第一話:ケロマツ/ゲコガシラ
春うらら。穏やかな日の光が万物を優しく包み込む昼下がり、集落の外れにある池では一体のケロマツが薄青の腹を見せながらぷかぷかと浮かんでいる。澄んだ水はひんやりと心地よく、水タイプの肌によく馴染んだ。
このオレが親を知る日がこようとは。ケロマツはまどろむような半目になりつつ、胸中で独り言つ。
これまでに歩んできたいくつかの前世を振り返ってみても、血を分けた家族に関する記憶はなく、卵から孵化したその瞬間に親の顔を目の当たりにしたのは今世が初めてだった。家庭的な関係には慣れておらず、今もそう、池のほとりにいる
端から人間という存在のない、それでありながらなぜかポケモンたちが人間のように振舞っている世界。道具を用い、集落をつくり、協働しながら暮らしている――…けったいなことだが、しかし居心地は悪くない。ひねくれたこの性分は相変わらずだが、親が向けてくる愛情はそれなりに受容できたし、集落の者たちも気のいい連中ばかりだ。進化前の非力なうちは世話になろうと決めるのに、時間はかからなかった。
本当は、すぐにでもルチャブルを探しにいきたい。だが、こればかりは焦ったところでどうにもならないと分かっている。手がかりのない状態で闇雲に行動したところで、この身が未熟であるうちはどこぞで野垂れ死ぬのがおちだ。今は辛抱し、力を蓄えるより他にない。幸い、いくつめの生であったか、カロスと名のつく地方で過ごした前世の記憶が役に立ちそうだ。あの世界線では、自分はリーグチャンピオンのポケモンで、当然、強かった。独りよがりな特訓ではなく、科学的な根拠に基づく鍛え方で強くしてもらった。身をもって体験したことだからこそ、どうやって効率的に体を鍛えていけばいいのか、どんな栄養を摂ればいいのか、細やかに思い出せる。当時のようなトレーニングマシンやポケモンフーズはこの世界にないのだが、そうしたものに頼らない方法だってたくさん伝授されている。環境に合わせたやり方で自己研鑽に取り組めばいい、それだけの話だ。
肉体改造を進める傍らで、何か重宝されるような知識技能も身につけておきたい。いずれは集落を離れ、ルチャブルを探しに各地を旅することになるだろうが、行く先々でルチャブルの情報を得るには、何よりもまず他者からの信頼が要る。それには、他者の役に立つことが近道だ。他の集落に招かれやすく、競合する者が少なく、なおかつ必要とされる職とは。
『…
ケロマツの結論は出た。
薬売りとしてルチャブルを尋ねて回ろう。そう腹を括れば、後は早い。ルチャブルが動機に絡めば、あらゆる労苦も厭わない蛙である。その異様なまでの執着を原動力に、日々トレーニングに励み、
ゲコガシラになる頃には、年若いにも関わらず集落の中で最も武芸に秀でたポケモンになっていた。ケロマツのときから少しずつ拓いていった薬草畑はすっかり広大で立派なものとなり、今では集落の者がゲコガシラの指示に従って薬草栽培に汗水を流している。噂を聞きつけた外部のポケモンたちが薬草を求めにくるおかげで、集落はいつでも活気にあふれていた。
もう十分だろうとゲコガシラは判断した。
自分がいなくてもこの集落は問題ない、近いうちに旅立つとしよう。
頼もしい若者が集落を出るというのだから、誰もがゲコガシラとの別れを惜しんだ。しかし、いかなる言葉もゲコガシラには届かなかった。『薬草とその知識をより多くの集落に広めていきたいのです』などと殊勝顔で志を聞かされては、それ以上引きとめる方が無粋というものだった。
何より、ゲコガシラの両親が未練を断ったことが大きい。『いつかヒナは巣立つものだ』と語り、おまえの親であることを誇りに思うと涙ながらにゲコガシラの背を押した。
『これを持っていきなさい』
ゲコガシラに贈られたはなむけは、股旅のための柳行李に三度笠、そして縦縞模様の道中合羽。合羽は、サイズ違いで二枚渡された。『大きい方は、おまえがゲッコウガになったときに』と用意されたものだった。
合羽を羽織り、笠をかぶり、手ずから育てた薬草を行李に詰め、ゲコガシラは満を持して出立した。集落の全員から盛大に見送られる中、一歩一歩と前進し、生まれ育った土地を後にした。時間をかけて故郷に貢献したという自負があったため、寂しさはなかった。今はただ、胸の中を未来への期待が占めるばかり。
心のままにゆけば、その先に必ずルチャブルがいるという確信。最愛との再会に焦がれながら、蛙は意気揚々と歩いていく。