とある深山に、
もう百年は前のことになるが、里の始まりはデカヌチャンたちにあった。自身の得物である大槌をより強く鍛えるための方法を模索していた彼女たちは、森の
デカヌチャンたちは仲間を募ってたたら場を開くことにしたのだが、いざ製鉄に取り掛かるとなると、膨大な量の木炭や砂鉄が不可欠となる。また、日々を暮らしていくための生活用水も確保しなければならない。森の奥まで分け入って条件が揃う場所を見つけ出し、その一帯を治めて君臨していた女王ジジーロンを
当時を知るジジーロンが、今もなお里長として集落の者をまとめている。里長の権限が最も大きいことは言うまでもないが、次点で発言権を有しているのは、開拓時代から連綿と続いているデカヌチャンの一族である。彼女たちが里の要である製鉄と鍛冶の分野を担っていることはもちろん、小柄な見た目からは想像もつかない腕っ節の強さを誇るので、逆らおうとする者がそもそも集落内にいなかった。
ジジーロンが別格に偉い以外、かつては民の間で上下を作らずに過ごしていたのだが、デカヌチャンたちの立場を決定づけたのは半世紀以上前――…製鉄所として軌道に乗り始めた頃の出来事だ。たたら場を侵略せんと押しかけてきたドドゲザンの軍勢との合戦である。
存亡がかかっていることもあり、集落の住民全員が兵士として立ちあがった。ジジーロンも不届き者に対して渾身の破壊光線を浴びせてやった。誰もが勇敢だった。しかし、抜きん出て戦果をあげたのがデカヌチャンたちだったわけである。
多くの血が流れた
当然、事態に狂乱したのは母親だ。子どもの身体に!女の子の身体に!彼女は筆舌に尽くしがたいほどの憤怒の形相で戦の最前線へと推参した開口一番『死にさらせ
命懸けの激しい戦闘の末、やがて響き渡る
このように、実力からしてたたら場の華はデカヌチャンたちなのだが、その他のポケモンも集落の一員として各々の役割を全うし、忙しく毎日を過ごしている。砂鉄を採取する者、木炭用の木を伐採して運搬する者、炭窯の番をして木炭製造を担う者、付近の山や川から食糧を調達してくる者、あるいは集落内で作物を栽培する者…。力仕事がほとんどであることに加え、火に接する機会が多いため、集落のポケモンはおのずと格闘タイプや炎タイプに偏る。武術を扱える、火を操れるとなれば、住民たちはいずれもそれなりの攻撃力を有しているのであり、結果、たたら場を乗っ取ろうと押しかけてくる外部の敵を自分たちだけで退けることも叶い、皆で団結しながら現在に至るまで里を存続させてきたのだった。
今日も、ジジーロンの元に甲高い音が届く。ハンマーが金属を叩く音。熱には弱い鋼タイプを複合していながら、それでも汗水を垂らして果敢にハンマーをふるい、真っ赤に焼けた鉄と対峙しているデカヌチャンたちの姿がありありと目に浮かぶ。
たたら場で精錬する鉄はただの鉄ではない。玉鋼だ。その極上の素材を惜しまず使うため、出来上がった刃物の質の良さが評判を呼ぶのは必然と言えた。…例えば、体格に恵まれず非力なポケモンでも、持ち前の素早さを活かして短剣を武器に戦えば、立派に強者と渡り合える。相手に致命傷を負わせるには、深い一撃でなくても構わない。急所を切りつけて出血死を待つか、刃そのものに毒でも塗っておけば勝敗は決する。だから、護身用の武器を求めて里を訪ねてくるポケモンが後を絶たない。
『失礼いたします』
里に隣接する崖があり、その下部にぽっかりと洞窟が口を開けている。それだけなら何ということもないが、太い注連縄が張られていることで一気に神聖な雰囲気を醸成する。この洞穴こそジジーロンの住処であり、今、其処でひとりの若者が声をかけてきた。ゴウカザルである。よく気が利く働き者で、頼れる女中として普段からジジーロンの身の回りの世話をしてくれる。
『薬師のゲッコウガ様がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか』
『おや、嬉しいお客だ。連れておいで』
年に数回という頻度でやってくる痩身の
――相変わらず、立っているだけで絵になる。謁見のためにやってきたゲッコウガを見て、ジジーロンは目を細める。ぱっと華やぐような明るさなどない、それどころか暗くて寂しげな印象の方が強い蛙だ。しかし、その
ここにきて、ジジーロンは僅かに片眉を持ち上げる。ゴウカザルと共にやってきたのはゲッコウガばかりではなかった。数歩後ろから付き従ってくる者が、もうひとり。錦にも等しい目にも鮮やかな羽を纏うルチャブルである。かつて里で働いていたポケモンの中に同族がいたので、種族としては知っている。しかし、種族が同じとはいえ、当たり前ではあるが顔つきも体つきもまるで異なる。このルチャブル、実に男前だ。麗しく整った顔立ちの中にも両目に宿る琥珀の光が鋭く、この目で見つめられかき口説かれようものなら相手はひとたまりもなかろう、抗いようもなく虜になろうと思わせる。
ふたりの客がジジーロンに相対し、畏まった仕草で座ったあと、きっちりと手をついて辞儀をした。その脇にはゴウカザルが控えている。
『久しいね。元気そうで何よりだよ』
『里長様におかれましても、御壮健で何よりです』
再会が喜ばしい。それは確かなことなのだが、ジジーロンとしては、この紋切形の遣り取りをしている最中にもルチャブルのことが気になって仕方なく、すぐにでも言及したかった。だから、近況を聞くよりも前に、薬を譲り受ける交渉を始めるよりも前に、『おまえの連れ合いについて話してくれるだろうね』と急かす。
『私の
頭を垂れたまま、ゲッコウガが恭しく答えた。紹介された当の鷹は、ゲッコウガより更に深く頭を下げ、『ルチャブルと申します』と挨拶をする。その声を聞く者を自ずと安心させるような、低くも温かな音。歯切れのいい口調。美しい姿勢と併せて、目の前の鷹を、いっそう魅力的に見せる。
ジジーロンに対するふたりの応答には、躊躇いも恥じらいもなかった。番の関係が、互いの間で十分に馴染んでいることが窺える。
『さあ、顔を上げなさい。まさか新婚の挨拶をされようとはねえ、心が弾んで若返りそうな気分だよ』
表情を緩め、浮かれた態度も隠さずジジーロンはゲッコウガと向き合う。
『よかったじゃないか、ゲッコウガ。おまえが探していた相手と、無事に縁を結べたというわけだ』
『里長様、その話はまだ…』
『…探していた?』
照れくさそうなゲッコウガと対照にルチャブルが首をかしげているので、ジジーロンは『まさか何も聞かされてないのかい』と呆れてしまう。『面目ない…』などと言いながらもゲッコウガが大して慌てた様子も見せないので、勝手ながらジジーロンが口を出すことにした。
『前回、こいつが里に来たときのことさ。ルチャブルが住む集落に心当たりはないかって訊かれたんだ。何でも、薬草を分けたやったどこぞのポケモンから、御礼にって占ってもらったらしくてね。近い将来、おまえの一生を左右するような相手が見つかる。そのポケモンはルチャブルだ、なんて。そこまで具体的に言われたら気になるし、探してみたいんだって言うじゃないか。占いなんぞを気にする一面があったことが意外でね、よく覚えているよ』
もっとも、「一生を左右する」という言葉には気を付けなければいけない。それが良いことなのか悪いことなのか、どちらともつかないためだ。後者の可能性もあるのだから探すのなら慎重にやれと言い聞かせたのが昨日のことのように思い出される。それからいくらか季節が過ぎ、こうして占いの結果を目の当たりにできた。良縁だったのなら、何よりの朗報だ。
先程までの精悍な顔つきが一転、今やルチャブルは頬を染めている。存外、ゲッコウガとは違って表情がころころと変わる
『ゴウカザル、おまえは先にいって部屋を用意しておいで』
宿泊者のための部屋はいくつかあるが、特にゲッコウガは薬草を採取したり集落の者を診たりで数日は滞在することが常なので、心置きなく作業できるよう個室をあてがっておいた方がいい。
『部屋を使えるようにしたら、あとは宴の準備をしておきな。里の者をあげて、今夜はふたりの慶事を祝うとしよう』
ゴウカザルは心得たことを目礼で示し、しずしずと去っていく。そして、『御厚情に深謝いたします』とまたぞろ頭を下げるゲッコウガとルチャブル。うむ、苦しゅうない。ジジーロンは上機嫌だ。
『里にいるうちは気安くいなさい、私らも抜かりなくもてなそう。おまえはいつも通りに薬を都合してくれたらそれでいい。蛙印特製の丸薬を待っている者が大勢いるから、頼んだよ』
たたら製鉄は、一度の操業でまず三日はかかり、その間は炎を絶やせない。よって、製鉄の担い手であるデカヌチャンたちは、交代しながら昼夜問わずにたたらを踏み抜く。また、現場では鉄火が弾けて舞い、溶けた金属は過剰に眩い。火傷を負うこともあれば目を痛めることもある過酷な業務だ。傷の手当てに使う軟膏の他、目を労わる効能を持つ菊の花を主原料に数種類の生薬を混ぜて調薬したというゲッコウガの強壮剤は、思わず拝みたくなるくらいによく効くと熱望されている品なのだった。
ゲッコウガは『委細承知いたしました』と穏やかに応じる。以前はもっと近寄りがたいような隙のなさがあったはずだが、これも恋のなせるわざか、角が取れて随分と丸くなったようだ。その変化もまた、ジジーロンにとっては心楽しいことだった。
***
長い歴史の中で住み着くポケモンが増え、限られた土地で家屋を建て増してきたために今ではだいぶ入り組んだ集落になっているのだが、その中で、ぽっかりと開けた場所がある。催し物があれば住民が集う、そのための広場だ。今宵、至るところに篝火が焚かれ、広場では皆が笑顔を携えて宴会に興じていた。芭蕉の葉を皿代わりに、多種多様の木の実が山のように小高く盛られている。賑やかな雰囲気に浸りながら、ジジーロンは好物のマゴの実を齧った。
宴会における最たる肴は談笑であろうが、それ以外にも、この場にあるのは木の実ばかりではない。炊き立ての米にすりおろしたとろろと山わさびをのせたものや、山菜汁がそれぞれに配られている。この里の金物目当てでひっきりなしにやってくる外部のポケモンが、資材だの食糧だの酒だのをもたらしてくれるおかげで、里で栽培しているものと合わせれば食うには困らず、毎年の越冬も大した苦労はない。包丁に鍋、おろし金といった金属製の調理器具だっていくらでもあるし、火力自慢の住民がたくさんいるので、つまみの用意くらいなら朝飯前だった。
この里はとにかく
『何だよ、あんたこんなに強かったのかよ薬師の先生!』『早く言ってくれりゃよかったのに』『ルチャの旦那!今の動きどうやったんだ教えてくれよ!』――以降はすっかり打ち解けた形である。明日も競争相手になってくれと、集落の雄たちが入れ代わり立ち代わりに早速約束を取りつけていた。雄衆は雄衆で日頃から鍛えており、格闘家としての自負を持つ者も少なからずいたため、強者と見るや戦わずにはいられないらしかった。
時を追うごとに高揚していく民たちは、誰ともなしに歌いだした。労働のさなか気持ちに張り合いを持たせ、互いを励ますたたら唄である。
よ~いやァさ 歌うて踏まされ 一夜泊りで
ふゐごの風さへ息をもつがず そら踏めそら踏め
作業時に呼吸を揃えるため、掛け声の意味合いで歌うもの。製鉄には関わらぬ住民さえ歌える馴染みのもの。その声が徐々に膨らみ、参加する民が増え、会場を包むほどの合唱になっていく。
一つ 二つは カヌチャンも踏むが
三つ 四つは デカヌチャンも泣く泣く
タタラおんなは
熔けて流れりゃ
特徴的な節回しや明るい調べは、特にルチャブルの興味をひいたようだ。彼は『よかったら、その歌をあと二、三回ほど繰り返してくれないか』と頼んできた。
『僭越ながら、このルチャブル、舞を披露させてもらおう』
彼の提案は、里の者を大層喜ばせた。
宴会用の木の実を盛り付ける皿に、飾りとして花が添えてある。その中から、ルチャブルは茎と葉を残したままになっていた桔梗の花を手に取り、すっくと立ちあがった。
歌が再開される。舞が始まる。たたら場で歌い継がれてきたものを絡めとって、舞い手の世界観が構築されていく。観衆は、息を呑む。
歌に合わせて行き当たりばったりに動いているのではない。即興ではあろうけれども、その滑らかさといい軽やかさといいしなやかさといい、明らかに修業を積んだ者の所作であった。爪の先や目線にまで行き渡る舞踊の心、動きに合わせて揺れる冠羽、翻る翼。ルチャブル自身の羽が色彩に富んでいるため、見応えも十分だ。彼に握られ共に舞う桔梗が可憐な雰囲気を加え、会場に芸術が花開いていく。
他者を魅せ、感動させる技巧の数々。それ以上に、ルチャブルには存在自体に華がある。目が離せなくなる。自然と皆が手拍子を打ち、歌声は高らかに盛り上がり、素晴らしい舞に対する歓声が満ち満ちる。宴会という枠組みを超え、生命が力強く躍動する空間と化す。誰も彼もが愉快に過ごし、どこを見ても笑顔に彩られた光景が広がる――…それを目にすると、優しい気持ちになれる。ジジーロンの胸の中に、民への愛おしさが湧く。盛大に祝うきっかけとなった来客ふたりへのありがたさが募る。
やだね、…すっかり涙もろくなっちまって。
ジジーロンの目の端を濡らすものが、篝火の灯りを反射させ、きらりと光った。
【 補足 】
①ゲッコウガは行く先々で「占いの話」をするのですが、勿論これはルチャブルを探すための方便でしかなく、「占ってもらった経緯」も「占いの内容」も全くのでたらめです。
②本文中のたたら唄は、『タタラ踏む女達‐エボシ タタラうた‐』を引用しております。デカヌチャンの系譜は雌しかいないので、「タタラおんな」の表現がぴったりだと思いました。
タイプの関係上、製鉄に不可欠の「炎」は彼女らの弱点となりますが、持ち前の怪力と知恵で工夫しているものと思われます。
現実には、鉄を司る神を重んじて、製鉄や鍛冶に関しては女人禁制にするしきたりもあったようです。しかしながら、今作では人間のいない世界を描いていますし、そもそもポケモンたちには関係のない信仰なので、雌しかいないデカヌチャンたちもごく普通に製鉄に関わります。
③先述しているとおり、デカヌチャンの系譜は雌しかいません。
進化を果たし、交尾が可能な成熟した身体になったとき、集落内に「タマゴグループ:ようせい」の適当な雄がいなかったら、交尾の相手を求めて周辺の森へと入ります。その後、卵だけ抱えて集落に戻ってくるのです。
生まれてきた子どもがカヌチャンだったら工匠として鍛えていくし、父親に由来するポケモンが生まれたら、それはそれとして貴重な労働力なので、他の作業要員として育てていきます。