ゲッコウガとの再会前、ひとり彷徨うルチャブルの話
『ほら、早く来い!遅いぞ!』
『ちょっと待ってよ!少しは弟に合わせてくれたっていいじゃん!』
にぎやかに応酬を繰り返しながら、ゾロアの兄弟が森の中を駆け抜ける。
すっかり冬毛に生え変わり、もこもこと丸みを帯びた身体。幼い彼らが走る様子は、さながら跳ねていく小鞠のよう。
夏場と異なり、視線を上げた先で青空が見えているのは、つまり木々の葉がほとんど散ってしまった証左だ。地面には落ち葉の絨毯が広げられ、兄弟の訪れを待っている。そこに飛び込んだり、葉を巻き上げて散らかしたり、潜り込んだりしてじゃれ合っているうちに、あっという間に日が暮れる。この時期ならではの楽しい時間だ。
今日も、そうして遊ぶつもりでいた。
お気に入りの場所に到着した兄弟は、我先にと風を切って落ち葉のもとへ近寄っていく――が。
『 止まれ! 』
鋭い声に体を貫かれ、縫いとめられてしまったみたいに、二匹は動けなくなった。
突然の出来事に立ち竦んでいると、兄弟の目の前に一羽の鳥が舞い降りた。山を彩る紅葉よりもなお深い緋色に染まった翼。他にも、
生まれてこのかた初めて遭遇するポケモンだ。眺めているだけで心が華やぐその麗しさに呆然としている兄弟の前で、彼はおもむろに足元の枝を拾い上げる。
『よく見てろ』
兄弟の遊び場めがけて投げられた枝が、放物線を描いて着地しようとした次の瞬間。
ガチャン!と金属の噛み合う耳障りな音が響く。
落ち葉の中に隠されていた虎挟みが、落下してきた物体の衝撃に反応して発動したのだ。身代わりとなってあえなく真っ二つになった枝は、自分たちの脚の末路を象徴する。その残酷な置き換えは容易に想像され、兄弟は二匹揃って震えあがった。
『どうして、…昨日まではあんなものなかったのに…』
『いつもと同じだと思い込む油断があるから人間に捕まるんだ』
鉄の臭いがしたので呼び止めたのだと、彼は話す。
『おまえたちの様子が、何日かにわたって狩人に観察されてたんじゃないのか。獲物が定期的にやってくるとわかれば、罠を仕掛けるのも当然だ』
見られてたのかもしれない、なんて。
そんなの、ちらとも気付かなかった。
首を傾げる兄弟に対し、彼は『奴らは風下側にいるからな』と教えてくれた。
『これからの季節、人間にとっては狩猟解禁の時期だ。春や夏とは危険の度合いが変わる。気を付けろ。…それに、俺が通りかかったのはただの偶然だ。おまえたちが自分で自分の身を守らないと、この先は生き残っていけないぞ』
神妙な顔で、二匹のゾロアは頷いた。
そもそも、親からだって耳にタコができるくらい聞かされていたのだ。人間には注意しろ。食われるぞ、毛皮を剥ぎ取られぞ、と。しかし、これまで危ない目に遭ったことがなかったから、どこか他人事のようになっていた。
まさかこんなに身近な場所で命の危機に瀕するとは思ってもみなくて、だから、認識を改めた兄弟の背筋は自ずと真っすぐに伸びる。
『他の兄弟たちにも知らせてきます』
『父ちゃんや母ちゃんにも』
元気に答えるゾロアたちを見て、鳥は微かに笑った後、悠々と飛び去っていった。
+++++
紅い翼の小鳥の御仁…ねえ。
視界に映る相手で間違いなさそうだ。見つけ出すことが叶うとは、運がいい。
『おい、そこの鳥のにいちゃん。そう、…あんただ、あんた』
枝にとまっていたところへ声をかけると、振り向いてくる。真っすぐにこちらを捉えてくる澄んだ琥珀の瞳が、印象的だった。
『俺ンとこのチビ共を助けてくれたッつーのは、にいちゃんかい。キャンキャンうるせー子狐の兄弟だ、覚えはねェか』
記憶を辿るような間が空いた後、『別にうるさくはなかった』と返ってきた。凛とした声音だ。
『受け答えがしっかりして、礼儀正しい感じだったな』
『へえ、あいつらがねェ…』
無遠慮にすたすたと歩み寄っても、警戒はされなかった。今のところ気まずさもないので、そのまま言葉を重ねていく。
『上がってきてもいいかい』
気さくに話すゾロアークの態度が、どうやら功を奏した。
尋ねたことに応じ、相手が黙って横にずれたことから、肯定と解釈する。『邪魔するぜ』と言いながら、ひょいと跳躍して腰をおろす。
『チビ共のこと、礼を言う。…よくあるんだわ、あの手の仕掛け。俺らの毛は高く売れるらしいんでな』
この鳥の羽根も丸ごとむしって束ねたら目をむくような値がつくんだろうなと、心底くだらないことを考える。大枚を
『あんた、人の臭いが抜けてねェな。飼われてたのか』
『…数年ほど』
『お、答えてくれるか。悪ィな、詮索して』
屈託なく笑いかけて、先を続ける。
『なに、かく言う俺もかつては人の世にいたことがあってな。つい気になっちまった。
奴らを見限って出奔してきたのかい』
『いや、できることなら傍にいたかったが、…俺がいると不都合だから出てきたんだ』
『…そうかい。難儀なこった』
晴れない目つきをするのは、未練ゆえのことなのだろうか。
俯きながら話す彼を観察しつつ、そんなことを思う。
『聞きようによっちゃァ、にいちゃんがひとりで一切合切を引っ被ってきた感じだな。
あんたはそうやってしがらみを断ち切った気でいるんだろうが、それで済ませてたまるかと思ってる奴もいるかもしれねェぜ』
『…どういうことだ』
『ここいらを回る噂ってのは、存外に韋駄天なのさ。
紅が基調の多彩な鳥…そいつを探してる奴がいるらしい。お尋ね者はあんたのこったろ?違うか?』
『俺に追手が…?』
『痩身の青蛙と聞いた。心当たりは――』
――あるみてェだな。
全く予想だにしていなかったという様で見開かれる双眸。そこを最初に過ったものは、たぶん、喜びに近い感情だったと思う。しかし、それも一瞬のことだ。すぐにその目には哀しみが宿った。
ままならないもんだなと胸中で溜息を吐きながら、ゾロアークは鳥に提案する。
『にいちゃんには恩があるからな。お望みとあらば、ガセを流して撹乱してやってもいいぞ。どうする?』
考え込む素振りを見せるも、長くはかからなかった。沈黙を挟んだあとで、彼は『何もしなくていい』と呟いた。
『対等でありたい相手だ、小細工はしない。好きにさせておく』
そのぶん俺が遠ざかればいいと、そんなことを言う。
口調に嫌悪はない。むしろ、ぬくとい。追ってくる相手を大切に想う心が、出会ったばかりのこちらにも伝わるほどに。
『待っとかなくていいのかよ』
言外に含ませたものを、相手はきちんと察したらしかった。浮かべてみせる笑みは穏やかだが、全体に、どことなく諦めが滲んでいる。
『…合わせる顔がないからな』
その後まもなく、鳥はゾロアークのもとを羽ばたいていった。
彼と確かに遣り取りした証拠、この場にいた証拠として、あとは数枚の羽根が残るばかり。
『かえってしこりの上乗せになっちまったかねェ』と、表裏で色の異なる珍しいそれを指先でくるくると回しながらゾロアークは独り言つ。
事前に風聞を耳に入れていた折、子どもらを助けてくれた相手と噂の特徴が合致するので、こうした
先程まで隣にあった、切なげな横顔を思い出す。
追跡者のことを憎からず思っているのだろうに、それでも身を引く選択をするとは随分と清らかな性情だ。言動の端々から、自分より他者を優先する心根の優しさや誠実が見てとれた。
彼に言ってやりたいことは他にもあったが、今にして思えば、悩みながらも己の力で行動できる相手には余計な内容だ。呑み込んでおいて正解だったのだろう。…元々ふたりでいることが自然だったのなら、離れている今こそ不自然な状況。ゆえに、自然な状態に戻ろうとして、かえって強く引かれ合うこともあるのだと――たぶん、あんた、そう遠くないうちに追いつかれちまうぜと。そのことは。
もしかすると、次は自分が蛙に会う…なんてこともあるかもしれない。思わぬところまで己を導くのが縁というものだから。
ひょっとしてこういう羽根の持ち主なんじゃねェのかいと差し出せるように、置き土産は大事に取っておくことにした。
【 了 】