ネイティオはいつもそこにいる。定位置から全く動かないので、目印にしたっていいくらいだ。通りかかれば変わらずそこにいて太陽を見つめている彼の姿は、ニャイキングにとっては日常の象徴そのものだった。
ニャースとして物心ついた頃から、既にネイティオは崖の上で空を仰いでいた。いつ見ても必ずいるので、食事を摂れているのか気になり、木の実を差し入れたことで接点が生まれた。
『木の実、ここに置いとくぞ』…そう声をかけると、ネイティオは鷹揚に『ありがとう』と返してきた。ニャースの方を振り向きもしなかったが、初めて聞いた声はおっとりと優しくて、ニャースは何だかとても良いことをした気になった。
それ以来、木の実を手土産にして気まぐれにネイティオの元を訪れた。一緒になって遊ぶなんてことはなく、ただ他愛もない話をするだけだ。ネイティオは会話に応じてくれるが、太陽を凝視するばかりでニャースには目を向けない。ニャース自身の滞在時間だってごく短い。幾度かネイティオと会話を交わせればそれで気が済んで、帰路につく。何が楽しいのだと訊かれたって分からないが、ニャースはネイティオと過ごすひとときが嫌いではなかった。
ネイティオは、ひたと天空を見据えながら、過去を紐解き未来を見通しているのだという。ニャイキングに進化したときも、その後に群れのリーダーとなったときも、ネイティオは『全て分かっていたよ』と穏やかに答え、ニャイキングを祝福してくれた。
ニャイキングは、オレのことを占ってくれと頼んだことは一度もない。ネイティオは雑談の相手だと定めていたし、未来の情報を手に入れるための便利な相手として接したくはなかった。それがニャイキングなりの線引きだった。
ところが、ある日、ネイティオは太陽ではなくニャイキングを真っ直ぐに見た。
底知れない真っ黒な目に、はっきりと、ニャイキングが映っている。いつにない出来事に驚いたが、『おまえはそんな顔をしていたんだな』とネイティオが言うので、思わず笑ってしまった。ニャイキングも、まあ、似たようなものだった。知り合ってから何年も経っているのに、ネイティオの横顔しか知らなかったのだから。おあいこだ。
『私はこの地から去る。そのまえに、おまえに会えてよかった』
藪から棒にそんなことを話し出すのでニャイキングは息を呑んだが、ネイティオは構わず先を続けた。
『明日、大規模な山火事が起こる。おまえは群れを率いて北へ避難しろ。そうすれば生き延びる。新しい住処も見つかる。ついでに言っておくと、逃げる途中で拾い物をするはずだ。それはおまえにとって役に立つだろうから、大事にしなさい』
さらばだ、友よ。
さらさらと予言をよどみなく告げた後、ネイティオは翼を広げて飛び去った。ニャイキングはあばよとも言えぬままに唖然としながら、ネイティオが見えなくなるまで見送ることしかできなかった。随分と経って我に返ったとき、明日に備えなければと思うよりも先に、嗚呼あいつはオレのことを友だちだと思っていたんだなという喜びが、じんわりと熱を帯びて胸の中に広がっていった。
その友から得られたせっかくの助言だ。最大限に活かそう。ニャイキングは精悍な顔つきで踵を返すのだった。
***
炎タイプのポケモンが火を失することは珍しくないが、大抵は水タイプのポケモンによる消火活動で解決できる。しかし今回、ネイティオは山火事が起こると明確に断言した。ちょっとやそっとのことではもはやどうにもならない災害である。ネイティオの言う明日の火災――…日が昇る頃に火事に見舞われるのか、それとも日が暮れる頃になって森に火が回るのか、タイミングは全く分からない。だが、発生だけは確定しているのだから、早いうちから行動を開始するに越したことはなかった。
ニャースであった時分、自身はそれなりに
『オレはおまえたちを誰ひとり死なせたくねえんだ』
群れの者を前に、ニャイキングは厳かに語りかける。ニャイキング以外は進化しておらず、ニャースしかいない。彼らの金色の目が、額の黒い小判が、今、一斉にニャイキングに向けられている。ニャイキングについていこうとしている。彼らに不安を与えないよう、リーダーたるニャイキングは決然とした態度を貫くことにした。
『オレらは鈍足な部類だ。おまけに炎にゃてんで歯が立たねえときてる。だったら、今すぐにでも安全な場所を目指して出発しておくのが道理ってもんだぜ』
身重のニャースもいる。ついこの間生まれたばかりの幼子もいる。そうした群れの一員をも余裕をもって逃げ出せるようにしなければならない。
それに、群れの者が増えるにつれ、集落全体が手狭になっていたところだ。老若雄雌を合わせて今では二十のニャースがいる。住み慣れた土地を捨てることに後ろ髪を引かれるものの、これを機に新天地で改めて住まいを整えるのもまた一つの手段だろう。
ニャイキングは群れの者たちの了承を得た後、真夜中に出立した。頭上で輝く星を頼りに方角を探り、予言の通りに北へと向かう。頻繁に休憩を挟みながら、ちゃんと皆がついてきているか確かめながら、慎重に移動を続けた。
たとえば今年が偶然にバクーダの噴火時期と重なったこと、あるいは落雷、冬の乾燥、枯れ葉の摩擦、…原因は特定できないが、確かに、ニャイキングたちのはるか後方で山火事が生じた。夜が明けて暫く経つ頃には、空を鳥の大群が覆い、ニャイキングたちのすぐ横を死に物狂いで駆けていくポケモンたちでいっぱいになった。非常事態が遂に起こったのだという緊張が、群れ全体にはしった。
『狼狽えるんじゃねえ!』
周囲の騒動にかき消されぬよう、ニャイキングは声を張り上げる。
『慌てたってオレらのスピードは上がったりしねえんだ。周りの奴らに踏みつぶされねえように用心して、これまで通りについてこい』
まるで魚の群れのようにぎゅっと固まって、ニャイキングたちは北上を続けた。逃げ惑う他のポケモンたちの興奮や恐怖に何度も引きずられそうになり、全力で走って散り散りに逃げだしたい気持ちを抱えながら、――それでも、群れの中にいる子どもらの足に合わせて小走りを継続させた。
森を飲み込もうとしている火災は、ニャイキングからは目視できない。だが、炎それ自体のみならず、炎が生み出すものが森に生きる者たちを苦しめる。ぱちぱちと火花の爆ぜる音や熱気、異臭が風にのってニャイキングたちの元に迫り、流れてきた煙によって視界が悪くなりつつあった。
このままでは北がどちらなのか分からなくなりそうで、ニャイキングが歯嚙みをした…そのときだった。何かが足元にぶつかり、ニャイキングはたたらを踏んだ。ええい、この非常時に。荒々しく舌打ちをして、視線をはしらせる。ぶつかった拍子にほとんど蹴とばす形となったため、ぶつかってきた相手の方は――チュリネの方は地に倒れ、小さく呻いている。チュリネというポケモンも本来は群れで行動するはずだが、この個体は火事ではぐれたらしく、ひとりきりだ。
天啓にうたれた気がした。
このチュリネなのではないか、と直感した。ネイティオが言っていた「拾い物」。「役に立つ」と教えてくれたもの。理屈のない、本能的な確信――…ニャイキングは、起き上がろうとしてもたついているチュリネの首の根をむんずと掴んだ。『きゃあ』という悲鳴が聞こえたが、無視して、そのまま連れ去った。
いつ炎に追いつかれるか、煙に巻かれるか恐怖しながら進んだ先で、ニャイキングたちの行く手を岩壁が阻んだ。こんなところで避難が失敗に終わるはずはないと思いながらも、束の間、ニャイキングは愕然とした。自分ひとりであったならどうにか上っていけるだろうが、群れの者全員が乗り越えるとなると無理な話だった。迂回もできそうになく、しかし、次の一手をどうするかリーダーとして素早く決断しなくてはならない。何とか落ち着かなければと己に言い聞かせていると、チュリネがか細い声で『水の匂いがします』とニャイキングに伝えてきた。突然攫われた身であるため、ニャイキングを見てくるその赤い目には顔色を窺うようなところがあり、現に話し方も震えていたのだが、意を決して話しかけてきたらしかった。
『私、生きていくためには綺麗な水と土が必要なんです。だから、敏感です。よい土地が近付けばそれと分かります』
分かったところでどうしようもないだろと
洞窟そのものは、大した距離ではなかったはず。それでも、未知の空間は恐ろしいものだ。暗闇に包まれているさなかは、このまま永遠に閉じ込められるのではないかという思いで、気が滅入った。自分の後ろから懸命についてくる仲間たちの存在と、彼らの命を預かっているという責任感がニャイキングを支えていた。
だからこそ、光が見えたときの安堵感には形容しがたいものがあった。『もうすぐ出口だ』と後続者を励ましながら、一足先に、ニャイキングとチュリネが外の空気を吸った。
静かだった。
まるで別世界にきたみたいだった。ついさっきまで、火災に巻き込まれていたことが嘘のようだった。
焦げ臭さのない澄んだ空気に満ちていた。今し方ニャイキングたちが抜けてきた岩壁を背にしたとき、目の前には開けた草原と、池が広がっていた。
特に、池の美しさは別格だった。光の加減では薄緑にも見える水がどこまでも澄み渡り、水底の小石一つ一つまで視認できる。時折、水中から気泡がのぼってくるので、どうやら湧水池だ。ニャイキングがそっとチュリネの様子を窺うと、「よい土地が近付けば分かる」と言った彼女は目を輝かせており、この場の土も水も申し分ないことが伝わってきた。つまり、生きるに十分な土地と飲み水を確保できたわけである。これはありがたかった。先に棲みついているらしきポケモンの姿や痕跡が一切見当たらないことも奇跡としか言いようがなく、自分たちの新天地としてわざわざ用意されたとした思えないような場所だった。
ニャイキングは改めて背後を振り返る。そこに、欠けることなく避難してきた仲間たちの姿がある。全員が疲弊しきっていたが、それでも、命を拾ったのは間違いなかった。
『オレは今、予言の成就を見たぞ!』
ニャイキングは、我が身に残された体力をかき集め、ありったけの雄叫びをあげた。
『おまえたち!よく頑張った!さあ、褒美の時間だぜ!ここにオレらの新しい村を作るぞ!!!』
弾ける歓声をつれて、ニャースたちは我先にと池に駆け寄り、乾いた喉を潤した。火照った身体を冷まして、身体中についた煤を洗い流すために、通常であれば苦手な水浴びもすすんで行っていた。そうして、難を逃れた解放感ではしゃいでいる群れの様を満足げに眺めつつ、――ニャイキングは、隣にいたチュリネの葉を千切り取った。頭頂部に生えている柔らかな葉がいきなり乱暴なやり方で奪われ、チュリネの側は叫ぶことも忘れて強張っていたが、構いやしなかった。
チュリネの葉には、疲れを取るのに優れた効果があるといつぞや耳にした。齧ってみれば思わず顔をしかめてしまうほどの大変な苦みが口の中に広がったが、毒物のような舌をピリピリとさせる刺激はなく、良薬は口に苦しという慣用句をそのまま体現したものだと分かる。自分の身で効果を確かめ、効き目があると判明したら、他の集落に売り込んでもよさそうだとニャイキングは皮算用を始めている。
『…どうした、蒼白になって。おまえがオレらと一緒に喜びの輪の中に入れるとでも思ったのか?』
このニャイキングは、身内に限り、情が厚い。余所者には冷淡であり、チュリネも例外ではない。ネイティオの予言が前提としてあったために連れてきたに過ぎず、今後の集落のために使役する予定の「道具」である。
『おまえはオレに命を救われた。ならば、その恩に報いて当然。そうだな?』
その通りですと答える以外にない、高圧的な問いかけ。チュリネは半ば脅される形で、ニャイキングに向かって首肯したわけである。
池の周辺には木の実のなる樹が複数自生していた。春にならねば実をつけないが、それはしばし先のこと。避難先に持ってこれた干し肉には限りがあるため、早急に食糧問題を解決するには植物の成長を促進させるしかなく、その点で草タイプのポケモンは大いに役に立つ。後々判明することであるが、チュリネの葉は確かな疲労回復の効能を有し、それだけでなく、濃く煮だした汁は虫除けに使えたので貴重な果樹を守るには最適だった。
この集落において、囚われのチュリネは、自分が成長していくためのエネルギーを果樹に分け与えることで活性化させ、木の実の収穫量を増やす傍ら、茶葉や虫除けに加工するために大事な頭部の葉をむしり取られる日々を送ることになった。
ネイティオの予言に対するニャイキングの解釈は当たっている。チュリネはネイティオが『おまえにとって役に立つ』と告げた相手だ。しかし、ニャイキングは肝心な部分を失念している。
――逃げる途中で拾い物をするはずだ。それはおまえにとって役に立つだろうから、「
親しみを込めて迎え入れていれば群れに繁栄をもたらしたはずのチュリネを、これから、ニャイキングは使い潰していくのである。
【 補足 】
・ニャイキングたちが辿り着いた新天地のイメージ
① フジが原・フジの池(いずれもキタカミの里)
② 忍野八海(山梨県)
・ニャイキングが率いるニャースたちなので、(殊更に言い足す必要はないでしょうが)ガラルの姿をしています。