ルチャブルがこつんとチュリネの額に太陽の石を接触させる。それだけでよかった。小さな石に秘められた膨大なエネルギーが濁流のようにチュリネの中に入り込んで、己を構成する一切合切を破壊し、そして、組み直していく確かな実感があった。身体のずっと奥から生まれた熱が全身を駆け巡り、熱の広がりに合わせて、チュリネから眩しい光が四散していく。
永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた「
能力を発揮するための管のようなものが、ぐんと太さを増した感覚。活力がみなぎって、何なら万能感に近いものまで感じられる。引っ込み思案だった頃には無縁だった自信が芽生え、自ずと背筋が伸びた。胸を張れた。もはや恐れるものは何もない、そんな気分だった。
周囲の者たちが唖然とした表情で自分を見てくることを誇らしくさえ思いながら、――ドレディアは、しゃなりしゃなりと歩み、池に近付いた。覗き込んだ。水面に己を映した。
見返してきたのは、にわかには自分であると信じがたいほどの美貌だった。つるんとした顔の中で瞬きするつぶらな瞳。その目にかかるほど大きく咲き誇り、一際存在感を主張する朱色の花。やつれたちっぽけなチュリネは、もう、どこにもいなかった。改めて周りを見遣れば、ニャースたちの目つきも明らかに変わっている。かつての小馬鹿にしたような視線は消え、代わりに、集落で開いた丹花をうっとりと見つめるばかりである。
美しさとは力なり、と、ドレディアは身を以て理解した。美しさゆえに自尊心が生まれる。美しさゆえに肯定される。だから、ようやく、自分が価値ある存在になれた気がした。今ここにいる自分自身のことを認められた気がした。
しかし、その高揚も、束の間のものだった。
ニャースたちの前に進み出てきたニャイキングが、笑みをたたえて、まるでドレディアを迎え入れるように両手を広げて。そして『美しいおまえを目当てにポケモンたちが次々とやってくることだろう』と開口一番に発言したそのとき――…ドレディアは、今度こそ、この集落への愛想が尽き果てたのである。彼女の気持ちを代弁するように、足元では、役目を終えた太陽の石が崩れて砂となり、さらさらと風に流されていった。
***
私には姉妹が多くいたけれど、その中で進化を果たしたのはひとりしかいなかった。彼女だけがドレディアになれたことについては、皆が納得していた。誰よりも頭の回転が速く、しっかり者で、また、肝が据わっていたから。太陽の石だって、石が眠ると噂される洞窟に単身で挑み、そのまま自力で手に入れてきた。自分の道を自分の力で拓いていく、その逞しさが、彼女には備わっていた。
私たちの間には年齢差も序列もなかったのに、ひとりドレディアになったその日から、皆が彼女を『姉様』と呼んだ。私たちは姉様に甘え、一方の姉様も、お転婆な妹たちに囲まれていようがちらとも苛立つことなく、朗らかに過ごしていた。
『姉様は、いつもニコニコしているわね』
常に皆の中心で微笑む姉様に、話しかけたことがある。彼女は何らてらいなく『だって、幸せなんだもの』と返してきた。
『私が笑えば、あなたたちも笑ってくれるでしょう?それだけで、嗚呼今日もいい一日になるって分かるのよ』
己から与え、他者と分かち合い、喜びを共有する。この一連の過程の中で、有用感や幸福感が生じる。そのことを、姉様は、分かっていた。
私も、そんな価値観を大事にして暮らしたかった。
だけど、私は、自分のものを周囲に与えたって幸せだとは感じられない。滅私奉公のつもりでも、どこかで、浅ましくも見返りを期待している。ありがとうの一言でいいから欲しかった。だけど、この里にいては、その望みも叶わない。これからも、きっと。
だって、誰も私のことを仲間だと思っていないのだから。
山火事に巻き込まれ、愚鈍な私だけが逃げ遅れ、姉妹とはぐれてしまったあのときから――…私は、自分の居場所を確保しなくてはならなかった。だから、生き延びるためにニャイキングに従い、居つきたくもない集落にしがみつくしかなかった。
たとえどんなにつらくたって、心細くたって、森の中にひとりで放り出されるよりマシだった。ここの肥沃な土と清澄な水は私にとって得難く素晴らしいものだったし、住民たちとの関係はさておき「集団の中に属している」という安心感を振り切ってひとりで生きてく度胸は、私にはなかったのだ。
いいようにこき使われていたと、その自覚はある。でも、私に役割が与えられているうちはこの地で生活することを許される。その僅かな安堵感と張りぼての帰属意識が、私の拠り所だった。
私を取り巻く状況が大きく変わったのは、ルチャブルが現れたから。
ある日突然私の目の前に舞い降りた、彩あふれる鷹の君。彼は当たり前のように私の身を案じ、思い遣ってくれた。励ましてくれた。笑いかけてくれた。私は久々に他者の温かみに触れることができて、それが嬉しくて、すぐにルチャブルのことを好きになった。
それなのに、私は、我が身の可愛さゆえに、ルチャブルを好きでいることすらできなくなっていった。
ルチャブルが私を心配して各所に掛け合ってくれたから、協力を申し出るポケモンが増えて、結果、私の役割は次々に
私の葉は茶葉として、あるいは虫除けの材料として摘まれていたけれど、私に取って代わりヤナップの葉が茶葉となり、グルトンの香りが虫除けとなり、私の葉はお役御免となった。
木の実の栽培にしてもそう、収穫する回数を減らせるように、代替品としてタルップルの蜜水が用意され、しかも、その試みは上手くいって
ルチャブルは何か手伝えることはないのか訊いてくれるけれど、果樹園の管理は私にしかできないことだからとやんわり断ってきた。その一方で、内心では怯えていた。本当に私にしかできないことなのか?木の実に関する役割すら、私から離れつつあるのではないか?…山火事後の食糧難を乗り越えるためにたくさんの木の実が必要で、
私なんて要らないのでは?
私に求められていたことが減る。私の存在価値が削られていく。これは、率直に、恐怖だった。
ルチャブルのおかげで休めるようになったけれど、ルチャブルの所為でこれから先の生活が不安になった。そんなふうに考えた。…ルチャブルの「所為」、なんて、どうして思えたのだろう。あんなに優しくしてもらったのに。
頑張り続けていればいつか仲間として認められると、そう、夢想していた。過労を厭うていたはずが、いざ私に与えられてきた役割の一つ一つが消えていくと怖くてたまらなくて、…美しく進化すればもう一度私を見てもらえると思っていた。結局、私は、ルチャブルの親切を利用して太陽の石を採りにいかせたようなものだった。
そうだ。
私は、今まで、自分で決めたことだからと言い訳をしながら様々なことに固執してきたけれど、その実、自分で決めたことなんてなかった。全ては思い込みだ。自分のことを自分で選択する勇気が持てなかっただけ。肝心なことはいつも他者の手に委ねてきたし、相手の顔色から自分の沿うべき正解を探そうとしてきた。
失望されるのが嫌で、捨てられるのが嫌で、媚びていたに過ぎない。ただ、どんなに媚びようが、この集落では、私はひたすらに除け者だった。新たに獲得した美しさすらただの客寄せでしかなくて。
「美しいおまえを目当てにポケモンたちが次々とやってくることだろう」?冗談じゃない。私の美しさは私だけのものだ。その根本を忘れるところだった。これ以上寄ってたかって消費されてたまるか。
私がいなくなっても、別にニャイキングたちの日常が崩壊することはない。いないならいないで、自分たちで何とかしていく強かさは十分にある。現に、この集落は既に、木の実以外の強みを確立している。だから、彼らは私がいない生活に瞬く間に順応するだろうし、そのうちにきっと、私のことを忘れる。…その程度なのだ。奴らにとって、私という存在は。
私がいなくなっても、誰も困らない。誰も悲しまない。ならば、ここは私の居場所ではない。ここを居場所にしなければという強迫観念じみたものを抱え続けてきたけれど、そんなものには、最初から何の意味もなかった。
ようやく現実を直視できて、すうと気持ちが冷めて、その分だけ靄がかった頭がクリアになっていく気がした。
いま私が乗り越えるべきは――…私、自身。
新天地を探しにいこう。もっと自分を大切にするために。
『私、ここから出ていきたい』
振り返り、もっと早くに言うべきだった『助けて』の一言をルチャブルに投げかけた。
ルチャブルは、『何を今更』と拒んだりしない。彼は『その言葉が聞きたかった』と受けとめてくれたし、『じゃあ行くか』と隣のゲッコウガを見遣った。
そこから先は目まぐるしかった。何もかもが計画されていたみたいに、びっくりするくらいルチャブルとゲッコウガは連携が取れていた。ルチャブルが素早くゲッコウガの柳行李をかつぎ、身一つになったゲッコウガが軽々と私を両手に抱えて、そうして、ふたりは高々と跳躍した。
『この里に貢献した報酬に、花を一輪もらっていくぞ』
去り際に、ルチャブルが高らかに鳴く。なんて痛快なのかしら。
切られた啖呵が急展開にざわつく集落一同にどこまで届いていたか定かではないけれど、少なくとも私は、久しぶりに愉快な思いがして、清々したのだった。