※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

209 / 246
【 注意 】
 未成年(外見(ガワ)のみ)にあるまじきいかがわしい表現があるため、★をつけております。


② イチゴちゃんと鏡★

 耳をすませないと聞き取れないほど静かで穏やかな寝息は、女の鼻を抜けたそばから虚空に溶けていく。子どもでもまだ起きているだろう大して夜も更けていない時間帯、しかし女は明日の仕事に備えて寝てしまう。スマホなどをいじりながらだらだらと起きているような姿は一度も見たことがなく、決まった時刻にさっさと床についてくれるのは、イチゴとしてはありがたかった。女が寝て以降はイチゴにとっての自由時間。日中に被っているお利口さんの皮を脱ぎ捨てて、素を曝け出すことができる。

 イチゴは音もなく自身の寝床を抜け出して、鏡の前に立つ。家具の配置は覚えているので、暗かろうが動き回るのは造作ない。夜目も利くし、そもそもこの建物のほど近いところに外灯が立っているため真の暗闇とは無縁でいられる。カーテン越しとはいえ明かりがあるおかげで、イチゴには、鏡に映る姿がよく見えた。

 

『 おまえはいつ見ても綺麗だ 』

 

 鏡の中から見つめ返してくるルチャブルにそっと囁きかけて、手を伸ばす。今このとき、自分に酔っているのではなく、愛おしい番に宛てて心の底から口説いている。ただ、指先に触れるのが鏡面の冷たさばかりであることが哀しい。そこに生き物の温もりはなく、求めるルチャブルはこの世のどこにもいないのだという事実を突きつけられる。

 それでも、イチゴは、鏡を見ることを止められない。美しく育っていくこの身から、目を離すことができない。

 人間でいえば少年に該当する年頃のイチゴである。幼体特有のぽっちゃりとした丸みが消え、重ねた月日の分だけ背丈が伸び、四肢もすらりとしている。羽の一枚一枚が色彩に富み、毎日塗り替えられているかのように瑞々しく、決して褪せることを知らない。日の下を歩くイチゴはいかにも健康的で、颯爽として見える。例えるならばそう、夏空を仰ぐ青葉。凛と咲く赤い花。思えば、これまで決して知ることのなかったルチャブルの幼少期を、その成長過程を体感できるというのは、この上ない奇跡的な贅沢だった。

 輝きを増す一方の容姿を損なわぬようイチゴは身だしなみに注意を払い、中身も伴わねばという思いから、努めて気立てよく振舞ってきた。歓心を買うに合わせ、面白いように、イチゴは人気を集めていった。事実、既に『わたし、いつかイチゴのお嫁さんになるんだから!』などとませた戯言を口にするメスガキがちらほらと現れだしているし、連中のようには面と向かって言い寄ってこなくとも、遠目ながらイチゴに熱のこもった視線を投げかけてくる者だっている。イチゴが立派に雄として育ちあがった暁には、その番(つがい)の座を射止めんとする争いは更に苛烈になるだろう。

 

 いくら争ったところで無駄だがな。

 

 ルチャブルへの恋心だけがイチゴにとっての生きる理由そのものだ。いつでも心の中にルチャブルがいて、イチゴがどのように行動すべきか教えてくれた。指針に沿っていれば、信頼されることも好かれることも容易かった。「推し(ルチャブル)は愛されてなんぼ」という考えのもと、誰からも好感を持たれるよう立ち回ったのはイチゴ自身である。人気者になることも、それに併せて想いを寄せられることも必然といえた。

 しかし、周りがどんなに騒ごうと、足掻こうと、この身も心も手に入らない。そうとも。くれてやるものか。

 イチゴは微笑む。鏡の中のルチャブルも笑みを浮かべている。うっとりとした眼差しを伴って。

 

『おまえはずっとオレだけのものだ。そうだろう?』

 

 真にルチャブルの幸せを願うのなら、相応しい雌を選び抜き、優秀な子孫を残すべきだ。だが、イチゴは承服しない。イチゴの本性である蛙が、決してそれを許さない。考えてもみろ。ルチャブルの肉体がオレ以外の誰かと契るというのか。嗚呼、…考えるだけで虫唾が走る。

 

『安心しろ。オレがルチャブルの純潔を守ってやるからな』

 

 おまえだって、オレ以外に触られるのは嫌だろ?なあ?指を絡め合うことも、口付け合うことも、絶対にしないと約束する。

 

『ましてや、…こ(・)こ(・)を使って交わるなんて、論外だ…』

 

 イチゴは鏡の前で座る。脚を広げる。何も気付かずに眠り続ける同居人の女を滑稽に思う。日頃から「イチゴちゃんは世界一可愛いよ!」と言って憚らないこの女は、可愛い可愛い「イチゴちゃん」が陰部を見せつけるようにして挑発的なM字開脚をかます場を目の当たりにしたら腰を抜かすに違いない。

 無垢で年若いルチャブルにいやらしい姿勢を取らせていることへの背徳感と淫猥な興奮が、ダイレクトに、鏡の中のルチャブルに反映される。性的に昂ぶっているルチャブルの表情。ルチャブルが自慰でもするならこんな顔つきで、こんな格好で、秘所をまさぐるのだろうか。妄想と倒錯の果てにそのまま精通してしまいそうで、イチゴは――…下衆な蛙は、身悶えんばかりの悦びを覚える。

 

 推しの解釈違いは嫌だの何だのと言っておきながら何というザマだと理性が罵ってくる。ルチャブルがこんなに妖しい痴態を見せびらかすわけがない、尊厳破壊は止めておけ…そうした道理は理解できているのだが、それはそれとして、ルチャブルのポルノを堪能したいという欲には抗えないのだった。

 

 鏡よ鏡。

 オレは問うたりしない。この世で一番美しいものは、とうの昔に知り得ているから。

 鏡よ鏡。

 おまえはただ誇ればいい。天下無双の小鳥を映し出せるものとして。

 

 イチゴが望めば、実行すれば、ルチャブルは鏡の中でどんなポーズでも見せてくれる。なんという誘惑であることか。恍惚の表情も露わに、イチゴは艶(なま)めかしく浸る。耽る。淫らで甘美、密やかなひとときは、まだ、始まったばかりだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。