※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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朧月は蘇芳色の夢を見る②

 

 勝ったことへの余韻に浸る間もなく、スッパは膝から崩れ落ち、その巨躯がどうと音を立てて地に倒れる。いくら気を張ろうとしても、肉体は一切思い通りにならなかった。血を流し過ぎたことからくる体の冷え、そして何より、戦闘が終わったことへの安堵が、スッパを動かしていた緊張の糸を悉く断ち切ってしまっている。勝負が決したとて残心を大事にしてきた男であるが、今回に限っては例外であろう。もはや指先一つでさえ満足に動かせない。

 命を拾ったところでこのままでは野垂れ死にとなるわけだが、未だに、運はスッパの味方であるらしい。スッパのすぐ隣で、闖入者であり共闘者であった鷹がまたもや盛んに山羊に向かって鳴き、どうやら何事かを命じている。鷹に応じ、不承不承といった気配を漂わせながら山羊が近寄ってきた。身体から一対の蔓をしゅるりと伸ばし、スッパの胴に巻きつけていく。刀で蔓を斬ることも、腕で振り払うこともできない今のスッパは、山羊のなされるがままである。朧が止めに入ってこないし、山羊からも敵意は感じられないから、手荒なことは起こらないだろう。事実、山羊はゆっくりとスッパを持ち上げ、背中に乗せてくれた。運搬してくれる気でいるようだ。

 スッパは自身の体格と重量が規格外である自覚を持っている。スッパが乗るにはこの山羊は些か小柄であるように思われるのだが、そこはやはり魔物らしく高い身体能力が発揮され、スッパを乗せる山羊は一度も身体をぐらつかせることはなかった。スッパがだらりと全身を預けた格好になっているにも関わらず、である。何とも頼もしいことに彼は小走りで移動し始め、それどころか崖の上へ向かって軽々と跳躍していくのだった。

 岩壁に囲まれていた荒涼とした風景が、次第に森林へと移ろっていく。通るのは獣道ばかりなので、とうに自身の現在地は分からなくなっている。スッパの命は遭遇して間もない魔物たちに委ねられたも同然であった。もっと警戒して然るべきなのだが、スッパが顔をうずめている山羊の首元には青々と葉が茂っていて、そこから醸される爽やかな香りに包まれていると気持ちは安らぐばかりだ。

 背後からは、一定の間隔を保ってついてくる足音が。山羊が落ち着き払ったまま歩みを進めているので、正体は鷹と朧であろう。想像だが、スッパよりは幾らか余力を残すことができたらしい彼らが殿(しんがり)を務めてくれているのかもしれない。深夜に森を進もうというのだから、夜行性の狂暴な魔物への注意は必須である。今は負傷による血の臭いを垂れ流しているのだから尚のことだった。

 

 一行は、淡々と前進した。誰の歩みにも迷いはなく、どうやら目的地があるのだろうことが察せられる。途中の妨害はなく、その点は極めて順調であったといっていい。――職業柄、スッパは最悪の想定に慣れている。しかし、思い描いた可能性はいずれも現実のものとはならず、むしろ、結論から言えば、事態はスッパを生かす方へ動き続けた。

 どれほどの時間が経ったのか、どれほどの距離を進んだのか。不意に、山羊が足を止めた。すぐ傍らを、鷹が通り過ぎた。後方の警備を解き、山羊を追い越して、直後、ばしゃばしゃと音を立てている。水の中に入ったのだと分かり、スッパは、なけなしの力を振り絞って顔を上げた。

 眼前に、泉が見える。真夜中なので水面は暗く、月が明るいにしても詳細は分からないそこで、鷹は頭部だけを出していた(おかげでどのくらいの深さか分かった)。鷹が鳴くと、声に応じたのは朧で、彼も躊躇うことなく鷹の後を追って泉へと入っていく。鷹と朧は何事か遣り取りをしている様子だった。山羊の出番は未だないのか、スッパを背に乗せたままじっと待機している。

 その後、いくらも経たないうちに鷹と朧が一緒になってスッパの元に戻ってきた。水を滴らせる朧は、スッパに二の腕を突き出してくる。そこには先の戦闘で受けた傷があったのだが、出血がおさまるどころかもう塞がりかけていた。信じがたくはあるが、この水に癒しの効果があると伝えようとしていることは明らかだった。鷹と朧はスッパの反応を確かめた後、再度泉に向かい、次は、山羊もその後についていく。なるほど、ろくに身動きが取れないスッパを気遣って、山羊も一緒になって水に浸かってくれるらしい。ありがたいのだが、スッパは、どうにか腕を持ち上げて山羊の角を軽く叩いた。

 

「…手数をかけるが、一旦、降ろしてもらいたい。水濡れを避けねばならん物が多くてな」

 

 幸いに、刀やクナイ、術符への取り扱いに頭が回ってくれた。山羊に身体を支えられながら、装備を始め身につけている物を脱いだ。この期に及んで今更、逡巡も何もない。魔物の流儀で助けられた身だ、同じく魔物の流儀で治してもらおう。スッパも泉へと一歩を踏み出した。すぐに分かったが、泉の水は、ぬるま湯と言った方が適当なほどの温度である。肌当たりが優しいというか、まろやかというか。当初こそ、さぞ傷にはしみるだろうと身構えていたのに、杞憂だった。一切、余計な痛みは生じなかった。そればかりか、疲労や疼痛が身体の内側から泉へと溶け出していくような心地さえする。体感として、内臓にまで届いていたダメージにも多少は効いているようだ。この世の創造主たる女神たちが祀られた三つの泉とは効能の異なる、魔物御用達の秘泉とでもいうべきものであるらしい。

 これからコーガ様の元へと馳せ参じ、速やかに戦線に復帰するためにも、今は回復に徹するべきだ。スッパは、丹念に、全身を洗い清めた。そのくらいの気力は戻ってきていた。機械に油をさし終わったあとのように、身体が滑らかに動き始めていた。

 背中を流そうというつもりなのか、朧がスッパの背に泉の水をかけてくる。大事ないかと訊けば、「コウ」と一声が返ってきた。肯定を示す声色に、安堵した。

 

 無論、束の間の水浴びで何もかもが癒えるはずはない。それでも、怪我による失血死の可能性が消え、自力で動ける状態に戻った。十二分である。

 

 あがってきたスッパ、朧、鷹を待ちかねていたように、山羊が足元に草地を展開する。戦闘時にも助けられた神秘の草原である。スッパは、そこへ、ほとんど赤裸の状態で横たわった。戦闘中は踏みしめるしかなかったこの草原の草は、直に触れると仄かにぬくもりがあり、眠りを促すには十分だった。然しものスッパも、遂に、この時点で意識を完全に手放したのである。

 

+++ 

 

 ニンゲンが寝て、蛙も寝て。彼らの吐息や寝顔が安らかなことを確認し、蘇芳は胸を撫でおろす。さて俺も…といきたいところだが、しっかりと眠れるのは当分後のことになりそうだ。めんどくせーなァと思いつつ、蘇芳は自身の肉体が癒え、きちんと動くことを確かめる。あれだけ巨体の、しかも硬い化物を相手に激しい戦闘を繰り広げた割に、骨折を免れたのは運が良かった。ぐるりと肩を回したり、筋を伸ばしたり。痛みは粗方消えているし、違和感もない。さすがは癒しの泉。森の栄養分が溶け込んでいるだの、実は妖精の力が混ざっているだの、真相はよく分からんのだが、とにかくご覧の通り効果は絶大なのである。

 実はこの泉、昼夜関係なく黒っぽい水に満たされていて、しかも異臭がする(どことなく薬草臭い)。泉の効能を知らぬ者にとっては、身も蓋もない言い方をすれば「汚い水溜まり」でしかない。だが、今は暗闇があらゆることを誤魔化してくれる。誤魔化されたからこそ、ニンゲンも蛙も抵抗なく泉に入ってくれたのだろうし。明日、目覚めたとき、改めて泉を見たら腰を抜かすかもしれない。

 

『なあ、留守は頼んだぞ』

 

 決定事項であるかのような口調で、蘇芳は千歳に話を振った。

 

『山のヌシから見られてるっぽいんだよな。苛ついた感じも伝わってくるし。話をつけてくる』

 

 ほれ言わんこっちゃない…と千歳は怯えた様子である。不興を買った原因は分かっている。部外者を、内一人はニンゲンを、勝手にこの泉へ連れてきたことがヌシの癇に障ったのだろう。

 

『やっぱりお偉いさんから怒られる展開じゃねえかよ…、オレは反対したのに…』

『強行した俺に責任があるって言いたいんだろ。だから俺が矢面に立つんだ、文句垂れんじゃねえよ。おまえはここでこいつらをちゃんと守っとけ』

『はあ~…?オレも眠いんですけど…』

『俺もだよ』

 

 更に何か言い募ろうとしていたらしい千歳に背を向けて、蘇芳は夜を翔ける。刺々しい気配の発信源を目指して岩壁を登っていく。中腹あたりの、ちょうどひらけた場所でヌシが待っていた。

 金色の角、二対の眼、水浅葱の豊かな体毛。いずれも淡く発光しており、いつ見ても神々しい。一帯の統括者たる存在であるため、蘇芳は片膝をついて頭を垂れた。

 

『貴様のような粗忽者も、それなりの礼儀を心得ているわけか』

 

 威厳のある声だが、やはり、いくらか苛立ちが滲む。蘇芳が俯いている分、特に冠羽に視線を感じた。月のように輝く四つの目玉から、どうやら相当険しく見据えられているようだ。

 

『真に弁えた者であれば、あの泉の利用についても事前の許可を求めるだろうにな』

『そんな暇がなかったんだ。事後報告で勘弁してくれよ』

『貴様やゴーゴートが泉に浸ればそれでよかったのだ。不要な目くじらを立てさせおって』

『…いいだろ、別に。あいつらは化物退治の功労者なんだから』

『その化物も彼奴(きゃつ)らの身から出た錆よ。脅かされた我々はいい迷惑だ』

『…貴方に何が見えているのか、どんな事情を把握しているのか知らないが、俺には関係ない。あいつらが気に入った、それだけだ。死なせるには惜しいと思ったから泉に連れていったんだ』

『気に入っただと?あの短時間で?知ったふうな口をきくのはよせ』

『むしろ一緒に戦ったからこそ分かるんだ。あいつらの動きは洗練されていた。たゆまぬ努力と研鑽の証だ。化物相手に諦めず、最後まで戦い抜いた気概も立派だった』

『……、…それもまた彼奴らの表層に過ぎん。仮面の模様、あれはヒトの世における叛逆の印だ。謀略を巡らせることを常とするような輩を助けてやる義理はない』

『謀略なんざ知ったことか。群れの頭(かしら)の指示に従ってたら汚れ仕事の一つや二つやるだろ。魔物だってそのへんは似たり寄ったりだ』

『やけに庇う』

『気に入ったと言っただろ。俺は俺のやりたいようにやる』

『貴様は安直だと度々言っておろうに…』

『俺は小難しく考えるのが苦手なんだ。何でもシンプルな方がいいだろ。あれこれ迷っているうちに狩られでもしたらつまらないもんな』

 

 沈黙を挟み、ややあって、顔を上げるよう命じられた。言われた通りにすると、蘇芳の前で、ヌシが深々と溜息をついたところだった。

 

『貴様も、…大儀であった。今宵の働きに免じて、薬効のある食餌を教えておこう。…ヒトでも食せるものを』

『ありがとう』

 

 謝辞にも煙たそうな顔をしながら、ヌシはふんと鼻を鳴らした。

 

『ついでながら、トロピウスの実が熟す頃だ。夜が明けたら訪ねていくといい。滋養のあるものを食わせるだけ食わせたら力もつこう』

 

 大目に見てやるから目障りな他所者をさっさと元の群れに帰せ。いいな。と、最後までしっかりと釘を刺された蘇芳は、仰せのままにと慇懃な返答を口にした。

 

+++

 

 朧は、スッパの小さな額に手を当てる。ケロマツ特有の白い手は冷えており、ぺたりと少年の肌にくっついて、熱さましの役割を果たした。「おまえのおかげで、随分と楽だ」と彼は口角を上げてくれた。いつものイーガ団マスクではなく、シンボルマークがついた布面をしており、それは療養する者がつけるものであるからして、呼吸がしやすいよう口元を覆わない程度の丈なのだ。口元の動きが可視化される分、機嫌の判別が容易である。

 今でこそ筋骨隆々の巨漢で、頑健なスッパであるが、入団して間もない頃は瘦せぎすの少年に過ぎず、大して体力もなかったから、流行り風邪にかかって熱を出すことも珍しくはなかった。朧がスッパの傍で看病じみたことをするのだって慣れっこだった。枕元に置かれたまま未だ口にされていない粥の入ったお椀を指さしてみると、今度は、スッパも頷きを返してくれた。「今なら食べられそうだ」と言って、布団から上体を起こし、椀を手に取った――そのときだった。

 

「お、今から飯か」

 

 剽げた口調。毎度ながら予告も気配もなく突如としてその場に現れる総長である。瞬時に居住まいを正そうとしたスッパを片手で制しながら、総長は気安い態度で布団の際に腰を下ろした。

 

「どうよ、体調は」

「…だいぶ、いいです。えっと、…あ、明日からは、いつも通りに働く所存にて、そう、ろう…」

 

 尊敬してやまぬ相手からの見舞い。スッパは明らかに緊張した様子で、強張っていた。その所為か、覚えたての大人びた言い回しにつっかえる始末。一方で、内心では喜びも湧いているのだろう、みるみるうちに赤く染まっていく耳が高揚を如実に物語る。世間の裏で暗躍する集団の一員としては、感情を表に出し過ぎているのではないか。平常心を欠いていそうなスッパに助け舟を出してやりたい気持ちはあるものの、朧は、部屋の片隅に退いたまま事の成り行きを見守るばかりである。

 

「他の方々にしわ寄せがいっているのも、己のふとく、…の、致すところでござる。まことに、…申し訳なく…」

「相変わらず真面目だなあ、スッパは。これ幸いとサボっちまえばいいじゃねえか。病気なんてのは気を付けていようがいまいが罹るときには罹るもんなんだからよ」

「いえ、…そういうわけには…」

 

 もごもごと口ごもっていたかと思えば、次の瞬間にはハッとして、スッパは狼狽を露わにする。

 

「コーガ様、自分の風邪がうつっては事でござるゆえ、早く…」

「早く、…何だよ。出ていけって?」

「い、…いえ!滅相もない!でも、…あの…」

 

 あわあわするばかりのスッパは気付いていないだろうが、終始、総長はからかっているのである。戯れがお好きな御方だから。

 数いる構成員の中でも、スッパは目をかけられているようだ。何事にも誠実で一途なスッパは平生から皆に可愛がられているし、教わったことをすぐに実行に移せるところ、すなわち体現する能力の高さも一目置かれており、将来有望とのお墨付きである。そもそも、総長が自ら出向いてきている時点で破格の待遇であろう。

 

「なーに狼狽えてんだよ。大体なあ、この俺様が風邪ひくわけねえだろーがっ!」

「お、仰る通りで!自分がせんりょなばかりに失礼を!」

 

 寝込んでいた病人とは思えぬ声を張り、四角四面の対応を維持せんとするスッパがよほど面白いのか、総長は喉の奥でくくと笑っている。

 

「ま、ひいたって別に構わねえんだけどな。あま~いバナナ粥が食えるなら、風邪っぴきもまた乙なもんだ」

 

 それ、と総長はスッパの手におさまったままの椀を指さす。

 

「やたらとうまいんだよなあ…。病人限定の飯だから、今のうちにたんと味わっとけ」

 

 甘やかしたくてたまらないというように、総長は、スッパの頭を撫でて髪をくしゃくしゃにしていく。

 

「食ったら、寝ろ。な。そうしてりゃ、勝手に治る」

 

 蜂蜜垂らすとなお美味い、と言いながら総長は手妻のようにどこからともなく小瓶を出して中身を ――本物の蜂蜜を―― スッパの椀にとろりと加えた。そして、「お大事に」という一言と共に、どろん。

 スッパは束の間放心していたが、やがて我に返ると、一匙をすくった。すりつぶしたバナナと米を一緒に煮込んだ粥の上に、思いがけない甘露の贈り物を添えて。嬉しそうに口へ運び、「おいしい」と、心から幸せそうな声を紡いだ――…

 

『…朝か…』

 

 生きて、夜明けを迎えることができた。

 全身が朝陽を感知し、意識が浮上する。いつの間に寝入ったのか覚えていないが、見知らぬ森で無防備な野宿をかまし、途中で一度も起きることなく眠っていた自分に呆れてしまった。

 ぱちりと目を開けると、すぐに、視界はぐいと差し出された果物でいっぱいになった。普段から常食しているツルギバナナに酷似しているが、目の前のそれは、より短くて太い。

 

『腹減ってんだろ?食え』

 

 言われるがまま果実を掴み、そして、この遣り取りで急に現実に引き戻された。何か言わねばと口を動かしてみるが、『感謝する』と、掠れ声のぎこちない御礼が精々。親切を受けた身でありながら惚けるとはけしからんと、朧は慌てて起き上がる。懐かしい記憶を夢に見た、その追体験のようだった。かつてのスッパのようにあわあわして、しかし、そんな朧に構うことなく鷹は――蘇芳は、よっこらせといったふうに腰を下ろす。

 

『体調は?』

『…だいぶ、…いい…』

『そうか』

 

 起きた朧と対照的に、蘇芳はいかにも眠そうな様で、ふあ、と大きなあくびを一つ。

 日の光の下で改めて眺める彼は、息を呑むほど美しい鳥だった。頂で風にそよぐ橙の冠羽に、碧の羽毛が鮮やかな頭部、柑子色の縁取りが施された瞳は(これまた今朝方の夢の名残か)蜂蜜色に見える。胸元から脚にかけては新雪を思わせる純白、足元は華やぐ黄色で染まっている。一つ一つを列挙する中で最も目立つのは、やはりその両翼だろう。月明りで視認していた紅翼は、陽を浴びてより艶やかな赤蘇芳に輝いていた。これが名の由来であろうか。赤蘇芳の裏には頭部の羽毛と同じ碧の羽が隠れていたことにも初めて気付き、なんと色彩に富んだ存在なのだろうと、思わず感嘆の溜息を漏らしてしまうほどだ。

 

『食欲があるなら食っとけ。用意しといたから。…おまえと一緒にいたニンゲンが起きたら、そっちにも食わせとけよ』

 

 蘇芳の指さす方を見遣れば、芭蕉のような大きな葉の上に、様々な木の実や茸、山菜、丸々とした魚までのせてある。滋養強壮の効果がある食糧が多くを占めており、スッパと朧を気遣ってのことだと察せられた。

 

『ただし、この恩はいつか返してもらうぜ?……なーんてな』

『そ、それは無論…!』

『あ?…なんだよ生真面目な奴だな。冗談だよ。訳ありの輩にたかるほど落ちぶれちゃいねえって』

 

 鷹は自身の翼をマントのように体に巻きつけて、丸くなった。

 

『…俺は俺のやりたいようにやっただけだ。気にすんな……、…しばらく寝る…』

 

 いくらも経たぬうちに寝息が聞こえてきた。

 この場で起きているのは朧だけとなった。スッパは夜明けと同時に起床するのが習慣となって長いのだが、さすがに昨夜の戦闘から身体が回復しきっていないと見え、起きる気配は微塵も感じられない。山羊はスッパに寄り添う格好で寝そべり、すぴすぴ言っている。山羊と比べればスッパがあまりに静かで気がかりになるが、胸はゆったりと上下しているので、呼吸は安定している。このまま見守っておこう。

 せっかくなので、新鮮なうちに蘇芳から受け取った果物を食べることにした。いつものバナナの要領で皮を剝き、頬張る。皮を剥いた瞬間から弾けた芳香は、口内にも鼻腔にも豊かに広がり、朝から贅沢な体験をしている。バナナと似た食感だったのは想像通りだが、こちらの方が爽やかな甘みとコクがある。野生のものと考えれば十分に美味で、後からスッパも喜ぶだろう。何なら、コーガ様への手土産に持ち帰りたいくらいだ。

 朝食を摂りつつ、隣で眠る蘇芳を見つめる。彼は最後まで起きてくれていたのだろう。今の朧のように、眠っている者たちが脅かされないよう周囲を警戒して。その合間を縫って、こうして食料も確保して。自ら負担を引き受けて。彼自身、激戦を経たのだから決して平気ではいられなかったはずなのに。泉から癒しの力を借りたところで、本調子とはいかなかったろう。傷も痛んだことだろう。できたばかりの生々しい傷痕が左頬に見えている。その美貌に影を落とす、頬を横に裂くような惨い二筋の切り傷――…。

 自分が蘇芳と同じ立場であったらどうしていたか。その結論は悩むことなく出せる。「 助けたりしない 」。イーガ団の益とならないことを、イーガ団は選ばない。また、命令から逸脱したことも禁じられている。勝手な自己判断で動くことが、己の命のみならずイーガ団そのものを危険に晒すことになるためだ。

「どうして助けてくれたんだ」と問うたところで、きっと、蘇芳は怪訝な顔をするだけなのだろう。語るほどの理由がないのだろうから。カースガノンというあからさまに禍々しい存在がうろついていたら、森の生き物たちは不安に駆られたに違いなく、その元凶を排除できるなら何でもよかったというのが関の山か。その「排除」の役目を負うのが蘇芳である必要はなかったはずだが、彼は自ら脅威に立ち向かっていける胆力の持ち主なのだろう。「ノリで」、「やりたいように」、自分の赴くままに行動する蘇芳が、見返りを求めない献身が、眩しく尊い。

 

 蘇芳は、こちらのことを「訳ありの輩」と言っていた。概ね正しい。イーガ団であるということまで含んだうえでの発言ということはなかろうが、まあ、あんな化物に追われていたとなればカタギではないと判断するのも尤もだ。だからこそ余計に、「訳ありの輩」と承知していながら手を差し伸べてくれたことへの感謝が募る。

 

 参戦して窮地から救ってくれたこと。癒しの泉に向かう提案。仲間の山羊への協力要請。食糧の調達。どれほど言葉を尽くそうが足りぬほどの恩を受けた。

 

『…重ね重ねかたじけない』

 

 朧の呟きは、寝入る蘇芳には届かない。彼が起きたら、改めて礼を告げよう。先程の中途半端な言動を詫び、仕切り直して。たとえ蘇芳と同じような心映えの美しさは持てぬまでも、せめて礼儀正しくありたい。そう心に決めながら、口の中の果実を飲み込んだ。

 





【 補足 】
・山のヌシが蘇芳たちの名付け親です。
・山のヌシとしては、泉の存在がニンゲンに広く露見する可能性を危惧しており、そのことも苛立ちの原因でした。
・最も重症だったスッパは、傷口から体内に流れ込む泉の水の量が多く、特殊な成分の影響で体質が少々変化します(以前より治癒力が上がるなど)。
・もしかしたら回生の秘湯とも関りがある泉なのかもしれません。
・トロピウスなんてポケモンがいたらイーガ団大喜びだと思うのですよね…、コーガ様に献上だ!ってなるはず。団員の皆様にしても、俺たちも食べた~いって思うことでしょう。ハイラルの魔物図鑑に載っているわけですからその存在は当然認知していて、ただ、トロピウスの発見および捕獲が難しいことに加えて、トロピウスの実が年に二回しか実らず、それがいつ実るのかは個体差があるため入手は極めて困難…という設定です。図らずも、スッパと朧は蘇芳のおかげで幻の実を食べられたわけですね。
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