※この作品はR-18です。

雨風奇譚   作:はたた

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朧月に蘇芳色の春が来る②

 

 今朝、スッパから報告された。

「蘇芳はイーガ団から抜けることを選んだようです」と。

 

 聞けば、早朝、自室で身支度をしていたスッパのもとに蘇芳がやってきたと言う。じっとスッパを見つめたあと、軽く頭を下げて一礼を示し、そのままアジトの通路を翔けていったらしい。以降、どこを探してもいないのだとか。蘇芳が身体を休めるときに使っていた厨房の隅(そこで時折ネズミを捕っておやつ代わりにしていたのだ)も確認済みで、やはりもぬけの殻だったとのこと。これまでは、厨房の隅には蘇芳がどこからか見つけてきた古い布きれがいくつか敷き詰められていて、巣の体裁をなしていたそうだ。その布きれもなくなっていたというから、立つ鳥跡を濁さずに倣って片付けたのだとすればなかなか見上げた奴だ。

 そうか、出ていっちまったか。そんなことを思っていたら、その日の昼過ぎに、奴は俺様の前に現れた。…まあ、おまえはそういう奴だよな。スッパのところに行って俺様のところにこないってのはナシだもんな。蘇芳を助けようと運び込んできたのは朧だが、俺様の命令なしにはイーガ団は動かない。実際に「助けろ」と俺様が部下に命じなければ朧ひとりではどうにもならなかったわけで、そこンところを、蘇芳はよく分かっている。

 

 スッパと朧が遠征している間、俺様が蘇芳を預かっていた。俺様と行動を共にしているうちに、コイツもしっかり俺様の一日のスケジュールってもんを理解したらしい。どこで何を食ってるのか、気に入ってる昼寝の場所はどこか、そういった細々としたことを。だから、今、こうして過たず俺様の居場所を探し当てることに成功している。これから昼寝する予定だったんだが、いいぜ、話くらいは聞いてやらァ。

 

「うちには残らねえんだってな」

 

 確認すれば、こくんと頷きが返される。

 

「やっぱ、闘魔が恋しいか。……、あ?何で横に首を振る?じゃあ、おまえ、どこに行くんだよ。野良に戻るつもりか。…あ、そう。…だよなあ、ひとり気ままな方が楽だわな。つってもなァ、おまえみたいな奴が暮らせそうな森はこっからだと遠いぞ。…うん?どうしたよまた首を振りだして。…近くに住むって?当たり?あー…、じゃあ、何だ、…おまえはイーガ団には入らない。このアジトも出る。俺らの活動にも関与しない。かといって、『チェスト』にも戻らない。このアジトの近くを根城にして、野良暮らしをする…っつーことか」

 

 驚いた表情を見せつつ、蘇芳は、しっかりと首肯した。自分の考えが通じるとは思いませんでしたとでも言いたげな顔をしている。ふふん、何のこれしき。俺様を見くびるんじゃねえよ。

「飯は自分で確保しろよ」と戯れに言ってやったら、蘇芳はあからさまに気分を害したような顔つきになった。誰がそんな乞食みたいな真似するかと一丁前に怒っているらしい。

 

「てか、おまえ、端から残る気なかったろ。邪魔な奴がいるから始末してこいって指示したって、おまえ、言われた通りにさっくり殺してくるようなタマじゃなさそうだもんなあ」

 

 暗殺術を仕込むための調教も頑として受けつけないだろうし、意に沿わないことは絶対にしないという扱いにくさのある魔物だということは、短い付き合いだったとはいえ、俺様にも察しがついていた。

 

「だからって『チェスト』にも戻らないってのは意外だったな。どういう風の吹き回しかね…、イーガ団に従う気はないくせに、それはそれとして、団内に気になる奴でもいるのか。どうなんだよ」

 

 ちょんと指先でつついてやると、奴は、生意気にも顔をそらした。気まずそうにしている。答えないという意志表示なのだろうが、態度で「図星です」と言っているようなものだった。

 

「…ま、いいや。蘇芳、おまえの考えてることは一応分かったし、別に引きとめもしねえが、それにしたって、ご近所同士になるわけだろ?俺様たちを見て見ぬふりっつーのは流石に薄情じゃねえか?殺しが絡まないことだったら、たまには引き受けろよ。おまえ、強ぇし」

 

 おまえは強いと持ち上げてやったことで気を好くしたのか、「そこまで言うなら…」という具合に、蘇芳は表情を和らげている。ちょろい。

 

「イーガ団関連の集落ってのは、アジトだけじゃねえんだ。隠れ里があるんだよな。非戦闘員――要は年寄りとか、子ども、身重の女…前線に立てないイーガの身内が肩寄せ合って暮らしてる。そういうところに時々警備に行って、魔物が出たら駆除するとか、そんな仕事ならありだろ?な?」

 

 蘇芳の基準としてセーフなのか、迷うことなく、奴は「分かった」と肯定の意を示した。「警備が許容範囲なら当然アジト周辺も見回ってくれるよな」と確認すると、渋々ながら、蘇芳はもう一度、首を縦に振った。

 

「話は決まりだ。おまえに頼みたいことができたら、朧を使いに出すからそのつもりでいろ」

 

 朧の名を出すと、蘇芳は思わずというふうにたじろぎ、そして、そのことを誤魔化すように飛び去っていった。

 はーん…、そういうことかよ。

 

「なあ、朧が蘇芳にご執心だったのってマジ?」

 

 そのへんの物陰に向かって問いかけると、例によってぬるりと姿を現した月白は、にやぁと悪い笑みを浮かべてみせる。はい確定、と。

 

 

+++

 

 

『新たな巣を探すということであれば、拙者も手伝うでござるよ』

 

 あまりにも「当然自分もついていくのが筋」という顔で朧が言うので、『どうしておまえまで一緒なんだ』という疑問が真っ先に浮かぶ俺の方がおかしいのだろうかと蘇芳は腑に落ちないでいる。

 

『この辺りの土地は拙者の方が詳しい』

『…まあ、そうだな』

『拙者は、蘇芳がどのような場所を望むのか興味がある。何を重要視して巣を決めるのか…、そこには御主の好みや考え方が現れるだろうからな。ひいては、御主のことを知るための第一歩でござる。それに、コーガ様の命を受け、使者として拙者が御主のもとを訪ねる際、御主の巣がどこにあるのか分かっておいた方がいいでござろう?』

『それは尤もだが、…意外だな。アジトに残るようもっとごねるかと思っていたんだが』

『もちろん、拙者の隣にいてほしい気持ちは今でも変わっていない。…しかし、物は考えようでござるよ。御主の巣に拙者が通うのも悪くはない。その方が、アジトにいるよりもずっとふたりの時間を確保しやすいはず…。他の連中からも邪魔をされずに済む』

 

 そうでござろう?と頬を染めながらはにかむ朧が健気に思えてしまい、蘇芳は『俺の巣はおまえの別宅じゃないんだぞ』と言い放つのを止め、言葉をぐっと飲みこんだ。

 

『とにかく、その…、まずは崖の中腹とか、そういう敵の侵入を防げるようなところだな。陽射しや風も避けたいし、それなりに奥行のあるくぼみを探したい』

『…なるほど…』

『切り立った場所ほど理想だな。敵を退けるなら険しいくらいでちょうどいい。俺は飛べるから不都合はないし、……、…おまえも、…その脚力なら問題なく来られるだろ』

『蘇芳…!』

『さあ!俺の希望は言ったからな!行くぞ!』

 

「おまえは退ける対象ではない」とほのめかす言い方になってしまったが、墓穴だったか。何だか妙な雰囲気になりかけたことを察し、蘇芳は無理矢理に会話を打ち切って歩き出した。めげることなく、すぐに朧が隣に並び『拙者にいくつか心当たりがあるでござる』と言ってくる。案内を頼むと、頼られたことが嬉しかったようで、『任せておけ』と返す朧の声は分かりやすく明るかった。

 

 朧のおかげで候補が絞られ、無駄な移動がなかったことで、想定より短時間のうちに巣を決めることができた。ほとんど垂直にそそり立つ、まさに断崖絶壁という表現が相応しい岩壁にあいたその洞穴は、上から流れ落ちてくる砂が目くらましになり出入口が発見されづらいというのも好都合だった。蘇芳が住むには十分過ぎるほどの大きさだが、…なにせ、朧はとりわけ熱心にこの場所を勧めてきたのである。いつか朧(じぶん)が泊まりにくることを想定して大きめの巣を選ばせたのではないかと邪推してしまうし、アジトからそう離れていない地点というのも意味ありげというか…。…いや、深読みはよくない…。広々とした住まいを見つけることができた、今はそれでよしとしておこう。虚無顔で己に言い聞かせる蘇芳である。

 

『そろそろ腹ごしらえでもするか』

 

 朧は手品のように木の実を取り出してみせた。『酸味のあるものをよく食べていたろう?』と渡された木の実は、確かに、蘇芳の好きなものだった。よく見ている。

 これから餌は自分で獲るつもりでいたのに、早速、施しを受けてしまった。決まり悪い思いだが、腹が減っているのは事実なので、蘇芳は木の実を受け取った。

 しゃくりしゃくりと音をたてて食べ進めていく蘇芳を、朧がじっと見つめてくる。始めは無視していたのだが、次第に彼の視線に耐えきれなくなって、『なんだよ』とつっけんどんな態度を取ってしまった。朧は懲りないどころか『美味そうに食うなと思って』と涼しい顔で言ってのけ、機嫌よさそうに、喉の奥を震わせて低く柔らかな音を奏でた。それがとっておきの求愛音だと気付いた瞬間、蘇芳の頬が急速に火照っていく。さすがに、心揺さぶられたことを認めないわけにはいかなかった。

 巣作りへの協力、給餌、そして求愛の唄。『おまえ…まさか…』と問えば、朧は『鳥の作法に倣ってみた』と、うっとりとした目つきで迫ってきた。

 

『拙者なりに情報を仕入れて学んできたでござる。…拙者は、蘇芳の要求なら何でも応えたいと思っている。この身はどこまでいっても蛙ゆえ、どう足掻こうと鷹にはなれぬが、…その差を補えるよう、御主の好みに合うよう精一杯努力するでござる』

『俺の好み…』

 

 このとき、蘇芳は久しぶりに思い出していた。

 かつて、自分にも番がいたこと。自分が求愛する側だったことを。

 

『…いつでも元気で、笑っていることが多くて、一緒にいるとこっちまで明るくなる。俺の番はそういう雌だった。いい雌(おんな)だったよ。もう死んじまったけどな』

『……、…初耳でござる』

『そりゃそうだろうな。こんな話自体、誰かに聞かせたのは初めてだ』

 

 蘇芳は、自分の過去の一端を朧に話してやった。

 嫁にするならおまえみたいな奴がいい、なんて、思い返してみたら色気のない求愛をしたものだが、それでも相手は承諾してくれたこと。そのうちに一羽の雛に恵まれ、忙しくとも幸せな育雛が始まったこと。

 

『だが、あいつは子どもの巣立ちまで生きていられなかった。俺と一緒に子どもの餌を探している最中に、ニンゲンに射落とされて。…そのときの俺は、ニンゲンに攫われていくあいつの遺体を取り返すこともせずに黙って見ていた。子どもを守れる親が俺だけになった以上、ニンゲンと揉めて俺まで死ぬわけにはいかなかったからな。たった一羽のあいつの忘れ形見を育てるためなら猶更だ。…俺、結構頑張ったんだぜ。男手一つで育てて、ちゃんと巣立っていくところまで見送ったし』

『…その後、御主の子どもは…』

『さあな…。俺たち「ルチャブル」は親元を離れたらそれきりだ。今、俺の息子がどこで何をしているのかは知らない。…ニンゲンの所為で母親を失ったから、ニンゲンに対する警戒心はかなり強く育った奴だ。少なくとも奴らの手にかかってることはないと思うんだが…、まあ、脅威になるものは他にも沢山あるし、こればかりは運だろうな。もちろん、生き延びてくれていたらいいとは思ってる』

 

 単純で、大らかで、陽気な我が子だった。細かいことは気にせず、深く考え込んだりもしない奴だったが、そんなあいつは、父親が雄に言い寄られている真っ最中だと知ったらどんな顔をしただろう。

 言いそうなことなら思いつく。『父さんがいいなら、それでいいんじゃない?』だ。…そうだよな、おまえなら、きっと、あっけらかんと言い放つだろう。自分のことなんだから自分で決めなよ、と。

 

『おまえはさ、たぶん、俺の好みを知ったら合わせようとするんだろうな』

『…それが好いた相手に対して自然なことなのでは?』

 

 好いた相手。…そう、朧は蘇芳に惚れている。その一点さえ直視しなければ、蘇芳だって、朧の魅力は否定しない。彼と共に切磋琢磨するのは有意義であるし、強くあろうと妥協せずに鍛錬を重ねる姿勢には好感が持てるし、細やかな気遣いができるところも立派な長所だ。

 

『俺のことを知ろうとしておまえが思い遣ってくれるのは嬉しい。俺に喜んでもらおうとしているのも伝わってくる。だが、…おまえらしさがなくなるような無理はするな。俺は、ちゃんと、…そのままのおまえを気に入ってるから、そこのところは忘れるんじゃないぞ』

 

 分かったかと確認したときには既に朧の腕の中にいた。咄嗟に腕を立てて離れようとしたのに押さえ込まれてしまって、朧は蘇芳を抱きしめたまま微動だにしない。

 

『好きだ』

 

 朧は、まるで切実な祈りの文言のように、好意を口にしてくる。

 

『拙者のありのままを認めてもらえて光栄に思う。…約束する。必ず幸せにする。嫁御殿と御子息に恥じぬだけの愛を蘇芳に示すと誓うでござる』

 

 力強く抱擁されて、耳元で直接甘ったるいものを流し込まれて、…あー…くそ…、…やたらいい声出しやがってこいつ…。

 こんなふうに迫られた経験はなくて、…そうだ、抱き寄せられて混乱しているから、なされるがままになってしまっているんだ。きっと。

 

 俺は番がいなくなっても、息子と離れても、ひとりで生きていけた。これからだって、それは変わらないだろう。たぶん、俺にとっては、朧も、…かけがえのない、しかし必須の存在ではない。

 朧がいなくても俺は生きていける。だが、…朧曰く、朧には俺がいないといけないらしい。

 朧がいなくても俺は生きていける。だが、朧と一緒ならより楽しく暮らせるのかもしれない。そんなことを、ふと、考えてしまった。

 

 気が済むまで朧の好きにさせておこうなどという考えが過っている時点で、こいつの求愛に対しての答えが出ているような気もするのだが、だいぶ前から絆されていたことを認めるのは悔しいから、この場では何も言ってやらない。

 

 こいつが欲しがっているであろう言葉は、言ってやらない。今は、まだ。

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