※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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エピローグ:上

 飛行機がカロス地方に到着したのは18時頃。これからバスを乗り継いで寮に戻ることも不可能じゃないんだけど、そうすると夜遅くの帰寮になるし、何より私が疲れちゃうから直帰はなし。おにいちゃんが空港近くのホテルを予約してくれてるから、今夜はそこでゆっくり休んでいこうと思う。

 実家?留学から帰ってきたことはメールしといたし、それでいいでしょ。あの人たちに電話する気力なんて残ってない。アローラ土産を渡す目的で顔を出す…ってのも、嫌。後日郵送ってことで。というか、買ってるだけ偉くない?どうせ、土産を買ってきても「センスがない」、買ってこなくても「気が利かない」って感じで、どのみちろくな言葉が返ってこないのは分かりきってるんだけど、買ってきてあげたの。優しいでしょ。ほら、私ってしっかり者だし?最低限の気遣いはできるつもりでいるの。

 

 ホテルは、タクシーで10分くらいのところにあった。料金メーターが全然回らない距離で利用しちゃってごめんね、運転手さん。

 チェックインを済ませて部屋に行き、そのままベッドに向かって思いきりダイブしたもんだから、スプリングがびっくりしてぎしぎしと悲鳴を上げていた。真新しいシーツの冷たさが、肌に心地好かった。

 寝転んだ状態でぽちぽちとスマホの画面をタップして、ホテルに着いたことをおにいちゃんに連絡しておく。仕事が終わったらホテルに寄るよって言ってたからね。「久しぶりに会うんだし、せっかくだから夕飯を食べよう」だって。おにいちゃんが来るなら、お土産を直接手渡せるから楽だな。それに、留学関連の諸々の手配や費用はお世話になりっぱなしだったから、さすがに御礼を言っておかないとね。

 

 おにいちゃんを待っている間に、スマホで留学の思い出を振り返る。ちょっとスクロールしたくらいじゃ到底追いつけない、写真や動画の数々――大好きなホストファミリー、仲良くなったクラスメイト、初めて食べたアローラ料理、楽しく巡った観光名所…目を閉じれば、瞼の裏側に、留学先で過ごした日々がきらきらと光を帯びて浮かび上がってくる。

 ボールの中の相棒と共に駆け抜けた冒険だった。これから先、何か困難なことがあっても、アローラでの経験が私を励ましてくれるだろうなって思う。そのくらい、彩溢れる毎日だった。

 

 ちなみに、ヌメイルは、私がスクールを卒業するまで引き続き研究所で暮らすことになっている。ヌメラが進化したことを報告したら研究員さんは驚いていたけど、彼の成長を私と一緒に喜んでくれた。

 現代の一日分の情報量は、数百年前の社会の情報量一年分に相当するんだって。今の世の中には、それだけ色んな経験が積める機会があるんだって研究員さんが話していた。だから、野生のポケモンよりも人の世にいるポケモンの方がはやく進化する傾向にあるらしい。かつては森で暮らしていたヌメラが研究所で生活することになって、私と一緒にあちこちに散歩に出かけて、果てにはカロスを飛び出してアローラにまでいっちゃうんだから、確かに彼にとっては目まぐるしいばかりだ。積み重ねた経験が進化の下地を整え、私を庇ったあの出来事が最後の一押しとなった――…何だか、胸が熱くなる。ついでに目頭も。

 ヌメラのときは、分泌される粘液の保湿力がスキンケアに応用できないか研究されていたわけだけれど、ヌメイルの場合はどうなるんだろう?そのあたりを訊いてみたら、ヌメイルの粘液が持つ性質はかなり劇物に近いみたいで、でも、その成分を解明したら幅広い分野に応用が利くだろうって話だった。

 もし、進化を理由に研究所から離れることになってたら、せっかくできた仲間と別れなきゃいけないし、ヌメイルの居場所が減ることになる。そんなの悲しいもんね。ヌメイルはヌメイルで研究し甲斐があると力説されたから、それを聞いてすっかり安心しちゃった。

 

 

***

 

 

「おまえが無事でよかった」

 

 開口一番にそう言って、おにいちゃんが抱きしめてくれた。照れくさいけど、まあ、普通に嬉しかったから、私もおにいちゃんの背中に手を回しておいた。おにいちゃんとこういうスキンシップするの、初めてな気がする。おにいちゃんの匂いとか体温とか慣れてないから、何だか知らない人とハグしてる気分だったけど、腕の中の温かさにほっとした。

「お腹が空いてるだろう?つもる話はレストランでしようか」と笑いかけるおにいちゃんは、スーツ姿ってのも込みで、身内贔屓抜きにしてもイケメンに見えた。ホントに似てない兄妹だなあとかこの期に及んでくだらないこと考えながら、ホテル内のレストランに向かう。

 

 真っ白なテーブルクロスとか掛かってるようなおかたいところだったら明らかに場違いな服装だなと私は自分のラフな格好を少し後悔したけれど、実際には、ちょっと大衆的な雰囲気も滲むダイニングで、カジュアル路線だったから気楽でいられた。好きなものを頼んでいいと言われているので、この際だから値段は気にせず注文させてもらう。あとからデザートも追加しちゃおっと。

 

「そうだ、先にお土産あげとくね」

 

 料理がくる前に、紙袋を渡しておく。おっきな青い紙袋には貝殻やトロピカルな木の実の模様が散りばめられていて、中央には、どーんとマンタインのイラストが載っている。海外旅行にいってました!というのが丸分かりの荷物だ。

 

「アローラで食べておいしかったお菓子とか、特産品のコーヒーとか蜂蜜とか、色々買ってきた。あと、向こうじゃ有名な石鹸も。私も使ってたんだけど、すっごくいい匂いで、肌の調子もいいんだ」

 

 一生懸命選んできたお土産だからさ、彼氏さんと一緒にはんぶんこしてよ。

 しれっと口にしてみたら、あら意外、おにいちゃんがぽかんと無防備に口を開けている。おまけに、みるみるうちにほっぺが赤く染まっていくし…、何これ、予想以上にカウンターだった?

 

「…知ってたのか」

「うん。随分前なんだけど、家で電話してたの聞こえちゃって」

 

「あー…」と呻くような声を出しながら、束の間、おにいちゃんは天井を仰ぐ。

 

「おまえの進学前の話なら、…付き合いたての頃だろうなあ…」

 

 いつもなら気を付けてるのにとか何とか、おにいちゃんにしては珍しく歯切れの悪いことをもごもごと言っている。

 

「やっとお互いの想いが通じたときだったから、…浮かれてたんだなオレ…」

「可愛いじゃん」

「可愛いとか言うなよ…」

 

 一回り近く年下の妹から茶化されるなんてどんな気持ちなんだろう。ちょっと情けない感じなのかもね。おにいちゃん、たじたじになってるし。

 

「言いふらしたりしてないから、そのへんは安心して」

「オレの周辺で波風が立ってないのはおまえのおかげってわけだ」

「アウティングはダメ。絶対。でしょ?学校で習った」

「…そうか。ありがとな、配慮してくれて」

 

 学生時代、バイト先のビストロで知り合ったんだって。おにいちゃんがバイトしてたことすら知らなかった。親からお小遣いいっぱいもらってるんだとばかり思ってたんだけど、…そうだよね、さすがにおにいちゃんもそこまで脛かじりじゃないか。

 実は、ルームシェアって名目で近日中に同棲するらしい。やるじゃん。

 

「そいつ、世話になった店長の息子でさ。店を継ぐ気で今も頑張ってるんだ」

 

 おにいちゃんは「いつか一緒に店を切り盛りしていくのもいいかなって思ってる」と、晴れ晴れした顔で語った。そのうちに調理師免許取るつもりだとか言い始めるし、割と本気で言ってるんだってことが伝わってくる。

 いま勤めてる研究所はどうするの?有名な、エリートしか就職できないようなところなんでしょ?そう言いかけて、私は、ぐっと言葉を呑み込んだ。そういうことじゃないんだろうな、きっと。おにいちゃんがやりたいようにやりたいだけ。好きな人との明るい将来を信じて、新しい目標に向かって努力することを楽しもうとしてるんだ。好きな人と一緒に暮らして、好きな人と一緒に仕事をして、…そういうのがおにいちゃんの幸せなんだろう。肩書きとかは関係なくて。

 そういえば、おにいちゃんが私に何か自慢してきたことって一度もないや。おにいちゃんのトロフィーとか賞状とか、実家に数えきれないくらいあるけど、それらは飾られてるだけで、おにいちゃんが自分から見せつけてきたことはない。評価された証をもらえて嬉しい。以上。そこで終わるのがおにいちゃんだった。たぶん、当時から、受賞を目的におにいちゃんは頑張ってない。ご褒美も、ないならないで全く構わなくて、ただ、好きなことを好きなようにやってたら自然と結果がついてきた感じで。就職先だってそう、そのとき興味があった職種に就いたってだけで、世間のネームバリューなんておにいちゃんにとってはおまけみたいなものなんだ。だからあっさりしてるし、手放すことにもためらいがない。…羨ましいな。だけど、すいすい飛んでいく鳥みたいに、すいすい泳いでいく魚みたいに、しなやかで身軽な生き方は素敵だなって思う。

 

「いつか、私をお店に招待してね」

 

 そう言ってみたら、それはいい笑顔で「もちろん」と返ってきた。「そのうち紹介する」っておにいちゃんがはにかむから、おにいちゃんにこんな表情をさせるのはどんな相手なのか俄然気になって、「楽しみにしてる」と答えておいた。

 

「まあ、…オレのことはいつでも話せる。今夜はおまえの思い出話を聞かせてくれよ」

「そうだね。ネタならたっぷりあるし」

 

 先に運ばれてきたドリンクで、乾杯する。

 もっと前から、こんなふうに、おにいちゃんと話しておけば良かったな。そう思うけど、…ううん、今だから話せるようになったんだよね。私が前と比べてちょびっとでも成長できてるから、こうして、おにいちゃんとわだかまりなく会話が成立してるんだ。これから良い方向にどんどん変わっていければいい――…そんなポジティブな結論が出たから、喉を通っていくミネラルウォーターが、随分と美味しく感じられた。




【 補足 】
・なんでも溶かしてしまう粘液で保護されているため、弱くても捕食されず生き残ってきた。(図鑑説明より抜粋)

 ヌメイルの粘液は、人間にとって、持て余すどころか多くの分野で活かせるだろうと思います。たとえば塩酸や水酸化ナトリウムなどは学校でも習う劇薬ですが、ただ危険というわけではなく、少し調べただけでも膨大な数の用途が出てくるので(香料、食品添加物、医薬品、化粧品、中和剤etc)、ヌメイルの粘液もそうだったらいいなと願うところです。
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