※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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朧月は蘇芳色の夢を見る⑨

 

 スッパが団内の医務室を訪れると、魔物を療養させるための専用スペースに例の猛禽が寝かされていた。すっかり拭き清められており、口の端や胸元にあった血の汚れはなくなっている。喀血した痕跡が消えたため、今はただ静かに眠っているようにしか見えない。そこに苦悶の表情はなく、か細く不規則だった呼吸も安定しているようだ。

 

「薬湯を飲ませて以降は、落ち着いています。原因となった薬物の詳細が判明していればもっと適切な手当てができたのですが…、この魔物自身が丈夫な体つきをしていたおかげで、対処療法でも何とか持ちこたえてくれた感じですね」

 

 医療班の団員の見解では、毒に侵されたというより薬の増強効果が強すぎて身体に反動がきているように見受けられるとのこと。今後も薬湯を服用させ、荒れた内臓や血の巡りを整えながら経過観察を続けるという。

 

「あとは…その…ご覧の通りです…」

 

 遠慮がちに口を開く団員が何を言いたいのか、スッパにもよく分かった。朧だ。鷹の枕頭でぺたりと蛙座りをして、置物のようにじっとしている。聞けば、鷹が医務室に運ばれてきたときから、治療の間、そして今に至るまで片時も離れずに見守っているらしい。

 

「…朧。あとは医療班に任せるでござる」

 

 帰るぞと促したが、朧はちらりと視線をスッパに向けただけで動こうともしない。ほとんど無視された格好となり、スッパは内心で意外に思った。朧のわがままらしいわがままなど、これが初めてかもしれない。

 朧とは幼い頃からの付き合いだ。寝食も、鍛錬も、任務も、いつでも一緒だった。蛙らしからぬ物静かな魔物で、静けさを好むスッパと、そういうところでも波長が合っていた。だから喧嘩をしたことは一度もない。朧はスッパの想いをよくよく酌んでくれる思慮深さを持ち合わせており、地道な努力を厭うことなく邁進し、常にスッパの目指すところへついてきた。味方として寄り添い、戦ってくれた。

 固く結びついた互いの関係をスッパは疑わない。

 だから、朧が反抗してきたところでムキになったりしないし、奴には奴の考えがあるのだろうと察することができる。

 

「恩ある鷹が心配か」

 

 問えば、朧は誰の目にも明らかな首肯を見せた。はっきりと、こっくりと。

 

「…離れがたいのか」

 

 再度確認しても、やはり頷きを返して意思を表明してくる。

 朧と同様、スッパにとってもこの鷹は報恩の対象だ。彼の助太刀を抜きにして窮地を脱することなどできなかったのだから。それは確かなのだが、あくまでも行きずりの相手であった。しかも魔物、野に生きる者。礼を述べたらそれで終わりである。事実、あのとき、鷹とは後腐れなく別れた。鷹の方も見返りを求めるような素振りすら見せずにあっさりと飛び去っていったのだ。それきりだった。

 偶然にも再会し、弱ったところを保護するという意外な展開になったために、無論、スッパはこの鷹に助かってほしいと思っているが、…スッパと朧の間には温度差があるように感じてならない。鷹の回復を祈る以上の、何か強い気持ちを、朧の眼差しから読み取ってしまうのである。

 以上の見解をかいつまんで総長に伝えたところ、彼は「そりゃあ、おまえ…」と言いつつ、ふうと紫煙をくゆらせた。煙管と共に寝そべる姿が、何ともまあ様になる御方である。

 

「執心、だろ」

「…執心。あの朧が」

「むしろ『あの朧だから』だろ。あいつは一時の情に流されるような奴じゃねえ。指令に忠実な魔物だ。そんな奴が我を出して、あろうことか余所(よそ)様ンとこの人気者を拉致ってきてんだぞ。どう考えたって只事じゃねえだろうが。

 俺たちが気付かなかっただけで、あいつ、本当はずっと恩返しがしたかったんじゃねーの?」

 

 つくづく主人(おまえ)とそっくりだな。

 総長は思いもよらなかった感想を述べてくる。

 

「俺様は知ってるけどなあ。一飯之恩を忘れずにず~っと報い続けてる義理堅い奴を」

 

 そう言われてしまっては、これ以上返す言葉が見当たらないスッパである。

 

 

 

+++

 

 

 

 戦闘が頻発した以前とは異なり、今日も今日とて主人(スッパ)が担うのは事務処理ばかり。愛刀の手入れを欠かさず有事に備える一方で、彼は書類と向き合いながら忙しく日々を過ごしている。イーガ団にとっての明確な「敵」が存在しない今、汚れ仕事も激減した。畢竟、朧の出る幕もない。…だからといって、スッパの傍を離れていい理由にはならない。朧はあくまでもスッパの従者なのだから。

 ――勝手なことをしている自覚はある。だが、未だに、お目こぼしをいただいている。四六時中医務室に籠っている朧に対して、スッパが「おまえの気が済むならそうしろ」と言ってくれるのは、厄災を封じた平和な世であるがゆえ。本来なら折檻不可避の振舞いをしていると分かっているのだが、朧はスッパが咎めてこないのをいいことに大いに甘えているのだった。

 

 蘇芳が目覚めたそのときに、彼の瞳に最初に映るものになりたい。

 そんなことがさも当たり前のように自然と胸中に浮かんでしまう自分。そして、執念深く居座る自分。はっきり言って異常だ。だが、仕方ない。どうしようもない。ずっとずっと探していた相手を見つけ、己の根城に連れ込む機会を得て、今このときも目の前にいるのである。手を伸ばせば触れることが叶う距離にいるのである。もはや「この場から離れる」という発想そのものが朧の中に存在していない。

 

 朧はまんじりともせず蘇芳を見つめていた。だから、蘇芳が目を開けた瞬間を、待ち望んでいた最も重要な瞬間を見逃す失態を避けられたわけである。

 

『 蘇芳 』

 

 自分のものだと俄かには信じがたいほど優しい声が出た。それだけ自分にとって大事な名であることを改めて実感する。

 朧の呼びかけに反応し、蘇芳の目が動いた。眼差しが朧を捉えた。相変わらず美しい蜂蜜色の瞳の中に、鏡みたいに自分の姿が映っていることが確認できて、朧は強烈な悦びを感じずにはいられなかった。

 

『久しぶりだな…』

 

 朧のことを覚えていて、久しぶりだと言ったのか。それとも、「蘇芳」と呼ばれたことが久しぶりだと言ったのか。真意は定かではない。確かなのは、(起きたばかりで掠れていたものの)もう一度聞きたかった蘇芳の声が朧の鼓膜を撫でたということ。自分がどんな想いで蘇芳の目覚めを待っていたか話したくてつい前のめりの姿勢になった朧だが、蘇芳は微かに笑みを浮かべたあと、朧に言葉を重ねる暇を与えず再び目を閉じてしまった。いくらも経たぬうちに、規則正しい小さな寝息が聞こえてくる。

 朧は、過剰に舞い上がった己を自省した。性急なことをしてはいけない、…落ち着かなければ。努めて深く息を吸った。そうしなければ、早鐘を打つ心臓を鎮められそうになかった。自分の心臓はこんなに速く鼓動を刻むことができたのだと、初めて知った。

 蘇芳の名を口にしただけで、些細な一言を交わしただけで、この多幸感。今からこの調子では、この先の自分はどうなってしまうのだろう。

 

『御主から受けた恩…返せたでござるか…?』

 

 指の腹で、蘇芳の頬を撫でる。

 体温のぬくとさ、羽毛のなめらかさに感動する。このまま彼の安らかな休息が叶うよう、柄にでもなく祈ってみる。

 反省などしない。己の突拍子もない行動で周囲を困惑させ、巻き込み、無理にでも蘇芳を連れ帰る流れを作り出したわけだが、全ては彼を助けるために必要な行動だった。拙者は間違っていない。絶対に。

 

 その後、容体の急変もなく平穏に時が過ぎ、しかし結局、蘇芳がしっかりと意識を取り戻すまでには更に一日を要した。

 身じろぎして、少し視線を彷徨わせて、周囲の確認を済ませたらしい蘇芳は、ゆっくりと上体を起こしていく。

 

『…ここは』

『拙者の所属するイーガ団、そのアジトでござる』

『俺はどのくらい眠っていた?』

『途中で一度目覚めたことを除けば、ほぼ三日は寝込んでいた。…体調は?』

『全快とは程遠い。寝たきりで何の補給もしてないせいだろうな、身体に鬆(す)が入ってるみたいだ』

 

 全く覚えのない場所で寝かされていた事実を前にしても取り乱すことなく、蘇芳は冷静だった。肝が据わっている。

 

『…おまえ、前にも会ったな。一緒に戦った奴だろ』

『拙者も御主を覚えている。その節は世話になった』

『あれから、…随分と勲章(きずあと)が増えたんだな』

『御主と別れて以降も何度か戦場に出たでござるよ』

『命あっての物種だろ…、助けてやったってのに…』

『どうしても避けられない戦でござった。むしろ、御主に命を救ってもらったからこそ別の機会で己の身を役立てることができた。勝ちも拾えたしな。感謝しているでござるよ』

『落着したか』

『大団円に候』

『なら、いい』

 

 朧は、イーガ団への貢献が己の存在意義だと思って生きてきた。しかし、先のハイラル存亡をかけた大戦では、終始、蘇芳への想いを己の指針として戦っていた。

 実のところ、イーガ団に籍を置いている身でありながら、朧はガノン崇拝に対する理解が浅かった。総長が大事な教義だと言うから、スッパが務めを果たせと言うから、朧は命じられるがまま働いてきただけだった。本当に厄災が顕現したとき、この世がどうなってしまうのか、そんなことまで考えていなかったのだ。

 最終的に、総長は、部下の弔い合戦のためにガノンと袂を分かつことを選んだ。一方の朧は、蘇芳のために厄災を倒そうと心に決めた。

 あの麗しの鷹が、今後も、森で健やかに羽ばたけるように。

 敵を屠れば屠るほど、蘇芳の生きる世界から厄災が遠のく。そう思えば、いくら傷つこうが前進できた。何にも臆すことなく戦えたのである。

 

 たとえ蘇芳が朧のことを今の今まで何とも思っていなかったとしても、朧にとっては、蘇芳への想いを胸に過ごすことが生き甲斐となっていた。

 

『もう会うこともないと思ってたんだがな…、世間(ハイラル)は狭いな。何がどうしてこの現状に繋がっているんだか皆目見当がつかん…』

『経緯は拙者が説明しよう。…だが、今の御主はろくに飲食していない身だ。まずは水でも飲むでござるよ』

 

 木製の椀に入った水を渡すと、蘇芳は受け取りはしたが、水をじっと見つめている。透明な液体の中に、不審物を探そうとする目つきだ。やはり、闘魔で起きたトラブルがトラウマになってしまったのか。医療班員の遣り取りを盗み聞きしたから蘇芳が禁薬を飲まされたらしいことは把握しているし、今の彼が口に入れるものへ警戒を強めているのは尤もな話である。

 

『ただの水でござる。…御主を助けるためにこの場へつれてきた。信じてくれ』

 

 そこまで言ってようやく、蘇芳は椀のふちに口をつけた。時間をかけて少しずつ、それでも、水を飲んでくれた。そのことに胸をなでおろして、朧は医務室の奥に向かって「コウ」と鳴きかける。すると、すぐに白衣を着た団員が顔をのぞかせた。

 

「あ!起きてる!水飲んでる!」

 

 嬉しそうに声を弾ませ、ちょっと待っててと言い置いてぱたぱたと別室に向かう。

 団員を視認したとき、蘇芳は束の間ぎょっとしていたが、どうやら仮面に驚いたらしかった。

 

『……、…コログたちの方がまだ表情豊かに思えるな…』

『先程の面は、イーガの者全てに共通する代物。隠密稼業ゆえ個を特定されたり感情を読まれたりすると都合が悪い…、だから、同じ面といえど、コログたちのような「個性」は排除する作りとなっている』

『集団の均一化か…』

『ついでに、帰属意識を高めるための工夫も兼ねているでござるよ』

『…そういえば、前におまえと一緒にいたニンゲンも仮面をつけていたような…』

『我ら魔物は視覚に頼らずとも声や匂いの違いで個人を判別できるから大して困りはしないのだが…、そうだな、御主が慣れるまでには時間がかかるかもな』

 

 雑談をしていると、医療班員が戻ってきた。その手には、水とは別の椀がおさまっている。

 医療班員は蘇芳の傍らで膝をつき、顔を覗き込んだ。

 

「顔色は随分いいみたい。どう?これ食べられそう?」

 

 椀の中身が見えるように傾けてみせる。数種類の木の実の果肉が粗く潰され、甘い香りを漂わせていた。

 

「しばらくは、日に何回かに分けて、こういう柔らかくて消化にいいものを食べてもらうね。許可が出たら、獣肉や魔物肉に切り替えていこう」

『これを食えと?』

『その通りだ』

『初対面の奴が手渡してきたものを俺が食うと思うのか』

『…気持ちは分かる。だが、血を吐いて昏睡状態だった御主が意識を取り戻せたのも、この者たちの献身的な看護あってこそでござる。重ねて言うが、御主を謀ったりはしない。食べても大丈夫だ』

 

 説得は、通じたらしい。

 蘇芳は小さく溜息をついたあと、医療班員から椀を受け取って、中に手を突っ込んだ。匙など不要。実に魔物らしい食べ方で、一口また一口と食べ進めていく。中身が少量であったため、彼にとっての久しぶりの食事は、数分と経たずに終わってしまった。途中で吐き戻すこともなく、食欲があるのは喜ばしい。医療班員も安堵した様子でカラになった椀を引き取っていった。

 

『食った気がしないな…』

『これも御主に負担をかけぬため。治療の一環でござるよ』

『…世話をかける』

『気にしなくていい。御主を助けることが我らイーガ団の恩返しでござる』

『恩返し…』

 

 蘇芳は、食事で使った右手に舌を這わせている。呟きを零しながらも、爪先から滴る果汁を舐め取っていく。

 小さく、薄く、そして赤い舌がちろちろと動く様子がやけに艶やかなものに見えてしまって、何だか朧は居たたまれない気持ちになるのだった。

 

『 朧 』

『 ! 』

『…で、よかったか』

『……、そこまで覚えてもらっていたとは光栄でござるな』

『変わった響きだったから印象に残ってた』

『御主のことは、…蘇芳と呼んでも?』

 

 今更白々しい問いかけであるが、朧の事情を知る由もない蘇芳は『今となっては懐かしい名だな』と笑ってくれた。

 

『…俺はやりたいようにやっただけだが、おまえたちは俺の協力を随分と恩に感じてくれてるみたいだな。今なら長話でも聞けそうだし、…朧、どうして俺がここにいるのか事情を話してくれるか』

 

 蘇芳が己の名を覚えてくれていた事実、実際に彼の声で己の名が紡がれた事実、気まずい沈黙なく会話が続いている事実…全てが現実であることにのぼせてしまいそうで、朧は密かに息を整える。深く吐き出す息と共に、ふたりの思いがけない再会について、その顛末を話しだす。病み上がりの蘇芳の体調に配慮しながら、しかし伝えるべきことは膨大だ。その分だけ、蘇芳と時間をかけて話せることが嬉しかった。

 

 

 

+++

 

 

 

「目が覚めたと報告を受けた」

 

 蘇芳が二度目の食事を終えた頃、見上げるような巨躯の男が医務室にやってきた。共闘の経験があることは前提として、初見のインパクトが大きい外見だったこともあり、もちろんこの男についても覚えている。

 男は蘇芳の傍に近寄ったあと、身を屈めて「大事ないか」と問うてきた。首肯すると、微かに、彼の雰囲気が和らいだ。面の向こう側で笑ってくれたのかもしれない。

 

「あの日から随分と名乗り遅れたな。スッパという。…その節は世話になった。感謝しているでござるよ」

 

 朧の言葉選びや言い回しとやけにそっくりで思わず吹き出しそうになったが、相手は至って真面目に礼を述べているため何とか堪えた。どうやら、朧はこの主人に随分と影響を受けているものと見える。

 

「我らの総長コーガ様がおまえに会いたいとおっしゃっている。話したいことがあるそうだが、…おまえは動けるか。無理はしなくていいと言い付かっている。おまえの体調次第では、謁見は日延べする」

 

 今の気分は、そんなに悪くない。寝てばかりというのも退屈になってきたところだったので、気晴らしに、その総長とやらに会いにいってみようか。蘇芳は再び頷きを返して立ち上がった(すかさず朧が手を差し伸べてきたので、『紳士だな』と少しばかり苦笑してしまった)。

 

 スッパの後ろについて、通路を歩いていく。医務室で寝かされていたときから気付いていたが、ここには窓がない。ずっと洞窟の中を歩いているみたいだ。所々に赤い提灯がぶらさがっているので光源はあるのだが、これらを一気に吹き消してしまえば、途端に自分の手元さえ分からないような真なる闇に覆われることだろう。

 最初こそ胸中では「呼び出すんじゃなくておまえの方から来いよ」などとまだ見ぬ総長相手に悪態をついていたのだが、移動することで直接アジトの内部を見れたし、これは結果としてよかった気がする。隠密稼業の輩が身を潜める隠れ家。一般的なニンゲンの家屋とはかけ離れた空間。どことなく漂う怪しげな雰囲気。自分がどういう場所にいるのか、その一端でも知っておくのは蘇芳にとって重要なことだった。

 土壁ばかりで薄暗いということもあってか、歩いていると、よくツチニンを見かける。朧から、彼らもイーガ団の仲間なのだと教わった。途中で赤い団服と仮面を身につけたニンゲンたちがツチニンの世話を焼いている場面も目撃し、上手く共生しているらしいことが窺える。

 団員たちは、スッパとすれ違う時にはわざわざ立ち止まって一礼してくる。他の団員と比べても、スッパは明らかに体格が秀でていて、服装や髪型も異なる。団内では格上なのだということがよく分かった。そういうニンゲンと組んでいる朧も立場のある奴なんだろう。それなのに穏和だし、こちらに気さくに接してくれるのだから、いい奴だなと思った。

 

 

「よっ!はじめましてだな」

 

 

 つれてこられた部屋には、でっぷりとした腹の男がでんと居座っていた。いかにもお偉いさんですという態の男が、スッパの言う「我らの総長コーガ様」なのだろう。総長のすぐ後ろには、朧と同じ種族であろう蛙の魔物が控えている。男と蛙、見るからに「只者ではない」し、直感でヤバいと分かる。男の方は見た目に反して動ける奴、蛙の方は見た目通りに強い奴。得体の知れない不気味さも両者が一致。できることならお近付きになりたくはないが、助けてもらったし、一応頭を下げおいた。

 

「ん?この度はありがとうございますってか?いいって、気にすんな。礼を言うのはこっちだから」

 

 総長は、蘇芳に座るよう促したあと、スッパと朧に協力した件に関して感謝を伝えてきた。組織のトップだろうに、こんな一介の魔物を相手に、律儀にも。

 偶然にも闘魔の試合を観ていたこと、そのさなかの不可解な現象、そして倒れてしまった蘇芳の搬送。治療。既に朧から聞いた救出劇が、総長の口から再度語られた。同じ内容であろうと、どこかに齟齬はないか確認したくて慎重に耳を傾けたが、ふたりの話に食い違いはない。魔物とニンゲンで口裏合わせをするというのも考えづらく、この時点でようやく、蘇芳はイーガ団を信用することにした。こんなにも「悪の秘密結社」然とした連中でありながら、本当に、善意で親切にしてくれたらしいので。

 

「おまえが試合前に飲まされた薬な、あれ、服用したときの副作用がでかすぎる粗悪品だったんだわ。相当きつかったろうに、よく最後まで試合を続けたな。大したもんだ」

 

 今となっては、そのときの感覚も記憶も曖昧になってしまっている。残っているのは「苦しかった」という事実だけ。自分の要領を超えたものを無理矢理流し込まれて窒息するような、例えるならそんな感じだったと思うけれど、鮮明に思い出せないことはかえって幸いだったかもしれない。喉元過ぎれば何とやら、だ。いつまでも覚えていたくないもんな、そういうの。

 

「…苦しみに耐え抜いたってのは立派だった。でもな、それは薬の効果を試したい黒幕に『この薬は魔物に使っても平気なんだ』って思わせちまったはずだ」

 

 そんな視点は蘇芳の中に一切なかった。

 なかったから、指摘された途端に、愕然として身体が硬直してしまった。

 

「これから先、おまえだけじゃねえ、『チェスト』に所属してる魔物たちの多くが薬を飲まされて、被害者になって、ひょっとしたらおまえみたいには耐えきれずに暴走、試合会場で観客巻き込んでの大惨事…とかな。大袈裟に聞こえるかもだが、可能性を考えたら、まるっきり与太話ってわけでもなさそうだろ?』

 

 あのとき、蘇芳は耐えた。耐えることを選んだ。自分の苦しみが露見したら最後の最後で興行が台無しになると思ったからだ。渦中にあって、強がることこそが蘇芳にとっての最適解だった。苦痛に抗ってきっちりと試合をやり遂げたことに、達成感すら覚えていたくらいだ。

 俺は間違えたのか?

 痛みを堪えず、地に伏して、呻き声をあげて。そうやって、のたうちまわって異常事態であることをアピールした方が、結果的に『チェスト』の仲間を守ることになったのか?

 

 俺の所為で、他の仲間に危険が及ぶかもしれない――そのことを想像するだけで口の中が急速に干乾びていく。

 

 頭が真っ白になった蘇芳だったが、総長からの思いがけない言葉で我に返ることができた。

「俺らが何とかしてやるから安心しな」――…その声かけは、焦燥と緊張で乾ききった今の蘇芳には、まるで清水のように深く沁み込んだ。

 

「蛇の道は蛇、ってな。世間様に顔向けできねえあれやこれやはイーガ団の十八番。怪しい薬のことも、魔物の負担を顧みずに金儲けを優先する団長のことも、穏便に解決してやる。任せとけ」

『…どうして、そこまで…』

 

 不意に口をついた鳴き声の意味など、ニンゲンには分かるまいに、総長は難なく拾い上げて「イーガの流儀ってやつだ」と返してくる。

 

「おまえが俺様の身内を助けたって事実はな、それだけでかいことなんだ」

 

 だから、心配すんな。おまえは療養を優先しろ。な。

 たとえ表情を隠す面をしていても、その裏で、総長がにかっと笑ったことだけは確かに感じ取ることができた。

 

「治るまでここにいればいい。何ならこのままイーガ団に入ってくれても構わねえ。やっぱり『チェスト』に戻りたいってなったら、そのときは送ってやる。身の振り方が決まるまで、まあ、好きに過ごしてくれ」

 

 話は以上だと切り上げられ、総長は、蘇芳をもう一度医務室につれていくようスッパと朧に指示を出している。その声を聞きながら、蘇芳は、未だ放心していた。

 ――蘇芳は、知らない。スッパと朧を救ったことが、いかにイーガ団を奮起させたか(最終的にはハイラルをも救う遠因となっている)。

 知らないから、自分の行いに対してもたらされた報酬があまりに大きいように思えて、気後れする。その一方、魔物である蘇芳には、薬物が絡むニンゲンの悪巧みを阻止する手立てがないのも事実だ。合縁奇縁ということで、ここはイーガ団を頼らせてもらうとしよう。

 

 再び、蘇芳は頭を下げる。次は、「一応」ではない。深々と、誠意を込めて。

 

 

 

+++

 

 

 月白以外の魔物二体には部屋の外で待機しておくよう伝え、部屋に残るスッパは、総長に向かって徐に口を開いた。

 

「…公には、あの鷹は死んだことになっているはずでは?」

「ンなもん、どうとでも覆せるだろ。実は生きてました、後から息を吹き返したんですってな」

 

 すぐに鷹を返還したかったが、心身の回復を待っていた。それに、禁薬の影響が残っていないか、副作用がないか慎重に調べていたために時間がかかってしまった。そう言えばいい、と、総長はあくまで楽観的である。いずれも、一応は話の筋が通っていた。

 

「もちろん、あいつが闘魔復帰を希望したとき用の言い訳だ。イーガ団を選ぶようなら、改めて歓迎してやろう」

 

 ところで。

 総長はバナナの皮を剥きながら世間話をするような気軽さでスッパに話しかける。

 

「連れてきたお(・)客(・)さ(・)ん(・)、し(・)っ(・)か(・)り(・)も(・)て(・)な(・)し(・)た(・)か(・)」

「無論。イ(・)ー(・)ガ(・)流(・)で(・)抜かりなく」

「客ってのは久しぶりだからなあ。担当した奴らは張りきっただろうな」

「我らのもてなしがたいそうお気に召したようで、客人は問(・)わ(・)れ(・)た(・)こ(・)と(・)に(・)は(・)何(・)で(・)も(・)気(・)前(・)よ(・)く(・)喋(・)っ(・)て(・)く(・)れ(・)た(・)でござるよ」

「そうか。悪かったな、接(・)待(・)を任せきりにしちまって。その感じだと、もう送(・)り(・)届(・)け(・)る(・)ところまで済んでんのか?」

「はい。い(・)つ(・)も(・)の(・)場(・)所(・)まで自分も同行し、…目的地までは首尾よく到着したのでござるが、運(・)悪(・)く(・)客人が足を滑らせ崖下に滑落を…」

「断末魔は響いたか」

「それはもう。おかげで、奴(・)が顔を出すのも速かったでござる」

「で、今はモルドラジークの腹の中ってわけだ。ご愁傷様」

 

 血生臭い遣り取りをしつつも平然とバナナを食べ終わり、総長は、残った皮を屑籠に放り込んだ。この世から消した男への関心も併せてひょいと捨て去るような、無造作な仕草だった。

 

「搾り取った情報、まとめといてくれ」

「御意」

「何をどこまで団員に開示するか後で詰めるか」

「調査すべきこと、研究すべきことが多岐に渡りますので、各班への割り振りも考えるべきかと」

「分かった。たたき台よろしく」

 

 じゃあ、俺様、昼寝すっから。

 自分の出番はしばらく先だと分かってか、途端に気を抜いて、我らがコーガ様はあくびを一つ。そのままごろんと横になった上司へ一礼し、スッパは総長室を後にした。

 

 

 

+++

 

 

 

【 おまけ 】

「…おまえもいずれはイーガの者となるやもしれぬ。ひとまず新しい名を授けておきたいが、…どう思う」

 

 個の識別ができればよく、蘇芳は「名付け」に対して――華々しい経歴に満ちたアガットという名前でさえも――格別な思い入れがあるわけではないので、スッパの提案にはあっさりと頷いた。

 どう思うか訊いておきながら、どうやらスッパの中では温めていた案があったらしく、「では、蘇芳と呼ぶ」とすぐに命名してきた。

 

「翼の色から拝借した。イーガ団に通ずる赤とあれば、縁起もいいでござる」

 

 赤を表す名は他にも色々あるだろうに、まさかの「蘇芳」とは。

『こいつ、すごいな』と朧に囁きかけたところ、『自慢の相棒でござる』と嬉しそうな声が返ってきた。

 





【 補足 】
・コーガ様
 リーダーの素質というものは、二種類に大別されるらしい。「集団を牽引する者」と「この人の助けになりたいと思わせる者」と。双方の中間をいい感じに撃ち抜いてるのがコーガ様なんじゃないかという気がするんですよね…実際に書いてみるとね…。

・スッパによる新たな命名
 スッパが「蘇芳」と名付けたのは完全に偶然です。
 スッパは闘魔の試合を観ているので、蘇芳が『チェスト』内で「アガット」と呼ばれていたことを知っているわけですが、彼がイーガ団に保護された経緯を考えたとき、どうしても「『アガット』の名を引き続き使用するのは縁起が悪い」ように思えてしまい、所属の変更を機に改名を促すことにしたのでした。
 感覚としては、何かよくないことが起こったとき「それまでの時代をリセットして一から始める」ために元号を変えるようなものかなと。
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