蘇芳と朧はめでたく
朧の方も、蘇芳が想像していたよりはずっと自律できている。かつては互いの関係が中途半端だったことに不安を覚えていたらしいのだが、それはもう過去の話、ふたりが番になる以前の感情だ。今は、番として将来を誓い合っただけでなく、「互いに裏切らない」と確固たる契りを交わしたことで、長期間カルサー谷から離れても、蘇芳に会えなくても、耐えられるようになったと話していた。伴侶という結びつきが朧の精神的な安定に役立っているのなら何よりである。蘇芳の所為で朧の気はそぞろ、任務でヘマをやらかした挙句に殉死…という流れは勘弁してほしいので。
蘇芳の巣を朧が訪ねてくるとき、(当たり前だが)彼は任務の内容に関して話さない。守秘義務というやつであろうし、おそらく殺しも絡んでいると思われ、何も話さないのは蘇芳に不快な思いをさせないための最低限の配慮なのだろう。代わりの土産話は、行った先で出会った風景や街並みについて。朧の話に耳を傾けて相槌をうちながら、時々、蘇芳は思い出す。闘魔団体『チェスト』の一員として各地を巡った日々のことを。旅してまわったあの頃が懐かしい。ただ、蘇芳は蘇芳で、イーガ団ひいてはカルサー谷を中心に展開されている今の自分の生活に満足している。
というのも、以前にイーガ団総長が言っていた「隠れ里の警備」を本当に担う運びとなり、定期的に仕事が発生しているためだ。要するに、必要とされていることが嬉しいわけである。隠れ里はイーガ団の支部としても機能しているため各地に点在しており、時には遠方に派遣されることもある。あるいは、意外にも近所だったのにそこに集落があると知らず素通りしていた土地に行くこともあって、遠くと近くとに関わらず蘇芳は見たことのなかった景色を目にする機会に恵まれるので全く退屈しなかった。
警備を担当する間は隠れ里に駐在し、老若男女様々なニンゲンと接することになる。そこでは、『チェスト』に在籍していたときとも、イーガ団のアジトで生活していたときとも異なる「ニンゲンとの共生の場」が蘇芳を待っていた。
蘇芳は、元は野生の魔物であり、ニンゲンに対する警戒心は強かった。ニンゲンが原因でかつての番を失ってからは、より強く嫌悪していた時期もある。しかし、闘魔の選手としてスカウトされてニンゲンと行動を共にするようになってからは、彼らへの解像度も理解度も上がり、それに伴って少しずつ彼らに対する態度も軟化していった。『チェスト』での経験があったからイーガ団でもニンゲンと上手く付き合っていけた。
『チェスト』では選手として稼ぐことを期待され、イーガ団では患者として療養を望まれたが、此度の隠れ里では「守ること」を求められた。脅威となる魔物を倒し、住民の命を守る。作物を守る。暮らしを守る。実際、蘇芳の目には、ひっそりと生きる隠れ里の人々はか弱い存在に映った。だから、魔物と会敵したときは思いきり戦った。実力の程を派手に見せつけるのはルチャブルとして生まれついた
付け加えておくが、無論、蘇芳がひとりで隠れ里に赴くわけではない。案内兼警備担当のイーガ団構成員と、その相棒であるツチニンが一緒で、スリーマンセルになる。隠れ里の警備をする間、構成員からはよく気にかけてもらったし、ツチニンとも親しくなれた。協力して魔物を駆除したこともある。そうしているうちに、蘇芳は今でもイーガ団内で身内認定されているらしいことも分かってきて、これは野良を自認していた蘇芳にとってくすぐったい事実であった。
このように蘇芳自身の生活が充実していたこともあって、朧に必要以上に依存することもなく、蘇芳はカルサー谷の新居で始まった暮らしに順応していった。概ね順調であったからこそ、身の回りで生じた違和感には敏感になる。朧が訪ねてこないまま数日経ったときは、さすがに首を傾げた。先にも触れた通り、別に朧の訪問の間隔があくのは珍しいことではないのだが、今回は、いつもとは事情を異にしていた。つい先日、朧は任務から戻ってきたばかりで、次の任務に就くまではスッパと共に休暇を与えられていたはずなのだ。帰還直後に蘇芳の巣にやってきた朧はやけに嬉しそうで、『しばらくは休みになるから、御主と過ごせる時間が増やせるでござる』なんてことを言っていた。
それなのに、来ない。
だが、蘇芳は慌てたりしない。苛立ったりもしない。あいつは俺にべた惚れなのに音沙汰がないのはおかしいな、と愛されている自信からくる不遜な感想を浮かべるだけだ。イーガ団のアジトに行けば何か分かるだろうとのんきに構えて、鍛錬場に顔を出した。
すると、その場にいた魔物たちは蘇芳を認めた途端にしんと静まり返ったではないか。さっきまで荒々しく稽古に打ち込んでいたというのに、揃いも揃って急に冷や水を浴びせられたような反応をする。
『どうしたんだよ、おまえら。急に黙って』と怪訝な顔で蘇芳が訊くと、彼らは答えるよりも先に互いに視線を交わし合っている。誰が一番に口を開くか探り合っているような、ともすれば譲り合っているような印象さえあった。あまり気は長い方ではないが、蘇芳は様子を見守った。すると、最近隠れ里の警備関係で親しくなったツチニンが顔色をうかがいながらおずおずと蘇芳の前に進み出てきた。
『あ…あのさ…、蘇芳がきたら、月白様を呼べって言われてるんだ。だから、ちょっと待ってて。月白様を探してくるよ』
『はあ?なんであの爺さんが出てくるんだ。俺には身に覚えがないぞ』
『…いやあ、だって朧が檻に…』
蘇芳が探しにきた「朧」とセットで「檻」などと剣呑な単語を聴く羽目になろうとは想像だにせず、蘇芳はぴしりと強張った。
だが、その硬直もすぐに氷解した。呼ぶ手間もなく月白が自らその場に現れたためである。
月白が物音も気配もなくいきなり出現したため周囲はどよめくが、当の月白は平然と歩を進め、身を屈めてぺちんとツチニンの後頭部をはたいた。
『てめぇらの口から憶測で説明させたくねえからオレを呼べって言ったんだよ阿呆』
『ひぃっ…、すみません…!』
ツチニンは顔色をなくしたまま平伏し、一方の蘇芳は眉間に皺を寄せた。
『じゃあ、あんたは何から何まで俺に説明してくれるってわけだな』
『そのつもりだからわざわざおまえさんを迎えにきてやったんだろうが。…ついてこい』
進みゆく蘇芳の背中に魔物たちの視線が嫌というほどに突き刺さってくるのを感じながら、意地でも振り向かず、ぎゅっと口を引き結んで月白に付き従うのだった。
まず、月白が足を止めたのは、アジト内で白い暖簾がかけてある出入口の前だった。蘇芳はこの暖簾の先に立ち入ったことはないが、アジト滞在時に朧から教えてもらっていた。この向こうには女部屋が集まっていて、許可がなければ男は立ち入れないと。イーガ団のアジトでは、共用空間以外はきっちりと男女別で区分けされている。
『魔物はな、別に性別関わらず自由に行き来できる。だが、オレたちの一族だけ例外だ。ケロマツ、ゲコガシラ、ゲッコウガ…いずれの雌も女部屋の奥で庇護されてる。文字通りに深窓の令嬢ってわけだ』
そういうお嬢さん方と御目文字叶うのはどういうときか分かるか。問われて、蘇芳は間髪入れずに『繁殖のときだろ』と返した。
『ニンゲンが大事にしてるってことは、貴重ってことだよな。あんたらの種族は、雌が生まれにくいとかそういう感じなのか』
『お、理解が早くて何よりだぜ』
月白がにやりと笑う(そうすると白く濁った右目が細くなるどころか潰れて見えるので、ぎょっとするような形相になる。それを笑顔と言うにはかなりの無理があった)。
『オレたちはな、基本的に戦闘力に秀でた種族なんだわ。他の魔物と比べても頭一つ抜けた身体能力を持ってる。で、強いからこそハイラル各地を征服して生息地を広げていけそうなもんだが、そこはまあ、…自然界のバランスっつーのかね、種族内の雌が少ない上に孕みにくいときてる』
『何だよ、じゃあ、…希少種ってことか…?』
『おうよ。身近にいたらそう感じないだろうけどな。オレもそれなりに長生きしてる方だが、野生の個体なんてとんと見かけねえ。たぶん、イーガ団で養われてる個体がそのまま「生き残り」ってことになるんだろうと思う』
そこまで語ったあと、月白は再び移動を始めた。次は屋外へと出ていって、『ほれ、目的地だ』と一点を指さしてみせる。
蘇芳と月白がいるのは、崖の上だ。示された方向は、はるか眼下。見遣れば、谷底の道を挟んだ対崖の壁面が大きくアーチ形に掘り抜かれているのが見える。そこには鉄格子がはめられていて、つまりは、檻であることが見て取れた。
『話によれば、地坑院ってやつを真似た作りなんだと。このあたりの崖は岩より黄土が多いらしくてな、柔らかいから横に掘り進めていくのも楽で、…だから
確かに、似たような檻が壁面にずらりと横並びに整備されている。
『檻とは言うが、狂暴な奴らを隔離したりやらかした連中に懲罰を与えたりすることが目的の設備じゃねえ。そういうのはこことは別に作られてる。いま見物してる檻はな、より正確に言えば繁殖用、他にも出産、育児に使う場所だ』
蘇芳は目がいい。だから、すぐに分かった。一番左端の檻の中に朧がいること。朧以外にもう一体、別のゲッコウガが一緒に檻の中に入れられていること。
『……、あんたの話から察するに、朧と一緒にいるのは雌だよな』
『そういうこったな』
『あー…、…つまり子作りで…』
『あの野郎が繁殖目的で雌と一緒にぶち込まれてるのを知ってる奴はごく少数だ。だから、朧が檻に入れられたって話だけが独り歩きして尾ひれがつきまくってんだよ。任務で失敗したからだとか、離反を疑われたからだとか、根も葉もねえ噂ばかりさ』
月白曰く、事の発端は総長からの繁殖の打診だったという(三日ほど前のことらしいから、朧が蘇芳の元に姿を現さなくなった期間と一致している)。
打倒ガノンの大戦、その終結、そして後始末。月日を費やしたが、それでも確かに皆でイーガ団を再建し、目まぐるしい日々を乗り越え、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。次世代へ目を向ける余裕も出てきたから、おまえもそろそろ…という流れで朧にお鉢が回ってきたのだと月白は語る。
『総長室で話し合いの場が持たれたんだ。その場には、総長とオレ、筆頭、朧。それだけの、密やかな会議だった』
「おまえと蘇芳がわりない仲だとは分かっている」と総長は前置きした。初耳だったか面の向こう側で明らかにたじろいでいる筆頭を余所に、彼は続けざまに「だが、イーガ団の戦力維持のためにもおまえの血が欲しい」と言って、じっと朧を見据えていた。面越しであっても、そこを透過する強い視線が傍目からでも感じられた。
母体として申し分ない能力を備えた若いゲッコウガの雌がおり、彼女が繁殖適齢期に入ったことを月白は把握していた。ケロマツの頃から優れた才を持ち、心身共に健康で、是が非でも強い雄と番って理想の子を産んでほしいと嘱望されてきた雌だ。現状、彼女と釣り合う若くて強い雄とくれば朧以外にはおらず、繁殖相手として話を持ちかけられるのは当然だった。
だが、朧は、総長から直談判されても何の反応も寄越さなかった。ぺったりと蛙座りして俯き、総長の顔を見ようともせず、ただひたすら、床だけを見つめていた。微動だにしなかった。「無礼な!」と筆頭から叱責を受けてもなお朧は頑として首肯せずにいた。
膠着は必至よなあと月白は内心で溜息をつき、それは総長も同様だったようで、だは~…と盛大に息を吐いた。そして、「そこを何とかさあ」と言いながら、コンと煙管を逆さにして灰を落とす。
「おまえのことだ、蘇芳に操を立てるつもりなんだよな。でもな~、ゲッコウガのガキを仕込むってのは他の魔物の繁殖とは訳が違うんだよな~。めっちゃ重要なんだって。なんせ幹部勢の相棒枠だし。だから、…分かるだろ?おまえの決断に、ひいてはイーガの魔物繁殖に蘇芳の存在が邪魔になっちまうってんなら、それ相応の対処をするしかなくなるぜ?」
『総長がおまえさんを
『…なるほどねえ…。一応訊くが、朧以外の有望株はいないのか』
『どいつもこいつもパッとしねえな』
『辛口だな。月白さんの基準が高いだけじゃねえの』
『あのクソガキと比べても他が見劣りするんだから話にならねえよ。本当に粒ぞろいなら総長がさっさと第二候補に切り替えてる。後で朧とおまえさんが揉めることを分かっていながらそれでも朧を使いたいあたり、総長もマジなんだよ』
『檻に入ってもうだいぶ経ってるんだろ?事は済ませた後か』
『いやいや…、何も済んでねえから数日も閉じ込められたままになってんだっつーの。もはや総長が折れるか朧が折れるかの我慢比べに突入してるな。…何だかんだ雌と一緒に檻の中に入れておけば朧もその気になるんじゃねえかってのが今のところ一縷の望みになってるわけだが、…これ以上朧が意固地になるなら、また総長がおまえさんの名を出して脅しにかかるかもしれねえ』
ここまで聞いてどう思う?と月白は尋ねてきた。
『おまえさんの率直な感想も聞いとかねえとな』
『正直、あいつが雌に手を出してないことに安堵してる』
『あ?…いの一番がそれかよ。お熱いこって』
蘇芳には、かつて別の番がいた。その嫁との間に子を作り、巣立ちさせている。子孫を残して雄の本懐を遂げているため、今の蘇芳は、子作りに躍起にならなくてもいい。朧が自身に対して非常に健気であるとか、そういう部分に絆されたということ以外にも、蘇芳に子を残した雄としての精神的な余裕があったから、同性である朧の手を取ることにも大して悩まなかったのだろう。
もし、朧の種族が、ハイラルにおける希少種だと事前に分かっていたら。その場合、蘇芳は朧からの求愛を受けなかったかもしれない。雄相手に盛るな、種の繁栄に貢献しろ、とか何とか言って突っぱねてたかもしれない。
恋も雌も知らない朧を、どちらも知っている蘇芳が、きっと諭してやるべきだった。
だが、己の種族が希少種であることは朧自身にも分かっていたはずで、それを承知で孕めない蘇芳を口説いてきたのも他ならぬ朧である。
だから、後からゲッコウガの繁殖事情を知ったところで、俺が奴をフォローしてやる義理はない。あいつこそが自分の言動に最後まで責任を以て筋を通すべきだ、というのが蘇芳の結論である。
『あいつが優秀なのは確かだし、そういう雄の卵が要るって組織側の事情も理解はできるが…』
『なんでェ、お利口さんぶって。結果的にあいつが雌とまぐわっちまうのは構わねえのかい』
『そういう言い方されるとなあ…、…意外と俺も割り切れないかもな…』
『へえ、おまえさんもちゃんとあの野郎に惚れてんだな』
『惚れてるっつーか、…誰でもいい気はしないだろ。気に入ってる奴が他の奴の匂いつけて帰ってきたら』
蘇芳が返すと、月白はどういうわけか蘇芳に向かって目を細めて眩しそうにしている。その目つきに嫌味なところはない。まるで、どこかに置き忘れてきたものを今になって目の当たりにしたような、懐かしんでいるようにさえ見える目つきだった。果たして、月白は『真っ当だな』と呟く。
『朧を出してやりてえよな』
『当たり前だろ。…あいつがきっちり俺を選べるんなら、駆け落ちでも何でもやってやるんだけどな』
『あのクソガキを最後まで足踏みさせるのは総長でも仲間でもねえ、筆頭の存在ってのがまた厄介でなあ』
『それなー…、俺もその所為でカルサー谷で巣作りする羽目になってんだぜ』
『だが、そうしてやってもいいくらいにはあの野郎に絆されちまったんだろ』
『……、…悪いかよ』
『悪かねーよ。物好きだとは思うがな』
そんじゃ、下に降りるか。
あまりにもあっけらかんと月白が言うので、蘇芳は拍子抜けしてしまう。見張りから咎められることを心配したのだが、月白によればあの檻は四六時中監視されているわけではないらしい。
『様子見だとしても、ニンゲンが中を覗き見てくるストレスに耐えられないほど雌が繊細になってるんでな。雌が神経質になって攻撃的になるのはよくある話だろ。その所為で繫殖や出産が上手くいかなかったり、せっかくの卵を自ら踏みつぶしたり、…そういう事態にならないよう離れたところから見守ることになってる。オレらが朧に近寄ってもすぐさま駆けつけてくるってこたァねえから大丈夫だ』
ニンゲンに気兼ねせず朧に会いにいけるのなら好都合。何やってんだバカと悪態の一つや二つをついてやるつもりで、蘇芳は崖下に向かって滑空していった。
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蘇芳の考えを聞いたうえで、月白なりに助け舟を出そうと思っていた。月白もまた、私的な恩義を蘇芳に抱いていたためである。
イーガ団が撤退を余儀なくされ、カースガノンに追われていたあのとき。とうとう死地に来たかと月白は覚悟した。裏稼業に手を染めている身の上、ろくな死に方をしないのは端から分かっていたことだ。総長を庇って命を散らす己の未来が見えた気がした。総長の身の安全を優先すべく筆頭と朧を置き去りにした際も、順番が前後するだけで、自分もすぐにふたりの後を追うことになるだろうと思った。筆頭も朧もカースガノン四体を抑え込めるほどの体力は残っていなかったし、間違いなく敵を取りこぼす。そのときはいよいよ月白が身を挺するしかなくなる。あの世行きも時間の問題だった。
それにしても、惜しい。あの朧がくたばることになろうとは。次の世代を牽引することを期待された、一番星のような魔物だったのに。
だが、土壇場で奇跡は起きた。
奴は生きて戻ってきた。蘇芳のおかげで。
月白のことだ、おまえが助かって嬉しいだなんて素直に言うはずもない。それでも、月白の後継者になり得る有望な若者が、目をかけてきた(つもりの)同族の若者が命を拾ったことを、密かに喜んでいたのは事実だ。
だから、喜びをもたらしてくれた一羽の鷹が助けを必要とすることがあれば協力してやろうと予てより決意していたのである。
『なんつーザマだよ。なあ、クソガキ』
檻の前に佇む。
隅の方でさめざめと泣く雌を慰めるでもなく、朧は彼女から最大限に距離を取って放置しており、拗ねた態度を隠そうともしない。その顔からは「面倒くさい」とだけが読み取れた。檻の中は、案の定ではあるが、繫殖のはの字も見当たらない地獄のような空気が蔓延している。
『今の情けねえおまえを見たら、あの愛しの鷹君はなんとおっしゃるかねえ。どうよ、蘇芳からも何か言ってやんな』
蘇芳の名を口に出した途端、やつれて死んだ魚のような目をしていた朧が見る間に生気を取り戻し、がばりを身を起した。心底から求めていたであろうその姿を目に映したことで、奴の瞳の輝きが増していく。この反応の差を間近で見ることになった雌は、どんな気分だろうと思う。自分には何一つ応えてくれなかった冷淡な雄が、目の色を変えて一羽の彩鷹に、しかも同性の雄に手を伸ばしているのだから。
『蘇芳…ッ!』
『久しぶりだな』
檻の隙間から伸ばされた朧の手を取ることなく、蘇芳は無情にも腕組をして仁王立ちをしている。蘇芳の冷ややかな態度を察してか、朧はしきりに『これには理由があって』だの『話せばわかる』だの、まるで浮気現場を押さえられて修羅場に放り込まれた男そのものの発言を口にのぼらせているが、みっともないったらありゃしない。なまじ身内であるだけにいたたまれない。蘇芳も『話だけで足りるか。態度で示せ』と取りつく島もなく、どうやら相当に呆れかえっているようだった。
『事情は聞いた。おまえも板挟みで苦悩したんだろうとは思う。だがな、どんな理由があろうと、俺はおまえに「仕方ないから雌と子作りしてこい」なんて言ってやらないからな』
こんな檻、おまえの力があればどうとでも壊せるだろ。俺に危害が加えられるかもしれなかったから上司の言うことをきくしかなかった?知るか。むしろすぐに逃げだして俺のところにこいよ。厄介なことになったから一緒に逃げるぞって言えねーのかよおまえは。
途中で口を挟む余地すらなく蘇芳に激詰めされ、朧は、強い子を残すためと推された雄とは思えぬほど見る影もなくしょんぼりと萎れていく。蘇芳に向かって伸ばしていた腕も、枯れゆく茎のようにだんだんと虚しく下がっていく。
『俺はな、朧。おまえの大事にしてるものは俺も極力大事にしようと思ってたし、これでも随分と譲歩したつもりだぞ。だからカルサー谷から出ていくのをやめた。おまえの求愛に応えて、おまえを番に選んでやったんだ。分かるか。
俺はおまえを選んだ。おまえも俺を選べ。それが、俺と番になるってことだ。肝心なときに俺を選べないなら、俺に対する裏切りと見なす』
うはぁ、おっかねえ。
蘇芳の目は、激情を宿して煌々としている。俺を裏切るのならおまえなんぞ躊躇いなく捨ててやるという確固たる意思がありありと見て取れる目は、痴話喧嘩に巻き込まれている月白をも慄かせた(実際は『どちらかが死ぬまで番関係は解消されないから』という理由で殺す気でいたらしいことを後から知りドン引きした)。この視線をまともにくらっている当事者の朧であれば尚更で、蘇芳の言葉一つ一つを噛みしめているのか苦渋に満ちた顔つきを見せる。まるで凄惨な拷問を受けているかのようだ。否応なしに同席する羽目になっている檻の中の雌はといえば、とばっちりを受けないようにしているのだろう息を潜めて縮こまっていた。うむ、正しい対処である。
遂に、朧の手は檻の中に力なく引っ込められた。愛する者にとことん詰られて心が挫けたかと思ったが、そこは腐ってもイーガ団内の叩き上げで、朧は引っ込めたその手で水手裏剣の生成を始めている。
『許してくれ、蘇芳。拙者の優柔不断で不快な思いをさせたこと、心から詫びるでござる』
『…それで?おまえは今から何をする気なんだよ』
『檻を壊す。そのあとは御主と逃避行でござるな』
『あてのない旅になるぞ』
『構わぬ。蘇芳が傍にいてくれるならそれでいい』
――と、朧の選択を見届けた直後に、朧に先んじて月白はすかさず「辻斬り」を放ち外部から檻を破壊。続いて、全くの予想外で目を見開いている朧に接近し、真正面の至近距離で無慈悲の「ハイドロポンプ」をかました。避ける時間も空間もない直撃。この数日ろくに飲み食いしていなかったこと、蘇芳から見捨てられそうになり精神的に消耗してしまったことなどの要因が重なれば、然しもの朧とて月白の攻撃には耐えられない。気絶は確定であった。
『爺さん!あんた、何して…ッ!』
蘇芳にも予告していなかった攻撃なので、棘のある声を出されるのも当然だった。考えあってのことではあるが、お節介の詳細を説明するには時間がない。イーガ団構成員たちの足音が聞こえてくる。ほどなくして駆けつけることだろう。
『蘇芳。悪いようにはしねえから安心しろ。おまえさんは崖上に避難して成り行きを見守ってな』
こういうとき、うだうだしないのが蘇芳のいいところだ。悪いようにはしないなんてのは口約束、おまけに具体的なことは何も言っていない。にも関わらず、蘇芳は『分かった』と端的な返事を寄越して飛び去っていく。
さて、信頼してもらったからには応えねえとな。
月白は失神している朧をわざとらしく踏んづけて檻の中に入り、理解が追いつかず震えるばかりの憐れな雌に近付いていく。
『…驚かせちまって悪かったな。オレのこと、知ってるか』
月白様そんな声出せたんスか、と、普段接している野郎共が耳にしたら仰天するであろうとびっきりの優しい声で雌に話しかける。思わず緊張が緩んだのか、雌は相変わらず震えながらも小さく頷いて反応を示してくれた。
『お嬢さん。あんたを外に連れ出してえんだが、抱き上げてもいいか』
怯えてるところを無理に引っ立てることはしたくねえんだ。そう言いながら、月白は片膝をつき、騎士がごとき恭しい仕草で雌に手を差し伸べる。
『オレみてェな傷だらけの小汚いジジイが触れていいような相手じゃねえことは分かってるんだが…』
『そんな、…畏れ多いことでございます。月白様にお手数を…』
『手数のうちにも入らねえよ』
遠慮はしているが拒絶をするふうではなかったので、月白は雌をひょいとかかえて姫抱きにする。檻から出るときも、わざわざもういっぺんとばかりに朧を踏みつけてから、人目のつかない場所まで跳躍していった。
『あんたの心痛は察して余りあるが、とにかく、今はこれでも食ってくれや』
雌を連れてきたのはとある横穴。実は総長がさぼるときに使う避難場所の一つだ。こっそりおやつを楽しめるよう、バナナや飲み水などが備蓄してあることも知っている。月白は雌にバナナを渡してしばらく顔色をうかがうことにしたわけだが、彼女はバナナを素直に受け取ったあと一口また一口とゆっくりバナナを食べ進め、そのうちにぽろぽろと涙をこぼしだすのだった。
『言いたいことがあるなら全部すっからかんになるまで吐き出しちまいな。ジジイでよければ何だって受けとめてやるぜ』
促してやれば、以降は早かった。
誰かに言いたくてたまらなかったのだろう、誰かにぶつけたくてたまらなかったのだろう、そんな雌の想いが涙と共に後から後から洪水みたいに外へと流れ出てきた。
幼い頃から蝶よ花よと育てられてきたご令嬢が直面する現実としては、やはり、今回の朧の態度や蘇芳と繰り広げていた痴話喧嘩は屈辱が過ぎるものであったらしい。あなたならきっと素晴らしい雄と交尾ができる。素晴らしい子を授かることができる。そうやって言い聞かされ、当の彼女もまたその気になっていたところに盛大に水をさされたのだからやり場のない怒りが蓄積するのも宜なるかなというところであった。少しでも振り向かせたくて近寄ろうとしたら、あろうことか檻の中で水クナイを投げつけられたというのだからこれまた酷い仕打ちである。
朧の策は分かりやすい。蘇芳がいるので雌に興味がなかったのは前提であるとしても、恐らく「この雌とは相性が悪いので繁殖行為に入れないのだ」とニンゲンに誤認させるため過剰なまでに雌に冷たく接したのだ。雌にとって繁殖行為がトラウマになってしまっては元も子もないので、朧も雌も一旦は檻から出され、繫殖の試みは中止か延期になるはず。完全なるその場しのぎだが、朧は何とか現状を打開すべく時間稼ぎを狙ったものと見える。
しかし、これはあくまで朧の都合に過ぎない。一瞥さえもくれない、何の関心も持ってくれない、挙句、既に番がいるという雄をあてがわれて、この雌はどんなにか絶望したことだろう。何より、繁殖を成功させることを生来の務めとして刷り込まれてきた雌が、孕むことのない
『そうか、あんたもつらかったよな』『あんたは何にも悪くねえぜ』と慰め、今の彼女が欲しいであろう言葉ばかりを浴びせてたっぷりと甘やかしたおかげで、傷心の雌はしなだれかかるように月白の胸元に身を寄せてきた。
愛らしい
多くの雄にとって魅力的に感じられるであろう上玉。若く、純情、世間知らず。初物食いなんていつ以来かと内心でほくそ笑む月白は、あくまでも紳士的な力加減で雌を抱擁し、雌の背を温かな手つきで撫でる。雌が安心して月白にすっかり身を委ねた瞬間を見計らい、月白は狙いすまして雌の手を握りしめ、ぐっと力強く自分の方に抱き寄せた。
『あんな若造のことはきれいさっぱり忘れていい。あんたの魅力に気付きもしなかった腑抜けた野郎だ』
オレにしとけよ。
互いの身体を密着させたうえで、月白は相手の耳元で甘く囁く。
青二才では出せない、燻し銀ゆえの雄の色気を最大限に駆使して月白はうら若い雌を誑し込んでいく。実は雌の懐柔に長けている老獪なこの蛙、情熱的な口説き文句であれ芝居がかった印象を一切与えない口調を身につけている。
顔を上げて期待を込めた眼差しを送ってくる雌。彼女の目元にそっと触れて、指の腹で涙を拭ってやった。
『イーガ最強の子種を仕込んであんたを孕ませてやっからよ、イイ声で鳴いてくんな』
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あ、あ、ああぁっ♡しゅごい、しゅごいの、きちゃぅ゛っ♡♡…お゛ッッッ!ぁ、ぁ、はあぁ゛んっ♡♡♡もっと!もっとくだしゃい!あ♡あ♡あぁぁっ!またぁ♡♡イぐぅぅっ♡♡♡♡ ん゛ぁぁっ、おなかのなか♡あつくって♡ふわふわで、ぁン、きもちぃれすぅっ♡♡♡ あ゛っ、そこっ、おぐ♡♡すきィ゛♡♡すきだからっ♡だめなのぉっ!まってくだしゃ、げっぱく、さまあ♡でぢゃぅの♡おつゆおもらししちゃうのっ♡♡♡おく、ごつごつって♡♡はげしぐてっ♡♡あヒぃっ♡♡わたし、もう…っ♡ふぁ、…っひぅ♡しょじょの、くせにっ♡♡はぅっ♡んっ、こ、…こんな、いやらしくてっ♡♡ひぃ゛ッン♡ぁ、あ゛んっ♡ぁぁぁあああ゛ッッッ♡♡ごめんなしゃ、あ、あ、あ、くる、…ぐるぅ゛ッ♡ふぁぁあっ♡♡♡
おっ、おまんこ♡わたしの、よわよわおまんこッ♡いっぱい、ほじって♡♡めちゃくちゃにしてェッ♡♡♡げっぱくさま、…げっぱくさまぁっっっ♡♡♡♡♡
――品性の欠片もないからこそ、どスケベ。どこで事に及んでいるのか見えないからこそ、かえって搔き立てられてしまう下劣な想像。これ以上この過激な嬌声を聴き続けると自分も煽りをくらってそこらへんの行きずりの雌に手を出してしまう可能性が出てきたので、蘇芳は現場を離れることにした。朧に裏切るなと念押しした身で不貞行為をはたらくのは避けたいところである。
蘇芳は、月白から言われた通りに崖上に戻って、その後の経過を窺っていた。
騒音を聞きつけてイーガ団の構成員たちがやってきて、気を失っている朧を運び出すところも見ていた。彼は、かつて自分も寝かされたあの魔物用の医務室に連れていかれたのだろう。あとで見舞いに行ってやるとしよう。
それで、あの爺さんは雌を連れ出してどうするつもりなのだろうと思っていたら、何処からかとんでもない喘ぎ声が聞こえてきて、カルサー谷に響き渡っていくではないか。予想だにしていなかった事態に度肝を抜かれてしまった。
マジかよ月白さん…
まさかの展開に、蘇芳は赤面せざるを得ない。老兵の身でこれだ、あの爺さんの若かりし頃…性欲全盛期はさぞや凄まじかったことだろうと益体もないことを考えてしまう。
月白の狙いはすぐに理解できた。朧よりも強いことを分かりやすく示すために雌の目の前でのして、連れ出して。そうして、あの無茶苦茶な流れから雌の心を開かせて交尾に持ち込めるくらいの手練手管を発揮したのだ。年の功である。「朧から雌を横取りして自分のものにした」ことを周囲にも知らしめることで、今回の繁殖問題をうやむやにしようとしてくれたのではないか。
だとすれば、たいそうな借りを作ったことになる。
しかし、月白のことだ。『いい
余談であるが(そして蘇芳は後から知った話であるが)、真昼間から淫靡も甚だしいよがり声で雌が鳴き、しかも大音量であったがために、当然、それを耳にしたイーガ団アジト内の魔物たちは雌雄問わず興奮した。更には、月白の性技に完全に屈服して官能を堪能しまくる雌に引っ張られるかたちでいずれの魔物も発情してしまい、ところかまわずの大乱交が繰り広げられる始末(何の配慮もなく
イーガ団内で魔物のベビーラッシュが始まるのは、あと一カ月ほど先の話である。
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過去の資料を一頁めくるごとに「ぐはぁ~…」と盛大に溜息を吐く俺様の隣で、「何か大変そうッスね」と他人事のような顔をして月白が突っ立っている。腹立たしい。おまえの所為だよ!と叫んでしまいたいが、実際に声を荒げてみたところでこの老いた蛙は冷笑を浮かべるだけだろうから、無駄な骨折りはすまい。俺様は、またもや何度目になるか分からない溜息を深く長く吐き出して、視線を手元の冊子に戻した。
今回の「略奪交尾騒動」を受け、果たしてこんな暴挙に出るような蛙であったかと疑問を抱き、今一度月白について確認しておこうと思った次第である。
「ゲッコウガ」に関する記録は膨大だ。代々、その貴重な戦力の管理は総長を始めとする幹部勢の務めであり、個々のゲッコウガについて詳細な情報を残しておくことは重要な仕事の一つだった。
月白の記録は先代の総長から引き継いでいる。
――これまでのケロマツとは違い、表皮の白い個体が生まれてきたので、その色にちなみ「月白」と命名した。これが、奴の記録の始まりだった。儚げな風貌ゆえに病弱な個体かもしれないと危惧されていたようだが、それも最初のうちだけ。育ててみれば、食欲は旺盛だし身体は丈夫だし、何より(下手すると並のゲッコウガよりも)戦闘訓練で目覚ましい成果を出すので、ひょっとすると化物に変貌するのやもしれんと早くから期待されることとなった。
ゲッコウガになったとき、月白色とは程遠い漆黒の姿に変化した。見た目も腹の中も真っ黒だ。そう記されている。以前から反抗的な態度を取りがちだったことは記録の中でも度々書かれていたことだが、最終進化を果たした後はいよいよ手に負えなくなってきたのか、当時の文章からは先代の苛立ちがありありと読み取れる。要約すると「こんなクソ蛙は初めてだ。奴の父蛙は真面目で従順だったのに」という旨が書き残してあるのだった。「こいつを御せる気がしない」とも。若い時分の月白は、どうやら相当に問題児で、先代の悩みの種だったわけだ。怒り冷めやらぬ状態で記録を書いていたのか、月白についての愚痴めいた内容が綴られている箇所は特に筆圧の強さを物語る濃い文字が並ぶ(しかも達筆だった先代の筆跡とは思えぬほど雑な字だった)。
今となっては昔も昔、大昔のことだが、月白とて当たり前のように繁殖行為に参加させられている。「クソ」とまで評された奴の性格はさておき、最強の名を欲しいままにしていた魔物の遺伝子を残そうとするのは当然のことだった。朧と違い、当時の月白はヤる気に満ち溢れ、雌との交尾に積極的であったとされる。加えて、当時から既に月白一強時代が始まっており、同族の雄が誰も自分に歯向かってこないのをいいことに、月白はかなり勝手なことを繰り返していたようだ。繁殖適齢期の雌たちを独占してハーレムを作り、思う存分に食い散らかし、気ままにヤりたい放題。全ての雌たちが月白の子を孕んだという。中でも、特に気に入っていた雌が一体おり、その雌との間には二桁にのぼる卵を作ったとあるから驚きだ。基本的に妊娠しづらく繁殖の試みが長期戦になるゲッコウガの雌が、その生涯の中で十以上の卵を産むというのは異例中の異例であり、おそらくこの記録は今後も更新されることはないだろう。
お気に入りの雌の前では、比較的穏やかに過ごせていたらしい月白。穴さえついていればそれでいいとでも言わんばかりにどんな雌とも享楽的な時間を過ごしてきたはずなのに、それがお気に入りとなると、明らかに丁寧に扱っていたという。
だが、月白のお気に入りだったその雌は、思わぬ形で落命することになる。
敵対組織の間者がアジト内に侵入し、複数の卵を持ち去ろうと画策。現場に居合わせたその雌は腹を痛めて産んだ卵を取り返そうと抗い、結果、敵の凶刃を受けてしまったのだ。一度も戦場に出されたことのない、つまりは戦闘慣れしていない雌だったので、いくら魔物といえども、武芸の達者なニンゲンには後れを取ってしまった…ということなのだろう。
イーガ団員が到着する頃には、敵は倒れていた。尋問して情報を得る必要があったのだが、それよりも前に、敵は
お気に入りがいなくなって以降、ぴたりと、月白は繫殖行為に応じなくなった。しかし、それを咎める者はいなかった。無理強いもしなかった。節操のないヤリチンと言ってしまえばそれまでだが、月白が繫殖において多大な貢献をしたことは事実であり、十分な実績を残していたことが免除の主な理由である。また、月白の血筋に偏ると今後の交配で(生まれつきの疾患などの)問題が生じやすくなるため、他の雄の血筋も残そうという意見が上がったこともあり、除外された月白は自然と繫殖行為から遠ざかっていった。
また、なんぞ心境の変化があったのか、指示に従いやすくなった。これまでの暴れ馬のような扱いにくさから一転、一騎当千の働きを見せるように。愛する存在の喪失が、月白の精神的な成長を促す結果となったらしい――…なんてのは、ニンゲンによる後付けであって。真相は、当の月白だけが知るところだ。
「それで、おまえは何なの?枯れてたんじゃなかったのかよ」
俺様はまたぞろ嘆息を禁じ得ない。
どちらかといえば短命な魔物のはずだが、月白の寿命不明っぷりはもはやバグである。年々、確実に老いてはいくものの、一向にくたばる気配がなく、何かもうそういう妖怪の類に片足突っ込んでんじゃないかとすら思う。
月白が繫殖行為に参加しなくなって云十年…、その間、月白が雌に興味を示すことがあったかというと、それは全くの皆無で、記録に残っているような好色や絶倫の片鱗を見出すこともなかった。マ~ジで、食って、寝て、戦って…のサイクルの中で生きていた。いい加減ジジイなんだし、戦い抜く体力はあってもさすがに盛るだけの気力は残ってねえんだなと。そう判断しても仕方ないだろ、これは。
だのに、どういうこった。
今更、幼妻なんぞ作って。
こいつに限って老いらくの恋って線はねえんだよな…。谷底にある例の檻の前では、月白の他にも蘇芳の姿が確認されている。これがヒントになりそうだ。月白の略奪愛はセンセーショナルだが、俺様に言わせりゃ、いくらなんでも目立ち過ぎる。「朧から雌を奪ってみせた」という構図になってはいるが、これは単なる目くらましで、実際は「蘇芳に協力し、朧の窮地を救う」ことが狙いなんだろう。
朧がうじうじして交尾をする気配がないから、今回はオレが介入して力技で解決してやる。
あー…もう…、大戦だの復興だのに手間取って、ようやっと落ち着いてきたと思ったらこのザマだ。朧が蘇芳とくっつく前に繁殖を命じていたらなあ。それなら、朧は嫌々ながらも俺様の命令に従ったはず。むしろ、蘇芳を妬かせよう、気を引こうと考えてわざと雌と関係を持とうとさえしたかもしれないのに。
ま、今更何を言ったところで後の祭りなのだが。
朧に言うことをきかせようとして「おまえの態度次第では蘇芳に害が及ぶぞ」と仄めかしたところから、全てが裏目に出てしまっている。蘇芳に顔向けできない罪悪感からか、朧は雌に冷たく接し、挙句にその肝心かなめの雌は当初の予定になかった月白に横取りされて。詫びを入れようとしたスッパが朧を連れてゲッコウガの雌たちが養育されている場所へと赴いた際、そこにいた雌たちは全員が朧を見るなり喉の奥で高く鋭い音を発して威嚇してきたそうだ。例の雌が受けた仕打ちは他の雌たちにしっかり共有され、朧を敵視するに至ったものと思われる。詫び入れついでに他の雌を見繕うつもりでいたのだが、無駄足になった。今後、朧を相手に繫殖行為に応じる雌はいないも同然となり、朧の子孫を残せる道が潰えてしまったというわけである。
まさか、
あながち馬鹿にできない仮説に、空恐ろしくなる。
「おまえ、随分とあのふたりを甘やかすね」
投げかけると、月白は珍しく鳴き声で応じてきた。嗄れ声で「コウガ」と一言。「そうだ」と悪びれもせずに肯定されたように思えて、嗚呼、面白くないったら。
苛立つ俺様の元に、一人の団員がやってくる。雌のゲッコウガの世話を任せている女だ。用件は分かっている。月白を呼びにきたのだ。思った通り、団員は面の奥から申し訳なさそうな声を絞り出しながら「幾たびも申し訳ありませんが、どうか月白を…」と乞うてくる。こうした遣り取りは、最近になって増えてきたものだ。団員曰く、例の雌は早速月白の子を孕んだそうで、以降、しきりに月白を恋しがって鳴くのだとか。んでもって、目的は達したのだからあとは用済み…ということもなく、月白は月白でちゃ~んと幼妻を大事にしているらしい。妊娠して不安になりがちな雌の傍に寄り添い、安心させ、寂しさを忘れさせるようにねっとりと――それこそ舐めるように可愛がっているらしく、…その様子を観察せねばならない団員たちが目のやり場に困るほどだと報告を受けたときはいらぬ頭痛を覚えたものだ。私もあんなふうに甲斐甲斐しくされたいと戯言をほざく団員もいると聞く。月白ってばスパダリ~♡…ってか。呆れて言葉も出ない。
「嫁さんが呼んでるとさ」と言いながら、しっしっと追いやるように手を動かす。はよ行け。月白は、じゃあ遠慮なくとばかりにニンマリと笑って、総長室から出ていった。あの野郎、仮にも総長付きの護衛のくせに、毎度毎度あっさりと雌を選びやがって。
子が生まれてくるとなれば慶事だが、これはゲッコウガに限った話じゃねえ。イーガ団内の魔物たちがどいつもこいつも懐妊していやがる…。あ~ぁ…、何とか餌代を捻出しねえとなあ…と、俺様は今日も今日とて頭を悩ますんである。