今年の夏は例年に比べると日照り続きで、水分を失った地表が痛ましいほどにひび割れている光景をよく見かける。立ち寄った各集落では、せっかくの作物が枯れてしまったと嘆く声が多数。もはや旱害である。
害を被ったのは、ゲッコウガも同様だ。高い気温や乾燥に耐えきれなかった薬草が複数あり、連鎖的に、それらを材料とする薬が不足するという状況に陥っている。他の薬草で代替できることもあるが、その場合、調薬しても従来のものよりはどうしても効能が劣るのが悩ましい。だが、この過酷な暑さに順応しきれず体調を崩す者が続出しているので薬の需要は増すばかりだ。それに、患者が大柄ならば当然ながら服用させる薬の量も多くなるわけで、つまりはどんな体格の者が相手でも最低限の対処ができるようにしておかねばならない。薬の在庫を切らさないための措置として、下位互換の薬に甘んじて量産しておく選択肢も頭の片隅にとめておくべきだろう。
天候は自然の気まぐれ一つで変わってしまうものだが、それ以外にも、不確定要素として、天候に直に影響を与えるような力を持つ神話級のポケモンたちが関わってくる場合もある。彼らの機嫌や体調次第でも空模様は瞬く間に変化するので、いずれにせよ一般のポケモンにはどうすることもできない。粛々と現状に対応する以外にないのだった。
薬の都合がつくかどうかという問題が面倒なのはもちろん、それ以外にも、最近はゲッコウガを不愉快にさせる出来事が立て続けに起こっており、鬱屈している。
ルチャブルと共に訪れた先で、いつでも事が順調に運んだわけではない。たたら場の里で受けた歓待が特別なのであって、あのレベルをどこでも享受できて当然と考えるような傲慢は持ち合わせていないつもりだが、それはそれとしても鼻白むのだ。
薬草の知識は貴重なスキルなので優しくもてなしてくれる集落の方が多かったが、こちらが説明した服用方法を無視した挙句に薬が効かないと相手が難癖をつけてきたり、報酬のことで揉めたりすることはあった。最もゲッコウガを激昂させたのは、ルチャブルに対する悪罵だ。馴染みの集落での出来事である。ゲッコウガが番を持った結果失恋する羽目になった雌がおり、逆恨みして、ルチャブルをそれはもう口汚く罵ってきた。実際に耳にした者がよくもまあそんなにも強烈な表現を思いついたもんだと呆れかえるほどの雑言だった。
で、まあ、地雷踏み抜かれたんで、普通にブチギレますよね。この蛙は。
ルチャブルは被害者であるというのに、その彼が宥める側に回らねばならないほどゲッコウガの怒り様はすさまじく、心優しい薬師としての顔しか知らなかった集落の者は恐れおののくばかりだった(直後、この集落には金輪際立ち寄らないと怒りのままに付き合いを切ったため、住民たちの顔色を更に青くさせることになる)。
ゲッコウガは、嘆息する。儲けたい、豊かになりたいという野心もなければ、他者の役に立ちたいという殊勝な志もなく、ルチャブルから尊敬してもらえる心地よさが惜しまれて薬師を継続しているゲッコウガであるから、薬を求める客が
ゲッコウガは痩身であるものの、それは虚弱を意味しない。あくまでもポケモンとしての造形であり、実は全身くまなく一様に鍛え抜かれた筋肉を備えている。強くなければ自分のことも愛する者のことも守れない、…だから鍛錬は続けてきたし、弱肉強食の理が未だに色濃く残るこの世界で、安寧とした集落暮らしを選ぶことなく流浪の旅を続けることができている事実がゲッコウガの強さの証明であった。
実力を殊更にひけらかさなくても、雌は強い雄を本能的に嗅ぎあてる。ゲッコウガが雌からの熱視線を向けられるのも
『疲れてるのか』
心配そうに顔を覗き込んでくるルチャブルが、ゲッコウガの意識を現実に引き戻した。今日もうだるような暑さで、日光の強さに比例して足元の木陰も濃くなっている。木々の枝葉が絡まり合って影を落とす山の中は、平野よりも気温が和らぎ幾分か過ごしやすいはずなのだが、それでも、ふたりはこの道中で何度もしたたる汗を拭っていた。
疲労を問われ、ここで『そんなことはない』と返答するのは悪手と思われた。ルチャブルが尋ねてきている時点で、下手な誤魔化しが利かないほどにゲッコウガの心労が表面化しているのだろう。暑さによる肉体的な疲れも蓄積されており、その分だけ足取りが重くなっていたことも、実は看破されていたのではないだろうか。何と言ったものかと束の間思案するゲッコウガを見て、いよいよルチャブルは確信を持ったらしく、途中で発見した岩窟を指して『休んでいこう』と提案してきた。提案するだけでなく、ゲッコウガの手を引いて、代わりに柳行李を受け取ったりゲッコウガを座らせたりと甲斐甲斐しく世話を焼く。
――ルチャブルは、弱いところを晒しても嗤うことはない。絶対に。その弱い部分がこれ以上傷つかないように優しく包んでくれる
『…ありがとな、打ち明けてくれて』
ゲッコウガからの信頼を感じ取ってくれたのだろう。ルチャブルの表情は柔らかい。
『どんな問題でも、何とかなるさ。苦労を乗り越える前にくじけないよう、これからもふたりで支え合おう』
ルチャブルの言葉は前向きだ。彼自身が相当な忍耐力を備えていることもあり、口にされた内容が楽観的なものとはいえ中途半端な慰めのようには聞こえない。今できることをやるしかない、と、端的に言い表されている。
御主の方こそ腹に据えかねているのではと訊き返してみたが、どこまでも、ルチャブルの調子は凪いでいた。
『もちろん、俺だって頭にきてたぞ。…けど、清濁併せ吞むってのが、俺にとっても演舞の上でも大事だと思ってるからな』
天災の理不尽や、欲深くあることの醜さ、貶めようとする悪意。それら「濁」を知っていればこそ、より強く「清」への尊さを実感することができる。
確かに、世間の「濁」に直面することはつらい。だからといって、「清」だけに固執することも健全とは言い難いはずだ。双方を自身の糧にする度量こそが肝要となる――…
『ついでながら、おまえが尋常でなくモテることも分かった。俺に向けられる嫉妬の類にはきっちり対処していかないとな』
ややおどけた口調で、異性問題に関してもあっさりといなしていく彩鷹である。
『俺より優れた体格、性格、能力…そういうものを持ったポケモンは無尽蔵にいる。おまえの隣が相応しい奴だって、探せば他にいるんだろう。だが、誰かと比べ出したらきりがない。精々、自前の持ち味を活かすさ。
何より、おまえが選んだのは俺だ。…その一点に関しては、誰であろうと譲らない。妬いてくる奴らをいちいち納得させようとも思ってない』
少なくとも俺は、おまえが好きになってくれた俺のことが好きだ。
偽りのない率直な一言一言が如何にゲッコウガを喜ばせたか、きっとルチャブル自身には分かるまい。
暮らしの中でゲッコウガが伝えてきた愛が、ルチャブルの中に根付いているからこそ確立された揺るがぬ自己肯定。ルチャブルもゲッコウガにこだわっていることが明白となった発言に、どうして舞い上がらずにいられよう。相手の自信の根源に己が据えられているということ――…それが、こんなにも、嬉しい。
『あれこれ難しく考えずに、今は気晴らしといこう』
ルチャブルが立ちあがり、ゲッコウガの前に進み出て向き合うと、恭しく胸に手を当てながら美しい辞儀を見せた。
『観客はおまえひとりだ。しっかり見届けてくれ』
不思議だった。ルチャブルの舞を見る機会は何度もあったのに、未だに初めて目の当たりにする動きに出くわす。彼の中に振り付けの引き出しがどれほどあるのか見当もつかない。
たとえば演武のような雄々しく直線的な動きではなく、今のルチャブルが見せるのは、全身を使って柔らかな曲線を描くみたいに繊細な動きで、たおやかですらあった。しっとりとした色気さえ感じさせ、ルチャブルの舞踊を見ているうちに高揚していく自分がいた。時に流し目を寄越されることもあって、こうなってはもう踊り子に誘惑される一方である。
伸ばしたり、振ったり、曲げたり、四肢の所作そのものは単純であるはずなのに、緩急や角度、動きの組み合わせによって、舞い手の表現が無限に等しいほど生み出されていく。
ルチャブルの舞姿は、一輪の花を思わせる。それは、夏の雨にうたれ、花弁を雨粒で飾る純白の百合――…清純な花の姿が、見えた。きっと、舞に宿る特殊な力がゲッコウガに見せた幻だった。それが証拠に、今まさに、特別なことが起こると予感させる光景が現れつつあった。
ルチャブルの全身が仄かに光をまとい始める。ポケモンが技を発動させるとき特有の輝きに包まれている。
そして。
気圧が、変わる。
『……、雨…』
あの日も、…ルチャブルと出会ったあの日も、雨だった。雨の中で、小鳥が、舞っていた。
ぽつ。
ぽつ。ぽつ。ぽつり。
恥じらうように数滴落ちてきたあとに続いて、絹糸のような細い雨が晴れた空から降ってきた。黒々とした雨雲ではなく、抜けるような青い夏空から降ってくる透明な一滴一滴が視覚にも触覚にも清涼感を与え、薄荷水を彷彿とさせる。いわゆる天気雨、長くは続くまい。しかし、肌を優しく潤す慈しみ深い雨だ。ルチャブルの「雨乞い」によってもたらされた、奇跡の産物だった。
『ゲッコウガ!』
舞を中断し、ルチャブルがゲッコウガの元へ嬉しそうに駆けてくる。『立てるか』と伸ばされた手を取ると、ルチャブルは、はしゃぎながらゲッコウガを雨の中へと連れ出してくれた。
『ほら!雨だぞ!おまえのことを想いながら舞ったら、雨が降ってきたんだ!』
かくあれかしという祈りが現実のものとなり、ルチャブルは喜色満面を露わにしていた。
この心映えの美しい鷹のことだ。蛙の身を案じ、癒しになればと雨を望んでくれたのだろう。祈りを舞に託してくれたのだろう。ねえ見て、できたよ、と親に知らせたくてたまらない子どものような顔で、ルチャブルはゲッコウガに笑いかける。ゲッコウガの手を握ったまま、足元を弾ませて、くるりと回る。まるで、ふたりでワルツを踊っているみたいだった。
ルチャブルへの愛おしさが募り、ゲッコウガは己が番をそっと抱き上げる。撥水性の高い羽の上ではあちこちで水滴がまるく弾かれており、陽の光を受けて真珠のように煌めいていた。世界で最も美しく、色鮮やかな一羽に、ゲッコウガは口付けた。ほんの一瞬触れて、離れて、見つめ合った。
『そろそろ雨宿りをしよう。拙者には心地よいばかりだが、御主の身体が冷えたらいけない』
『…冷えても温めてくれるだろう?』
『……、そうだな。…身体を温める効能を持つ薬草や茶葉があるから安心しろ。風邪の予防なら任せておけ』
随分と可愛いことを言うから、ほんの悪戯心で焦らしてみると、ルチャブルは頬を染めて少し拗ねたように俯いてしまった。
嗚呼、…本当に。我が最愛は、どうしてこうも、こちらを欲情させることに長けているのか。
『それとも、…何だ。もっと直接的な熱の共有で構わないのか?』
依然としてルチャブルを腕に抱いた状態で岩窟に戻りながら、艶のある話を振ると、ルチャブルは微かに、しかし確かに、首肯した。
『……、…そっちの方が、いい…』
ゲッコウガは、ルチャブルに気付かれないよう慎重に息を整える。多少なり冷静にならなければ、勢い任せでルチャブルをぬかるんだ土の上に押し倒し、前戯もへったくれもなく腰を振ってしまいそうだった。
***
指先で触れたり、あまく吸ったり噛んだり、舐めたり。戯れるようにキスしたり。ゆったりと時間をかけてルチャブルの身体をほぐしていく。愛撫されるたびにルチャブルは濡れた息を吐いて、ゲッコウガによって与えられる刺激を敏感に拾っていた。
ふたりが横になればそれだけでみっちりと詰まるような、大して深くもなければ幅もない岩窟。自ずと密着することになるし、身体を寄せ合っていれば
今のうちに空を仰げば、虹がかかっていたりするのだろうか。それはきっと美しい眺めだろう。しかし、確認する余裕がない。なにせ、ふたりして盛りのついた若い雄同士なのだ。互いのことに集中してやまず、淫らなことがしたくて気が急いている。
『雨乞いは水タイプにとっての最良の補助だ。ありがとう』
御礼に、いくらでも可愛がってやるからな。期待してくれ。そう言うと、先のことを想像してかルチャブルの羽毛が膨らみ、全身が俄かに熱を帯びていく。
旅路の途中で幾度となくルチャブルと体を重ねてきたが、一度も拒絶されたことはなく、それどころか彼の方から誘ってくれたことさえあって、こんなに幸せなことがあっていいのかと眩暈を覚えたほどだった。どうやら、ルチャブルは、ゲッコウガとの交尾を気に入ってくれているらしかった。「こうされると嬉しい」という触れ方も、恥じらいながらではあるがちゃんと教えてくれる。性的な交歓に積極的なルチャブル、というのは今世が初めてだった。これまでの、…転生以前での交尾だって嫌がっていたわけではないのだが、それでも、いくら時間をかけたところで好き好むとまではいかなかったように記憶している。負担をかけていたのだろうと、…今更ながらに、思う。その心当たりは、残念ながら有り余った。制止を聞き入れず強引に抱いたことや気絶するまで快楽責めにしたことも一度や二度ではないし、ゲッコウガとしてはルチャブルを悦ばせたかったのだが、結局はその考え自体が独りよがりだったということだろう。だから、挿入される側のプレッシャーやストレスへの配慮不足によって交尾に対するルチャブルの警戒心を高めてしまったのはゲッコウガの自業自得だった。つまり、裏を返せば、今世においてルチャブルがゲッコウガとの交尾を楽しんでくれている最たる理由は「好いた相手と気軽に快感を共有できる」ところにあるのではないだろうか。
そう。今のふたりの間にあるものは、挿入を伴わない交尾だ。これは、ルチャブルの身体構造に依った選択である。
ルチャブルの性器を触診させてもらったことがあるのだが、そのときに判明したことは、穴の先には袋状の臓器があるということだった。この袋が要するに総排泄腔そのものであり、ここに腸と尿管、精管がそれぞれ繋がって合一している状態になっている。指を挿れるとすぐに突き当りを感じ、結果、ゲッコウガの指の半分が入るか入らないかという深さしかないことも分かった。こんなところにゲッコウガの怒張した雄根を突っ込んだら、怪我どころでは済まない最悪の事態を引き起こすことは火を見るよりも明らかだった。工夫すれば腸へ挿れることができるかもしれないが、その腸にしても、察するにゲッコウガの剛直を吞み込める太さではなさそうだ。どのみち、無理矢理捩じ込めば苦痛しか生じない。挿入は物理的にほぼ不可能、ならば、ゲッコウガが相手に合わせる以外になかった。
昂ぶりにあわせて挿入したい欲はある、が、挿入せずとも互いに気持ちよくなれる方法はいくらでもある。ルチャブルの「奥」を直に刺激することはできないが、その分だけ、彼に負担を強いることも避けられる。だから、ルチャブルが安心してゲッコウガとの行為に臨める――…愛らしく甘えてくるルチャブルを抱くたびに、過去の己の蛮行を悔いるばかりだ。
ルチャブルに膝立ちになってもらい、その彼を後ろから抱きすくめながら『
そっと盗み見るとルチャブルの横顔は切なげで、しかし、頬は紅潮し、琥珀色の瞳が欲に濡れている。彼の発情が、甘く香る。
ルチャブルはゲッコウガの言う通りに、動いた。固く芯が入ったそれを自身の両腿で挟む。
『ん、ッぁ、…きもち、…ぃ…、あ、あ…!』
掠れて、それでいて蠱惑的な声がルチャブルの口から零れる。前に『ちゃんと気持ちよくなれているかどうか教えてくれると嬉しい』とルチャブルに言ったことがあり、以降、彼はゲッコウガに伝える努力をしてくれている。媚びているのではない。気を遣っているのでもない。ルチャブルもまたゲッコウガとの密やかで特別なこのコミュニケーションを大事にしているのだった。種族も違えば体つきも違うふたりだから、気持ちがいいと口に出すことで、ルチャブルはふたりの交尾に何の問題もないことを表明しているつもりなのかもしれない。
日頃から鍛えている足腰も、快楽を前にしては滅法弱く、ルチャブルの膝立ちはすぐに崩れ落ちる。そこからは四つ這いだ。しなやかな胴を掴み、後ろから激しく腰を打ちつけていく。擦れあうところから快感がせり上がってくる。それは、相手も同様だった。
『ひ、…やだ、これ、っ! ぁ、ぁ、あン、ッァ、―――あああッ!!』
いやだと叫ぶ言葉とは裏腹に甘美な様で喘いで、ルチャブルの肉体は悦びにうねっている。ゲッコウガ、ゲッコウガ、と、縋りつくように呼んでくる。
互いの敏感な秘部を、丁寧に、そして敢えて攻撃的にしごく。限界は、もう、間近に迫っている。そして、限界の先を超えたとしても、ふたりして吐精しても、行為は終わらない。ルチャブルの精液をまぶされて、ゲッコウガの雄は白く染まり、更に滑りがよくなる。互いの白濁をぬちぬちと混ぜ合わせ、泡立てながら、快楽で脳を溶かして、とろけて、浅ましく肉欲を貪る。
ゲッコウガは、支配欲が強い方だという自覚がある。精神的であれ肉体的であれ、自分の働きかけが相手に影響しているということを確認しては悦に浸るタイプだ。ゆえに、愛しの番が自分の与える快楽に従順になって善がる姿を見れば、御しがたい興奮でこの身が焼けてしまいそうになる。
――どれほど愛しても。
ゲッコウガは、胸の内で独り言つ。どれほど愛しても、ルチャブルが前世の記憶を取り戻すことはない。それはきっと、来世でも変わらない。ふたりで共に築き上げてきたはずの思い出は今世限りのものとなり、ルチャブルの次の生に持ち越されることはない。幾度となく転生を繰り返しても、最初からやり直しになる。
転生前に冥界のクジをひいて「当たり」が出たら記憶を引き継ぐ権利を得られるのだが*1、ゲッコウガは一生を終えるごとに信じがたいほどの豪運を発揮しており、つまりは当たりを引き続け、これまでの記憶を全て保持して転生してきた。ルチャブルも、そうであってほしかった。しかし、ルチャブルがゲッコウガのことを覚えていたためしはない。一度もない。冥界でクジを引いていないのか、あるいは引いてもハズレだったのか。もしくは、「ルチャブルと前世の記憶を共有できない」という縛りによって「転生先におけるルチャブルとの再会を保証」されているのか。というのも、ルチャブルを探し当てたとて、ゲッコウガはルチャブルに前世にまつわることを話せないようになっているからだ(伝えようとしても声が出なくなる)。
他者への共感性も感情の起伏も乏しかったかつての御庭番の忍蛙は、今では、哀しさや寂しさを知りつつある。いずれも、ルチャブルがゲッコウガに刻んだものだ。ルチャブルからもらった優しさが、ルチャブルと過ごしてきた数えきれないほどの幸せな季節が、ゲッコウガの執着をより強固なものにした。そして同時に、その執着によって、最愛の相手からいつか忘れられる哀切が際立つ。心が疼く。しかし、…考えてもみれば、転生後のことを悩めること自体が贅沢なのだろう。ゲッコウガが常識の埒外にあるレアケースであって、一度きりの生を謳歌するルチャブルの在り方こそが普通なのだ。何がしかの運命的な、ドラマチックな展開を勝手に期待し、勝手に傷つく、そんな過程にルチャブルを巻き込もうとするのがそもそもお門違いなのである。
ルチャブルにとっては、一生に一度きりの恋の相手。それがゲッコウガだ。過去にふたりで何度となく絆を結んできたのだと知ることはなく、ルチャブルからしてみればゲッコウガはいつでも初対面であり、そこから、仲が深まっていく。
…そうだ。ルチャブルには「今」しかない。その「今」を限りなく幸せに彩ってやることが、己に課せられた使命ではないのか。ルチャブルの生涯を、自分の全てを尽くして――…例えば、最期に見る走馬灯がオレとの思い出だけになるように。嗚呼自分の一生はこんなにも幸福だったと心の底から思ってもらえるように。
『次は…』
愛しの小鳥は、弛緩してろくに力の入らぬ様子の身体を引きずるようにしながら、それでいて、ゲッコウガにのしかかってくる。その様はしなだれていると受け取ることもでき、ゲッコウガの劣情を存分に煽った。
『…次は、おまえの顔、見ながら、……、…シたい…』
疑うことなく恋をして、交尾を求めてくる小鳥。一皮剥けばどす黒いものしか詰まっていない薄汚い蛙も、真実を知る由もないルチャブルの目には、さぞやいい雄として映っているのだろう。
可哀想に。こんな下衆に好かれてしまって。生死を問わず付きまとわれて。――でも、諦めてなんかあげない。
『番からねだってもらえる拙者は幸せ者でござるな』
琥珀というよりはもはや蜂蜜のようにとろりと熱っぽいルチャブルの瞳の色を愛でながら、艶やかにさえずるその口を己の口で塞ぎにかかる。
たとえ何度死のうが、こうしておまえと口付けを交わすために、オレは何度でも蘇っておまえを捕まえにくるぞ。
なあ、ルチャブル。
覚えていなくても、知らなくても、いつでもオレに恋をしてくれ。オレしか要らないと言ってくれ。オレがおまえに向ける想いと同じであってくれ。
『 ゲッコウガ 』
ゲッコウガの恋しさを見抜いたかのごとく、再度、ルチャブルがその名を口にする。自身の名だとは思えないほど、何か、とても綺麗なものを指し示すかのような呼び方に、慈しみの込められた呼び声に、心が震える。感動が、ゲッコウガを生かす。
――ルチャブルこそが生きる理由。それでいい。ゲッコウガの心臓は、ルチャブルのために動いている。
【了】