※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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第二話:ルチャブル

 幼い頃から身の回りのことは自分でやるよう躾けられていた。おかげで一通りのことは苦も無くこなせたし、親元から離れるのも早かった。

 

 自立である。己の力で道を拓き、居場所を確保しなければならない。どこか自分を受け入れてくれる集落を探してもよかったのだが、結局、ルチャブルはひとりでいることを選択した。誰かと交流することの楽しさは知っていたものの、静かで気楽な生活の方がよほど魅力的に思えたのである。

 

 山中の適当な場所に、枝と木葉で小さな住まい(デブリハット)をつくる。巣というよりは基地としての役割であり、寝起きをするだけの場所だ。雨や雪でない限りは外に出かけ、気が済むまで修行に明け暮れた。

 無心に身体を動かすのは心地よかった。鍛錬に、狩り、水浴び。起きているうちは、この繰り返しだった。飽きることはなかった。むしろ、すべきことを淡々と消化していくことは、性に合っていた。何かしら物々交換の必要性が生じたら、蔓や茎で籠を編み、麓(ふもと)の集落へ降りた。手先が器用だったために籠の出来栄えはよく、集落のポケモンたちは喜んでルチャブルとの交換に応じてくれた。

 

 ルチャブルの生活は質素そのものであり、ゆえに毎日が平穏だった。たとえ代わり映えしなくとも、それこそがかけがえのない幸せであるとルチャブルには分かっていたし、実際、日々の生活に満足していた。特にこれといった野心もなく、贅沢をするということすらルチャブルの頭には一度も浮かばなかった。

 

 ところが、何の前触れもなく、凪いだ生活に大きな変化をもたらす出会いがあった。

 その日、ルチャブルは籠を編むための材料を探しており、途中で通りかかった竹林で甲高い金属音がしたためふと足を止めたのである。音がした方向へ目を向けると、そこには、思わず凝視してしまうほどの存在感を放つポケモンがいた。

 

 

 一体のジャラランガが、全身の肉という肉を躍動させ、体表を覆う鎧のような鱗を打ち鳴らしながら力強く踊っている。

 

 

 風に吹かれて揺れる青竹の、その葉擦れのざわめきがジャラランガを鼓舞する勇壮な音楽となった。鮮やかな色の飾り鱗が木漏れ日を反射して光り輝き、ジャラランガに煌めきをまとわせ、龍の舞をいっそう神秘的に見せた。

 立ち止まるというより、もはや、ルチャブルはその場に立ちすくんでいた。心を捕えて離さない感動が、地に足を縫い止めた。真っすぐ天へと突き上げられるジャラランガの拳、大地を踏みしめる足、神楽鈴のように鳴り響く尾先の鱗。そのどれもが今のルチャブルには持ちえず、さりとて諦めることはできず、自分でもどうしようもないほどの衝動的な憧憬が身体の奥から湧き上がってくる。瞬きを忘れ、呼吸を忘れ、ジャラランガの一挙手一投足を一心不乱に見つめた。

 

『…なんて目だよ』

 

 時間の流れは、もう、分からなくなっていた。ジャラランガから話しかけられて漸く我に返った。ルチャブルの鼓膜を揺すったのは、老いた者特有の嗄れた、しかし威厳のある声だった。

 

『普通に見惚れてくれたんならまだよかったが、…てめえ、俺の動きを観察していやがったな?』

 

 のしのしとジャラランガがルチャブルに近付いてくる。衰え知らずの鍛え抜かれた身体と散らばる古傷から察するに歴戦の勇士に違いなく、四散するプレッシャーで羽毛がじりじりと焦げついていく気がした。ルチャブルと比べればあまりに巨体であり、赤銅色の眼から放たれるジャラランガの鋭い眼光は、まるで夏の陽射しのようにルチャブルの双眸を射貫いた。

 

『どうすれば真似ることができるか、分析する目だった。…生意気な野郎だぜ。俺がこの域に達するまで何年かかったと思っていやがる』

『…不躾ですまなかった。だが、軽々しい気持ちで見ていたわけじゃないんだ』

 

 俺に舞を教えてほしい――…、勢い任せの本音が唐突に転(まろ)び出る。

 本来、出会ったばかりの相手に頼むことではない。どこの馬の骨とも分からぬ小鳥がさえずっているに過ぎない。だが、『本気だ』と言葉を重ねなくても、怯むことなくジャラランガをひたと見据えたルチャブルの顔つきから、真剣さを読み取ってくれたらしかった。証拠に、ジャラランガの口角が上がっている。

 

『どこまで出来るか見ものだな』

 

 ジャラランガは背を向け、そのまま歩きだす。ついてこいという意味だろうと勝手に解釈させてもらい、ルチャブルは彼の背を追いかけた。

 

 

***

 

 

 ジャラランガの塒(ねぐら)である洞穴の片隅を間借りしながら、住み込みで舞踊の稽古をつけてもらうことになった。実際に生活を共にしてみれば、口調こそ荒いもののジャラランガは実に面倒見がよく、教え方も丁寧だった。

 ジャラランガはいくつかの型を見せたあと、ルチャブルに真似をさせ、ルチャブルがどのように身体を動かすのかを具(つぶさ)に点検した。

 

『さすがに格闘タイプというだけあって、勘がいい。体幹も申し分ないし、しなやかだが…』

 

 いかに攻撃を早く繰り出すか、威力を持たせるかだけを考えて鍛えてきたようだな。…今までの鍛錬を見られていたわけでもないのにぴたりと言い当てられ、ルチャブルは驚きを隠せない。あたふたと落ち着きを失ったルチャブルを見ながら、ジャラランガは苦笑をもらした。

 

『どうにも、てめえは剛柔の剛しか知らねえらしい。…舞ってのは、細かい所作の連なりだ。それらをいかに淀みなく紡ぐか、そいつが肝要になってくる』

 

『柔』を身につけさせるためにジャラランガはルチャブルを連れて森に生きる様々なポケモンたちと引き合わせ、彼らの動きを学ばせた。雅な蝶の舞や猛々しい剣の舞、軽やかな足取りのアクアステップ…模範となる動きは数えきれないほどにあり、それぞれのポケモンが織りなす踊りは個性的で、しかし、いずれも滑らかな動作が印象的だった。流れゆく雲のように、水のように、どこにもぎこちなさはなく、ポケモンたちは身体表現を楽しんでいたのである。実際の見学を経て、ルチャブルは改めて舞うことの魅力と、曲線を描くような美しい動きへの解像度を高めていった。

 

『てめえは、…何つーか、バカじゃねえんだが物を知らねえな』

 

 そう指摘されたこともあり、恥ずかしかったが、『どんなことが芸の肥やしになるか分からねえ。これまで見過ごしていたものに目を向けて、しかと味わいな』というジャラランガの教えに素直に従った。この素直さこそルチャブルの才能であり、それを見込んでいるからこそ、ジャラランガもまたルチャブルを熱心に導いた。

 季節ごとに変わる風の香り、夜明けの空に残る寂しげな月の姿、木の実を齧った痕に浮かぶ瑞々しい果汁、雪解け水の清らかさと冷たさ。ジャラランガと共に世界を見つめ直してみれば、住み慣れた森が以前とは随分と違っているように感じられた。否、厳密には、周囲の森自体は依然として元のままなのだが、ルチャブルの感性が磨かれたことで世界に対する受容の仕方が変わったのである。ルチャブルを取り巻く環境は、息を吞むほど鮮やかで美しかったのだ。ずっと。

 自分ひとりで完結していた生活では得られない価値観。物の見方。いずれも師となる者に出会えたからこそ目が開かれたのだった。

 

 舞うための身体の動かし方を教わり、格闘家としての実力を損ねないよう時には組み手に付き合ってもらい、稽古を離れたあとは日常の苦楽を分かち合いながら、ジャラランガと暮らした。瞬く間に季節が巡り、三度目の春が訪れる頃には、自分の思い通りに手足が動き、一端の舞い手へと整っていく手応えを感じられるようになっていった。

 

『この場で舞ってみろ』

 

 これぞ春の景色と讃えたくなるような、色とりどりの花が咲き乱れる野原。いつもの散歩だと思っていたところへ、ジャラランガは、ルチャブルに舞えと言う。指定されたのは、教わった中でも最も初歩的な舞だった。初心者が習う簡単な舞だが、基本技法の全てが詰まっているため、徹底して教え込まれる。それを、今、ここで。

 師に見られている緊張や畏れは、あまり感じなかった。華やかな春の舞台で舞うことを許された高揚の方が勝っていた。習い覚えたことを、舞うことの楽しさを、全身で表現しようと思った。

 

 格闘のことしか知らなかった当時と比べれば、身のこなしは一変していた。自分でも面白いように、のびやかに身体が動いた。冠羽のてっぺんから爪先、翼の切っ先にいたるまで、ジャラランガの教えに満ちていた。

 舞の根源は祈りと感謝。この世を創ったとされる上位の存在へ洗練された舞を奉納することで、己の内なる祈願を届ける。冬を耐え、待ちに待った春の陽射しを一身に浴びながら舞う機会を得たありがたさを胸に、ルチャブルは翼を翻す。積み重ねてきた稽古の分だけ、ルチャブルは導かれるがまま動けばそれでよかった。清々しかった。顔には笑みが浮かんだ。何かとても美しいものになれた気がした。今このとき、自然と自分が一体になって、春の訪れを喜ぶみたいに、明るく幸せな気持ちで舞うことができた。

 

 基礎固めの舞なので、舞う時間は短い。

 終いまで踊りきった後、ルチャブルはジャラランガを見た。拍手はない。講評もない。だが、ほうとつかれた溜息が聞こえた。細められた彼の目の中で、瞳が光っていた。明らかな感嘆――…それが嬉しくて、ルチャブルは頬を紅潮させた。

 

『聞きな、ルチャ坊』

 

 厳かな声を伴って師は口を開き、ルチャブルに「守破離」というものを説いた。それは、芸道における修業の段階を示す言葉である。「守」とは、師の教えや型を忠実に守る基本の段階。「破」とは、基本を身につけた者が自分に合う型を模索して試す段階。いわば創意工夫によって既存のものを破り、自立を目指す。

 

『…とことん突き詰めて理解を深めた者が、型から離れて独自の世界を確立していく。これが「離」だな。俺が思うに、ルチャ坊は「守」の段階を終えたところだ。あとのことは、もう、俺がいなくても立派にやっていける』

 

 ジャラランガとの暮らしは、ルチャブルにとってすっかり日常のものとして馴染んでいた。だが、いつまでも続くわけではないことは分かっていたし、ジャラランガが切り出した話題は、今まさに別れの時が迫っていることを悟らせるのに十分だった。

 

『俺が教えたことを「破」り、「離」れたとしても、てめえなら滅茶苦茶になったりはしねえよ。これまでに積み上げてきたものを見失うことはない。基本がなってねえくせに独創性とやらを求める奴がいたらな、それは「形無し」ってんだ。だが、ルチャ坊は違う。しっかり型を会得した。型のある奴が型を破るなら「型破り」だぜ。やれるところまでやってみな』

 

 翼持ちなら旅に出ろとジャラランガは促してくる。

 

『もっと自由に、この広い世界を見てこい。色んな奴らと出会ってこい。そうすれば、舞には自ずと深みが出る。自分だけの経験に依って成り立つ自分だけの舞をのびのびと舞うときこそが、いっとう、心豊かになれるんだぜ』

 

 ――格闘タイプに生まれついたからには身体を鍛えよう。そんな単純な想いしかなかった、かつての自分。鍛錬はほとんど趣味みたいなものであり、強いていうなら、自衛のために肉体を強化しておこうという程度のものだった。誰よりも強くなりたいとか、戦って実力を誇示したいとか、そんな考えは微塵もなかったのである。

 ところが、ジャラランガと出会ってから初めて憧れを知り、彼の元で舞を修めた。幸いなことに、舞い手としての芽は出た。出たからには、この芽を枯らすつもりはなかった。育てていこうと思った。そのためにはよりいっそう感性を磨く必要があり、磨くには世界を知ることが必要なのだということは、師と過ごした数年で理解していた。

 

 荷物と呼べるほどのものはなかったが、携帯しておけば何かと便利だろうと考え、ルチャブルは振り分け荷物用の小さな行李を二つ編んだ。三日かけて丈夫に編み、出来上がった翌日に出立することを決めた。

 

 

『思えば、ルチャ坊は俺がきっかけで、実際に自分でも舞ってみたくなったんだよな。俺のようになりてえと言われることより、よっぽど嬉しかった。ありがとよ』

 

 

 達者でな。

 その一言が、ジャラランガからの別れ際の挨拶だった。ルチャブルは応え、深々と一礼し、出発した。第二の巣立ちである。あてどのない旅だったが、自分に備わった芸がいつか必ず身を助けてくれると信じていたので、不安のない足取りで歩いていくことができた。

 餞別として、ジャラランガからは数枚の鱗を受け取っている。腕のある者が加工すれば武器になるという値打ちものの素材なのだそうで、食うに困ったときの物々交換で使うように言われた。親心を感じてぐっときたのは勿論、お守りのようにも思えて、これから先の旅路が心強かった。

 

 

 さあ、どこへ向かおうか。

 上空から俯瞰して決めようと思いたち、ルチャブルは翼を広げる。風に乗ろうと勢いよく地を蹴ったその拍子に、金属質な鱗が、振り分け荷物の中でしゃらんと鳴った。

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