蘇芳をイーガ団にスカウトしようと目論んでいた朧と壱號であるが、当の蘇芳が既に別組織に勧誘されていたことなど知る由もないのだった。
蘇芳は、新しい住処を探すため気ままに放浪していた。
各地を転々とする暮らしを続けて、もう随分と経つ。いかに気に入った森があっても、そこで暮らすのは数カ月、長くて半年と決めていた。森の中で咲く花や採れる木の実が変わり、季節が移ろったことを感じたら、出ていく。その繰り返しである。
定住を避けているのは、ニンゲンの標的にならないため。ひとたびニンゲンに目をつけられると、羽根を目当てに狩られることになる。蘇芳たちの羽根は彩り豊かで美しく、ゆえに、装飾品としての価値が高いらしい。これまでに、蘇芳は、ニンゲンに狩られていった同胞を嫌というほど見てきた。そのほとんどは、生息地や行動パターンが露見したことで待ち伏せされ、射落とされている。だから、蘇芳は自分の居場所が特定されないよう頻繫に暮らしの場を移す。幸いというか、蘇芳の種族は群れる生態ではないため、これといったしがらみもなく方々へと散っていける。代わりに個としての力が試されることになり、強さを持たねば生きていくこともままならない。自分の命を守ることも、誰かを助けることも、脅威を捻じ伏せる力あってこそ叶うのだ。よって、蘇芳は生まれてこのかた鍛錬を欠かしたことがない。鍛えれば鍛えるほど身体能力が上がり、素早さが増し、技が冴えることを実感できるから、修業を苦には思わなかった。同時に、自分の実力がどの程度通じるのか試してみたいという欲求も生じるわけだが、不要な争いはしないに越したことはない。蘇芳には、手当たり次第に戦いを挑むような蛮勇はなかった。もし単身で挑む必要がある場合は赤毛のモリブリンあたりを目安にして、あとはなるべく交戦を回避するよう心掛けている。集団生活を営み、道具を使うような知能のある魔物連中には近寄らないのが吉であるからして。
例外は、ここ最近の夜戦が唯一だ。
明らかに格上の、しかも異様に禍々しい化物と戦う機会があったが、そこいらの魔物とは一線を画すような相手と渡り合えるくらいに自分は力をつけていたのだと知れて、あれは、いい経験だった。今の俺なら実はヒノックスだって…と思ったりもするが、まあ、それは慢心に他ならないので自戒しておく。今まで通り、戦うか逃げるかの境目にはモリブリンを据えておこう――と、このように、蘇芳の中では様々な線引きが確立していた。自分で決めたことから逸脱しないという姿勢を基本とし、堅実に立ち回るため、今日まで生き残ってきた魔物なのである。
――その日、蘇芳は空腹を紛らわすために木の実を探していた。イチゴでも見つかれば御の字と思って歩いていたところ、立ち寄った雑木林でたまさかにリンゴを発見し、今日一日はこれでしのげると胸を撫でおろした。目の前の食糧に少しばかり気が緩んだのだが、それでも、元より勘の鋭い蘇芳はヒュッと風を切る音を聞き逃さなかったし、咄嗟に顔を後方へそらした。傍らの木の幹に、小石が当たる。避けなければ、蘇芳の頭部に命中していたはずの
互いに「リンゴを譲る」という選択肢がないことは、両者の間に流れるひりついた空気からも明らかである。
ボコブリンの方は蘇芳の実力を測りかねているだろうが、片や蘇芳には余裕があった。ボコブリンが何らかの武器を所持していたら話は変わっていたが、攻撃手段が投擲あるいはステゴロなら十分に勝ち目はある。蘇芳よりは大柄だが(大抵の魔物はそうなのだが)、一対一という点も都合がいい。これは自惚れではなく、勝てるという確信に裏打ちされた思考だった。
先制攻撃は十八番。
蘇芳は、地を蹴る。
気絶でもさせて戦闘不能にできれば十分だ。当然、相手も反撃に打って出るわけで、驚異的な跳躍力で距離を一気に詰めてきたり、振りかぶった長い腕から繰り出される殴打の力には目を瞠るものがある。ただし、躱すことができるうちは、どうということはない。何より、近接格闘は蘇芳の得意とするところだ。ボコブリンからの攻撃を軽やかな身のこなしでいなし、足払いして体勢を崩したあとは、すかさず眉間に拳を叩き込んだ。
っし、クリティカルヒット。
満足のいく手応え。失神するボコブリン。最小限の動きで食糧の確保が叶ったのだから、成果としては上々だ。ほくほくしながらリンゴをもぎとり、枝の上でしゃくりと一口齧った。
爽やかな芳香や採れたての瑞々しさを楽しんでいると、「いや~、お見事お見事」と調子のいい声と共に草を踏む足音が蘇芳に近付いてくる。敵意を感じなかったので、ひとまず蘇芳は逃げ出さなかった。ニンゲンのすぐ隣に、魔物が同伴していたことも留まった理由となる。『唐突にすまない。食事はそのまま続けてくれ』と促す魔物の方が馴れ馴れしいニンゲンよりよほどしっかりして見え、蘇芳に話くらいは聞いてやるかという気にさせた。
いつでも逃げ出せる体勢で、遠慮なくリンゴを食べ続けながら相手の出方をうかがっていると、少しでも警戒心を薄れさせようという魂胆なのか、魔物だけが蘇芳のいる木の根元まで近付いてきた。猟犬に似た魔物だ。全身を覆う青い体毛が美しい。滑らかな二足歩行、その足の運び方だけで武に通じていることが察せられる。強いな、と、率直に思った。
『私はルカリオと呼ばれる種族だ。名はラピス』
『俺は蘇芳』
ちらりとニンゲンの方を見遣る。軽く両手を上げた姿勢だ。丸腰であることを蘇芳にアピールしている。
『あのニンゲンが俺に用があるんだろ』
『そうだ。だが、人語でだらだら喋られても鬱陶しいだけだろう?だから、交渉事は私に任されていることが多い』
『…交渉?』
『要件は単純明快、スカウトだ。私たちの一座に加わってほしい』
ラピスは今一緒に来ているニンゲンの世話になっているらしいが、より正確には、奴はラピスが世話になっている数多くのニンゲンのうちの一人で、見込みのある魔物を探すために各地を訪ねている最中なのだという。
『チェスト』――それが、ラピスが所属する組織。旅回りの一座。魔物を召し抱え、魔物同士を戦わせ、その様をニンゲンの観客に見せることで金を稼ぐ。試合を通じて自ら育成した魔物を競わせるという行為は、実は大昔からの娯楽で、それを個ではなく組織が、『チェスト』が、見世物として成立させたのである。
『戦うと言っても、もちろん、デスマッチではないぞ。煌びやかな技の応酬や躍動感あふれる動きで観客を魅了し、会場を沸かせることが重要なんだ』
『…戦う演技をするって感じか』
『そういう解釈でいい。全力を出すが、あくまで
『で?俺も演者に加わってほしいと?』
『その通りだ』
ラピスとニンゲンもまた、偶然に、蘇芳とボコブリンの対決の場に居合わせていたのだ。先程の蘇芳の戦い振りには華があり、釘付けになったと、心が躍ったとラピスは熱弁を振るってきた。誇張しているようには聞こえなかった。おべっかではなく、誠意のある賛辞だったからこそ、このとき、蘇芳はリンゴを食べる手を止めた。
『短期間でもいい、私たちと共に暮らしてみないか。飢える心配はないし、怪我や病気もすぐに治療してもらえる。よりよい戦いを目指して自己研鑽に励む者の集まりだから、おまえと気が合う奴もいるはずだ』
想像してみる。
衆人環視の場で思う存分に翔け、会場内の視線も声援も熱気も全て自分が受けとめて、この身一つで地上の綺羅星になれると証明する――…蘇芳は、初めて、夢を抱いた。生き抜くことで精一杯の状況では決して思い描くことのない、生活の安全が保証されるという条件があるために持つことが許された夢だ。
「ルチャブル」としての本能やその生態も、蘇芳のやる気を搔き立てる後押しをしていた。元来、「ルチャブル」とは目立ちたがり屋な魔物であるため、人目を避けて静かに暮らす蘇芳も、実のところ生まれ持った美しい翼や鍛えた技を見せつけたい衝動を抱えていたのである。『チェスト』では、そのフラストレーションが解消されると期待したい。群れて生活を送ることには不慣れだが、そのうち順応していくだろう。ラピス以外の魔物たちと顔を合わせることが、楽しみに思えてきた。
『「チェスト」とやらの本拠地に着いたら、まずはおまえと手合わせがしてみたい』
『! …ああ、望むところだ』
承諾した蘇芳はリンゴの最後の一欠けらを飲み込み、ラピスの隣に降り立つ。こんなときは握手の一つでも交わすものだとラピスが言うので、なるほどと蘇芳も応じようとしたのだが、適当に転がしておいたボコブリンが呻いて身じろぎをしたのでラピスとふたりして顔を見合わせた。
「行こうか」
手短に一言、逃げ腰のニンゲンが囁いてくる。
話がまとまった一行は、ボコブリンが意識を取り戻す前にそそくさとその場を後にするのだった。
【 補足 】
ルカリオは交渉役として適任だろうと思います。相手が乗り気かどうか波動で判断できるので。