時を同じくして、オンバットも、つぶらな瞳に積乱雲を映していた。
一体なんだろう。
あんなに大きいのは初めて見るけど、まさか、あれも雲なのかな。
なんだか綿菓子みたい。近寄って舐めてみたら、実はおいしかったりして。
ゴロゴロと唸るような音が近付いてくることにはとっくに気が付いていたが、その正体が何なのか知らずにいたので、興味本位でとどまっていた。
オンバットの足元に敷き詰められている黒々とした瓦の群れは、夏の日差しを吸って焼け、じりじりと熱い。
いっとう高い両端には青銅のアズマオウが一対、向かい合って誇らしげに体をしならせている。こうした装飾は厄除けの願いを込められて設置されるものだが、金属製であるために落雷を誘発すること、さらには生態上のアズマオウの隠れ特性が「避雷針」であることを考えても、数秒後に引き起こされた椿事の
そんなこと、オンバットには、分かろうはずもなかったけれど。
一瞬――だった。
どおんと耳をつんざくような轟音が、すぐ傍に落っこちて、瓦を砕いた。あるいは何枚も吹き飛ばし、屋根を滅茶苦茶にひん剥いていく。
もともと優れた聴覚を持つオンバットには規格外の爆発的な振動であり、まさに音響兵器そのものだった。一時的な行動不能を余儀なくされる。
『う…?』
立ち昇った煙が降りそそいでくる雨によって掻き消されたとき、そこには、予想だにしない存在が舞い降りていた。
森羅万象に攻撃をしかけんとする刺々しい気迫、ばちばちと電流を迸らせて凄まじい威圧感を放っているその怪鳥は、まさに雷の化身であった。
あらゆるものに目ざとい雷神の目は、片隅で震える小さなオンバットでさえも容赦なく捕捉する。心臓を握りつぶされるかのような鋭い一睨みをまともに受け、オンバットは硬直し、その場に縫いとめられてしまった。
死を覚悟させる眼差しである。
だが直後、この絶望を振り払い、呪縛を解いてくれる勇ましい声が響いた。
『 オンバット!!! 』
高らかに叫び、無事を確認し、鼓舞してくれた存在。
いつでも自信に満ちあふれた、見目麗しい、オンバットだけの
跳躍した勢いを殺さぬ不可避の一閃――色鮮やかな翼をひらめかせ、脅威の跳び膝蹴りが炸裂する。華麗な蹴り技はそのまま深々と雷神の胴を抉り、さしもの巨躯とて耐えかねて、はるか後方へと素っ飛んだ。
『大丈夫か』
駆け寄ってくる見慣れた姿があんまり嬉しかったものだから、涙で顔をくしゃくしゃにしたまま白く温かな胸羽にとびつくと、相手も強く抱きかえしてくれた。
間近で聞こえてきた鼓動に安心する、…のは、まだ早いか。
ぬくもりを惜しんでいる暇はない。非常事態の只中である。
『今のも所詮は時間稼ぎだ。早くここから、』
『…ッ!』
逃げろという言葉と共に、オンバットは荒々しく突き飛ばされた。
安全域に転がされたと、すぐに理解が及んだ。間一髪、…その判断がなければ、未熟な身はひとたまりもなかった。
『 兄上!!! 』
大声を張り上げたが、雨音に紛れて虚しく消えるばかりだ。
身代わりとなったルチャブルは、怒り任せに反撃してきた敵方のワイルドボルトを直にくらい、バトルフィールドの外へと投げ出されたところだった。
雨に濡れた身体を弱点である電気技が襲い、加えて体格差も仇となった。
火花弾ける電撃の体当たりは相当な威力を誇り、気を失ったルチャブルが力なく落下していく――…
『…あ、…』
自分が、成体だったら。
戦う力を持っていれば。
この鳥に立ち向かえるくらいに勇敢で、強ければ――!
『 うわああ"ああ"あ"ああ!!! 』
己の不甲斐なさと、大切な兄を庇えもしなかった無力さと、彼を傲慢に傷つけた存在への名状しがたい憤怒と。
湧き上がるもの全てがぐちゃぐちゃに掻き回され、どろどろに融けて、激情に突き動かされた肉体は猛る精神に見合う姿へと変貌を遂げる。
いかづちとはまた質を異にする、白々とした閃光が、四方八方へと放射されていく。
+++++
己を脅かしかねない、新手の雄叫び。
それを聞きつけた雷神は、振り返り、驚愕に目を開いた。
『おまえ、…ッ、よくも兄上を……!!!』
獰猛に唸る翼竜が牙を鳴らし、威嚇のためにぶわりと毛を逆立て、敵を駆逐せんとその両飛膜を大きく広げるところであった。
――この落雷事件は、城内はもちろん世間を大いに騒がせた。
突如として現れた翼竜が死闘の果てに雷神を討ち払い、爆音波と共に勝鬨の咆哮をあげた勇姿は実に見事に民衆の心をとらえ、瓦版が出回るわ絵巻に描かれるわの好評ぶりである。人口に膾炙する新たな伝説の誕生と相成り、兎にも角にも後世に語り継がれる一大事となるのだった。
+++++
人知れず、疾風のように空を裂く影があった。
長々と伸ばされた舌は、墜落していく手負いの鳥を巻きつけ、収縮し、忍蛙の腕の中に最愛を運び込む。
『…無茶なことを…』
まだ微かに息があることそれ自体には安堵するが、満身創痍の姿を見ては、自ずと眉間にしわが寄る。
今のゲッコウガには、落雷も、雷神も、取り残されたオンバットも何ら眼中になかった。
もしルチャブルに意識があったなら真っ先にオンバットを助けてくれるようゲッコウガに懇願しただろうが、仮にそうであったとしても、その要求を棄却する腹積もりである。
救助だ仇討ちだという暇があるならばルチャブルの治療に充てるより他はない。
――さて。
いかにいけ好かなくとも、こういうときにこそ人間の英知に頼らねば。
ゲッコウガは己の最速を以て、ルチャブルを主人の元へ搬送するのだった。