「体力の要る仕事ですからね!ぐいっとキメて、ビシバシ働きましょう!」
ヤク中じみたセリフと共に小瓶が配られたのでその中身も怪しげに思えてくるが、何のことはない普通の栄養ドリンクだ。ラベルに印字された大手製薬会社のロゴ、そして滋養強壮を謳うキャッチコピー。ドラッグストアだけでなくコンビニでも手軽に買えるありふれた商品なので、見覚えがあった。
金属製キャップに色付き瓶という定番の組み合わせ――茶色の瓶には「遮光性が高い」という特徴があるのだと三十路男が
早速効き目があらわれ、何だか活力がみなぎってきた気がする…というのは、本当に「気がする」だけのこと。ま、所詮はプラシーボ効果だろうな。
ゲッコウガが冷めたことを考えるここは、警備会社の事務所である。あのクソ眼鏡…自身が散々「おまえはあくまでも水タイプで、悪タイプはおまけでくっついてるだけだ」と言っていたくせに、登録先が警備会社ってどういうことだ。「悪タイプが就きやすい職種」筆頭だろうよ。
たとえば調理過程で水にこだわる飲食店のサポート*1や消防署での雑務*2*3、植物への水やり、水運業に清掃業…ゲッコウガですらすぐに複数の業務が思い浮かぶのだから、いわんやネットをや、である。水タイプ向きのバイトなど検索すればごまんとヒットしたはずなのに。
片や悪タイプとなると、やはりステレオタイプといおうか「睨みを利かせる」類の募集が多くなる。荒事に慣れている、危険にも怯まない、強面の見た目を活かす。いずれも悪タイプにはありがちな要素だ。それに加え、蛇の道は蛇。悪タイプは悪人を見抜くことにも長けている。…以上を踏まえ、水タイプ向けのバイトと悪タイプ向けのバイト、どちらに天秤が傾くか。答えは自明である。後者の方があらゆる点でゲッコウガの気質に適っており、悔しいが、警備の仕事はうってつけといえそうだった。しかし一点、警備とは「守る」ことを軸とする仕事。…守るっていうのは柄じゃねーんだよなあと相容れない部分をぼやきつつ、警備員の証である黒いスカーフを左腕に巻いた。
今日は倉庫警備を任されており、出入りする者を監視する傍ら、必要となれば搬入トラックの誘導を手伝うことになると聞いていた。ところが、つい数分前、ゲッコウガの配属先が変更された。ビーチを警備できるポケモンを手配してほしいと依頼が舞い込み、海辺だから水タイプの出番だろうという実に安直な理由でゲッコウガに白羽の矢が立ったのである。まさか直前になって水タイプが決め手になろうとは思いがけない。しかも、依頼主は「
ん?と引っかかるゲッコウガに対し、送迎用ワゴンの車内で「ビーチに面した裏庭で
ならば、何らかのコスチュームを身にまとい給仕に勤しむ彼の姿が拝めるかもしれない。この可能性はゲッコウガを大いに喜ばせる…はず、だが、当の蛙は割と複雑な心境だった。
そりゃァ、ルチャブルの働く姿は見たいに決まっている。どんな格好をしていたってルチャブルなら着こなせるだろうし、真面目な勤務態度と相まって、誰の目にも魅力的に映るはずだ。…そう、
ゲッコウガは、宝物を他者に見せびらかしたりしない。見せて、触らせてと群がってこられるのはまっぴらだし、下手をすれば壊されることだってあり得るではないか。誰にとっても価値あるものだから、ひょっとしたら盗んでやれと横取りを目論む奴だって出てくるかもしれない。だから、宝物は大事に大事にしまい込んで、自分だけが心ゆくまで愛でるのだ。
デデンネの提案時、ゲッコウガがバイトに対して難色を示した最たる理由は「ルチャブルへの独占欲」である。労働なんざかったりィだけだろやってられっかと避けたい気持ちもあったが、それ以上に、ルチャブルが自分の知らないところで知らないポケモンと交流するということに強い抵抗感があった。ルチャブルがバイトに前向きで、かつ『地元のポケモンと協力して働くのは俺にとってもいい経験になると思う』『パーティ以外の触れ合いを通じて得られるものがあるはずだ』と発言したので、彼の考えを尊重しその場では引き止めなかったが、内心ではめッッッちゃくちゃ不満に思っていた。他者との関係作りが壊滅的に下手なゲッコウガとは違い、ルチャブルは明るく素直なので周囲に分け隔てなく接することができるし、ゆえに初対面の相手ともすぐに打ち解ける。つまり、それは相手もまたルチャブルに対して容易に心を開くことを意味しており、何ならそのまま好意をいだく場合も少なくない。ルチャブル自身が気付かぬところで一方的に惚れられるというのはよくあるパターンで、ゲッコウガは度々やきもきさせられたし、あまりにも目に余ったときは
昨日のことだって腹立たしい。少なからずルチャブルに「楽しい」と思わせるだけの、「何度でも戦いたい」と思わせるだけの実力ある対戦相手がいたわけだ。その事実が不愉快だった。いやいや、そんな連中がいてくれたおかげで結果的にルチャブルと夢のようなおせっせたいむを満喫できたんとちゃうんかい…という御指摘は御尤もなのだが、そこを突かれると『うるせえ!』とそっぽを向く蛙なのである。
――目的地に到着したゲッコウガは仮想する。
この先でルチャブルを発見したとして。…そのルチャブルに下心を持って接近する者がいたとして。選択肢は一つ、不埒*4な輩は
一体のマリルリが、玄関前で待っていた。通常個体であればルチャブルと同程度の背丈であるはずだが、このマリルリは随分と大柄であり、恰幅が良い(ゲッコウガと視線の高さが大して変わらないため、規格外の体格であることは一目瞭然だった)。普段はこの邸宅に住んでおり、自ら巡回を買って出ているという。兎らしく聴力には秀でているはずだから、不審者の発見は容易だろう。この恵体で迫れば威圧するにも十分だ。なかなか理に適っている。
現場へ案内するからついてくるようマリルリに促され、ゲッコウガはそのまま彼の後ろを歩いた。屋内に入ることは一度もなく、建物の外をぐるりとまわって砂浜に出る。途中で横切ってきた裏庭では確かにパーティーの準備が進行しており、これからガーデンウエディングが始まるのだと言われても違和感のない華やかな空間が出来上がりつつあった。
『賑やかな催しを後目にしながら吾輩のような中年と仕事を共にする…何だか申し訳ないである』
マリルリが苦笑まじりに話しかけてきた。ここに至るまでに幾度か交わした会話で勝手に抱いた偏見だが、なんともカイゼル髭が似合いそうな話し方をする兎である。声も野太く、世間一般に浸透している「ファンシーでラブリーな水玉うさちゃん」というイメージをことごとく覆していた。まあ、それこそ世間でのイメージというやつが最たる偏見なのだけれど。
『別に、気にならない』
ゲッコウガは肩をすくめてみせる。
『会場の平和を保つことが最優先だからな。警備は縁の下の力持ち…、影ながら表舞台を支えられるなら本望だ』
我ながら虫酸が走る。心にもないことをさも本音であるかのように発言するたびゲッコウガは内心でげんなりしているのだが、ルチャブルと「バイトを頑張る」という約束をしている以上、周囲から一定の信頼を得られるようなキャラ作りをせねばならない。演技力に関しては昨日の寸劇で実証されているし、今回のマリルリも大概チョロく、あっさり騙されたばかりか『貴殿は若いながら出来物であるなあ』などと言いながら大層感心している様子を見せた。
相方がこの調子なら今日のバイトも楽勝な気がする。あとはルチャブルがいるのかどうかの確認に集中しておこうと思いながら、ゲッコウガは浜辺を見回した。
『もっと広大な場所を警備するものと思っていたが、実際はショートビーチなんだな。マリルリだけでは不足なのか』
『そうであるなあ…、日頃から鍛えてはいるが吾輩も老いには勝てぬゆえ…』
長い両耳は、その見た目の通りに優れたセンサーであり、様々な音を聞き分けることが可能だという。隠れ潜むポケモンの息遣いや足音、僅かな身じろぎでさえも察知できるため、警戒対象の数と位置を把握することはさほど難しくないらしい。しかし、索敵能力があっても、それを活かす敏捷性は年月と共に衰えたとマリルリは話す。
『いざというときに、四方八方から迫りくる敵を防ぎきれるのか自信がない』
食事の匂いにつられて、ポケモンが砂浜の隅にある磯から飛び出してくるかもしれない。海から陸に上がってくるかもしれない。上空から狙ってくるかもしれない。…見晴らしのいい場所であれ、陸海空を同時に見張るのは骨が折れる。
『だから、ホームパーティーが開かれるときは外部から臨時の助っ人を呼ぶのである』
ホームパーティー自体が年に数回という頻度であり、そもそも雨天であれば会場は屋内になるので警備担当はマリルリだけで事足りる。常時雇用の従業員よりも警備会社からさくっと一時的なバイトを用意してもらった方が手間もかからない。安上がりだしな、とゲッコウガは納得した。
『では、更にもう一押しだ。仕事を楽にしておこう』
そう告げて、ゲッコウガは小さな水手裏剣をいくつか生成し、物陰に向かって放つ。身を乗り出して様子を伺っていた複数のポケモンたちが、慌てて逃げていった。高速回転で向かってくる鋭利な水手裏剣はさぞ恐ろしく見えただろうが、大した威力が出ないよう調整してある。例えるなら害鳥対策としての音追いピストルのようなものだ。対象を傷つけることはないが、脅して追い払う。
以前、シェードジャングルを訪れたときは、常に野生ポケモンの視線を感じていた。感心したのは、「見ている」ことを気付かせつつも「どこから見ているのか」までは悟らせない不気味さだ。さすが弱肉強食の世界に身を置いているだけのことはあると思っていたが、それが一転、人里周辺で生きているポケモンほど身を隠すのが下手で、何かにつけて杜撰だった。特にここアローラでは、地元民の大らかでのんびりした気風がうつるのか、街の野良ポケモンたちも大変にのんきで、悪しざまに言うならばどんくさい。つい先ほどゲッコウガが追い払ったポケモン連中もご多分に漏れず、ろくに気配を隠すことなくパーティー会場に近付こうとしていたため、警告は容易だった。
彼らは実害を出していない。だが、何かをしでかす前に防ぐことこそ警備の要だ。こちらの実力を垣間見せ、簡単には侵入できないことを印象付けておけばポケモン側が勝手に警戒するし、他の仲間にも『あの場所には近付かない方がいい』と情報を共有する。結果、会場に近寄るポケモンが減る。そうなれば当然ゲッコウガは楽だし、マリルリからの信用もあつくなる。マリルリはこの邸宅のポケモンだ、何かと融通もきくだろう。後々ルチャブルを探しにいくときに利用できるかもしれない。そんな皮算用もあった。
マリルリはゲッコウガの腹積もりにはまるで気付かない。それどころか、不穏な気配を察知して即座に牽制を実行したゲッコウガの果断を称賛し、頼り甲斐のあるポケモンがきてくれてよかったと相好を崩した。
こうして初動の対応に成功したおかげか、以降も大きなトラブルは生じなかった。不用意にパーティー会場に接近するような間抜けも現れず、ゆったりとした警備が続いた。そのうちに、後方ではホームパーティーが本格的に始まったらしく、音楽が流れ、人間の話し声が増え、賑やかな様子が伝わってくる。警備開始当初、マリルリに『パーティーには興味がない』『与えられた仕事に徹するのみ』という旨の発言をしている以上、パーティー会場をガン見するわけにもいかないのだが、警備に集中していますよという態を装って隣にいるマリルリに気取られないよう注意しつつ、ゲッコウガは密かに会場を盗み見てはルチャブルの姿を探した。同時に、会場内にいるポケモンたちの格好を目にしたことで、内心の焦燥が強まっていくのを感じていた。
ゲストへの接客。給仕の仕事。その際に、衣装を着用する。本日ルチャブルが臨むのは、そのようなバイトだったはずだ。ゲッコウガは「スタッフ皆が一様に同じ衣装を身に着ける」のだと思い込んでいた。例えば、給仕をするのだから
――いた。己の視線の先に、ルチャブルが、いた。楚々たる麗鳥が慈愛を以て幼児に微笑みかけるその光景、まるで宗教画だ。ルチャブルの周辺が光を帯びて輝いて見えた。
控えめに言っても天使…、ゲッコウガは思わず片手で顔を覆って溜息をつく。
なんで、どうして、…よりによってあんなに愛くるしい衣装なんだ…!誰がチョイスしたんだよ天才かよ殺すぞ。意図的であったのかどうかさておき、ルチャブルにフェミニンな格好をさせることを思いついた人間に賞与を贈りたい気持ちと今すぐ八つ裂きにしたい気持ちとがないまぜになり、ゲッコウガは発狂してしまいそうだった。
偶然に感謝すべきなのだろう。偶然にも配属先が変更されたおかげで、こうしてルチャブルの貴重な姿を目に焼きつけることができた。だが、ダメだ。やっぱりダメだ。あの清純な
こうしちゃおれん。ゲッコウガは一目散に走った。爆速である。背後から聞こえてくるマリルリの制止を振り切って、ひたすら、ルチャブルめがけて駆けていった。
***
『うちゃぶー殿』と呼びかけると、ルチャブルの肩がはねた。硬直した。しかしそれも一瞬で、すぐにゲッコウガへと振り向いてきた。彼の動きに合わせて裾のフリルやレースがひらりと動き、リボンが揺れ、可憐な存在感を一段と際立たせていた。突如として目の前に見返り美鳥図が現れ、あまりの尊さに、ゲッコウガの意識が遠のく。
ルチャブルが身にまとうそれは、ピナフォアと呼ばれる衣装に酷似している。おとぎ話に登場する少女らが身に着けていそうな格好…と、言いたいところだが、どうしてもゲッコウガの脳裏にはメイドカフェで従事する女性キャストがちらついてしまう。…否、今は「ルチャブルが魅惑の衣装をまとい、愛らしい笑みを浮かべ、周囲に分け隔てなく接する」ような状況だぞ。もはや「接客」の範疇を超えた「接待」じゃないのか。「メイド衣装のセクキャバ」に匹敵するのでは…!
発想が馬鹿そのものだった。しかし、仕方ない。ゲッコウガの思考回路はルチャブルが絡めば途端にポンコツに成り下がるので、併せて思考力も著しく減退する。ルチャブルを眺めれば眺めるほどにゲッコウガの情緒は狂い、蹂躙され、元から少ない理性が容赦なく溶けていく。
一方、ルチャブルは当然この流れなら誰もが口にするであろう『なんでおまえがここにいるんだ』というセリフを、そっくりそのまま用いてゲッコウガに問いかけてきた。しかし、対するゲッコウガは『偶然だ』と素っ気ない。事実であったし、それ以上の説明のしようがなかったし、何より自分がここにいることは然したる問題ではなかった。ルチャブルを追求する方が先だ。だから『そんなことより』と言いかけたのだが――…ふたりの間に、するりと割って入る者があった。薄青のレースで頭部や首元を飾るたおやかなゴチルゼル、…だが、『ルチャブル』と呼ぶその声の低さで雄だと分かる。
『話している途中にすまないね。今、少しいいかな』
全然よくないと撥ね退けてしまいたかったのに、ルチャブルは『どうした』と応じる姿勢を見せている。ルチャブルはこちらの穏やかでない胸中を察しているのだろうに、ゴチルゼルの方を優先されたことが面白くなくて、ゲッコウガは露骨に眉間にしわを寄せた。
ゴチルゼルはゲッコウガを無視しなかった。不機嫌丸出しで腕を組みながら突っ立っている蛙を相手に、さらりと軽い会釈をしてある程度の遠慮を示しながら、黒いスカーフに目を止めて『警備の方ですね。お疲れ様です』と一言を添えた。ごく自然な礼儀正しさから彼が好青年であることが窺い知れ、それがまた尚のことゲッコウガを苛立たせた。
『キミの衣装にはまだ付属品があったらしくてね。ボクが預かってきたんだよ』
ゴチルゼルが取り出したのは、ごく小さなコサージュがついた紺色のリボンだった。ほんのりと光沢のある生地に白ステッチが映え、コサージュも紺と白の花びらを組み合わせて作られており、確かにルチャブルの衣装に合わせたものであろうと思われた。
『これは髪飾りなんだけど、
ゴチルゼルは器用にルチャブルの冠羽を束ね、その根元にリボンを結んだ。『似合ってるよ』という褒め言葉も忘れず伝えている彼の傍らで、ゲッコウガは内心、がりがりと頭を搔きむしらんばかりに荒れていた。こ れ 以 上 魅 力 的 に し て ど う す る ん だ バ カ!何てことしてんだてめえと殴りつけたいところだったが、さすがにルチャブルの前で傷害沙汰を起こすのはまずい。必死に抑えるしかなかった。
『小物一つで印象が変わるからね。この姿で改めて会場内を歩いたら、また違う反応が得られるんじゃないかな』
依然、ゴチルゼルの言動は春風のように柔和だった。感情や思考の揺らぎを敏感に察知するエスパータイプだ、もちろんゲッコウガの邪険に気付いているだろう。しかし、彼は恐れをなしてそそくさと逃げ出すでもなく堂々としており、あくまでも自分のペースを守りながら『バイトの時間も折り返しだ。最後まで頑張ろう』とルチャブルを励ましたうえで、その場を離れた。
ゴチルゼルが留まったのは僅かな間に過ぎない。しかし、印象の残る立ち振る舞いが気に食わなかった。また、ほんの数分関わっただけの初対面の相手にここまで心を乱されている自分のことも情けなく思い、苛ついてしまう。
そして、束の間であれゴチルゼルがルチャブルを引き止めたことが、結果として、この場にマリルリが追いつくまでの時間稼ぎになったのだった。
大きな体を重そうに揺らしながら現れたマリルリだが、ぽてぽてとした挙動には緊張感がなく、誰もざわめいたりしない。もしかしたら、警備のポケモンがやってきたと認識しておらず、首元に巻く黒いスカーフをファッションアイテムか何かだと思っているのかもしれない。
『こ…困るのであるゲコの字…!』
肩で息をするマリルリに、勝手に持ち場を離れてどうしたのだと訊かれた。それを聞きつけ、ルチャブルの目つきが鋭くなる。
『…おまえ、仕事を放り出してきたのか』
こんなにもけしからん格好で人前に出ている御主を知りながら冷静に働けるわけがないだろうが!と喚き散らすことができたらどんなに楽だったか。しかし、悪目立ちするのは本意ではない。ルチャブルは己に課された労働条件を守りながらきちんと働いており、バイトの完遂に向けて心を尽くしている最中なのだ。自分の振舞いでルチャブルの評価を下げたくはない。だが現状、ルチャブルのバイトを中断させ、同時にマリルリを困惑させているゲッコウガの突飛な行動は邪魔なだけ。そのことに思い至ったからこそ、ゲッコウガは言い訳もできず、俯くしかなかった。
『俺がいつもと違う格好をしてたから気になったのかもしれないが、…話なら後で聞いてやる。今はバイトに集中しろ。任された仕事には責任を果たせ』
正論を突きつけて踵を返し、ルチャブルは会場内へと戻っていった。腰元で揺れるリボンは、これぞまさしく蝶々結びと讃えたくなるほど整っており、実際に蝶が翅を広げてルチャブルの背中にとまっているように見えた。後ろ姿まで完璧だった。あのリボンを結んでやったのもゴチルゼルなのだろうという推測が脳裏をかすめ、ゲッコウガは無自覚のうちに、苦虫を嚙み潰したような顔になっていた。
+++++
マリルリは、ゲッコウガと出会った当初から彼に対して好印象を抱いていた。「モデル」と言われても納得の美丈夫が「警備員」として現れたときには内心で驚いていたのだが、浮き名を流していそうな見た目に反して軽薄さはなく、仕事ぶりはいたって真面目だった。口数は多くないが、話しかけたらしっかりとした受け答えが返ってくる。状況判断にも優れており、パーティー会場に野生のポケモンを近付けない手腕は見事で、十分に信用に足る相手だった。
そのゲッコウガが突如として血相を変え走り去っていったのだから、マリルリは狼狽する他ない。事前の断りもなかった。彼が職務を放棄した理由も全く思い当たらず、あとはもう、とにかく追いかけるだけだった。
もしや、ゲッコウガだけが感知した何らかの緊急事態が?しかし、会場内に不穏な気配は感じられない。首を傾げながら走るマリルリは、遠く前方で、ゲッコウガが接客スタッフのひとりと思われるポケモンに詰め寄っている現場を目撃した。あの鮮やかな羽を見よ。このアローラにも生息している種族なので知っている。ルチャブルだ。
ふたりを目視した直後、『ま、まさか…!』とマリルリは動揺する。ゲッコウガ、パーティーのことは『気にならない』と言っていたのに。『会場の平和を保つことが最優先』と言っていたのに。前言撤回なのですか?偶然にも見かけたルチャブルに心を奪われてしまった?一目惚れ?それで口説きに?ナンパ?仕事中にナンパしに行ったの?(実のところ中らずと雖も遠からずという迷推理で)ドキドキしながら、息急き切って、マリルリはゲッコウガの元に辿り着くのだった。
『こ…困るのであるゲコの字…!どうしたであるか勝手に持ち場を離れて…』
割り込んでいい空気ではないと分かっていたが、ゲッコウガに声をかけた。ついでに、野次馬根性を抑えきれなかったので遠慮なくルチャブルの方にも視線を向けた。
一言でいえば、目の保養である。ゲッコウガとはまた系統の異なる容姿端麗な鷹だ(ふたりが並ぶとこれがまた絵になる美しさだった)。随分とガーリッシュな服装をしているが、顔つきは凛々しく、体つきは雄々しく、どう見ても雄だ。同性だ。わあ、ゲコの字ってばそういうこと?そういうことなのかな?マリルリの妄想はとどまるところを知らない。
片やルチャブルは、勝手にゴシップの標的にされていることなどもちろん知る由もなく、マリルリの発言を聞いてゲッコウガをキッと睨みつけている。『仕事を放り出してきたのか』と咎め、『任された仕事には責任を果たせ』と叱りつけた。実に毅然とした態度だった。
去りゆく彼の後ろ姿を見つめているゲッコウガの表情が、傍目からでも分かるほどにしょんぼりしていたので、マリルリは慌ててしまった。とにかく浜辺に戻ろうと提案し、その道すがら、何と慰めたものかマリルリが逡巡していると相手の方から口を開いてきた。
『今の遣り取りで分かったと思うが、あのルチャブルとは初対面じゃない』
何を隠そう、ゲッコウガのパートナーなのだとか。同じ敷地内にいたとは知らなかったという。そして、話を聞いたところ、ゲッコウガがルチャブルを発見して血相を変えた理由は「働いていたため」とのことだった。
『実は、…ルチャブルは昨日から体調を崩していて…。トレーナーもそれを見抜いているものと思ったが…どうやら違ったようだ…』
責任感の強い性格をしているので予定に穴を開けることをよしとせず、体調不良を隠してバイトに参加したのだろうとゲッコウガは推論を語った。改めて思い返せば、ルチャブルは終始強張った表情をしていた。体調がすぐれない中で無理をしていたためであろうし、彼自身、ここでゲッコウガに遭遇してしまうとは予想だにしなかったはずなので、内緒のバイトが番に露見したことで大いに戸惑ったに違いない。そう仮定すれば、毅然としていたように見えた先程のルチャブルの言動は、「ゲッコウガをたしなめる」というよりは「後ろめたさ」や「焦燥」に由来するものだったのだろう。きまりが悪かったから「早々に会話を打ち切ってこの場から立ち去るために敢えて当たりを強くした」のだと解釈した方が筋が通る――……ゲッコウガが大法螺を吹いているなど夢にも思わず、マリルリは、そっかあ…なるほどなあ…と単純に納得した。
『庭での立食会が済めば、次はリビングに場所を移して商談が始まるはずである。あわせて、接客バイトの実労働時間もそこで終了…、あと三十分程度で終わるということだ。ゴールが明確だからこそ、ルチャブルも頑張れているのであろう』
『…バイトが終わるにしても、そのあとすぐに迎えがきてくれるわけじゃない。…だから、……』
言葉を濁す*5ゲッコウガの肩を、マリルリはそっとさすった。
『皆まで言うな、ゲコの字』
今日会ったばかりのマリルリに相談していいものか言い淀んでいるのだと思い、マリルリから確認することにした。休める場所が必要なんだな、と。
当たりだった。俯き気味だったゲッコウガは弾かれたように顔を上げ、マリルリに縋るような眼差しを送ってくる。取り繕うこともないそれらの反応が、ルチャブルに対する切実な想いを表していた。
マリルリにも家族がいる。妻と、娘がふたり。彼女らがルチャブルと同じ状況にあったら胸が痛むし、出来ることならその場で連れ帰りたいという思いに駆られるだろう。だから、ゲッコウガの心情についても理解してやれるつもりだ。可能な限り協力したかった。
『愛するパートナーを案ずるその胸中、お察しするである。吾輩が一肌脱ごう』
+++++
「ご来場の皆様、お楽しみいただけているでしょうか」
主催者の声が庭に響く。彼もまたゲストをもてなすために会場内を回っていたはずだが、ルチャブルは自身がバイトに集中していたこともあってか見かけることはなく、いま初めてその顔を目の当たりにした。
初見こそ比較的小柄な印象を受けるが、身長のことを気にさせない均整のとれた体つきの持ち主だ。白髪に、隠せない顔のしわ…それなりの年齢と思われ、しかし、姿勢や肌のつやがいいため非常に若々しく見える。にこやかにパーティー会場を見渡している彼は、いたってフォーマルなスーツ姿だ。ファッションデザイナーというから奇抜で個性的な格好をしているものと想像していたが、とんだ偏見だった。彼の職業を知らなければ敏腕の商社マンあたりと見紛う装いだが、いずれにせよ、成功者としてのオーラは隠せないだろう。世界中にその名が知られている人間というのはこうも圧倒的な存在感を放つものなのかとルチャブルは感心する。
『それなりに食事も進んだことですし、食後のコーヒーなどはいかがでしょう?もちろん、紅茶やその他ソフトドリンクもありますから遠慮なくおっしゃってくださいね。
このあたりは、午後になると決まって風が強く吹きましてね…、室内に移動するタイミングとしてもちょうどいい頃合いです。さあ、皆様。我が家自慢のリビングへお越しください。そこで、歓談ついでに私の作品について忌憚のない意見を聞かせていただけるとありがたいです』
歓談ついでになどと言っているが、作品に関する情報交換をしながら本腰を据えて商談をする場になるのだろう。…どのみちルチャブルのバイトはもう終わるので、儲け話の絡む駆け引き現場に関わることはないのだが。より機密性の高い内容が語られるはずだし、(たとえポケモンであったとしても)一介のバイトが、つまりは部外者が入室できないのは当然だ。会場の片付けに関しては、貸し出している衣装が作業中に破損したり汚れたりすることを避けるという理由で「手伝わずに戻ってこい」とバイト管轄の人間から念を押されている。
衣装を返却したら、あとは現地解散だ。あっという間だったし、終わってみれば存外に楽しい時間だった気がする。トレーナーが迎えにきてくれるまでの間、バイト中の出来事を振り返りながら余韻に浸るのもいいかもしれない。…トレーナーといえば、今頃はデデンネと共にバトルに臨んでいる最中だろうか。デデンネはどんな立ち回りを見せるのだろう。そして、…先ほど思いがけず鉢合わせたゲッコウガは――…思いを巡らせていた矢先、まさにそのゲッコウガに呼び止められた。またバイトをふけてきたのかと問い詰めることもできたが、それにしては表情も声音も真面目なものだった。
『仕事終わりの直後に悪いが、よかったら手伝ってくれないか』
話によると、この家の二階にあるというゲストルームが使える状態かどうか見てこいと言われたらしい。
『すぐに行けと言われたきりで、拙者もなぜゲストルームの確認が要るのかは分からない。ただ、切羽詰まった様子だったことから察するに、何ぞ緊急事態が発生したのかもしれんな』
『…緊急事態…、招待客の中で体調不良者が出たとか…?』
『おそらくはその線だろう。だとしたら迅速に対応しなければならないわけだが、…ちょうど御主の姿を見かけてな。手分けして探した方がはやいと思い声をかけたんだ』
『わかった。急ごう』
いやそんな雑な指令ある?などと疑わないのが良くも悪くもルチャブルであった。大変だから手伝ってくれと頼られたら、四の五の言うことなく即座に手伝う。まず断ったりはしない。ルチャブルの性格を知り尽くしているゲッコウガからいいように誘導されているとも知らず、ルチャブルは二階へと続く階段を駆け上がっていく。
『フロアの右側は俺が、左側はおまえが担当するとして…何を目印に探せばいいんだろうな。二階にある部屋の扉を片っ端から開けていくのも効率が悪いだろうし』
『該当する部屋には、ドアに「ゲストルーム」と書かれたプレートがついているらしい。…人間たちの使う文字は分からんが、プレートには文字の他にバラの花が描かれていると聞いた。それを手掛かりにしていこう』
ここでルチャブルが「緊急事態の内容も端折るほど切羽詰まった相手が、どうしてドアプレートの装飾に関しては懇切丁寧に教えてくれるんですかねえ?」とでも言えるようなへそ曲がりだったらゲッコウガに容易く利用されることもないのだが、竹を割ったようなルチャブルであるからして、探すものがより明確になったことでむしろやる気を出す始末だった。今となっては「役に立てるように頑張ろう」という使命感まで抱いている。このように(ゲッコウガよりも)張りきっていたため、目的の部屋を自分が見つけたときはぱあっと表情を明るくしたし、すぐにゲッコウガを呼び寄せた。
『三部屋あったぞ』
『ゲストルームという扱いはどれも一緒だろう。鍵が開いているかどうか、清掃された状態か、そういうことを確認して報告に戻ればミッション達成…の、はずだ』
『ひとまず、真ん中の部屋に入れるか試してみるか』
ルチャブルがドアノブに手をかける。施錠のなされていなかったそれはすんなりと回り、扉は部屋の内側へと開かれた。
ツインベッドにドレッサー、クローゼット。配置されたインテリアは少ないが、どれも上質のものだ。思いのほかこじんまりとしているものの、横たわって身体を休めるには何の不足もない空間だった。
『見た目には十分使える状態だと思うが…』
先行して部屋に入るルチャブル。後方から『そうでござるな』というゲッコウガの相槌と共に、ガチャリと鍵が閉まる無機質な音がした。
【 追記 】※読まなくても全く支障はありません。
①マリルリ♂関連
・邸宅住まいの一員だが、自ら警備役を買って出ている。マジもんの自宅警備員。
・邸宅で同居しているのは人間5名、ポケモン4体。以下、内訳。
〈 人 間 〉
デザイナー(家主)+妻
デザイナー夫妻の息子+妻+坊や
〈ポケモン〉
マリルリ♂+マリルリ♀+マリル♀+ルリリ♀
・マリルとルリリは坊やに同行して豪華客船の旅に出ていた(この
後になって娘たちが船内でトラブルに見舞われたということを知る。そのとき助けてくれたのが、バイトできていたゲッコウガとルチャブルであることには気付いていない。
今回、ゲッコウガにゲストルームのことを教えたのは、ある意味で恩返しとなった。
・坊やが例の教育番組のファンであり、熱心に視聴しているため、番組内のキャラクター*1を通じてゲッコウガという種族を把握していた。よって、ゲッコウガから特に自己紹介をされずとも「ゲコの字」と呼びかけている。
・警備員を自称する割にはゲッコウガの発言を容易く信じたり、思い込みの強い面があったり、少々危なっかしい。しかし、勇敢な性格をしていることに加え、いざというときに発揮される実力は申し分ない。
・特性「力持ち」、もちろん「腹太鼓」も習得している。覚醒したときは「マリルリさん*2」と呼ぶに相応しいマッシヴな形態へと大変身。
・邸宅のゲストルームは、「ゲストの宿泊」「デザイナー事務所スタッフの仮眠」「病人が出たときの隔離・看護」など、使用頻度が高いのでいつでも使えるようにしてある。
②ゴチルゼルはイケボ*3
③ルチャブル以外には意地でも謝罪と御礼を口にしないゲッコウガ。よくよく読むと、迷惑をかけ、心配をかけ、あまつさえ世話になったマリルリに、一切詫びを入れていません。