■ 第三夜
夢のまた夢だろうか。
兄上はいつかオレを選んでくれると、その日を夢見るのは愚かなことなのだろうか。
いかに唐紅に満ちた華美な風景の中にあっても、この季節にはない若菜色に染まる彼の頭部は、よく目立つ。
銀杏の下で、ふたりが話している。
別に耳をそばだてていたわけではないけれど、高性能な己の耳は、彼らが遣り取りする内容を否応なく拾い上げてしまう。
美しい思い出に彩られたふたりの出会い。
オレでは決して知り得ない、これまでのふたりの過去。
兄上は、オレの前ではいつも毅然としている。
手本を示そうと格好をつけて、弱音を吐くことも、肩を震わせて泣くことも、ましてや…頬を赤らめて照れたりなんて、絶対にしない。「兄」としての仮面は堅牢だ。
だけど、きっと…オレには見せてくれないものを、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、ゲッコウガの兄者だけには、惜しみなくさらけだしているはずだ。
――ずるい。
オレだって、本当は。
知りたくてたまらないのに。
「藤の子」
藤の根元から拾った卵の子という謂れから、母上はオレのことを「藤の子」と呼んでくる。
その声は、平生より、心なしか厳しい。
「ものほしそうに見るな。
私はおまえを賤しく育てた覚えはない」
母上が正論を説くとき、そこに容赦はない。
いっそ「納得しなければ許さない」と言わんばかりの威風が、毎度のこと、逃げ道を断つ。
「貪り、憎しみ、無知。心の三毒だ。
恋とは必ずしも美しいものではないよ、藤の子。相手を独占したいと願い、情欲に溺れ、ときに何故思い通りにならぬのかと恨む。自分の描く理想を押しつけて相手の真を知ろうとしなくなる。挙げ句、数え切れぬ苦悩を背負い込み、破滅への道をひた走ることさえ…。
…忍ぶ恋が高等とは言わないさ。しかし、今のおまえは危うい。男なら、相手の幸せを願って身を引くことも知りなさい」
諦めろというのか。
初めて、本気で好きになった相手のことを。
この、一生忘れえぬ恋を。
身の内に巣食うのは、諭されて消える生半可な焔ではない。黙って引き下がるにはあまりに、兄上との恋しい思い出が多すぎる。
焦れて視線を上げた先で、ふと、恋敵と目が合った。
刹那、ゆるりとたわんだ薄紅の目が『おまえの出る幕ではない』と不敵に一笑している。
瞬間――憤りが、胸を焼いた。
そうだな。
怒りも尤もだ。悔しくて苛立つんだろう?どう足掻いても勝てぬと分かっているから。
オレが、オレに、囁いてくる。
おまえが慕う兄上は、容易く
おまえが迫ったところで何ら変わりはしないさ。その現実に打ちのめされておまえが惨めになるだけだ。彼がいかに一途であるのか、それこそ、おまえ自身がよく知っているだろうに。
自分が先に出会えていたら?
恋仲になれたとでも?なんと短絡的な。馬鹿馬鹿しい。時間に可逆性などないのだから、出会う順序を考えたところできりはないし、意味もない。
奇しくもおまえ自身で言った通りじゃないか。
夢のまた夢――いつまで経っても現実に反映されることはない
だいたい、…略奪の度胸も、オレが幸せにしてやると見得を切るだけの覚悟もないくせに。
『…うるさい』
わかっている。
全てわかっている。それでも尚、…苦しむと予め知っていても尚、オレは。
未だ、この心を手放す理由を、拒み続けている。