※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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肝試ししよう:終ⅲ スリーパー

 ひとまず、日誌に2月21日と日付を書き込むが、そこから先は一向にペンが動かない。放課後の教室で一人、少年は所在なげに頬杖をついた。

 

 つい先ほどまでは級友たちと校庭で楽しく遊んでいたというのに、担任に見つかって、本日の学級日誌を書いていない件をどやされたのだ。それで、渋々ながら教室に戻ってきた。己に非があると素直に反省したいところだが、少年は担任のことを苦手に思っていたので、内心では不貞腐れるばかりだった。何というか、この担任の言動には日頃から一貫性がないので今一つ信用ならず、理不尽だと感じることが度々ある。この学級日誌にしてもそう、生徒たちに日替わりで毎日書かせるということを徹底していれば特に文句もないのだが、担任が学級日誌のことを思い出したときだけ書かせるため、日誌に記録されている日付はよくとんでいた。継続されない日誌に果たして意味があるのか、疑問は募るばかりだ。要は、少年としては「オレだけじゃなくて、先生(おまえ)だって学級日誌のことをよく忘れるだろ」と指摘したいわけである。しかも、普段は学級日誌の管理がずぼらなこの担任、ひとたび学級日誌のことを思い出したら、今度は必ずその日のうちに書かせることに固執する。だから、少年は呼び出された。融通が利かねえなあ、と少年は舌打ちをしたい気分だった。もう遅いから家で書いて明日改めて提出しなさい…とでも言ってくれたら、少しは見直すのに。

 

 文章を書くことがあまり得意でない少年は、今日一日の出来事を振り返って総括するということが億劫でならなかった。代わり映えのない授業ばかりだったし、何なら居眠りをしていてろくに聞いていなかったし、印象に残っているものがまるでなかった。どうしようもないので、級友たちと遊んだことを書き、行を埋めることにした。

 担任が転校生のことを気にかけてやれと皆に言い渡していることもあり、遊びにはよく転校生を誘っている。彼女は遠い地方から来ており、こちらの言葉が通じないこともあるが、遊んでいるうちは大して気にならなかった。何より、誘えばいつでも喜んでくれる。最初こそ担任に言われたから遊んでいたが、ここ最近は彼女の笑顔が見たくて、少年はすすんで声をかけるようにしていた。

 

 みんなで遊んだ…とようやく日誌に書き始めたそのとき、ふと思い出す。そういえば、転校生をいつも迎えにくるはずのスリーパーが、今日は現れなかった。代わりにフワンテがやってきて、転校生の手を引いていった。転校生が大人しくついていったから、誰も何も言わなかったけれど、あのフワンテは何だったんだろう。新しく捕まえた?どこで、どんなふうに?スリーパーとフワンテを戦わせたうえでゲットしたのなら、そのときの様子を聞いてみたかった。

 

 

【 2月21日 】

 みんなで遊んだ!フワンテが迎えにきた。

 新しく捕まえたのかな?スリーパーはどうしたんだろ?

 

 

 遊びのことを書くつもりだったのなら、せめて何をして遊んだのか具体的に記しておけばより楽に日誌を書き進められたことだろう。しかし、そんな構想は少年の頭にはない。途中から浮かんだ疑問の方が先立って、脈絡なくフワンテのことに言及してしまっている。子どもが書いたものだと思えば、まあ、これはこれで微笑ましいのか。何にせよ日誌を書き終えたのだ。少年は満足していた。

 

 大した文量でもないくせに随分と大仕事を成し遂げたような気になって、少年はうんと伸びをする。椅子の背もたれに寄りかかりながら何気なく窓の外を見て、思わず「あれ?」と声をあげた。校門の辺りでスリーパーがうろついているではないか。しきりに周囲をきょろきょろと見回しているので、少年はすぐにピンときた。

 転校生を探している。だったら、早く事情を教えてあげなきゃ!少年はせっかく書いた日誌の提出も忘れて、教室を飛び出していった。

 

 息急き切ってスリーパーに駆け寄り、少年は「あいつはもういないよ」と告げた。親切のつもりだった。こうしてスリーパーに説明してやれたのだから、日誌を書くために居残っていたこともなかなかどうして役に立ったではないか。そんなことすら考えていた。

 

「すれ違いになっちゃったんだな。あいつ、今日はフワンテと一緒に帰ったんだ」

 

 スリーパーがどんなに愕然とした表情をしていたか気付きもしないで、少年は、今度はスリーパーもフワンテも一緒に遊ぼうなと無邪気に提案をした。

 

 

+++++

 

 

 その日は、母親の買い出しに付き合っていたのだ。「今日は荷物が多くなる予定だったから、スウちゃんがついてきてくれて助かっちゃった」と彼女は茶目っ気たっぷりに笑っていた。

 車の後部座席やトランクに詰め込まれた荷物を念力で浮かし、リビングまで運んでいく。こうした日常的な力仕事に超能力は打ってつけで、スリーパーは重宝されていた。

 

 母親は荷物の中から食材の入った袋を持ち上げ、台所へ向かう。彼女は、エプロンを身につけながら「お迎えの時間がいつもより遅くなっちゃったわね」とスリーパーに話しかけてきた。

 

「あの子、寂しがってるかもしれない。すぐに行ってあげて」

 

 私は、あの子の好きなものを作って待ってるから。朗らかに告げ、母親はジャガイモやひき肉のパックを持ち上げてみせる。今夜の献立は、どうやらコロッケらしい。スリーパーの好物でもあり、これは是非とも出来立てを頬張りたいものだ。スリーパーはいそいそと玄関を出た。食卓を囲むのが、今からもう待ち遠しかった。

 

 

 

 ――子どもができたら友だちになってあげてね。夜になったら楽しい夢を見せてあげてね。そう望まれ、スリープの時分に引き取られた。子どもを授かるまでに時間がかかり、夫婦待望の第一子が生まれてくる頃にはスリーパーになっていたのだが、進化後に新しく獲得した首周りの白い毛を子どもが気に入ってよく頬ずりしてきたので、親しくなりやすかったという点ではかえって都合が良かったかもしれない。

 

 母親の好きな露草にちなんで、一人娘はツユと名付けられた。人間の赤ん坊に接するのは初めての経験だったが、スリーパーはスリーパーなりに、育児に参加した。やってみれば、思いのほかあやすのは得意だったようで、すぐに赤ん坊はスリーパーに懐いてくれた。

 エスパータイプの面目躍如といおうか、顔を真っ赤にして泣く赤ん坊が何を要求しているのかすぐに読み取って対応できたし、入眠の手助け程度に催眠術を使えば寝かしつけだってお手の物だった。夜泣きしようが何のその、だ。無論、エスパー能力に頼ったところで一筋縄ではいかないことも数えきれないほどにあったが、それでも、赤ん坊の世話に嫌気が差したことは一度もない。スリーパー自身には番(つがい)も卵もなかったが、代わりに、人間の子どもが成長していく様を見守るのは楽しかった。毎日が幸せに満ちていた。

 

 ツユがすっかり大きくなりスクールへと通い出したそのタイミングで、父親の転勤が決まった。彼が務める会社のアローラ支部へ出向することになり、家族そろって引っ越した。

 新天地での暮らしは、心躍ることばかりではない。住み慣れた町や仲良しの友だちと離れ、見知らぬ場所で生活する――そこには不安がつきものだ。娘を心配した両親は、新しい環境に慣れるまで登下校の付き添いをしてやってほしいとスリーパーに頼むのだった。

 スリーパーには何の異論もなかった。むしろ当然だと思った。彼女が通学路を覚え、自信を持って登下校ができるまで、守るつもりでいた。

 結論からいうと、転校初日の滑り出しは上々、以降もクラス内では手厚くサポートしてもらえたようだ。夜ごと口にするツユの夢のおいしさが、それを証明していた。

 言葉も文化も異なるアローラで、地元の級友たちから好意的に受け入れられたことをツユは喜んでいた。彼女は懸念されていた不登校に陥ることなく元気に通い続け、その道中でいかに周囲の人々が親切にしてくれるかスリーパーに話して聞かせた。嬉しそうなツユの表情を見ながら、スリーパーは胸が温かくなったことを覚えている。引っ越してきた不安をかき消すほどに思い出が増えていくといい。いずれはアローラが彼女の第二の故郷になるだろうと、…そう思っていた。

 

 

 

 いつもの通学路を歩き、見慣れた景色を通り過ぎて、到着したトレーナーズスクール。ツユが待っているはずの――校庭。

 しかし、校庭には誰一人おらず、しんとしていた。…あの子は勝手に帰ったりしない。必ず待っておくよう言い含められているのだから。スリーパーは首を傾げながらも、辺りを見回しながら校庭をうろついた。そのうちに、校舎から一人の少年が駆けてきた。放課後の遊び仲間の一人なので、スリーパーにも見覚えがあった。

「なあ、あいつのことを探してるんだろ」と少年は言った。その通りだったので、スリーパーはじっと少年の言葉の続きを待った。彼女の行方を教えてくれるものと、信じて疑わなかった。

 

「すれ違いになっちゃったんだな。あいつ、今日はフワンテと一緒に帰ったんだ」

 

 …少年自身は、今、自分が何を言ったのか分かっていないのだろう。あっけらかんとした口調だ。しかし、スリーパーは違った。事態の深刻さを瞬時に理解して蒼ざめた。冷汗が滲んだ。急に氷水を浴びせられたみたいに、全身が冷えていくのが分かった。

 

 その後どうやって帰宅したのか、よく覚えていない。無我夢中で引き返し、早く通報してもらわねばということで頭がいっぱいだった。血相を変えて家屋に飛び込んできたスリーパーのただならぬ様から、母親はすぐに非常事態の気配を感じ取ってくれた。

 

「どうしてあなたひとりで、…あの子、……、ツユは?いなかったのね?」

 

 緊急性が伝わるよう、スリーパーは必死に首を縦に振った。母親は顔を強張らせながらも気丈に振舞い、電話をかけ始めた。まずは夫に。そして、学校へ。学校側は同級生の各家庭へ連絡を取り、ほどなくしてツユと遊んでいた子どもたちが判明した。彼らは口を揃えて「フワンテと帰った」と言うので、この時点で、大人たちにも「一人の少女がフワンテに攫われた」という情報が共有されることになった。

 

 ゴーストタイプのポケモンに連れ去られた人間が、帰ってきた例が無いわけではない。だが、それは極めて稀なケースであり、目をつけれたら最期というのが世間での認識だった。夫婦は同情され、慰められ、しかし誰もが、声にこそ出さなかったが「絶望的だ、諦めろ」と心の中で言っていた。

 

 とりわけ己を責めたのが母親だった。「私がいつも通りにスウちゃんを迎えにいかせていれば」と、後悔してもしきれない「たられば」で心を病み、食が細り、塞ぎこんでしまった。スリーパーとて同じ気持ちだった。「もっと自分が急いでいれば」と何度思ったことか。のんきに歩いていくのではなかった。いつもより迎えが遅くなったのだから、スクールに向かって走っていけばよかった。そんなことを考えるのだが、もう、取り返しはつかない。

 

 家の中には暗い空気が立ち込めていた。夫婦そろって不眠症となり、眠りについたところで悪夢にうなされるような、そんな夜が続いた。悲しみに暮れる夫婦を間近で見ているスリーパーには、悲しむ暇もなかった。自分まで落ち込んではいよいよお終いだと思った。この二人を支えよう。そして、壊れてしまった日常を取り戻すためにツユを見つけだそう。その決意を胸に、無理にでも立ち上がるしかなかった。

 

 スリーパーの分類は催眠ポケモン。言(げん)を俟(ま)たず、十八番は催眠術。相手を眠らせ、夢を食べるために発達した力――…スリーパーは夜ごと夫婦に催眠術をかけ、深い眠りを与えた。眠っている間だけでも、心と体を休めてほしかった。悪夢を見るようなら、それがどんなに酸っぱく不味くても、彼らの安眠のために食べ尽くした。

 夫婦が眠ったことを確認すると、スリーパーはそっと家を抜け出し、夜の街を徘徊するようになった。ゴーストタイプのポケモンと遭遇する確率を上げ、フワンテの情報や連れ去られたツユに関する手がかりを集めようとしたのだ。

 しかし、人と共に紡ぐ穏やかな暮らししか知らない温室育ちのスリーパーにとって、街で出くわすポケモンたちは決して優しくはなかった。野良連中から絡まれたり、揶揄われたり。難癖をつけられて暴力を振るわれることもあった。生傷が絶えず、夜間の調査は難航した。

 負けてたまるかと歯を食いしばった。ツユは、今もどこかで心細い思いをしているかもしれない。想像するだけで胸が痛んだ。きっとあの子を救い出すのだと自分に幾度となく言い聞かせたが、――自分よりはるかに小柄なチョロネコに路地裏で突き飛ばされたとき、ぽきりと、心が折れかけた。わざとゴミ箱の方に押され、頭から生ごみをかぶる羽目になった。惨めなスリーパーの姿を見て、チョロネコはゲラゲラと嘲り、嗤うだけ嗤って去っていった。面白そうなオモチャがあったから気まぐれに手を出した、チョロネコにとってはそれだけのことだ。あからさまな悪意に打ちひしがれ、取り残されたスリーパーは膝を抱えた。ひとり、涙をこぼした。

 

『…あんたさあ。ここいらでちょくちょく見かけるようになったけど、何してるわけ?』

 

 汚らしい見てくれのスリーパーに怯みもせず、声をかけてくれたポケモンがいた。滲む視界に映ったのは、一体のイワンコだった。近所の家に住むイワンコとは似ても似つかない、いかにも野良らしい瘦せぎすの体躯で、毛並みはぼさぼさ。使い古された筆みたいだ。とても仔犬とは思えない荒んだ目をしており、顔の中央をはしる一文字の古傷が余計に彼の凄みを際立たせていた。

 スリーパーが黙りこくったままだったので、イワンコは聞こえよがしに溜息をついた。

 

『おどおどしながら歩き回って、そのくせ手当たり次第にワル共に話しかけてさ。で、ボコられる。その繰り返し。なめられるに決まってンじゃんかさあ、キモオタ仕草しかしないんだもん。馬鹿なの?ちったァ学習しなよ』

 

 言われなくても分かっている。自分のやり方がまずいことくらい。でも、ツテも何もないから、どうすればいいのか見当もつかない。思いついたことをやるしかなかったのだ。

 再び込み上げてきた涙を拭いながら、スリーパーはイワンコに経緯を話した。すると意外にも、イワンコは神妙な顔つきを見せ、茶化すことなく最後まで聞いてくれた。どもりながら話すスリーパーに辛抱強く付き合った後、イワンコは呆れたようにふんと鼻を鳴らした。

 

『つまりはあれか、情報収集なんだろ?だったら相手を選べよ。夜の街でバカやってるチャラついた奴らじゃなくて、ちゃんと有識者を探しな』

 

 ほら、立てよ。

 イワンコはスリーパーに蹴りを入れてきた。蹴りといっても、戯れのような軽い触れ方だ。どうやら、活を入れようとしてくれたらしい。

 

『ひとまず、公園に行くぞ。あそこなら水道もあるし』

『な、…何で、水道…?』

『あんたが臭ぇからだよ!身だしなみは重要だろうが』

 

 君がそれを言うのかいと軽口をたたく気力もなく、スリーパーはよろよろと身体を起こして、おっかなびっくりイワンコの後をついていくのだった。

 

 

***

 

 

 水の冷たさに震えながら汚れを落とし、濡れそぼった毛皮のまま公園内を歩くこと数分。スリーパーは、イワンコに連れられて墓地へと足を踏み入れていた。

 初めて訪れる場所だ。敷地内は広々として、空気が澄んでいた。今は夜なので黒々とした木立ちを恐ろしく感じるが、昼間は雰囲気が一転し、さぞ緑豊かで美しいだろうと想像できた。公園の片隅に墓地が出現したときは驚いたが、イワンコによれば、ここはその名もまさしく公園墓地と呼ばれる場所であり、墓地としての機能は一つの側面に過ぎないという。実際、花見や散歩、スポーツ大会など、墓参り以外の目的で利用する人間も多いとのことだった。

 

『しみったれた陰鬱な墓地じゃないところが気に入ってるんだってさ』

『……、…誰が…?』

『今から会うじいさんが、だよ』

 

 ほれ、とイワンコが前脚で示す墓地の一角で黄みがかった炎が揺れていた。ロウソクか、ランプか、…否、いずれも違った。近付いていくにつれ、それはシャンデラの灯す炎であったことが知れた。

 老いたシャンデラはいかにも年長者としての余裕をうかがわせ、泰然としており、スリーパーとイワンコの訪問も快く受け入れてくれた。シャンデラといえば青白い炎をまとうものとばかり思っていたので、彼のような温かみのある炎を見ていると、いつだったか家族で出かけたキャンプのことを思い出す。ツユと一緒に焚火を囲んで、焼いたマシュマロを食べたり、ホットココアを飲んだりして、楽しく談笑して…。揺れる炎は束の間の追憶へスリーパーを誘い、心を落ち着かせてくれた。

 

『さあ、もっと傍においで。そのままでは風邪をひく。…儂は「炎の身体」だ、近くにいればそのうち毛皮も乾くだろう』

『…ありがとうございます』

『でもさ、じいさんに近寄ったらヤバいんじゃなかったっけ?魂を燃やしちまうんだろ?』

『相変わらず口の減らん小僧だの。加減するに決まっとろうが』

 

 厳めしい雰囲気もなく、シャンデラは気さくだった。せっかくイワンコが繋いでくれた縁だからと、スリーパーは一から事情を語り、どうすれば大切な家族を見つけ出せるのか助言が欲しいと頼んだ。シャンデラは断らなかったが、しかし、薄紅の目を悲しげに細める。

 

『儂の知っていることを教えてやるのは構わんのだが、…その女の子に生きて再会するのは無理だ。それでも話を聞くかね?』

『無理って、…そんな、どうして…』

 

 白黒をはっきりとつけた、断定の表現。思わせぶりなことを言うまいという配慮なのかもしれないが、ショックは大きい。スリーパーは、口の中が急速に干乾びていくのを感じた。

 

『フワンテは、気に入った子どもの手を引いて霊界についれていく。ゴーストタイプのポケモンのみが出入りできる異空間だ。そこでは、生者の肉体は機能しなくなる。連れ去られた者はやがて霊魂だけの存在になり、脱殻となった肉体は捨てられてしまうんだ』

『じゃあ…あの子はもう…』

『消息を絶ってから時間も経っている。霊魂と化している可能性が高い』

 

 スリーパーの隣では、イワンコが地面に視線を落としている。彼は何も口を挟まない。事の成り行きを見守る他ない、法廷内の傍聴人に似ていた。

『あの子の霊魂は今どうなっているんですか』とスリーパーがやっとのことで声を出すと、シャンデラは『フワンテは捕まえた人間を易々とは手放さないから、彼女の霊魂はフワンテと共に今も彷徨っているだろう』と答えた。

 

『霊界は時空が歪んでいてね、現実世界の物理的な距離を問題としない。霊界を通れば、大した労力を割くことなくどこにでもいけるのさ。新しい友だちを得て有頂天になっているフワンテなら、その子の霊魂をあちこちへ連れまわしていてもおかしくない。…となれば、彼らがどこにいるのかつきとめようとしても、行動範囲はアローラにとどまらず世界全体が対象となる。特定は極めて困難だ』

 

 だから――と、シャンデラは続ける。『だから観念しろ』と言うのだろうなと、スリーパーは絶望に耐えかねて目を閉じたが、聞こえてきたのは意外な言葉だった。

 

『だから、彼女の霊魂と接触するためには、少なくともこのアローラに戻ってきてもらう必要があるということだな』

 

 この世の者ではなくなった存在に、こちらから働きかける手段があるということだろうか。スリーパーが顔を上げると、シャンデラは『あの木の根元をごらん』と促した。

 

『光の玉があるだろう?いくつに見える?』

 

 ふうわりと浮かぶ光。バルビートが飛んでいるのだろうかと思いながら、『三つです』と返答した。すると、話題が暗い方向から逸れたことを察してか、イワンコも再び会話に混ざってきた。

 

『え、何?光る玉?』

『ほら、白っぽく光って浮かんでるよ』

『はあ~?』

 

 スリーパーもイワンコもお互いの言動に怪訝な表情を浮かべたが、シャンデラは『その反応こそが自然なのだ』と話し、続けて『あれが霊魂だよ』と衝撃的なことを告げた。

 

『スリーパーは生粋のエスパータイプだからな。他のタイプと比べても第六感の冴え方は別格だ。つまり、ゴーストタイプのポケモンでなくとも、おまえさんなら霊魂の感知も接触も難しい話でなくなる。あとは、おまえさんが霊魂の呼び水になれるかどうかが鍵だが……』

 

 なあ、おい。何か妙案はないもんかね?

 シャンデラはおもむろに見上げ、頭上に広がる枝葉に向かって声をかけている。独り言ではない。現に、『いきなり話を振られても困るなあ』と返事が寄越されたのだから。

 

 

『アローラ、皆さん』

 

 

 鼓膜に絡みつくようなねっとりした声音を伴い、ジュナイパーが姿を現した。フクロウは飛翔時に音を立てないと聞いたことはあったが、なるほど確かに、羽ばたいているにも関わらず羽音が聞こえてこない。無音で着地してくる。

 森の奥に棲むとされるジュナイパーが人里に出没するとは知らず、スリーパーはつい、まじまじと見つめてしまった。目元に影を作る深緑の羽や足元に届く大きな両翼は、どことなくフードつきローブを彷彿とさせ、狩人のようにも、暗殺者のようにも、魔術師のようにも見える。シャンデラの炎に照らされて光る金色の眼が、ミステリアスな印象を強めていた。

 

『いつからいたんだよ』

 

 イワンコが噛みつくように尋ねる。ジュナイパーはイワンコの態度を特に気にするふうでもなく、マニキュアの出来を確かめるような仕草で爪の先を見ながら『この場に到着したのは、キミたちよりボクの方が先だよ』と何食わぬ顔で言った。

 

『最初からってことじゃねーか』

『その通り。…発酵木の実が手に入ったからシャン爺にお裾分けにきたんだけどね…、まあ、子どもに順番を譲るくらいの良識はあるつもりさ』

『譲ったついでに盗み聞きか?いい趣味してるぜ』

 

 イワンコがとても初対面とは思えない発言を繰り返すので、『知り合い?』とこっそり訊いてみると、イワンコは詳細は話さずに『面倒くせぇ野郎さ』とだけ吐き捨てた。

 

『誰が面倒くさいって?』

 

 そういうところだよとすぐさまイワンコに揚げ足を取られ、ジュナイパーは僅かに眉間にしわを寄せた。

 

『いつ会ってもいけ好かない仔犬だねえ、キミは。シャン爺が懇意にする話し相手じゃなかったらとっくに食い殺しているところだよ』

 

 雑談のような気軽さでさらりと脅し文句を口にしたあと、ジュナイパーはフクロウ特有の動きできゅるりと首を傾げた。

 

『新顔くんの話は分かったけどさあ、そもそも、皆が揃いも揃って辛気臭くなるような内容かなあ?

 フワンテが人間を仕留めた。なるほど結構なことじゃないか。昔は人間を狩れたら一人前と言われたものだよ』

『…おまえ…』

 

 コイツの話を聞いて、どうやったらそんな感想が出てくるんだよ。

 イワンコが心底おぞましいといった目つきでジュナイパーを見るが、当のジュナイパーは肩をすくめるだけだった。

 

『ボクは木の実も食べるけど、基本は肉食だからね。動きの鈍いヒナを狙って狩りをすることがよくあるよ。かつてボクが腹におさめてきたヒナたちには、当然、親兄弟がいたろうさ。でも、残された家族だの群れのことだの考えてたら狩りができなくなっちゃう。今回の件も、同じようなことだと思うけど』

『…その理屈は、若者にはちと酷だぞ。加減をしろ』

 

 シャンデラは、ジュナイパーをたしなめたものの、発言そのものは否定しなかった。スリーパーは、ジュナイパーの考え方が許容される類のものであることを悟り、言い返すことこそしなかったが内心では傷ついていた。遺族の悲しみは、弱肉強食の理を前にしては無意味も同然だと言われた気がした。そして実際、その通りなのだろう。

 

『加減ね…、まあ、餌を横取りされたのが許せないということなら分からなくもないかな。その執着心は嫌いじゃないよ』

『餌って…』

 

 もはや彼と分かり合えそうにないことを察してスリーパーが呆気に取られていると、『だって、キミは夢を食べるポケモンだろう?今までもお嬢さんの夢を貪ってきたんじゃないのかい?これが餌でなくて何だと言うの?』と問われ、ますます唖然としてしまった。イワンコがジュナイパーに対して嫌悪感を隠そうとしなかったのも、宜(むべ)なるかなと言わざるを得ない。

 

『ボクはね、取り返すためのキーワードは「夢」だと思っている。キミがスリーパーであったことが、もしかしたら幸運なことだったかもれないよ』

 

 この猛禽が何を言っても不愉快になるだけのように思えたが、ここで初めて彼の口から前向きな発言が出てきたので、まだ我慢できそうだった。有益な情報なら聞き逃すわけにはいかない。スリーパーは己を奮い立たせ、ジュナイパーの言葉に耳を傾ける。

 

『ボクの知り合いにムシャーナがいてね…、以前、彼女が興味深いことを言っていたんだよ』

 

 主食が夢、エスパー単タイプ、類似点のある外観。太古――…ムンナ・ムシャーナ・スリープ・スリーパーは共通の祖先を持っていたのではないか。そんな、俄かには信じがたい話だった。

 

『ムシャーナは、夢に出てきたものを実体化させる力を持つ。種として近いキミも、ムシャーナと同じような力を使えるんじゃないかな。どう?』

 

 スリーパーは頷いた。

 これまでに食べた夢は全て覚えている。一つ一つを整理して、戸棚にしまっている感覚だ。必要になればいつでも取り出すことができる。だから例えば、過去に見た楽しい夢をもう一度見せてあげることが可能だし、夢の内容を幻影として現実世界に再現することも、…多少の労力を割かねばならないが難しいことではない。

 

『…なるほどのう。夢で霊魂を誘導するのか』

 

 シャンデラは謎めいた言葉で話の穂を継ぐだけでなく、スリーパーとイワンコに『夢とは肉体の一部なのさ』と解説してくれた。

 

『夢とは何か。記憶が生み出すものだ。では、記憶とは何か。霊魂を構成するものの一部だ。…この説明を聞いた後では意外に思うだろうが、記憶は霊魂側、対する夢は肉体側に分類される』

『…夢ってのはすぐ忘れちまうものじゃねえか。そんなものが肉体の一部だって言われてもな…』

『そうだな、目覚める頃には消えてしまう儚いものだ。しかし、肉体への影響は大きいぞ。現に「夢喰い」という技があるだろう?明確な攻撃の意図を以て夢に手を出せば、相手の肉体がダメージを負う。夢と肉体の繋がりを示す好例だよ』

 

 ある意味で、夢は肉感を伴うという。スリーパーが夢に食い応えを感じるのはそのためだとシャンデラは語った。

 

『つまり、だ…ジュナイパーが言いたいのは、女の子の失われた肉体の「残滓」として彼女の夢を有効活用できるんじゃないかということさ。

 失われたはずのものが僅かでも残っていると分かれば、霊魂は共鳴する。記憶が親とすれば夢は子のようなもの…夢が具現化されたら、恋しさと懐かしさで霊魂が戻ってくるかもしれない。…分かるかね?』

『…えっと、…その、何というか…骨子は理解できたと思います』

 

 情報が多く、考えをまとめる時間が必要だが、先程ジュナイパーが発言した「スリーパーであることの幸運」の意味はようやく分かった。本来は不可視でスピリチュアルな夢をこの世に再現する――…この超能力を駆使すれば、あの世に渡ってしまった者をこの世へと誘い出せるかもしれない。そして、接触できるかもしれない。そういう話なのだと解釈した。

 

『ただ再現すればいいというものではないよ、こういうことには場所選びも重要だ。…そうだねえ…、やっぱり現場(スクール)がいいんじゃない?交友関係が上手くいっていたおかげで、どうやらお嬢さんは学校に愛着があったようだし。何より、誘拐という強烈なエピソードもついている。フワンテにとっても、狩りに成功した場所だから思い入れがあるはず…。お嬢さんにせよフワンテにせよ、学校は強い縁が発生している場所ということになるね。おびき寄せるには最適なロケーションだと思うよ。

 ついでに、夢を再現する場には、お嬢さんが生前に大事にしていたものを置くといい。霊魂を呼ぶための補助アイテムになるから』

『おまえさんにしては親切だな』

『何さ、最初に妙案はないかと言ってきたのはそっちでしょ。回答してあげただけだよ』

 

 ――全ては可能性の話に過ぎない。

 実行に移したところで必ず達成される保証はどこにもない。一縷の望みに縋って生きるのはつらい選択かもしれないが、しかし、その小さな希望こそが生きる気力になるということも往々にしてある。

 気付けば、夜の街をあてどなく彷徨う寂しさが胸の中から消えていた。方針と具体策がはっきりしたためだ。やるべきことができた、…それが今のスリーパーにとってはありがたかった。

 

 

+++++

 

 

 ジュナイパーは美食家である。旨い獲物にありつくためならどこへでも狩りへいくフットワークの軽さから、霊界を通って他地方へ赴くことがよくあった。このように、方々へ移動する生活を日常的に送っていたからこその巡り合わせだったのかもしれない――彼女との、邂逅は。

 

 線路も鉄道もないというのに、なぜか、霊界にポツンと建つ古びた駅舎。その周辺で、おびただしい数の彼岸花が咲き乱れている。薄暗い霊界の空の下、そこだけが異様に鮮やかな紅で占められており、ゆえに、場に馴染まない白い帽子が目立った。

 はて何だろうと気になり、ジュナイパーは舞い降りる。

 着地したすぐ傍に、少女がいた。白い帽子に薄水色のワンピース、幼さを象徴するような二つ結びの髪型。駅舎の外に設けられたベンチに、一人で座っていた。ジュナイパーなど目に入らぬといった様子で遠くを見つめており、ゆらゆらと足を揺らしている。

 

『アローラ、お嬢さん』

 

 気を引いてみる。霊魂に語りかけるための特殊な鳴き方をすると、少女はようやくジュナイパーの方へ顔を向けた。ぼんやりとした表情は変わらない。ただ、放心の態のまま「…あろー…ら…」と覚束ないオウム返しをした。

 

「…その挨拶…久しぶりに聞いた…」

『聞いたことがあるのかい?』

「そう…少しの間だけど、住んでたから…」

 

 少女の口から紡がれてくるのは、アローラの言葉ではない。だからといって、ジュナイパーが彼女の出身地を特定できるほど言語に精通しているわけでもない。どのみち、些末なことだ。相手が霊魂なら意思疎通が可能、それがゴーストタイプであるからして。

 

『こんなところで話し相手が見つかるなんて嬉しいな。一人で来たの?』

 

 何となく答えが予想できていながら敢えて尋ねると、少女は案の定「フワンテにつれてきてもらったの」と言った。

 

「きれいな花が咲いてる場所があるから、案内してあげるって」

『ここは名所だからね。いつ見ても、ぞっとするほど美しい』

 

 突然現れたジュナイパーを警戒することなく、むしろ少女の方も会話を歓迎しているような節があった。幾度か遣り取りを交わしているうちに彼女の表情は豊かさを取り戻し始め、ジュナイパーが質問したことには口ごもることなく素直に答えてくれた。

 

『フワンテの姿が見えないようだけど?』

「お腹が空いたみたい。だから、木の実を探しにいったの。君の分も採ってくるからねって言ってくれた」

『へえ、優しいじゃない。仲良しなんだね』

「…仲良し…、うん、……、…そう思う…。ずっと一緒にいるし…」

『長い付き合いなんだ?』

「長いというか、…よく分からないの。手を引かれてからどのくらい経ったのかな…?」

『…手を引かれて?』

「いたずらされたの。放課後に、校庭で手を引かれて…それで…」

 

 少女は、膝の上に置いた手で、きゅっとワンピースの裾を掴む。

 

「スウちゃんが迎えにきてくれるのを、いつも通りに待ってればよかった…」

『スウちゃんって、家族のことかな』

「そうだよ。スリーパーのスウちゃん。私が小さい頃からの、大事なお友だち」

 

 言い終わると、少女は自分自身の言葉にはっとした顔をしてすぐに周りを見渡した。明らかにフワンテがいないか確認している様子だったので、『フワンテが気になる?』と直球で問うと、少女は「家族のことを話すとフワンテが怒るから」と力なく呟いた。寂しがり屋で独占欲が強い、いかにもフワンテらしい反応だ。察するに、フワンテと過ごす霊界生活ではかなり神経を使っているのだろう。

『帰りたいとはなかなか言いづらいだろうね』と共感を示してみせつつ、ジュナイパーは、なぜ自分が発見者の役を担うことになったのだろうと考えていた。異邦の少女。フワンテに攫われた被害者。…彼女を取り戻したいのだと、探していたスリーパー。いつだったか、昔、そんな話を墓地で聞いたんだっけ。気まぐれな自分がよくぞ覚えていたものだと、ジュナイパーは我がことながら感心してしまう。

 

 この少女にスリーパーのことを教えてやりたかったが、それは彼女を喜ばせすぎる気がした。内心を上手く隠せるような年頃には見えないし、何事か察したフワンテが嫉妬でへそを曲げたら台無しだ。アローラに引き返すようそれとなく誘導するしかなさそうだった。

 

「少し前からね、…私、呼(・)ば(・)れ(・)て(・)る(・)気(・)が(・)す(・)る(・)の(・)。遠くから、おーい、おーい、って。胸の辺りがざわざわするの。何だか、学校に忘れ物しちゃったかもって気付いたときみたいな、落ち着かない感じになる」

『……、…そういうときはね、本当に忘れ物をしているものさ。もう一度、来た道を引き返すことをお勧めするよ』

「でも、…戻りたくても、どうやったら元の場所にいけるのか分からないし…」

 

 肩を落として溜息をつく少女に、ジュナイパーは『フワンテをその気にさせるしかないだろうね』と返した。

 

『帰りたいとはっきり言いにくいなら、言い方を変えたらいいのさ。「ふたりが初めて出会った場所に行こう」と誘ってみてはどうだろう?懐かしくなったから、って理由を添えて。これなら、相手も気分よく聞いてくれるかもしれない』

「…そっか!その誘い方、いいかも!」

 

 アイディアが浮かんだついでに、キミにいいことを教えてあげよう。

 そう言って、ジュナイパーは翼の先でそっと彼岸花の花弁を撫でる。

 

『キミが強く望むなら、きっと、忘れてきたものとまた会えるよ。

 霊界の彼岸花はね、あの世とこの世の境界に咲くんだ。二つの世界を取り持つこの花の花言葉は「再会」――さあ、どれでもいい、一輪摘んでポケットに入れておきなさい。キミのお守りになってくれる』

 

 パッと顔を明るくした少女が、ベンチから降りて立ちあがったちょうどその瞬間に『その子は僕のものだぞ』と声がした。随分と不機嫌そうな声色だったが、ジュナイパーは気にすることなくゆったりと背後を振り返る。

『やあ、これは失敬』とジュナイパーは役者じみた動きで翼を広げ、花を摘み取る少女の姿をフワンテから隠してやった。

 

『まさかこんなに辺鄙な場所で人魂を見かけるとは思いもよらなくてね。興味本位で近付いてしまったんだ。それ以上の他意はないから安心してほしい』

 

 ついとジュナイパーはフワンテの隣に寄って、彼だけに聞こえるよう声を潜めた。

 

『ボクは獲物の横取りをするような下品な真似はしないよ。…あの人間はキミが捕まえたのかい?すごいじゃないか。最近の人間はどいつもこいつも警戒心が強くなっているからね、狩るには難しい標的だと思っていたが…若いのに大したもんだ』

 

 まさしくフワンテにとっての褒められたいポイントを的確に突けたようだ。それが証拠に、フワンテはころりと目元を緩め、あまりに分かりやすくジュナイパーへの敵意を消した。

 

『学校で見つけてきたんだ!』

『…ああ、アレか。人間の子どもが集まるところなんだろう?目の付け所もさすがだよ』

 

 互いにアローラの生まれであったため同郷の話題で場を盛り上げながら、フワンテからある程度の信用を得られたと確信した時点で、ジュナイパーは耳打ちしておいた。

 

『そういえば、キミがあの少女を見つけたという場所で面白い噂が立っているよ。

 なんでも、怪異続きで人間たちが右往左往しているらしい。七不思議だ何だと言って騒いでいるのをちらと小耳に挟んだのさ』

 

 あの子と一緒に行ってみてはいかがかな?きっと楽しいと思うんだ。

 それに、キミなら、七不思議を隠れ蓑にして新(・)し(・)い(・)遊(・)び(・)相(・)手(・)の一人や二人、連れていけるかもしれないよ。

「実力あるあなただからこそできることだ」と聞こえるよう蠱惑的に囁きかけておく。細工は流々――…お膳立てはしておいた。あとのことはスリーパーに委ねるとしよう。

 

 

+++++

 

 

 スリーパーは、放課後の空き教室を利用して「夢の再現」に取り組み始めた。最初に再現したのは、アローラに引っ越してきてからの、初めての登校日の夢。

「皆さん、今日は新しいお友だちが来てくれましたよ!仲良くしてくださいね!」と担任が溌溂とクラスに紹介し、級友たちからは拍手で迎えられ、あの子はほっと胸を撫でおろしていた――…彼女の夢を再現し、その幻影の中に身を置いていると、スリーパーは愛しいやら切ないやらで、どうしようもなく泣けてしまった。確かな哀しみがあるその一方、ツユの夢を眺めることで心が慰められていくのを感じていた。

 

 来る日も来る日も、スリーパーはツユの夢を再現し続けた。この行為に意味があるのか、価値があるのか、効果があるのか、…そんなことを考えだせばきりがなかったから、只々、信じて待つしかなかった。再会が果たされるまでにどれほどの年月が必要となるのか分からぬまま、それでも、この夢がいつかきっと彼女の霊魂を呼び寄せてくれると自分自身を励ました。

 

 気付けば数年が経過していた。夢の再現行為が、いつしか人間たちから「おばけの教室」と呼ばれて七不思議の一つに数えられるようになったことなどつゆ知らず、スリーパーは変わらぬ日常を繰り返した。

 悲しい出来事を思い出してしまうからという理由で、ツユの両親がアローラから引き払うことだって十分にあり得たのだが、「あの子が帰ってきたときに家がなかったらびっくりしちゃうでしょ」と母親が言ったことをきっかけに、現地に留まることを選んだのだった。振り返れば、ツユの帰りを待ち続けることで家族は停滞したままだった。夫婦ふたりも現状の打開を試みていたようだが結局は空回りに終わり、救いを求めて怪しげな新興宗教にはまりかけるなど、家庭内の危機を招くだけだった。夫婦の危うさに接するたびにスリーパーは己の無力を呪った。これから先も家族としての形を保っていけるだろうかと不安を覚えながら暮らし――遂に、あ(・)の(・)日(・)を迎えることになった。

 

 スリーパーが夢の再現をするようになって以降、誰かと鉢合わせることはなかったのだが、そのときばかりはイレギュラーな事態が発生した。

 少女が一人、居残っていたのである。咄嗟に、スリーパーは逃げ出すことを考えた。催眠術をかけて、眠らせて、その隙に…と焦る頭で考えていたのだが、よく見ると、少女はこの辺りでは見慣れない顔の造形をしていることに気が付いた。どうやら、他の地方からやってきたらしい。証拠に、アローラの言語辞書を引きながら文章を書いていた。…あの子も、辞書を引きながら、苦労して宿題をしていた。そう思うと、目の前の転校生が、かつてのツユと重なって見えた。

 

 この子は、もしや生まれ変わりなのでは?

 

 そんな考えが、スリーパーの脳内を過る。

 勿論、ツユの失踪時期を考えればありえないことは明白である。後々、それはスリーパーの単なる思い込みであり、そうあってほしいという都合の良い願望に過ぎなかったことが判明するわけだが、このときのスリーパーは、偶然の遭遇を運命のように捉えてしまっていた。

 

 そうだ、そうだ、…きっとそうだ!ツユが新しい肉体を以て会いに来てくれたんだ!

 

 夢を見せたら、彼女の魂が共鳴するはず。そう思っていつも通りに夢を再現してみせた。…しかし、目の前の少女は、スリーパーが期待していたような反応を見せなかった。まるでお化け屋敷の中にでもいるみたいに、恐ろしいものに取り囲まれたかのごとく怯え、蒼白になって――…そして、彼女の危機を察知したヌメイルがスリーパーの前に立ちはだかってきた。

 大切な存在を守るべく行動できているヌメイルと、大切な存在を守れなかった己の対比が、あまりに残酷に際立ったように感じて、スリーパーはその場で胸を掻きむしって慟哭したい衝動に駆られた。

 

 

 一方的な勘違いで赤の他人を傷つけてしまったことへの慚愧の念。…しかし、失意の底に突き落とされたスリーパーにも最後には救いが待っていた。

 夜の校庭で互いの視線が交差したあのとき、長い迷路を抜け出した気分だった。それはきっと、彼女の方も同様だったに違いない。

 

 

「あのね、スウちゃん。お願いがあるんだ」とツユは屈託なく笑った。

 変わり果てた姿でありながら、あの頃とちっとも変っていない鈴を転がすような声が出てくるものだから、スリーパーはまた目元を拭う羽目になった。

 

「パパとママにも迎えにきてほしいの。だけど今日はもう遅いし、明日の方がいいよね。

 覚えてる?みんなでピクニックにいった黄色い花畑…。私、そこで待ってる。今度こそ、誰にもついていかずに、スウちゃんのこと、待ってるから。だから、スウちゃんも、パパとママを連れて会いにきて。絶対だよ!」

 

 

+++++

 

 

 絵本にでも出てきそうな白い雲に青い空、そして一面が真っ黄色に染まった花畑。美しい景色にはしゃぎながら、あの子は、こちらに向かって振り返る。

 

「パパ!ママ!私、待ってるからね!」

 

 ツユの傍に駆け寄りたかったのに、私の足は動かなかった。声も出なかった。ただ、大きく手を振っているツユを見ていることしかできなかった。

 

 

「迎えにきて!」

 

 

 ――目が覚めて、何とはなしに隣を見ると、夫も起きていた。「ねえ」と起き抜けの掠れた声で呼びかけると、彼はこちらに視線を向けた。

 

「…夢を見たの」 

 

 そう切り出すと、何か予感があったのか、夫は「どんな夢?」とは訊かずに「僕もだよ」と答えてきた。

 

「やっとね、ツユが夢に出てきてくれたの」

「…うん」

「あの子、花畑にいたわ。…ずっと前に…皆で行ったところ…」

「そうだね。君が作ってくれたおにぎりを持って、花見をしながら食べたんだ。…お弁当を広げたあの場所で、ツユは、待ってるって…」

「…私たち、同じ夢を見たのね…」

 

 夫が、手を握ってくれた。温かなその手を握り返すと、彼は「今日は仕事を休むよ」と言った。

 

「迎えにいこう」

 

 本当は、ずっと前から、分かっていた。

 過去に囚われたままじゃ、この先の未来を生きてはいけないんだって。だけど、どうしても、思い出に支えてもらわければ息もできなかった。…そんな後ろ向きの日々を、きちんと見つめ直すときがきたらしい。それが、今日だ。今日が変わり目なのだと、ツユが教えにきてくれた。

 

 久しぶりの遠出になる。ツユが母の日にプレゼントしてくれたブラウスを着て出かけよう。そう思った。

 

 

+++++

 

 

 自身の超能力で見せた夢が上手い具合に夫婦を外出へと誘導できたことに安堵しながら、スリーパーは車の後部座席に乗り込んだ。

 家族でドライブするときに、決まって車内で流していたのはツユが好きだったアニメの曲で、それが今日、数年ぶりに聞けていることの意味を噛みしめる。

 

「…なあ、スウちゃん」

 

 父親が、運転しながら話しかけてくる。彼は前を向いたままなので表情はうかがえなかったが、その声は穏やかだった。

 

「本当は、僕たち、薄々勘づいてたんだよ。おまえがツユのことを探して、あちこちを奔走してくれてたんだって…」

「それに、荒れた生活だったけど、睡眠だけはまともだったわ。スウちゃんのおかげなんでしょ?」

 

 ありがとう。

 夫婦そろって、静かな口調で礼を告げてきた。このような優しい会話が随分と久しぶりで、スリーパーは既に何もかもが報われたような気持ちになった。彼らの心が凪いでいる、…それが無性に嬉しかった。

 

「これからは、また、時々こうして出かけようよ」

 

 父親からの提案に、母親も同意した。

 

「そうね。…きっと、あの子…外に出るきっかけをくれたのね。私たちのことが心配で。元気になってほしくて」

 

 優しい子だったもの。

 そこから先は、鼻をすする音がするだけだった。車内は再び無言になった。だが、気まずくはない。ツユが気に入っていた曲が何度も再生され、明るく愉快なメロディーが沈黙の隙間を埋めてくれた。

 

 駐車場に到着したとき、まだ他には一台の車も停まっていなかった。メレメレの花園は開園したばかりで、やはり自分たち以外の来園者はおらず、…いわば貸切状態だ。水入らずだ。スリーパーは、再会の舞台が整っていく気配を、確かに感じていた。

 

 さあ、この捜索物語のエピローグはどこから始まるんだ。

 そわそわしながら順路に沿って歩き続けていると、「あ!きた!」と第一声。弾んだ声音が、静かな花畑に響いた。聞き間違えるはずのないその声に、全員が立ち止まった。

 黄色い花々が揺れる中で、ツユが両手を振りながら飛び跳ね、存在をアピールしている。

 

 

「パパ!ママ!スウちゃん!――ただいま!」

 

 

 残響。

 余韻だけが置き土産だ。本人が一番言いたかったであろうことを高らかに告げて満足したのか、ツユの姿は、既に煙のように消えている。生者と死者、交わらぬはずの両者が対面した刹那の奇跡だった。

 

「…待って。待って!ツユ!」

 

 我に返った母親が半狂乱になって叫んだ。その横を、スリーパーは走り出していた。ツユが立っていたはずの場所を目がけて懸命に足を動かし、整然と植えられている花々を躊躇いなく踏みつけながら、黄色の世界に分け入っていく。

 すると、周囲の色から全く切り離された異質な色があった。花があった。

 

 一輪――真紅の彼岸花。

 

 連れて帰らなくては、と、思った。

 スリーパーは彼岸花の根元を掘った。全身を泥だらけにしながら、爪を折りながら、痛みさえも忘れてひたすら掘り進めた。

 

 土や石とは違う感触の、固いもの指先が行当ったとき、スリーパーは一旦動きを止めた。埋まっている何(・)か(・)が崩れないよう、そこからは慎重に土をよけた。やがて頭蓋骨らしきものをそこに見出して、ようやく、スリーパーは『 おかえり 』と言うことができた。夫婦の息を呑む音と嗚咽が、すぐ背後から聞こえてきた。




【 補足 】
① 遺骨
 地中から発見された遺体は完全に白骨化しており、DNA鑑定は不可能だった。最終的には歯型などで身元が確認され、数年前に行方不明になった少女のものと断定。
 ツユの死亡が確定したことは遺族にとって悲しい出来事であったが、ようやく葬儀をあげて弔うことができた。今はハウオリ霊園に墓が建てられ、納骨されている。


② 黄泉の案内
 ツユ捜索の過程で知り合ったシャンデラは、彼女との再会が叶ったスリーパーを労ってくれた。
『ツユちゃんは儂が案内したよ。迷うことなく転生門をくぐっていった。いつか、この世界のどこかで新たに産声を上げて幸せに生きていくさ』とのこと。


③ その後のスリーパー
 警察が教室内に落ちていた体毛を照会した結果、留学生の神隠し騒ぎを起こした個体を突き止めるに至る。
 処分も検討されたが、スリーパーの家族が「彼は娘が消えたあの日から捜索を続けており、学校にいたのはそのため」と言い張って、スリーパーのおかげで遺体が戻ってきたことを理由に断固として引き渡しを拒否した。
 捜査が進められ、最終的には「少女の手掛かりを探していたスリーパーが留学生と鉢合わせ、咄嗟の自己防衛で催眠術を使ってしまった」ということになり、厳重注意で終わった。むしろ、数年前に警察が少女の捜索を打ち切った後も自力で探し続け、少女の遺体を見つけ出したその執念が讃えられ、スリーパーはスリーパーでメディアに取り上げられた。


④ 示談
 神隠し騒ぎの被害者となった留学生の少女(霊感少女)に慰謝料を支払うことで、双方が和解している。
(余談/霊感少女にとっては十分に高額の慰謝料であり、これは独り立ちするときの軍資金にする予定)


⑤ 夢のこと
 両親は「あの子は夢にも出てきてくれない」と思っていたが、実際は何度もツユの夢を見ている。ただし、「ツユが目の前からいなくなる」といった悪夢であることが大半だったので、スリーパーが両親の精神状態の悪化を懸念し、その夢を食べていた(よって、両親は何も覚えていない)。
 ツユの霊魂と学校で再会した後、帰宅したスリーパーは早速両親の寝室に忍び込み、催眠術で「編集した夢」を見せた。「見覚えのある花畑の中で娘が微笑んでおり、迎えにきてと頼む夢」を植えつけることに成功し、結果、家族そろってツユを迎えにいくという流れになるよう誘導している。
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