デデンネはバイト先で高い評価を受け、引き続き同じ職場で働くらしい。それだけでなく、終業後にはポケモンバトルの予約も入っているとか。慌ただしくも充実した一日になりそうだと今朝から張りきっていた。
三十路男は「必ず君を勝利へと導いてみせます」とデデンネに宣言しており、今日は自身のバイトよりもバトルに向けた準備に時間を割くつもりだという。うんうんと唸りながら戦略を練り、慎重にアイテムを選定するその姿は、カロスを旅していた頃から変わらない。ルチャブルは、デデンネの強さに慢心しない彼の真面目なところを好ましく思っていた。
バトルを申し込んできたのは、デデンネのバイト先の社長だと聞いた。彼女の実力を見込んで話を持ちかけてきたらしいので、当の社長にも、トレーナーとして腕に覚えがあるのだろう。相手だって負ける気でいるはずはない。戦うからには全力を尽くしてこちらを倒しにかかってくる。その真剣な態度に、同じだけ真剣に応えようとしているのが三十路男とデデンネだ。ふたりの頑張りがきちんと実を結び、朗報が聞けることを祈る一方で――…少々皮肉にも感じるルチャブルである。バトル以外で自分の能力を活かしてみたいと登録したバイトだったはずが、結局、実力の高さゆえに対戦を望まれ、デデンネ自身がバトルを引き寄せてしまっている。己とて例外ではない。昨日のバイトは身体を思う存分動かせる仕事内容だった…これに関して間違いはないのだが、あくまでも常識的な運動の範疇を想定されていたはずだ。しかし、好戦的な輩が集った結果、最終的には組んず解れつの様相を呈してドタバタ劇が繰り広げられるに至っている。思いっきり渦中のド真ん中にいた身として、今となっては決まりが悪い。乱痴気騒ぎで生じた興奮を引きずった挙句、ゲッコウガを欲の捌け口にしたことも記憶に新しい…。当時の生々しい快感が思い出され、不覚にも羽毛が膨らんだ。行為自体は、その、…気持ちよかった、けれども、乱暴な振舞いから快楽を得たことに強烈な自己嫌悪を感じ、胃のあたりが重たくなった。事後のあれこれがうやむやになっているため、今日のバイトが終わったらゲッコウガにしっかり謝ろうと決めながら、ルチャブルは目の前の正門を見上げた。
ルチャブルにとってもバイト二日目にあたるわけだが、昨日とはまるで正反対といった毛色の違う場所に配属された。とある邸宅での仕事だと聞かされており、先程、正門前に送り届けてもらったところだ。
到着して以降は、目を丸くしてばかり。まず、正門からして非常に凝ったデザインをしており、植物をモチーフにした装飾が美しい(ルチャブルには「美しい」ということしか分からないのだが、彼が目にしたのは優美繊細な鋳物門扉である。ハイグレードの印象を持って当然だった)。続いて、正門の背後にそびえる建物を見たときの心境は…そう、カロスの港で豪華客船を目の当たりにしたときのものに近い。個人の住まいと説明されても到底信じられず、いっそホテルなのだと言われた方がまだしっくりくる華やかな外観をしている。誰が見ても異口同音で「豪邸」と答えるであろう、そんな佇まいだった。
ルチャブルは、バイトの内容を脳内で復唱する。ポケモンの派遣会社が斡旋してきた「ホームパーティーの給仕」の仕事…、接待がメイン業務になるので、トレーを持って会場内を歩き、軽食や飲み物をゲストに提供する必要がある。だから、二足歩行で両手が使えるポケモンが募集されていた。
ホームパーティーを主催するのは、世界的にも著名なデザイナーだという。近年は特にポケモン用の衣装を精力的に手掛けており、今回のホームパーティーは新作のお披露目も兼ねているらしい。つまり、給仕として働くポケモンたちに自作の衣装を着せ、優れたデザイン性や機能性をアピールし、宣伝する狙いがある。
推測されるのは、このパーティーに招待されたゲストは取引相手であり、バイト中のルチャブルの振舞いが少なからずデザイナー本人の今後に――…評価や売り上げなどに影響を及ぼす可能性があるということだ。気の引き締まる思いがした。少しでも衣装の印象がよくなるよう、姿勢には気を付けなければ。接客経験はないが、相手をもてなすつもりで愛想よく笑みを浮かべ、不快感を与えないよう所作にも注意していればどうにかなるだろう。
注意していればどうにか…といいつつ、人間社会のルールやマナーに詳しいとは言い難いのだが、幸いここで働くのはひとりではない。他のポケモンもいる。きっと、人間との暮らしが長く、世故に長けた者もいるはずだ。困ったら助言を求めたらいい。ルチャブルは、ふんす!と気合を入れ直した。やる気は十分だったのだ、…けれど。
『これが、…俺の衣装…?』
ルチャブルの翼に配慮し、かつサイズの合う衣装だからと渡されたため手違いではない。それでも、戸惑いを隠せなかった。周りを見渡してみるが、ルチャブルと同じ衣装を着ているポケモンは誰もいない。そもそも全員が異なる衣装に身をつつみ、一着も重複がなかった。多様な格好のポケモンが集う待合室は、カロスでいうところの『パンプジンフェスティバル』のような仮装イベントを彷彿とさせた。
会場スタッフから手渡されたのはエプロンだった。袖がないため、これなら確かに翼の邪魔にはならず、ルチャブルでも着用できるだろう。しかし、ただのエプロンというにはちと無理があるデザインだからこそルチャブルは困惑するのである。
人間たちが作業時に着るエプロンは、もっとすっきりとしたシルエットで、ボタンやポケット以外の装飾はなかったと記憶している。ところが、ルチャブルの目の前にあるエプロンは明らかにファッション性に全振りしてあった。
紺を基調とした布地に対し、飾りは全て白で統一されている。胸元の大きなリボンを始め、本来ならポケットがついているはずの両サイドにも愛らしいリボンが揺れていた。言うまでもなく、腰紐の部分もリボンに置き換えられている。肩口にはたっぷりとフリルが、プリーツ状の裾には繊細なレースがふんだんにあしらわれており、正面から見ればまるでワンピースを着ているように見えることだろう(ルチャブルは何とか衣装の描写を試みているが、人間からしてみれば「ゴスロリ」の一言で片付く代物である)。
『キミの衣装、可憐だね』
エプロンに落としていた視線を上げると、ゴチルゼルがルチャブルに向かって微笑んでいた。灰みの青を湛える瞳は一見すると冬の空を思わせ冷たい印象を与えるものの、話しかけてきた際の調子が穏和だったため、警戒心が緩む。
『ボクはエスパータイプだから、他者の機微には敏感なんだよ。この場にいるポケモンのほとんどは高名なデザイナーの衣装を前にして浮き立っているのに、キミひとりが違う感情を放っていた。…お節介だろうけど、気になってね』
落ち着いた話振と品のある低い声に、彼の善良な性格が現れているようだった。育ちの良さが如実に出ているなとルチャブルは感心する。
浮き立っていないという指摘は当たっている。この衣装を着ることに迷いがある、それは事実だ。しかし、抵抗感や嫌悪感があるのかと問われれば、違う気がする。
雄である自分がこの衣装を着ることで、衣装そのものの価値を下げることになるのではないか。
改めて己の考えと向き合い、今の気がかりを率直に伝えた。すると、ゴチルゼルは『キミは雄であることに矜持を持っているポケモンなんだね』とルチャブルの想いを汲み取った上で、『キミの尊厳も衣装の価値も損なわれることはないよ』と話した。
『このエプロンは紺と白のコントラストが綺麗で、清楚な印象を与える。結果としてキミの羽が持つ美しい色彩も際立たせているね。きっと誰もが振り返るほど、キミを魅力的に見せてくれる一着だと思うよ。
…でも、キミの当惑も理解できる。渡された衣装のデザイン、とてもフェミニンだものね』
『ここのスタッフは当たり前のように衣装を差し出してきたんだが、…人間は、雄がこういうのを着ても違和感を覚えないのか?』
『そうだね。特に最近では、その傾向が顕著だよ。人間たちが多様性という言葉や概念を好むようになったから。
社会にはユニセックスの――男女兼用の商品があふれているし、性差を少なくして選択の自由を標榜しているんだと思う。性別に囚われた格好をしなければならないという固定概念こそがナンセンスなものになりつつあるんだよ』
『……、…ニュースの解説を聞いてるみたいだな…』
ルチャブルが感嘆していると、ゴチルゼルは苦笑しながら『それこそニュースの受け売りばかりさ』と答え、肩をすくめてみせる。
『家系の影響かもね。たとえばボク自身、何世代も前から人間と共に暮らしている血筋の者だから、人の世に馴染みやすいんだ』
『色々と教えてくれて助かる。衣装についても、俺の知識じゃデザインの良さが分からなかった。ありがとう』
『いくらかでもキミの参考になったのなら何よりだよ』
暮らすにせよ働くにせよ、社会に溶け込んで人間と共生するためには、彼らのエゴと上手く付き合っていくことが肝要なのだとゴチルゼルは語る。
『服装に関することでいえば、人間は自分の身近にいるポケモンが素敵な格好をしてくれたらそれで満足なのさ。あるいは、自分の理想をポケモンで再現して悦に浸るとかね。ポケモンの性別に合わせた格好かどうかは気にしていないのが実情だ。
ポケモンに衣服は必要ないって主張する人間も一定数いるけど、着飾るのが好きなポケモンだっているし、それこそドレスアップをしてコンテストに臨むようなポケモンにとっては衣装選びは死活問題だし…。というか、単純に、服を着るメリットって色々あると思うんだ。体温調節の手段として手っ取り早いとか、抜け毛が飛び散るのを防ぐとか。…まあ、ケースバイケースかな』
ゴチルゼルは明るい
ルチャブルにはどう着付けるのかも分からないそれらを、ゴチルゼルは慣れた手つきで身に着けていく。
『ボクの姿は元から人間に近いし、ついでに服を着ているような見た目をしているから、与えられたのは小物だけなんだ。頭につけたものがヘッドドレス、首まわりにまとったものが付け襟と呼ばれるアイテムだよ。色は、ボクの瞳に合わせて選んでくれたんだって。
ボクはね、オシャレが好きなんだ。今もそう、気分が高揚してる。これから鏡をのぞきこむ瞬間も楽しみだし、ボクの姿を見た周囲からどんな反応がもらえるのか想像するだけで胸が躍るよ。
ボクもキミと同様、歴とした雄だ。だけど、きっとこれらの小物を身につけたことで女性的な印象を与えるだろうね。どう?所詮は女装だと笑うかい?』
問われ、ルチャブルはすぐに首を振った。実際、全身がモノトーンの傾向にあるゴチルゼルには小物が差し色となって映え、いっそう優雅な雰囲気を強めていた。
『おまえ自身が楽しいと思えていることが大切だと思う』
『肯定してくれて嬉しいよ』
はんなりとした装いで、ゴチルゼルはカーテンコールに応じる舞台役者のようにお辞儀*1を披露する。
『自分が納得していれば、どんな格好でも構わないんじゃないかな。ただ、想定していたバイトとは違うって気持ちが強いなら、辞退するのも選択のうちだよ。仕事の内容が合わないんだから仕方ない。キャンセルする理由としては妥当な動機だと思う』
言葉選びや話の持っていき方からも、ゴチルゼルの優しさが伝わる。無理をする必要はないと言ってくれている。
ルチャブルは、今一度ゴチルゼルを見つめた。終始、彼は堂々としていた。好きなものを身につけてなりたい自分を体現しているという自信に満ちており、その立ち姿は格好良かった。
『迷いはあったが、…決めた。俺も、おまえみたいにこの場を楽しみたい。せっかくの機会だし、衣装のことは想定外だったにしても、元から接客業に興味があったのは本当だしな』
着付けの手伝いを頼むと、ゴチルゼルは一も二もなく引き受けてくれた。何かあればいつでも相談するようにと気遣ってもらい、ルチャブルにとっては心強い限りだった。
***
アローラは晴天が多く、今日も見上げた先には澄んだ青空が広がっている。時折吹き抜けていくそよ風は心地よく、雨や汗で衣装が濡れる心配をしなくて済むのはありがたかった。
邸宅の裏庭には緑鮮やかな芝生が敷き詰められ、クロースのかかったテーブルが点在している。このように座席は用意されているのだが、基本は立食パーティーだ。ゲストはくつろいだ様子で、思い思いに歓談を楽しんでいた。
この場が開放的であるのは、単に屋外というだけでなく、ビーチに面していることも理由として挙げられるだろう。芝生から離れ、数歩進めばそのまま砂浜に足跡をつけることができる環境だ。これがプライベートビーチだというのだから恐れ入る。
ルチャブルが割り振られたのは軽食給仕。会場内を歩き、希望者がいればピンチョスを手渡す。それだけの簡単な仕事である。愛嬌を振りまくことができれば尚よし。笑顔が大事、笑顔が大事、と心の中で繰り返しながらルチャブルは会場内に一歩を踏み出した。
日頃から愛用している筋トレ器具に比べれば、いま持ってるトレーは重さがないも同然であり、ルチャブルは危なげなく運んでいく。のせているピンチョスにしても、もとから食材に楊枝がさしてあり、更には各々ミニグラスに入っているので型崩れも気にしなくていい。
まんべんなく歩くうちに、何度も呼び止められた。ピンチョスを求められるより、衣装を見たいから傍に来てほしいと頼まれる方が圧倒的に多かった。その忙しなさは、思いのほかルチャブルの助けとなった。つまり、声がかかるたびに緊張していたのも最初だけ――ルチャブルはどこへいこうと引っ張りだこだったので早々に客あしらいに慣れ(ざるを得ず)、次第に本来の明るさを出せるようになってきた。誰ひとりルチャブルに対して如何わしい視線を向けなかったことも、緊張がほぐれた大きな要因だった。
「えー、何これ可愛いじゃん。ふつーにオシャレ着でもいけそう」
「このデザインで生地のしっかり感があるのいいよね」
「カラーバリエーション次第で舞台映えもするね。ドレスが要るコンテストやってるのはシンオウ地方だっけ?新作アイテムってことで紹介してみようか」
「カロスでもいけますよ。バディポケモンと一緒にポフレ作るコンテストがありますからエプロンはもってこいだし」
「もっと身近な需要で攻めません?ユニフォームカタログで特集組んだら反響あると思いますよ。飲食業界のコスチュームってマンネリ化してたじゃないですか」
「ポケモンスタッフには帽子、スカーフ、前掛けの三点セットだもんねえ」
「今週中に企画書作るからうちと優先的に契約してくれって交渉しにいかなきゃ」
…などと、ルチャブルの傍らで様々な企画が飛び交う。皆が真剣な眼差しを以てルチャブルに接してくるので、やはり招待客の側も気楽にパーティーへ参加したわけではなく、ビジネスの一環で来ているということがよく分かった。
たとえルチャブルがにこりと笑いかけても、それでゲストが喜ぶことはない。接客で笑顔を見せるのは「当然」として受け止められているからだ。ルチャブルは主役ではない。あくまでも衣装が注目されるべき場なので、その意味では、ルチャブルは正しく役目を果たせていると考えていいだろう。そのことに、密かに胸を撫でおろした。
衣装関連は及第点として…、ルチャブルはちらりとトレーを見遣る。
種類も豊富なピンチョスはいずれも大変美味しそうに見えるのだが、思ったより捌けない。昼時が近いこともあってか、パスタやパン、肉料理がのった小皿の方が減っていく。できることなら自ら売り込みにいきたいところだが、望まれていない飲食物を押しつけることはできなかった。ピンチョスは生ものなのでこのままウロウロとし続けることも憚られる。何なら、傷む前に全て自分がたいらげてしまいたい…小腹も空いているし…。
もう少し経ったら、一度トレーを下げて新しいものに交換するか、他の仕事がないか指示を仰ぎにいこう。ルチャブルが思案していたそのとき、後ろから「ねえ!」と幼い声が聞こえた。振り返ると、ルチャブルの背丈とそう変わらない男の子が立っている。招待客の家族としてくっついてきたのか、蝶ネクタイをつけてめかしこんだ格好をしていた。男の子はぐんぐんとルチャブルに近付き、ビシ!と音がついてきそうな勢いで指さした後、「だえー?」と言ってきた。
『…だえ…?』
つたない発音だったため、上手く聞き取ることができない。いったい何だろうと首を傾げていると、男の子の後ろから一人の男性が慌てて追いかけてきた。
「こら!勝手にいなくなって…!」
「ぱぱー、こえだえー?」
息子を探していた父親のことをまるで意に介さず、男の子はあくまでもマイペースに質問を重ねる。
「ん?…ああ、『
「うちゃぶー?」
「そう、ルチャブル」
「うちゃぶー!」
微笑ましい遣り取りを眺めていると、男の子はルチャブルの持つトレーに気付き「おやつ!」とはしゃぎだした。父親も笑みをこぼし、「何か貰おうか」と声をかけている。
「どれがいいかな…、果物のピンチョスは?ほら、生ハムが巻いてあって美味しそうだよ」
「とまと!」
「…そっかあ、野菜を食べるのかあ。えらいなあ」
父親がトマトとチーズのシンプルなピンチョスを選び、そのまま男の子に食べさせた(楊枝への用心だろう)。ぱかっと口を開けて頬張る男の子の様子は、餌を心待ちにしていた雛鳥を思わせ、愛らしい。
男の子はその後もいくつものピンチョスをねだり、その場から動きそうになかったので、父親が「食べてばかりで喉が渇いただろう?ジュースを飲みにいこう」と別のもので気を引く作戦に出た。幸いに、父親の提案は男の子を喜ばせ、今ではすっかり「じゅーしゅ!じゅーしゅ!」と急かし始めている。
「じゃあ、いこうか。ほら、ルチャブルに御礼を言って」
「うちゃぶー、あいがと。ばいばい!」
ルチャブルに向かってもみじのような小さな手を元気に振りながら、男の子は父親と手を繋いで去っていった。
親子間の言動を見聞きしていれば分かる通り、幼子には手がかかるものだ。しかしそれ以上に、幼さゆえの純真やあどけなさが可愛い。束の間ではあったが、心の和むひとときだった。ピンチョスだっていっぱい食べてもらえたし!ルチャブルが相好を崩していると――…
『 拙者にも一つ恵んではくれまいか、うちゃぶー殿 』
…――微塵も想定していなかった声が鼓膜を震わせてくる。突然我が身を襲ってきた精神的衝撃に対応できず、ルチャブルは息をすることさえ忘れて硬直してしまった。