ブラッキーから問いを投げかけられて以降の数日間、ルチャブルの頭の中はゲッコウガにまみれていた。与えられた己の仕事は抜かりなくこなすものの、心は常にゲッコウガへと傾いていた。ルチャブルがこんなに真剣になって考え続けているという実際のところを、仮にゲッコウガが知った場合、その健気な一途さに秒でイチコロになるのが想像に難くないほど、そりゃァもう「ゲッコウガ一色」だった。
脳内を透視して客観的に指摘すればきっと茹で上がるように真っ赤になっただろうが、真面目に悩むルチャブルは、今の自分がかなり甘ったるい悩みの中に足を突っ込んでいることなど露ほども気付いていなかった。
只々、ひたすら、悶々としている。
外見…は、まあ、いいよな多分。系譜が違うから美醜の基準が一致するとは限らないが、細身ながら鍛えられた体躯も、夜明け前の空みたいな群青の表皮も、見ていて綺麗だと思う。
こちらを呼ぶ声、も、嫌いでは、…ないし。
話上手…な、ところは、正直羨ましい。あいつと話して飽きたことって、そういえば、ないかもな。
危険な任務に身を投じなければならない点は心配だが、窮地を切り抜けられるだけの強さを得ていることも事実だし、そのための並々ならぬ努力を重ねてきたのだろうから、そういう影ながらの部分も尊敬している。
そして、その性格を考えたとき、…真っ先に出てくるのが「優しい」という形容詞になるわけだが、これは自分がおかしいのだろうか。どうも御庭番の面々と話していると戸惑うことが多い。互いに持つゲッコウガ像が全くと言っていいほど一致しないので、同一のポケモンについて話しているのか疑わしくなってくる。実はこの城内にはゲッコウガが二体いるのではないかと思ったことだって一度や二度ではない。
それとも――
『――俺に対しては、…特別…』
思わず口に出してしまい、慌てて手で押さえた。押さえた、が、その拍子に顔の火照りを自覚して、周りには誰もいないというのに居たたまれなくなってくる。
時には部屋の隅で盛大に照れながらも、頭の中の情報棚を全部ひっくり返して模索を続け、こうしてぐるぐる思考を巡らせて過ごしはや数日というわけなのだが、思い浮かべてみる事柄のことごとくがゲッコウガの「長所」だった。今となってはその長所も好きなのは間違いないのだが、「それをきっかけにして彼を好きになった」のではない気がして、一向に出口が見えてこない。しっくりこない。「どこが好きなのか」という問いの手ごわさを知る。
あいつのようにスラスラと言葉にできたら楽だろうになと思いつつ、気分転換にと廊下へ出たことで――ふと来訪者を察知した。
出向いて縁の下を覗き込むと、果たして、ブラッキーが日陰の中で寝そべっている。
『よくぞ気付いた。いい勘してら』
『屋内にいたままじゃ絶対分からなかったけどな。…どうした?あんたが昼間に来るなんて珍しいな』
『おまえさんに用があってね。どう声をかけたもんか考えあぐねてたところだ、見つけてもらってむしろちょうどよかったよ』
こちらのことは気にせずに何食わぬ顔で縁側に座っていろと言うので、その通りにしておく。傍目から見れば、ルチャブルがひとりで腰を下ろしているように捉えるはずだ。
『…さっき、少し目についたが、…負傷したのか』
ブラッキーの左耳は、上から半分ほどが消えていた。茎の途中から荒々しく摘み取られた花のようだった。まだ微かに血の匂いや手当の際に使用したのだろう薬の香りも漂っていて、だから、潜んでいた彼の発見に至ったともいえる。
『なァに、御庭番にいたらこンくらいのこたァ日常茶飯事よ。勲章が増えちまった』
足元から、彼らしいひきつった笑い声が聞こえてくる。
『あたしのことは置いとこうや、面白くもねェ話さ。それより、どうだい。おまえさん、答えは出せたのか』
う、と口ごもった気配を察してかブラッキーはとりなすように言葉を続ける。
『いや、元来、急かすのはあたしの性分じゃないんだが…それでもちィとばっかし、うちで面倒を抱えちまってね。
あれだ、…蛙がへそ曲げてっから、困ってんのさ』
『…ゲッコウガが?』
『逢わねェどころかお触り禁止令出してんだって?盛りのついた若い雄にとんでもねェ無理難題ふっかけたもんだ。
あたしがいらんことしたから何ぞこじれたんじゃないかと、これでも責任を感じてね(大嘘)。おまえさんの答え次第ではあいつも機嫌が直るかと思って』
ルチャブルは遠く遠くに視線を投げかけた。今日も晴天だなと、束の間、浮世から意識を切り離す。
肺の中に入っていた空気をごっそりと溜息に変えて、ルチャブルは縁の下に向かって『迷惑をかけてすまない』と謝罪した。
『…どこが好きなのか考えたんだ、これでも。…しかし、』
『しかし?』
『考えつかなかった』
『はあ?』
いっときの沈黙を挟んで、のち――ぶわははははは!と高笑いが弾けた。潜伏していることを忘れきっているような、遠慮のない声量だった。
誰かが駆けつけるのではと咄嗟に視線をはしらせるが、少し離れた部屋から姫君の琴の音が聞こえてくるばかりなので、胸を撫で下ろす。
一方では、ぜいぜいと荒い息遣いが耳に入ってくる。どうやら、ブラッキーが笑いを噛み殺している最中らしかった。
『あー、…くふ、ひ、あはははは。…おまえさんも正直だねェ』
『そんな笑うなよ…こっちは本気で…』
『いやァ、すまん。色よい返事が聞けるものと信じて疑わなかったもんだからね。
だが、解せんな。おまえさんの生真面目さは理解したが、そこに抱き合わせて接触拒否してンのは何なんだい』
『別に拒否ってほどじゃ、…好きな理由が曖昧になってるのに、俺だけあいつからの好意は受け取れないだろ』
『だから触んなッつったのか。なるほどねェ…まあ、話は分かったが…その思い、ちっともあのバカには伝わってねーぜ。おまえさん、ちゃんと説明してないな?』
『上手く言えなかったことは認める』
結果だけを見れば、せっかく来てくれたのに追い返すようなことになってしまったのだ。
実際、あの夜のことは後悔している。
『あいつは何も言わないし、あたしらに愚痴ってきたわけでもないがね、…詰所での様子見てたら分かるよ。ありゃァ、おまえさんから嫌われたと思ってるぞ。内心では焦ってるはずだ』
それを聞き、本当に己は立ち回りが下手だと実感して、情けなくなってきた。
嫌いなのではなく、好きだから思い悩んでいたのに、それを言葉足らずで誤解させたのだから釈明しなくてはならない。
『…今夜、来てくれるよう言ってもらえないか』
『お、このあたしを伝書鳩にしようってのかい。高くつくぜ』
『俺で用意できるものなら』
『…あのなァ、こんな軽口まで真に受けるんじゃァないよ。いいさ、
『それと、』
『うん?』
『やっぱり、「どこ」と訊かれては答えが出ない。ただ、…ちゃんと、あいつのことは好きだ』
『…、…その心は?』
『あいつの傍は、落ち着く。一緒にいたいと思わせてくれる…、から、…好き、…というか…』
日中、こんなに明るいのに、暖かくはない。太陽から届けられる光は、夏場のそれとは違い、とても静かで、落ち着きのある銀色をしている。
北から木枯らしが吹いて、庭の落ち葉をさらっていく。
『これから雪が降ったら、城内庭園の見事な雪化粧を、…共に見たい。月が出ていれば隣で見上げていたいし、あいつが見つけてくる花の話を聞かせてほしい。
綺麗だと思うものを分かち合いたい、…その相手として浮かぶのがゲッコウガだ。たぶん、…俺はだいぶ感覚的に、あいつのことを好きになってるんだと思う。だから、細かで具体的な要素を言えない』
もぞり、とブラッキーが這い出てきた。
じっとルチャブルを見つめてくるが、その紅の目元は、思いがけず柔らかい。
『どんな顔してそんなこと言ってんのかと思えば、…妬けるねェ。えらく幸せそうにしやがって』
『ッ、…別に、』
今更ながらとんでもないことを言ったような気がして、だけど、胸の内でのたうち回るのは羞恥だけではなかった。割合こそ小さいが、ある種の爽快感も、確かにあった。
何だか、つかえが、…とれたような。
『…これで、答えになるか』
照れ隠しの所為でつっけんどんな物言いになったが、ブラッキーは温和な声音で『十分だよ』と返し、そっと笑っている。
『――雪月花の時 最も君を
古の呪文を唱えるように、丁寧に。
こんなときのブラッキーの口調は、一瞬の間ではあるが、清らかで格式高い。
『奇しくも、おまえさんが言ったことだよ』
『それも、…詩なんだろうな。あんたが口にするくらいだから』
『そうだ。海を渡った先の大陸で、詩魔と畏れ称えられたどえらい詩人の作でね。
四季折々のものを見れば、いつも、遠く離れたおまえのことを思い出すと…それだけ心を占める相手が見つかるのは幸せなことだ。
…なあ、ルチャブル。おまえさんと会う前のあいつは死んだ魚の目をしていたが、この頃は、ちったァまともになった。あいつに生きる意味を与えたのは、他でもない、おまえさんだよ。
一緒にいたいと言うなら、まずは長生きするこった。そうすりゃァ、どこの死地に追い込まれようと関係ねェ。ゲッコウガは這いつくばろうが泥水啜ろうが意地汚く生き延びてルチャブルの所に帰ってくるさ』
じゃ、ごちそーさん。
彼は日の下に出て、敷地を横切り、駆け去っていく。
卑屈なことを言いがちなブラッキーなのに、今日は随分と、優しい話を心の中に残してくれた。
月明りを受けて妖しく光る体表の輪っか模様は、陽射しの中では明るく鮮やかな黄色に染まる。以前、御日様には背を向けたんだと言っていたブラッキーだが、憎まれ口とは裏腹で――まるで