邪魔が入って、あろうことかルチャブルが火傷を負い、……現在。これでは睦み合いの延期も致し方なかろう。

 

『…待合室は大して混んでいなかったからな。ほどなくしてるちゃ殿も戻るだろう』

 

 その鈴を転がすような声は、ゲッコウガの気を引くことに成功する。ちらと横目で見れば、微笑みを浮かべるデデンネと目が合った。

 

『気晴らしに、夕陽でも見てくればいい。夕餉まではまだ時間もある』

 

 見透かしたような言い方は気に食わないが、一考の余地はあった。

 道を渡った先に海がある。1分にも満たない所要時間だ、ルチャブルに負担をかけずに済むだろう。

 これくらいなら、と、思った。

 これくらいの短い逢瀬なら応じてくれると、期待してもいいだろうか。

 

 

*****

 

 

 外へ行こうと誘うと、ルチャブルは一瞬虚をつかれたような表情を見せたが、すぐに頷きを返してきた。

 頷いてもらえたというのに、ゲッコウガは落ち着かなくなる。今の間は何だ?戸惑い?まさか嫌だった?ルチャブルの直前の反応が気になって不安に駆られ、勝手に自滅していくゲッコウガなのだが、平気な振りをして浜辺まで出てきた。

 

 夕焼けと呼べるような空模様ではなかった。夕闇が迫る時間帯に差し掛かっていたこともあり、夜を装い始める空に合わせ、海も底なし沼のように黒く染まっていく。

 暗い空と海に挟まれた太陽は既に眩しさを失っているが、それでも、嗚呼あの恒星は確かに燃えているのだと思い出させるように、火の揺らめきを宿している。闇に溶けゆくその様は、散り際の線香花火を彷彿とさせた。

 日没の過程を、ルチャブルは飽かず眺めていた。その横顔には、無理をしてついてきた様子も、取り繕っている様子もない。純粋に景色を楽しんでいるようだったので、ゲッコウガの不安は少しばかり和らぐ。

 

『…あれは…?』

 

 ほら、と指さすルチャブル。ゲッコウガも示された方へ視線を向け、その先で視認した光景に目を見開いた。

 完全に沈みきる刹那、太陽から放射された緑(・)色(・)の(・)閃(・)光(・)――…残された力をかき集めて放つ渾身の一撃みたいだった。太陽を表す色としてはまず候補にあがらないであろう、緑。そのエメラルドの煌めきを投げかけたのを最後に、ついに、太陽はとぷんと水平線の向こうへと消えていった。

 

『見たか、今の』

 

 声を抑えたルチャブルの口調に、興奮が滲んでいる。ゲッコウガは首肯しつつ『初めて見たでござる』と返事を寄越した。

 もし、ここに三十路男が立ち会っていたなら「あれはグリーンフラッシュですね」「観測されることが稀なので、見た人には幸せが訪れるという言い伝えもあるんですよ」などと気の利いた説明を加えてくれたことだろう。残念ながら、このときのふたりには、そうした新たな知識を得ることは叶わない。しかし、ふたりして珍しいものを共有したのだということは何となく察せられ、それは、両者にとってささやかながらも嬉しい出来事だった。

 

 サンセット、それに伴って現れたレアな現象。遭遇できた分、ちょっとした散策としては上出来だ。ゲッコウガは、自分を無理に納得させる。

 夕陽を見てくると言って出てきた手前、このまま長居はできない。名残惜しいがそろそろ戻ろうと考え、ゲッコウガは『帰るか』とルチャブルに声をかける。

 

 

 で、まあ、予期せぬときにロマンスが始まるのはお約束というものだ。

 まさに今、ルチャブルが、おずおずとゲッコウガの指先を握ってくる。

 

 

 続いて、『…まだ帰りたくない』と小さな声。これを聞いた直後、ゲッコウガのテンションは光の速さで爆上がりした。

 うそ…何これエロゲじゃん…雄のハートを鷲掴みにする「可愛いワガママ」の鉄板じゃん…!と、予想だにしなかった展開に面食らいながらも、突如として我が身に訪れた幸福で酩酊しそうになる。

 

『おまえさえ、よければ…、その…次は…、……、…俺と星を見にいこう』

 

 人気スポットがここから近いらしくて、とか。実はもうトレーナーには話を通してあって、とか。おまえの意見を聞く前から話をすすめてごめんな、とか。諸々の言い分から、ゲッコウガは当初ルチャブルが見せた挙動の意味を正しく理解した。ルチャブルのことだ、きっと、どんな言い回しでデート(デート!!!)を切り出そうかあれこれ思いを巡らせていたに違いない。そこへ、先んじてゲッコウガから誘いをかけたため、ルチャブルの勢いを削いでしまったのだろう。そうした少々の行き違いをふまえたうえで、甘酸っぱいものが胸の奥から湧いてくるのが分かる。

 

 拙者は、帰りたくないと引き止められ、まだ一緒にいたいとねだってもらえるだけの雄だったのか―――…噛みしめながら『喜んで』と一も二もなく答えると、同意を聞けたためかルチャブルは目元を緩め、頬を淡く染めたまま柔らかな笑みを見せてくれた。

 

 

*****

 

 

 目的地までの道のりも心楽しいものだった。

 ふたりで夜の山道を進み、山頂を目指していく。腹がすけば木の実をつまむ。喉が渇けば湧き水を飲む。自由で気楽な道中だった。遠い遠い昔の、ふたりだけで旅をしながら暮らしていた日々を思い出す。雑談をしながら、軽口をたたきながら、笑い合いながらの移動は時間を感じさせなかった。近いとはいえ、それは車を使用した場合であり、素の身体能力だけで向かうとなれば結構な距離だったのだが、何ら苦もなく辿り着けてしまった。

 

 人気スポットというからには相応の知名度があるようで、夜間にも関わらず人影が目立つ。途中、停車しているバスを見かけたので、この場にいる者たちはツアー客なのだろう。

 せっかくなら、ふたりきりで、静かな場所で。その思いは共通していたらしく、ふたりは示し合わせたかのような自然さで、誰も寄りつかないだろう草むらに腰を下ろした。

 

『きた甲斐があったな』と言いながらルチャブルが夜更けの空を見上げ、仰け反っていくうちに、いつしかとさりと軽い音をたてて寝転ぶ。一連の仕草を微笑ましく思いながら、ゲッコウガも倣って、仰向けになる。

 

 人里の灯りが一切届かない真の暗闇の中、満天の星は別格の輝きを放っていた。己の視界いっぱいに大小様々な光がひしめき、白く瞬いている。いかに辺鄙な場所だろうが労力や金を費やしてまで訪れようという気にさせる、素晴らしい景観だった。出来のいいプラネタリウムでも再現はかなわないだろう。

 星を見て金銀砂子*2と歌う童謡が、ふと思い起こされる。なるほど言い得て妙だった。漆器に施された蒔絵のように豪奢で贅沢な眺め…と、ゲッコウガなりに表現してみるが、この星空を例える言葉など世の中には無限にある。その無限の泉から掬いあげたものを組み合わせ、詩人は巧みに詠ってみせるのだろう。だが、結局のところルチャブルもゲッコウガも吟詠からは程遠いため、ふたりが実際に口にしたのは精々が『すごいな』『きれいだな』くらいの感想だった。澄んだ星空を仰げば、「すごい」も「きれい」も言うまでもなく大前提だ。ふたりの発言は単純だ。ともすれば、幼稚だ。しかし、強い感動はむしろ語彙を絞る。単純な形容詞に収束され、突き詰めれば、最終的には何も言えなくなる。あまりの美しさを前に言葉を失うというのも、素人らしい表現方法の一つではあった。

 

『今日の夕陽も、星空も。おまえと一緒に見ることができて、よかった』

 

 優しい物言いに惹かれて視線を移すと、思っていた以上に、随分と近いところにルチャブルの顔がある。どきりと一拍分、心臓が跳ねた。

 結構いい雰囲気なのでは?この流れなら押しきれるかもしれない。返事代わりにキスを見舞って、はずみをつけて、組み敷いて……、早い話が「今ならヤれそう」ってことです、はい。しかしながら、そんなことは露知らぬ鼈甲飴のような煌々しい瞳がゲッコウガを見つめてくる。無垢で清らかな双眸を見せられては、然しものゲッコウガとて狼狽してしまう。

 すまん、ルチャブル。ヤリモク込みでついてきた拙者を許してくれ。御主から誘ってもらえたことも、共に美しいひとときを過ごせたことも嬉しかった。本当だ。そして、これ以上を望まず現状で満足すべきだということも分かっている。分かっているんだが、どうしても駄目なんだ。御主の楽しみを邪魔したくなくて我慢してみたが、もう限界なんだ――…と、切羽詰まっているようにみせかけつつその実はクソでしかない言い訳をダラダラと脳内で並べ立てていた折、ふわりと、温かなものに覆われたことに気付く。翼だ。ルチャブルが、ゲッコウガを抱き寄せている。

『寒くないか』と鼓膜を揺する美声。普段は朗らかな声が、今このときは低く穏やかなものへと変わり、ゲッコウガの性感帯を撫でるように囁いてくる。

 

 アレか、寒いって言っていいパターンか。寒いって返したらじゃあ温め合おうって言ってくれるんだろ?そうだろ!!?これから汗だくになるくらい激しいことをする前振りですね分かります!

 …否、あえて何も言わずルチャブルが何を仕掛けてくるのか待つのも手か?こちらをどのように惑わすつもりなのだろう、と、想像するだけで歓喜がこみあげ、ぞくりと身震いする。

 何にせよ、願ってもいなかった事態だ。ルチャブルの方から動きを見せてきたのだから、ここは身を任せてみるのも一興。緊張と期待をないまぜにして、ゲッコウガは番からの次の一手を待った――…が、しかし、噫 無情(Les Misérables)。

 次に聞こえてきたのは、それはそれは気持ちよさそうに紡がれる寝息だったわけで。

 

 

 すやぴしていらっしゃる!!?

 

 

 は⁉ 寝た? 寝 た !!!?? マジ??? 最愛の小鳥と密着し、その温もりを感じられる至福の体勢にありながら、ゲッコウガは憮然とするほかなかった。

 今からでも遅くない、襲ってしまえばどうとでも…!と思うのだが、こちらを信じきってぐっすりと眠っているルチャブルを前にして、ぐっと踏みとどまってしまう。睡姦は趣味じゃない…ので、話はここで終わりだ。諦めて自分も寝るしかない。

 

 船旅。負傷。慣れない土地。天体観測のための自力登山。疲労からの寝落ちもやむなしという理由はこれでもかと揃っている。疲れただけではない、恐らくルチャブルのデートは「ゲッコウガと星を見る」ことを以て達成されたのだろう。だから、満足して眠っている。端からハグのハの字もなく、キスのキの字もなく、セックスのセの字もないプランだったのだ。

 ルチャブルらしいと言えばそれまでだが、この恨めしさは簡単に薄まりそうになかった。同時に、恨めしいと感じてしまう自分に吐き気がした。ぐずぐず不満を募らせて寂しがり、思い通りにならなかったことを不貞腐れる己がひたすらに女々しかった。

 構ってほしいと素直に言っていれば違っていただろうに、自分が我慢しようと決めて自己完結のもとで行動していたのだから、ルチャブルに非はない。ふたりきりでの行動=交尾OKという連想で勝手に盛り上がった結果がこのザマだった。

 

 だが、…期待するなというのが無理じゃないのかコレ…。

 

 ――ルチャブルから大事にされていることは、常々実感している。ルチャブルと出会い、共に暮らし、番の関係を結べたことは今でも奇跡だと思っている。しかし、それとこれとは話が別だ。抽象的な幸福を知って尚今ここにある具体的な肉欲は無視できない。

 

 焦れて、焦れて、恋焦がれる一方通行。どんどん欲深くなっていくのは自分だけだ。もっとルチャブルから求められたいのに。

 前話の流れからして絶対に読者はエロパートを望んでたぞどうすんだよこの空気。

 

 三重苦の解消はならず、それどころか生殺しの放置プレイ。ぐるぐるもやもやと胸が搔き乱されるが、ルチャブルと寄り添う温かさには勝てなくて、終いにはゲッコウガも安眠できてしまうのである。悔しいことに。

*1:
無我夢中の恋

*2:
砂状にした金箔や銀箔

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