校門を出た先に、山影がある。今夜の寝床を探しにいこうとしていたテンカラットヒルだ。黒々とした夜の山は、怪談の舞台となった学校よりよほど恐ろしげで得体のしれない場所に見えた。
「今からでも行く気力があります?」と話を振った際、『すまん…私は限界だ…』と眠気MAXの声がむにゃむにゃと聞こえ、僕の肩からデデンネ姫が脱力しきった様子で落下してくる。慌てて受けとめると、お姫様は気持ちよさそうに身体を丸めて『…ねかふぇという手もあるぞ…』と寝言のように呟き、すよすよと秒で入眠した。羨ましいほどの寝つきの良さが、何だか漫画じみていて可笑しい。安らかなスヤァ…顔をさらしちゃって、こんなのもう完全に荒巻ス●ルチノフじゃん。おやすみなさいと一言かけつつ、僕はお姫様をボールの中に戻しておく。その様子を見たコウガくんが、腕を組みつつゆらりと舌の先を動かした。
『休息なら、拙者たちもボールの中で十分だ。おまえひとりが寝泊まりするだけならこの時間からでもどうにかなるだろ、街に戻るぞ』
『野宿の話題が出ていたときとは状況が変わったからな。この時間からの入山は避けた方がいい』
ルチャさんもコウガくんに賛成らしい。何でも、テンカラットヒルを目の当たりにして、妙に胸騒ぎがしたのだとか*1。あの山は余所者が安易に入ると痛い目を見そうだと忠告してくれた。その発言は野生暮らしが長かった彼なりの勘に依るものだろう。じゃ、従っておいた方が身のためかな。
その場で僕はスマホを操作し、眠る直前にお姫様が残した「ネカフェ」の勧めに沿って検索をかける。すぐにヒットしたし、即時予約が可能な店舗も複数。バカンスを楽しむ人々で溢れかえる観光地でありながら、あーっさりと一晩を安全に過ごせる場所が確保できてしまった。
思いのほかタクシーがつかまらないので、僕たち野郎共はハウオリシティに向かって徒歩移動を余儀なくされた。歩きながら「結局Uターンかあ」と何気なく口にした僕を、コウガくんが『てめえの所為だろうがボケ』と間髪入れずに切り捨ててくる。マジで容赦ねえなこのクソ蛙。所詮ただの通りすがりだったくせに自ら怪異に首を突っ込んで面倒事にかかずらったことが原因って言いたいわけ?それはそう。
夜道とはいえ住宅街の合間を縫っていていくので、別にさびれてはいない。点在する外灯のおかげでそれなりに明るく、先程21時を回ったばかりという時間帯なのでまだ人の往来もあり、適度に騒がしい。要するに、僕ひとりで歩いたって特に危険はなさそう。「君たちもボールに戻りますか」とふたりに確認してみたところ、ルチャさんは『遠慮するな』と言って柔らかく笑った。
『話し相手がいた方が寂しくないだろ。おまえが宿泊先につくまで付き合う』
……、…そうだなあ、例えるならあったかいお風呂に浸かったときの心地よさに似てる。胸の内側からじんわりぽかぽかになっていく感じ。優しさがしみるぜ…。
で、基本的にルチャさんが行動指針になっているコウガくんも、そのままついてきた。「面倒くさい」という内心の本音も露わに、随分と面白くなさそうな顔をしていたけれど。
予約を入れた時間はだいぶ先だから、僕は寄り道をすることにした。途中にタイミングよくコンビニが見つかったため、簡単な買い出しを済ませる。
ポップなデザインの地ビール数本と、各種おつまみ。お酒に弱いルチャさんがいるから飲酒はさせないけど、おつまみはポケモンが食べても問題ないものを選んでおいた。燻製チーズとか、ドライフルーツとか、ナッツ類とか。で、何をするのかっていうと、夜の海辺で一杯やろうってことで。はい。
本来なら、夜間の海は墨をぶちまけたみたいに真っ黒な海面になるはずだけど、すぐ傍の不夜城の灯りに照らされて、上品な藍色にとどまっていた。日中のうだるような暑さが嘘のように涼しく、潮の香りをまとわせた夜風が髪を梳いていく。
砂浜へと続く階段の上に腰をおろし、寄せては返す穏やかな波の音を聞きながら、僕は早速ビール瓶の栓を抜いた。一日の終わりに冷えたビール、なんて最高なんだろう。喉を通り抜ける独特の苦みがまたいいんだ…、旅先の野外でラッパ飲みってのが尚のこと美味しく感じさせてくれる。
つまみを齧りながら、僕らはとりとめもなく喋った。思いついたことを話すばかりのひととき――時には冗談を交えて、笑い合って、ただそれだけの時間だ。ルチャさんがいてくれるから、コウガくんとも普段よりは会話が続いて、それが何だか嬉しかった。小一時間程度の宴だったけれど、息抜きには十分だった。
見上げた先にはすっきりとした星空が広がっていて、明日の青天を予感させる。今日の出来事も思い出に変わり、きっと晴れやかな気持ちでこの島を出発できるだろう。そう思った。
【 補足 】
・瓶ビールのラッパ飲み
→ 栓抜きあるの?という気がしますが、このトレーナーなら十徳ナイフを携帯しているかなと…。