なんと心躍る戦い――…技と技がぶつかり合うたびにそこから火花が散るような、苛烈で華やかな試合だった。
今までにリハビリと称して朧が付き合ってきた、力を加減した組み手ではない。朧も蘇芳も全力である。最近まで療養していた蘇芳、遠征任務での疲労が蓄積している朧、はたまた互いの体格差、…負けたときの言い訳は両者いくらでも用意できるが、それらは全て捨て去ったうえでの真剣勝負だ。また、万が一にも途中で手心を加えようものなら、それは配慮ではなく対戦者への侮辱となってしまう。この場で振るうことを許されているのは、対峙した者を倒すために磨かれた猛々しい武力ただ一つだ。
朧は、蘇芳による渾身の技を受ける喜びで胸がはちきれそうだった。この瞬間だけは、蘇芳の全てが朧のみに向けられている。これをどうして幸福に思わずにいられよう。
蘇芳の一切を引き受けて弾む心は、朧に力を与え、勢いを与え、相手を圧した。蘇芳の鋭い爪の切っ先が朧の喉笛を捉えるより、僅差で速く、朧の水刃が蘇芳の首筋に添えられた。
決着である。
誰からともなく褒め称える鳴き声が上がり、それは全体に伝播して、鍛錬場を揺るがした。通りすがりの魔物たちがふたりの戦いぶりに釘付けになり、自ずと足を止めて、魅入られるように観戦していたのである。いつのまにか、観衆の中で、さながら闘魔のようにふたりは戦っていたのだった。
『強いな』
心底から悔しそうな声が、蘇芳の口から絞り出された。
***
『それで?何を話したいんだ』
朧は蘇芳と共に、アジトにほど近い岩崖の上にきていた。
夕暮れが迫っており、灼熱の昼間と比べれば屋外は冷えてきている。いっそ肌寒さすら感じるのに、空を焼く真っ赤な西日は燃え盛る炎を思わせ、知覚と視覚がまるでちぐはぐだった。
夕陽に照らされ、蘇芳の羽根が持つ全ての色彩が赤みを帯び、朧を見据えてくる彼の表情をも凛々しく情熱的に見せる。
いつ見ても溜息が出るほど美しい彩鷹――…彼と話す時間を作ってもらうために戦い、念願叶って勝利して、こうして誰にも邪魔されない場所へ連れてくることができた。欲を封じて淡白に生きてきた朧にここまでさせる相手、蘇芳への気持ちに嘘はない。大丈夫、ちゃんと言える。朧は、息を吸った。
『御主の今後について』
緊張ゆえに早口になってしまいそうで、朧は努めてゆっくりと切り出した。
『拙者は、イーガ団に残ってほしいと思っているでござるよ』
『……、…そうか』
『蘇芳はこれからどうするつもりでいるんだ』
『闘魔に復帰したい』
蘇芳が言い淀むことはなかった。実に力強い断言だった。
だから俺のことは諦めろと言われたも同然の口調である。
『イーガ団では本当に世話になった。親切にしてもらったし、魔物連中は気さくな奴ばかりだし、身体を動かす機会も存分にあって、楽しかったよ。本音で言ってる。だが、その本音とイーガ団への加入は話が別だ』
『…ここから去る最たる理由は何でござるか』
『殺しに加担できない』
朧が不在の間、イーガ団がどのような組織なのか具体的に教えてもらったという。しかし、これまでの所業を知ったからといって、イーガ団への嫌悪感を覚えたわけではないらしい。
『色んな群れがあるからな。それぞれの方針に沿って暮らせばいい。…おまえが考え違いをしているかもしれないから念のために訂正しておくが、俺は元々群れることを窮屈に思う性分だ。ひとりの方が気楽でいい。…だが、こんな俺でも「チェスト」で団体生活ができたのは、俺のやりたいことがそこにあったからだ。イーガ団は違う。ここに俺のやりたいことはないし、役に立てない。俺自身が必要に迫られて相手の命を奪う選択をするならまだしも、命じられた「殺し」なんか絶対にしない』
『待ってくれ!別に「殺し」は必須条件ではないでござる!魔物に割り振られた役目は他にもたくさんあって…!』
『イーガ団の魔物たちが俺を受け入れてくれたのは、たぶん、あいつらが俺の滞在を一時的なものだと思ってるからだ。俺が本格的にここで暮らし始めたら、かえって衝突することが増える。仮にイーガ団に残るとして、仕事を選べる立場じゃない新入りが「俺はやりたいこと以外はやらない」と言って任務を選り好みしてみろ。生え抜きの魔物の反感を買う』
『…蘇芳の言いたいことも、その考えも、よく分かる。それでも、…それでも、見送るのは嫌でござる…ッ』
まるで縋りつくように、蘇芳の手を取って握りしめた。
何が『嫌でござる』だ。あまりに情けない。みっともない。しかし、今の朧には感情をぶつける以外のことができない。心が搔き乱されるばかりなのだから、冷静に気持ちを言語化するなど土台無理な話だった。
『拙者は蘇芳と共にいたい。蘇芳のことが知りたい。一緒に食事をするとか、鍛錬するとか、喜び合うとか、…些細なことでいい、生活も感情も蘇芳と共有したい』
『…おまえ、それ、…どういう感情で言ってんだよ…』
朧の手を振り払うことはなく、しかし、蘇芳は困惑を露わにしていた。
『おまえの言う在り方は…距離感が近すぎるというか…』
『しかし、これが拙者の望みだ。御主を仲間に迎えたいと思えばこそ』
瞬間、蘇芳は目を細めた。その目つきが、やたらと鋭く感じられた。
蘇芳が自ら朧に向かって距離を詰めてくる。ふたりきりの話し合いはとうに拗れてしまっているのに、朧はすぐ近くに蘇芳の存在を感じられる状況に不覚にもときめいてしまって、顔が熱くなった。頬の赤みが夕陽で隠せているといいのだが。
『分からずに言ってるのか』
『…?』
『分からないなら、それでもいい。話はこれで終わりだ』
するりと、朧の手から蘇芳の手が引き抜かれた。
『晩飯もらいにいこうぜ』と言って、蘇芳は踵を返し、朧から遠ざかっていく。彼の背を慌てて追いかけながら、朧は戸惑っていた。怒っている様子ではないけれど、でも、怒らせた気がして、何だか寂しくなってしまうのだった。
***
――翌日になっても、朧はしょげていた。蘇芳は『分からないなら、それでもいい』と言っていたが、これを額面通りに受け取るのはまずいということくらい、さすがの朧でも察しがついている。間違いなく「分かっておいた方がいい」ことなのだが、この件に関して、蘇芳から直接答えを教えてもらうのは不甲斐ないように思えた。…かといって自分でうんうんと唸ったところで妙案は浮かばないため、朧は友に知恵を借りることにした。
世間をよく知っている情報通の知己である。
壱號に経緯を打ち明けると、なぜだか、『はァ~………』と途轍もなく長い溜息を吐かれる羽目になった。解せぬ。
『蘇芳はな…絶対におまえのこと「何だこいつ」って思ってるぞ朧…』
『なっ、…なぜ!?』
『散々ねっとりしたことを言った挙句に、「仲間になりたい」…。…仲間ねえ…、仲間ってなんだろうねえ…朧よ…』
『素直に心の内を曝け出さねば誠実とは言えないでござる。こちらを信用してもらわねば仲間として接してもらえないと思ったがゆえに、拙者は…』
『あのな、要はおまえが頓珍漢なこと言ってるから蘇芳の説得に失敗したんだ。
蘇芳をイーガ団に引き入れたいなら既成事実を作れば一発だろ。あいつ、いい奴だからガキができちまえば絆されるだろうし、結局ここに居残ることを選ぶだろうぜ』
『…は?』
『だから、見合いだよ見合い。うちの雌をあてがうんだって。適齢個体はそれなりにいるし、蘇芳が相手なら嫌がるやついないと思うぞ。あいつ見てくれ悪くないし、体つきも立派だし』
『承服しかねる』
『おまえの納得なんざ知らねえよ。蘇芳が残ってくれたらそれでいいんだろ?仲間になってくれたら満足なんだろ?目的を達するための手段を選んでんじゃねーぞコラ。おまえもイーガの魔物だろうが』
『無理。絶対に無理』
『なんで』
『……、…蘇芳は拙者が囲っていたい…』
『うわァ…』
壱號はなんとも無礼なことに、ゴミを見るような目を朧に向けてくる。やはり解せぬ。
『…でも、まあ、…これで分かっただろ。おまえは蘇芳に「仲間」になってほしいわけじゃないんだよ』
『そうか、…拙者自身が己の真意を見落としていたとは…!壱號!感謝するでござる!』
所々で壱號から蔑まれたことには腹が立つものの、すっかり得心がいった爽快感の方が苛立ちを遥かに上回っている。曇っていた視界が晴れ、目が開かれたような心地だった。
善は急げという。鉄は熱いうちに打てという。もう一度やり直さねばと朧は走り出す。…その一方、実は『ちょっと待て!』『伝え方を練っていけ!』と壱號が呼び止めようとしていたのだが、彼の声は、残念ながら朧には一切届いていなかった。
+++
『蘇芳!分かった!分かったでござる!!』
朧が鍛錬場に飛び込んできた。
ちょうどシュバルゴとの模擬戦を終えて、休憩していたところだった。いったい何事かと朧を見遣った。鍛錬場に集っていた多くの魔物たちも、蘇芳と同様に朧へと視線を向けている。
『恥ずかしながら、拙者、これまでは命じられたことをやってきただけで、己の心の内に向き合ったことがほとんどなかったでござる。だから、御主に伝えるべき言葉を誤った。次は間違えないから、どうか仕切り直しをさせてほしい』
朧の両手が、蘇芳の両手をすっぽりと包んでくる。以前の、縋りつくような必死さはない。ただ柔らかく握り込まれている。まるで大事なものを守るように。
『蘇芳と
明らかに正気の沙汰ではなく周囲が唖然として固まっている中、意外にも蘇芳は冷静だった。より正確には、そうきたか…と腹を括った。
出直してこいと言動で示したのは蘇芳であるし、朧が蘇芳の要求に応じてこのように突飛なことをしているのだとしたら、責任を以て収拾せねばなるまい。
昨日、蘇芳は「朧は本音を語っていない」と感じたのだ。朧はいつになく感情的で、私的な想いから蘇芳を引き留めようとしているのは明白であったにも関わらず、その理由は「仲間になってほしいから」だと言った。イーガ団という組織のためにいてほしいという言い方だった。肝心なところで言い淀むのなら、最初から「ふたりきりの話し合い」など望まないでほしかった。そう思った。
友だちになりたいって、そのくらい、堂々と言えよ。
腹を割って話してくれたなら、もう少しこっちだって考えてやる余地があったのに…とか、蘇芳は蘇芳で、頓珍漢なことを考えていたのだった。それはもう盛大に見誤っていたのだと、朧から告白されて初めて蘇芳は気が付いた…が、後の祭りである。
つきっきりで世話を焼いてくれたのも、話しかければやたらと嬉しそうにしていたのも、一緒にいるとすぐに照れて頬を染めていたのも、全部全部、
『番と簡単に言うが、おまえ大丈夫か。同性同士なんだが』
『拙者の惚れた相手が同性だったのだから、まあ、そうなるな』
『そうなるな、ではなく…。おまえには俺の都合だの気持ちだのを考慮する気がないのか』
『たとえ今はその気になれずとも!拙者を好いてもらえるよう尽力するでござる!!』
『……、おまえ…これまでに、その、色恋っつーか、番がいた経験とかは…』
『ない!だからこそ!生まれて初めての感情の昂ぶりで舞い上がっている自覚はあるでござる!』
『なるほどな…まともに恋愛したことない奴ってこんな感じなのか…』
朧の表情は、求愛する雄のそれではない。
瞳を輝かせて、自分の導き出した答えの素晴らしさを分かってもらおうとしている。まるで子どもだ。怒るに怒れない。
『…この場じゃ埒が明かん。この間のところに行くぞ』
手を繋いだまま朧を引っ張っていくと、朧は手を振りほどかれないことが余程嬉しかったようで、ふにゃりと顔をほころばせている。
『おまえら!聞いていた通りでござる。
蘇芳はこの朧が口説き落とす。手を出す者は恋敵と認めてその場で殺すからな』
『去り際にいらんこと言うな阿呆』
『だが、他の輩に釘をさすのは重要なことでござるよ』
『いいから黙ってさっさと来い!』
自分たちが鍛錬場を出ていったあとにどんなに騒がれることかとそれを想像すると気が重くなるのだが、とにかく今は深く考えず、半ば思考を放棄して黙々と歩き続ける蘇芳である。
+++
どうしようもなく好きだ、と朧は蘇芳に訴えかける。
意志の強さも、努力を厭わない姿勢も、勝気なところも、全部。
実際に声に出してみれば、朧の中に漂っていた名前のない何かが瞬く間に形をなして、くっきりと、恋慕の自覚となって現れた。
自分は蘇芳に恋焦がれていたのだ。ずっと。初めて出会ったあの夜から。
『蘇芳に命を救われたときから、拙者は片時も御主を忘れたことはない。再会を願って御主を探し続けた。闘魔の試合会場で見かけたときは夢かと思った。御主の身に危機が迫っていると知ったときは気が気でなかったし、運び込んだ先で御主が目を開けたときは泣きたくなるほど安堵した。
蘇芳が傍にいる毎日が本当に幸せで、浮ついてしまったことは認める。だが、我がことでありながら拙者自身にも制御できなかったでござる。拙者は、この愛おしさを抑える術を知らない』
『…本気で言ってるんだな。恋情だって』
自信を持って頷いてみせれば、蘇芳は腕を組んで小さく息をついた。
『そんなに好きなら、おまえが俺についてくるって選択肢はないのかよ』
『すまぬ!スッパ殿は置いてはいけぬゆえ!』
『おまえ…清々しいほどわがままな奴だな…』
まあ、俺が言えた義理じゃないか…と呟きつつ、蘇芳は何やら悩ましげである。
『困ったことになー…おまえに言い寄られてあんまり嫌じゃないんだよな…』
『 !!! 』
『だが、早合点するなよ。告白されたからって、その求愛を受けるかどうかは俺次第だ。分かってるな』
『うむ。正論でござる』
『好いてもらえるよう尽力する…だったか。あの発言にも偽りはないな?』
『
『そこまで言うならお手並み拝見だ』
おまえといたいって思わせてみろよ。俺に惚れてるんだろ?――…蘇芳からの蠱惑的な囁き。妖艶な微笑み。色香に耐性のない朧は一方的に魅了されるばかり。心臓が痛いくらいに激しく動くものだから咄嗟に胸を押さえて、どうにか首だけをこくこくと懸命に振って、拙いながらも蘇芳への愛を誓うのだった。