甘さを含む事後の気怠さと艶ある余韻の中に身を浸し、ルチャブルを背後から抱きすくめている。
互いに身を預け合って座っていた折、彼はおもむろに、こちらの右腕に触れた。
『…前にはなかった傷だな』
忌々しい野郎から傷痕をつけられたばかりか制限時間内に仕留めることもできなかったのだから、己の未熟を突きつけられる。一方、全力を出しても死なない相手がいることに一抹の楽しさを感じてしまったことも事実だ。そう何度も出せるもんじゃない「本気」の代償がこの程度の傷で済むなら、まあいいかと思っている。
『もう塞がってる。大した怪我ではござらん』
『昼間に会ったブラッキーもそうだったが、…任務は、やはり過酷か』
『……、…そういうものだと承知して所属しているからな。あまり深く考えたことがなかった』
御庭番内での喧嘩沙汰を知らずにいる様子なので、このまま黙っておくことにする。
所属部署については、会敵回数が多いゆえに戦闘機会に恵まれていることもあって、特筆するほどの不満はない。かといってやり甲斐を求めたことはないし、単に適性があったから惰性でやってる…というのが実態か。
心配してくれるなら負傷さえ気にならないが、あまりに傷をつくるとこちらの実力が疑われてしまうかもしれないし、悩ましいところ…等、愚にもつかないことを考えていると、しばしの無言を破って、ルチャブルは予想だにしないことを言ってきた。
『…たとえおまえがいなくなろうと、世の中は変わらず巡る。
だが、俺は…おまえがいない日々を生きていこうとは思わない。だから、』
おまえ、俺の知らん所で勝手に死んだりするなよ。
…とは。なんとも惜しいことをした。いつにない苛烈な愛、…それを、果たして、どんな顔でルチャブルが発してくれたのか…ここからでは見ることが叶わなかった。
彼は振り向かない。それなのに、声音は揺るぎもなく真っ直ぐに、後ろに控えるこちらへと届いた。照れの色はどこにも見当たらず、ルチャブルの極めて真剣な本音であるということが、すとんと胸に落ちてくる。
『承知した』
これといって要求してくることの少ない彼が、願望を通り越して何事かを「命令」してくるのは初めてだ。
そのことが滅法に嬉しくて、今一度、強く抱きしめる。
冬ながら空より花の散りくるは雲の
冬なのに空から花が散ってくるとは、雲の向こうは春なのだろうかと、…古人は空から降ってくる雪を花に見立て、長く厳しい冬の終わりを願い、花が咲き始める春に思いを馳せた。
来月には初春となるが、どうせ暦の話だ。字面にとどまるだけで、実際は、冷え込みが増すばかり。先の歌が詠まれたのも道理か。
麗らかな陽射しの温もりを恋しく思う気持ちが、分からないわけじゃない。ただ、ルチャブルと出会って以降のゲッコウガにとって、四季の巡りはどこか他人事になっている。
その訪れを待ち望むまでもない。
ゲッコウガにとっての春は、いつでも、両腕の中に在る。
【 了 】