■ 花
『元気でな』と別れ際の挨拶を口にしたルチャブルを、ドレディアは引きとめることができなかった。ソルロックの隣に佇んだまま、取り残されたまま、遠ざかっていく紅い背中を見送った。
もっと平和な境遇で互いが出会っていれば、ドレディアが内秘めていた淡い想いは輝きを増したことだろう。本当は、…心に芽生えたものを花開くまで育ててやりたかった。たとえば何かにつけてルチャブルを目で追いかけたり、ささやかな会話でさえ喜んで、そして、ルチャブルに好いてもらえるようあれこれと努力する、そんな、可愛らしい恋に育ててやりたかった。
ルチャブルとの出会いは間違いなく素敵なものだったはずなのに、あの集落にいる間は、片想いすら楽しめなかった。
ルチャブルが度々親切にしてくれたのは、私に気があるから。…なんて、そんなふうに図々しい発想ができるような性格だったなら、もっと楽に生きていけた。しかし、残念ながら、ドレディアはそこまでおめでたくはなかった。ルチャブルは思わせぶりな態度をとったのではないと、それは彼に接してきた身であればこそ分かる。彼は誰にでも優しくできる性分なのだ。「誰にでも」の一部に、ドレディアが含まれていたに過ぎない。
最後の最後でルチャブルに縋りつくのは、一つの手段ではあった。『私を置いていかないで』と言えば、彼はドレディアの傍に留まってくれたかもしれない。ただし、留まるその理由は「同情」であろう。そして、おそらくドレディアへの「同情」が「恋愛」に昇華される可能性は低い。
ドレディアがルチャブルに向ける想いと、ルチャブルがドレディアに向ける想い、その種類が異なるのであればふたりの関係は長続きしないだろう。共に過ごしてみても、いずれは傷つけあってしまうはずだ。
『始まる前から終わっていることもあるんですね…』
ぽつりと呟くと、ソルロックは『それが自力で理解できただけ儲けものだ。飛び去った鳥に執着するな』とにべもない態度を見せてくる。だが、今はその淡々とした言い様がかえってありがたかった。嘘くさく親身になられるよりは、ずっといい。
『おまえのように群れて生きる習性のある者は、孤独には耐えられない。早く己の寄る辺を見つけることだ』
ソルロックは『西へ向かえ』と助言をくれた。
『フラージェスが管理する花畑がある。気位の高いポケモンだが慈悲深く寛容だ。おまえのよき理解者になることだろう』
何事もなければ、ドレディアの足なら数日ほどで辿り着く場所だという。もちろん、勧められただけだ。強制ではない。ただ、気の置けない同性の話し相手が恋しくなっていた頃だったので、ありがたく聞き入れることにした。
自立の第一歩として、目的の花園へ辿り着けるよう頑張ってみよう。決意するドレディアは、太陽の石ならびに有力な情報に対する礼をソルロックに告げて、新たな一歩を踏み出した。
初めてのひとり旅だ。これしきのことで弱音は吐けないと不安な気持ちに蓋をして、私は困難な日々を乗り越えて今ここにいるのだと何度も自分自身を励ましながら、ドレディアは進み続けた。
小さな物音一つにさえ怯え、身を縮こませ、それでも歩みを止めない姿は見る者の涙を誘う。ただし、いかに可憐であるからといって、いつもいつでもうまくゆくなんて保証はどこにもない。…けど、生きていればいいことだってある。頑張りが報われることもある。勇気を出して道を切り拓いていくその先に、祝福が待っている。
想像を遥かに凌駕する花畑の景色や、友として長く付き合っていくことになるフラージェス、そして、探しあてた新天地で思いがけず再会を果たす姉妹たち――…ドレディアがドラマチックな展開の当事者となるのは、もう少し先の話である。
***
■ 蛙
薬師を志す過程で、薬草のことはもちろんこの世に息づく様々なポケモンたちの生態や体の構造を学んできた。だから、ドレディアの花は他のポケモンと番関係を結んだ時点で枯れてしまうことも知っていた。その事実をそれとなくルチャブルに伝えておけば、彼は絶対にドレディアを異性として意識しなくなる。せっかく咲かせた美しさを奪うような真似などするはずがないからだ。――そう、ゲッコウガがチュリネの進化を提案した真の理由は、チュリネの負担軽減のためではなく、「万が一にもチュリネ(ドレディア)とルチャブルが恋に落ちる可能性を潰すため」である。
どのタイミングでドレディアの花の真実を切り出そうか見計らっていたのだが、まさかソルロックが説明役を担ってくれようとは嬉しい誤算だった。すげえ、こいつ全部言ってくれるじゃん…。ソルロックの話を聞く間、ルチャブルは真剣な表情を浮かべ、『惚れるな』という忠告をしかと嚙みしめていた。その様子を目の当たりにして、ゲッコウガがどんなに安堵したことか。
難なく手中におさめた太陽の石、からの、進化。これでドレディアともおさらばだとほくほくしていた矢先、彼女が翻意し『助けて』と救いを求めてきたため、それはもう瞬時に激怒したゲッコウガである。さんざっぱら突っぱねてきたくせに、この期に及んで何をほざくのか。『ふざけんじゃねえぞこの【自主規制】』と罵りたくなるような案件だった、が、ここでルチャブルからの心証を悪くするのは避けたい。苛立ちはおくびにも出さず、ルチャブルと共にドレディアの逃避を手助けすることを選択した。嗚呼、なんて涙ぐましいんでしょ。
ドレディアを連れ出したまではよかったが、ゲッコウガはそこから先を考えていなかった。はっきりしているのは、彼女に『傍にいて』だとか『私もついていきたい』だとか言い出されては面倒なことこの上ない――ゲッコウガにとっては迷惑千万だということ。だもんで、昨日の今日ではあったが、『遠慮なく頼れ』と言っていたソルロックをまたもや言葉通りに頼ることを思いついたのである。
ソルロックの対応は、満点だったと言っていい。ゲッコウガが本心では何を求めているのかを正しく読み取り、結果、『ドレディアのことは私に任せろ』と簡潔に述べてまるっと彼女を引き受けてくれたのである。おかげで『ここから先はてめえひとりでやれ』と突き放す手間が省けたし、最も穏便な方法でゲッコウガとルチャブルふたりからドレディアを切り離すことが叶った。
一連のMVPはソルロック…?
だが、ソルロックが快く協力してくれたのは、突き詰めていけばゲッコウガの過去の善行があったからで。
ならば、よくやったと褒められるべきは「過去の
かつて仕込んだものが時を経て効果を発揮し、厄介事を解消させる思わぬ一手になったというわけだ。ゲッコウガは、まるで伏線を回収したかのような爽快感を覚え、密かにほくそ笑む。
さあ、あとはゆっくりとルチャブルを口説くだけだ。
自信はある。呪いもある。己と小鳥と、必ず出会って恋に落ちる運命なのだ。今まで、ずっと、ずっと、約束されてきた物語だ。今世もそうなる。絶対に。
春の柔らかな木漏れ日が降りそそぐ山道――…上機嫌の蛙の目には、ふたりの歩む今後の明るい未来を象徴しているように映る。ルチャブルと連れ立って進む今このとき、ゲッコウガは実に晴れ晴れとした気持ちでいた。
***
■ 鳥
名残惜しさはあった。しかし、
『これから、御主はどうするんだ。行先は決まってるのか』
ゲッコウガからの問いかけ。恥ずかしながら『特に何も』と答えるしかなく、そもそも、「自分の見聞を広めるために旅をする」「様々な出会いを通じて感性を磨き、自分の舞を深めていく」という目標設定が漠然とし過ぎていたのかもしれない。
両親の元を離れ、ジャラランガの元を離れ、旅を始めたあの日から数年。その間のひとり旅は楽しいものだった。一目見るだけで心が洗われるような素晴らしい景観に遭遇し、いくつもの感動に出会えたこれまでの時間は、決して無駄なものではなかった。後悔はない。しかし、果たして、偏りはなかったと言えるだろうか。他者の視点や意見が介在しない旅には、ひとりで続ける旅には、すぐに限界がくるのではなかろうか。多様な集落やポケモンと交流して知識技能を高めてきたゲッコウガを尊敬すればこそ、ルチャブルの中では「ここが分水嶺なのでは」という思いが強くなっていく。
行先は決まっていないんだ。だから、おまえさえよければ旅に同行させてくれないか。そう提案してみてもいいだろうか。生薬のことなどまるで分からない自分がついていったところで、足手まといになるだけだろうか。考えを巡らせていた折、ゲッコウガがおもむろに足を止めて、ルチャブルを見つめてくる。
『…どうであろう。試しに、拙者と共に旅をしてみるというのは』
今まさに尋ねようとしていたことをそっくりそのまま相手の方から切り出され、ルチャブルは驚きのあまりに見開いてしまった。
ゲッコウガの表情はいたって真面目なもので、更に言うならば、いくらか緊張の面持ちである。
俺がどんな返事をするのか緊張している?俺がゲッコウガからの返事を気にしたように?
自身がゲッコウガに影響を与えうる存在である可能性。その自覚。そこに思い至ると、ゲッコウガからの――尊敬している相手からの誘いが現実味を帯びてきて、ルチャブルの気持ちが時を追うごとに高揚していく。
『御主の目的は、旅を通じて深めた見識を己の舞に反映させることでござろう?…拙者もあらゆる地域へ出向くし、職業柄多くのポケモンと関わるし、なればこそ様々な価値観に触れるし、…その、御主の旅に貢献できることもあると思うのだが…』
何より、ルチャブルを気に入ってるでござるよ。
ゲッコウガが真摯に言葉を重ねてくる。わざわざ説得されている事実を前に、いよいよルチャブルの胸の中では喜びが湧き上がって、自ずと笑みが浮かんだ。
『 俺も、もっとおまえと一緒にいたいと思ってたんだ 』
素直に吐露したこの本音がどれほどゲッコウガを有頂天にさせたか気付かぬままに、ルチャブルは、握手を交わすため無邪気に手を差し出した。
『これからもよろしくな、ゲッコウガ』
【 補足 】
① ニャイキングたちのその後
結論から言うと、ほぼノーダメージ。
強いて言えば、木の実が結実しづらい状態がしばらく続いたことか(実をつけさせるために果樹にも負担をかけてきた、その反動)。
チュリネを使い潰すような真似をしていた時点で「所詮は消耗品」と言っているようなもの。いなくなっても特に不都合は生じない。
後にドレディアが語っていたように、大量の木の実を欲した理由は以下の二点。
・山火事という「災害」、冬の後半という「時期」に起因する食糧不足の解消
・木の実の配給で集落の評判を上げ、森の中での存在感を強める
どちらも達成されてしまえば、木の実の過剰生産は必要ない。チュリネが用済みとなるのは時間の問題だった。
木の実の配給も春がくるまでの一時的な措置に過ぎず、春が本格化して以降は木の実の配給を打ち切り、収穫物は集落内でのみ消費するようになった。
木の実の配給がなくなっても、蜜水・編み組細工・薬草の取引は継続されており、集落の繁栄は続いている。
チュリネをきっかけとして、ルチャブル→グルトン→タルップル→ゲッコウガと連鎖し、知識や技術含む様々な恵みが集落にもたらされたことになるので、かつてのネイティオの言葉は当たっていたことになるのだろう。
② それぞれの集落滞在期間
・ドレディア:四カ月ほど
・ルチャブル:一カ月ほど
・ゲッコウガ:二週間ほど